ナミねぇの講演を聴いて下さった大隈熟生のみなさんの感想文 その2

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なみ姉の第一声を聴いたときに、なみ姉のエネルギーに圧倒された。そして、今回の授業以前、私は体が不自由な人々のために、政府や自治体が手厚い支援をすることは義務であると感じていました。しかし、実際に体が不自由な人々がどのように考えているのかを今回はなみ姉を通してですが聴くことができ、私自身が勝手に思っていたこととは違うのだなと痛感させられました。また、チャレンジドを納税者にするような社会を築くことが大切だと実感しました。 私たちも小学校のときに、ワークショップに見学に行ったり、Challengedの人たちと一緒に課外活動をしたりしました。しかし、今にして思えば、そういった、交流も含めて、小学校におけるそういった学習の仕組みそのものが、Challengedたちは弱者である、という前提を基にしていたように思います。今回の講義を受講して、Challengedの人たちに対する自分の考えが、一変しました。

私も「弱者」という言葉には違和感を持っており、他人を弱者と呼ぶ人に対してひどく傲慢な気がして、そういう言葉を平気で多用する人を好きにはなれませんでした。「弱者」と他の人を呼んだ時点で、その人と同位ではありえない。この言葉を聞き、違和感を持っていた理由が明確に分かりました。お子さんについて語るナミねぇが愛情に満ち溢れていて、人は色んなスピードで生きている、彼女を誇りに思う、という一言一言に感動し、涙をこらえるのに必死でした。社会のありようによってその人の持っている力が発揮できるかどうかが決まるのであり、必要なのは同情心ではなくてチャレンジドの人々が社会的に活躍出来る場所を作ることなのだということがよく分かりました。Challenged(チャレンジド)という言葉を始めて聞きましたが、挑戦という使命、チャンスを与えられた人という意味を聞き、「障害者」という響きに比べてポジティブでいい言葉だと思いました。チャレンジドという言葉の普及とともに、その意味も広く浸透するような社会になってほしいと思いました。

テレビのチャリティー番組にずっと違和感をもっていました。真剣に心の底から考えているのだろうか、と。(テレビの役目と限界を考えると仕方のないことかもしれません)しかし、ナミねぇのお話で、「手助け、プラスその先のチャンスも与えていこう」ということに感激しました。まだ社会の風潮がその方向になっているわけではないけれど、風潮・フレームワークを人々がつくっていくのは素晴らしいことだなと思いました。

授業前、障害者を「納税者」にしてしまおうなんて、健常者の自分勝手な税金集めに過ぎないのではと思った。だが違った。チャレンジドが納税できるような社会、ユニバーサル社会を建設しようという画期的な提案だった。「かわいそう」は彼らのの意欲を踏み潰してしまう。同情ではなく共に生きる仲間としてとらえていくことが大切である。それにはチャレンジドという表現は活力のある前向きな表現で有効だ。「障害者」のイメージを覆せる力を持っている。ナミねぇがいうように誰でもハンディを負う可能性と常に隣り合わせなのだから、今後私もユニバーサル社会をしっかり頭に据えていこうと思った。ただし私はチャレンジドだけではなく、出稼ぎに来た外国人家族や性同一性障害などあげるときりがないが、様々なマイノリティーが暮らしやすい、そもそもマイノリティーということを感じないですむ様なユニバーサル社会を目指すべきだと思うし、それを心に深く刻んでこれから学んでいきたい。

今回の授業でナミねぇが話してくれたことはとても重要だと思いました。中でも「challengedの人々が力を発揮できるためにそういった社会を作らなければいけない」というのはまったく同感でした。女性の過去の教育の話と同様にこれからそういった社会を作っていけば、近い未来にchallengedとかそうでないとか関係なしに社会全体がみんなで協力して何かをすることが出来る社会が出来るかもしれません。私の小中学校のクラスにも少し脳に障害のある子がいましたがやはりクラスは彼のことを避けがちでした。そんなことが起こらない社会を作っていくのがわれわれ若者の役目だと思いました。

障害者の呼び方を変え、そしてさらには社会におけるその役割までもとらえ方を変えようという、非常に刺激的な抗議だった。確かに現在の日本の福祉制度の在り方では、障害者、いやチャレンジドの人々の支援は行っているかもしれないが、彼らの自立を助けることはできない。これからの日本の大きな課題の一つに対する大きな解決策になるかもしれない。

「人間の可能性」というものに魅了された。現存の日本の福祉に関する社会システムを変えることは、障害を持つチャレンジドだけではなく、社会に生きる全ての人達の成長を促すことになるだろうと思った。そして、私にはナミねぇの内から湧き出てくるような「強さ」が、講義中、ヒシヒシと伝わってきた。というのも、彼女の前向きで明るい姿勢の裏に、並々ならぬ努力と汗が感じられたからだ。私はナミねぇの世界観に近づきたいと思った。

