ナミねぇの講演を聴いて下さった大隈熟生の感想文 その5

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障害者の人たちと、同じ立場に立って考えなければならないと思った。僕たちは普段障害者の方たちを見ると、自分とは何かが違うと思ってしまっていた。しかし、彼らと僕たちは全く同じなのだと思った。いつ交通事故が起きて障害をもつかもわからないし、そうなったからといって、区別してほしくないし彼らも区別されたくないと思った。

弱者とは果たして何なのかを再定義するいい機会だった。これまで私には障害者は健常者に多くの面で劣っているのではないかという奢りのようなものがあったがそれも今回の講義で無くなった。何より一番すごいと感じたのは竹中氏の行動力である。多くの人は障害を持った子が生まれても受け身ではないかと思うが自ら行動を起こし官庁にまで影響力を及ぼすそのバイタリティに感服した。

障害があってもパソコンなどを使って仕事をしている方々を見てものすごく感銘を受け、自分に対する甘えを反省しなくてはならないと感じました。五体満足という身体を持ちながら、つまらないことに嘆いたりしていたことがどんなに恥ずべきことなのか彼らを見習わなければならないと痛感しました。今回の授業でチャレンジドという障害を持つ人を表す新しい言葉を初めて知りましたが、大変すばらしい理念なのでこれからもっと多くの方に広めていきます

ナミねぇの講義を聞いて、私はかつて知り合った「チャレンジド」達の事を思い出していた。彼らは知的障害を持った人たちだった。しかし、ナミねぇの言うとおり、彼らは障害者などではない。我々とほとんど変わらない人間なのである。ある種の作業では、常人以上の集中力を発揮することもある。そんな未来ある彼らの可能性を拡大させるナミねぇの提案には、人の意見を疑ってかかるひねくれ者の私も素直に感嘆させられた。

今回の授業で一番衝撃を受けたのが、弱者に対する考え方でした。今まで僕は弱者と聞くと社会的弱者という単語が出てきて、一番最初に思いつくのが障害を持った方でした。そして、障害があるから働くのは無理だ、可哀そうだという変な観念をもち、常に上からの目線で見ていたのも事実です。しかし、頭を柔らかくして考えれば障害を持った方にだって僕らのように何かに興味を持ち仕事をしたいと思うはずであり、それをできないと決めつけてその機会を奪っているほうが可哀そうだし、それが日本の現状なんだと考えると残念です。僕はまだ社会を知らないし、未熟なために一方的な考え方しかできないけれど、様々な考え方があり、自分の常識や日本の常識がすべて正しいわけではないと考えさせられた授業でした。

障害者を『かわいそう』という言葉でかたづけることは簡単である。しかし、その瞬間に、もはやその人と自分は対等ではありえず、彼らの自立したいという望みすら奪ってしまう。だからこそ、われわれはその人を「障害者」としてみるのではなく、「チャレンジド」として接し、その中で働き自分の夢をかなえたいという人がいるのであれば、その人にとって何が必要なのかを考え、手段を提供できるネットワークが必要なのであると、今回の授業で改めて考えさせられた。

今回は、技術発展における功罪の、功の部分をとても強く感じることができた。また、大学に10%はチャレンジドがいることが普通という話だったが、その割合の多さにまず驚き、やはり自分がチャレンジドは日常にいないものとして暮らしていることを感じた。この固まった感覚を矯正する為にも、社会のシステムから変えるべきという考えにはとても共感した。日本は様々な人と当たり前に暮らすということについて非常に遅れている。

今日の講義で一番重要なことは人間は一人では生きてはいけないという当たり前のことを忘れてはいけないということだと思います。Challengedの人も障害のない人も何かしら人の助けを借りている。そういう意味ですべての人は変わらないのだと思う。ただやはり実際は差別されるし、コミュニケーションの取り方がわからないというのも事実です。健常者が人の助けを借りているという同じ立場として向き合わない限りこの問題は解決されないと思う。。

本日はプロップ・ステーションの代表者である竹中ナミ氏のお話を聞かせていただきました。恥ずかしながら僕は「Challenged」という言葉は知りませんでした。そして、障害をマイナスのものとしか考えていませんでした。しかし、今日「Challenedを納税者に出来る日本」をキャッチフレーズとする竹中先生のお話を聞いて、Challengedの方々が障害を持つゆえに体験する様々な経験などを生かし積極的に社会で活躍しているのを知り、考えを改めさせられました。自分も障害をもつ方が住みよい世界をつくるのに少しでも貢献したい、と感じました。

ナミねぇの「人間は色々なスピードで生きる」という話を聞いて、遅いということが劣っていることではなく、ゆっくりだからこそ感じられるものがたくさんあるのだと知りました。また「challenged」という言葉を日本語に置き換えられないのは、日本にそういった文化・思想・哲学がないからだとありましたが、なぜそれが日本にないのかを疑問に感じ、私たちの「変えていこう」という意識によって社会が変わると思いました。

”弱者”=一人では生活ができず、誰からかサポートを受けているというイメージが自分の中にありましたが、ナミねぇもおっしゃってたようにそれは私たちも同じことなんだと初めて気づかされました。「チャレンジドの方も納税者にする」というのは一見するとそんなことできるの?と思ってしまうのがまだまだ一般的な見方だと思いますが、実はそれ自体がチャレンジドの方々の可能性を勝手に狭めているのだと思います。今日のナミねぇの話の中で一番共感したのは”ボランティアで終わらせない”という考えです。作業所などのようなところはこれまでいくつもみたことはありましたが、実際にアルバイト先や行くお店で私たちと同じように一緒になって働くチャレンジドの方は見たことがありません。でも今日の授業で私たちの意識が変わったのと同じようにもっともっと多くの人の意識が変われば何年後には職場でも町でもチャレンジドの人と私たちが一緒に働き、生活している日が必ずくると思います。新しい社会の見方を教えてくださってナミねぇ本当にありがとうございました。

社会から間接的に隔離されてしまっている者が存在する現在の状況―「障害者」などという社会的弱者としてのレッテルを貼られている―を打破し、実質的に、共存可能な社会を実現する必要があると感じた。彼らの存在それ自体のためだけでなく、人類全体の発展のためにも重要である。実際、彼らの芸術的感性や独特の思考方法は、「一般人」のそれにはないものもある。彼らと人類全体のための、共存可能な社会の実現が待ち遠しい。

今日のお話は大変興味深く、またためになるものでした。正直に言いますと自分の中では障害者は「弱い人」であり、行政等の救済が必須であると考えていました。しかし、今日のお話をお聞きして意識がまったく変わりました。イラストレーターやパソコンエンジニアなど多岐に渡って活躍している人がいることを知って非常に感銘を受けました。やはり重要なのは私のような先入観を持っているような人の意識を変化させ、彼らと共に社会を形成していくことだと思いました。

竹中ナミさんの講義を聞いて、この世は知性が全てではないと思いました。言葉のひとつひとつに愛を感じました。21世紀における女性のリーダーシップをナミねぇが体現してくれたように思います。チャレンジドは素敵な言葉です。「障害者」は「かわいそう」と思っていた自分を客観視することができました。「障害者」社会を変える一人としてまずはチャレンジドという言葉を使っていこうと思います。

街で、challengedの人たちに出会ったときはすごくうろたえていました。でも、自分と違うということに何故戸惑う必要などあったのでしょう。ナミ姐の話を聞いて素直にそう思いました。人間はみんな違うからこそ、それぞれにできること、できないことが必ずあって、お互いに刺激しあって生きていきたい。そう思いました。

障害をもつ方々への見方が非常に変わりました。私たちは社会人の方々からしたらまだ自立できていない“弱者”です。また、私たちから見て幼児は一人じゃ行動できない“弱者”です。しかし、ここでの強者の立場側は決して可哀想という感情を弱者には抱かず、むしろ、温かく見守り時に手助けしようという立場を示すでしょう。ならば、ハンディを背負うという点で弱い立場となってしまう方々にも手助けをする、そして自分の弱い点で彼らに手助けしてもらう、という発想になってもよいのではないでしょうか?私はナミねぇさんの進めているプロジェクトはその点で素晴らしいものだと感じました。

「チャレンジドを納税者に」というナミねぇの考えを知ったとき、「弱者は当然保護されるべきだ」と思っていた僕は衝撃を受けました。こういった社会の通念に縛られていると、ちゃんと働きたいと望んでいるチャレンジドの人たちの声が全く聞こえなくなるので、怖いことだと改めて思いました。日本の福祉に対する概念も、かつての女性に対する概念が変わったように、これからは変えていかなければいけないと思いました。

チャレンジドでない自分がとても情けなく感じた。指先一本で夢を追う姿をみて、何もしていない自分がいたからだ。最近感じることは実体験基づいた目標でないと長続きしないということである。そのためこれから自分は様々な事を経験し、問題意識を持つ必要があると強く感じた。またプッロプの達成しようとしている目標は、これからの日本の雇用政策の歩むべき道であると思った。

今回のお話で障害者の方に対する見方が変わり、今までかわいそうという目で僕は見ていたことを恥ずかしく思いました。また社会で立派に働いている方がいらっしゃることも知りませんでした。とりわけ、くぼりえさんのとてもかわいらしく、温かみのある絵に感銘を受けました。ブログを拝見するとゴーヤを育てているようでした。働きたいと思っている障害のあるに方チャンスがあり、それを支えていく社会が必要だと感じました。

現在の日本では、バリアフリー設備が少しずつではあるが整いはじめている。これは本当に素晴らしいことだと思う。しかし、日本人の概念にはまだ、障害者は弱者であり、可愛そうだという考えがある。Challengedという英語にぴったりな日本語が存在しないなど、設備などの物体だけでなく、日本人の通念、心を変えていかなければと考えさせられた。

ナミねぇは、とても強い引力を持っていると思います。自分の経験や思いをストレートな言葉でドシドシ表現していて、圧倒されました。人から学び、人と共に、人のために生きる、人間の基本的な生き方とでもいうような、純粋な生き方だと感じました。だからこそ、ナミねぇには障害者という言葉が当てはまらなかったのだと思います。社会全体が、共に生き、またそれを素直に感じるなら、チャレンジドという概念が自然に出てくると思います。

“チャレンジドを納税者に”この言葉は、実際にチャレンジドを子に持つ人だからこそ言えた言葉であると思う。私は、障害者(チャレンジド)とは今までアンタッチャブルな対象というか、彼らに何か言うことは、即座に批判を受けるものと考えていた。ましてや働かせて納税者になどという発想は社会的な理想論だとしか思っていなかった。そんな中で“親として安心したい”というところから「彼らのことを考えて」この起業をしたナミねぇには頭が下がる思いがした。まさにチャレンジドの人々にチャレンジのチャンスを与えている、この動きが少しでも広がっていくことを願わずにはいられない。

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