私の通っていた高校のそばには養護学校があり、行事等を通して障害を持つ方々と触れ合う機会がいくらかありました。そのすぐ近くには彼らが卒業後に働くための専用の施設があり、社会とは一線を画されているのだな、と特に疑問を感じることのなかった記憶があります。 法学部生であるわたしは「弱者保護」という言葉を当然のように用いてきた。しかしその意味を捉えなおし、常識の枠組みで物事を判断しない法律家を目指さねばならないと感じました。

今回の話の論点をまとめるのは難しい。私が考える今回の主張は「障害者を障害者であると意識させない社会づくり」である。これは客観的な問題としては「物理的な保護は必要」その保護は障害者が障害者として生きるための保護ではなく、同じ人間社会に生活するための保護である、というように分解できると思う。こちらの方はユニバーサルデザインなどですぐにでも実行可能だと思う。難しいのは主観的な問題の方だ。「差別は主観的な哀れみの念から一方的に生じる」という考えは分かる。しかし物理的な保護を必要としていながら主観的には差別するなというのはなかなか難しいように感じる。そこで、少なくとも障害者を保護しようと思う段階においては、差別は存在してよい。(むしろそれがあるから保護につながる)しかしそれを実現した段階においてはもはや障害者は障害者ではない、という捉え方が必要であり、またそのような保護の仕方を工夫する必要がある。

知り合いに障害を持ったお子さんがいる方がいる。その方がしばしば「私が死んだ次の日に、子供が死んでくれたらいい」と言う。先生同様に、やはり多くの方が、自分がいなくなった後、障害を持った人間が安心してこの世の中で生きていけるのかということに不安を抱えているのだろう。まだまだ先生の言うようなCHALLENGEDの概念は広まるまでには長い年月がかかるだろうが、少しずつでも変化することが重要だと感じた。

私はハンセン病支援NGOに所属し、差別に苦しむ中国の隔離村へ行っている。「弱い立場の人を支えたい」というのが動機だった。しかし、いざ村に行くと、想像とは違っていた。私たちは水道もない劣悪な環境に苦しみ、かえって村人の笑顔に支えられていた。その時私は、「目の前にいる人は弱者なんかではない。自分たちが色眼鏡で弱者として見ていただけなのだ」と気づいた。「弱者」と言う時、すでにその人とは対等な関係に立てない。なみねぇのこの言葉に心の底から共感した。

ナミねぇの活動内容もさることながら、自分の活動に対しての強い意志に心打たれました。自分の目標・信念を持ち、一歩一歩活動しているからこそあんなに元気で若々しくお話ができるのだと思い、まだまだ自分は大学生活という守られた世界の中に安住してしまっていたと感じました。チャレンジドという言葉とその意味を深く心に留めてこれから生活していこうと思います。

私が小学生の時に兄が入院し、退院後は松葉杖を使って歩いていた。私は兄の怪我は骨折みたいにすぐ治ると思っていた。しかし、高校の時に兄が障害者年金をもらっていることを知り、兄が障害者に認定されていることがとてもショックだった。「兄は松葉杖を使って歩いているだけなのになんで障害者なんだろう」と思った。その時、自分の中に障害者に対して差別意識があったことと、実際には障害者もそれ以外の人も同じ人間であり全く変わらないことに気が付いた。ナミさんはこのことを多くの人に伝える活動をしていて、彼女の話に共感した。私も兄を「障害者」と呼ぶことには非常に抵抗を感じる。兄は「チャレンジド」であり、兄を「障害者」ではなく、社会を担う一員である「チャレンジド」として受け入れることができる世の中になってほしい。

私たちは身体障害者、知的障害者に同情の眼を向ける。それが私たちとしては、優しさのつもりだった。しかし、それが少しでも差別の温床になっていたかと思うといたたまれない気持になった。今回のナミねぇのお話を聞き、これからの世の中に必要なのは今まで私たちがしていたような単なる同情ではなく、チャレンジドに出来る事を見つけ私たちと共存する必要性なんだと痛感した。そのためには私たちが積極的にチャレンジドに関わり、互いの心の障壁をなくすべきなんだと思った。

先日、教職課程で特別支援学校に行きました。そこに通う生徒たちは肢体不自由で、更に脳にも障害を抱えているケースが多くありました。学校を出たら、この子達はどうなるのだろう、何もできないのではないか、と考えていました。税金を使われる側で、納める側ではないんだろうと簡単に思っていたが、まさにそこに、多方面と連携しながら突き進んでいるナミねぇを見て、身近なところに問題はあるんだと思った。

ナミねぇは、私が今の今まで"弱者"であるという偏見の元に固定化された人々を、"challenged"と呼ぶ。アメリカから輸入された呼称の一つであるが、ナミねぇの放つ言葉の一言には、彼女の経験から裏打ちされた重みがあった。私は弱者は常に保護されるべき存在であり、それが彼らの"自由"を奪っていることに繋がっているとは微塵も思ってはいなかった。今日は簡単に常識に従ってはいけないという現代の孕む危険性、ある種の残酷な一面を、ナミねぇから教わった日になった。

障害者のことを健常者が考えると、どうしても、サポートが必要な人と捉えてしまう。しかし、障害者は、働いて自立していくことができる存在なのだとわかった。現在の日本は、障害者雇用率が上がったといっても、実際、税を納め、日本の支える側にまわれるようなシステムは、できていない。プロップの活動が日本に浸透していく一方、私たちも障害者をもっと身近な存在として考えていく必要があると思った。

今回の「ナミねえ」の話は、@ITの可能性への認識Aチャレンジドに対する意識の二つの点において、私の中に変化をもたらした。@について、最近はITを元凶とした犯罪に関する報道ばかりがなされているが、本来ITはなみねえが使った様に人々に可能性を与えるものであった。今後は農業などと組み合わせることができないだろうか。と感じた。Aについて、チャレンジドと呼ばれる方たちは、「何もできないかわいそうな人たち」なのではなく、「これまで社会に貢献できるすべを知らなかった人たち」なのだと感じた。教育の実質的なノーマライゼーションが図られるべきであると感じた。

今日の講演を聞いて、以前読んだ本にチャレンジドの方が「一般人の心が冷たいのではない。多くの人は障害者の方に手を差し伸べたくても、どうしたらいいかわからないから、何もできないだけなんだ。」というようなことが書かれていたのを思い出していた。私も正にその一人だったと思う。接したことが無いからどうしたらいいかわからないのは、しごく当然のことで、私たちは社会制度がそういう風になっていないのなら自分から、チャレンジドの方と触れ合っていく努力をしなければいけないんだと思った。また、ナミ姉が今日の質問に回答する中で、自分が死んだあとにも娘が生きていけると安心して思えるような日本にしたいから活動しているという言葉に胸うたれた。自分のいとこの知的障害のある人のことを思い出してもそうだし、以前友達から聞いた話を思い出したからだ。その友達には7歳下の弟がいるが、生まれる前に、障害者になる可能性が高いと医者から言われたらしい。母はそれでも絶対に産むと言ったが、父や父方の親戚は産むのを猛反対したそうだ。たぶん理由は自分たちが死んだ後のその子の人生を憂いたからだろう。私はそのお父さん側の意見に如何なる理由があろうとも、強い悲しみと嫌悪を感じる。よく言われる「健康で産まれてきてさえくれればいい」。こういうことに対して、ナミ姉はどのように考えているか是非聞きたかった。

「弱者」ということばはすでに相手と自分との力関係を内包している。このことが胸に突き刺さった。身体に不自由があっても、社会の第一線で活躍している人がいるなんて、思いもしていなかった。「弱者」という一言が、僕自身からそういった意識を消していたのではないだろうか。身体に障害をもった人でも自分の可能性を最大限に発揮して、社会で活躍できるような仕組みが必要とされていると思った。自分の意識を変化を周りの人にも伝えたいと思う。 まず、ナミねえさんの「チャレンジド」という呼び方にとても共感できました。私は昔はどうしても障害を持つ人を見ると「かわいそう」と思ってしまうと同時に、そう思っている自分に嫌悪感を抱いていました。しかし、そういった障害も、その人の個性なんだなと考えたとき、もう「かわいそう」という見方はなくなり、対等に見れるようになりました。ナミねえさんは障害もその人の個性だという捉えかたについてどうお思いでしょうか。

The challenged という言葉に何年か前に出会った時、障害を持つ人を表すと知ってとても興味深く思ったのを覚えています。ナミねぇのお話を聞いて、チャンスを与えられた人の意味を持つことを初めて知り、こんなに素敵な概念があったのかと思いました。コンピュータ技術が障害をもつ人の就労に大きく寄与し、今はまさにユニバーサル社会の実現に近付いていける時代だと思います。ともあれ、IT技術などのハード面だけでなく、人と人とのつながりというソフトの面こそが、時代を変わらず大切なのだと感じました。

「Challengedを納税者にできる日本」を自分たちで作っていこうという高い志を持つナミねぇにはパワーがあった。Challengedを弱者と呼んだ瞬間から自分とChallengedを対等の位置で考えていないと指摘されたとき、何か後ろめたい気持ちがした。ナミねぇが写真で紹介したChallengedは人間が持つ無限の可能性を教えてくれた。Challengedが絵本作家として、マイクロソフトの社員として活躍し、社会貢献している。ナミねぇの講演終了後、なんだか自分の小ささを感じた。

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