ナミねぇの講演を聴いて下さった大隈熟生の感想文 その4

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the challengedという言葉を始めて聞いた。私は人間のエネルギーには絶対値というものがあると思っている。だからchallenged達がある方面において能力が足りないからといって、差別することは間違っていると思う。日本の社会はかれらの長所を見ようとせず、短所ばかりを拾い上げているのではないか。ナミねぇの活動は彼らの長所に光をあてる、本当に尊いものだと思った。

昨年、教職で養護学校を訪問し、2日間で私が主に感じたことは2点。まずは支援の重要さ・困難さである。誰かがほとんど付きっきりでいなくてはならない生徒。学校がなければ親は疲れてしまうだろう。でも、両親が亡くなったら?もう1点は、養護学校の在り方である。中には軽度の生徒もいて、とても明るく、クラスメイトとよくカラオケに出掛けていたようであった。普通学級だったなら、もっとカラオケ仲間が多かったのかもしれない。チャレンジドを納税者に。この考え方と呼び方を広めていくなら、私にもできる。

「弱者になりうるのは全ての人間だ」ということを認識出来ました。講義前の私は、障害者の方々を弱者と考えていました。『チャレンジド』という言葉は知っていましたが、実際には障害者を弱者と考えていたのです。彼等の為に何かしてあげないとと、まるで自分が強者であるかのように考えていました。しかし、講義でなみねぇの話を聞くにあたって、チャレンジドの意味も肚落ちしました。我々はいつ障害を背負うかわからないし、障害者の方には労働意欲があるからです。マイクロソフト社員の方の事例には驚きました。そうした事例が増えることと障害者の方の人生もよりチャレンジングなものになるだろうと思いました。なみねぇの菌にやられました(笑)

「弱者」とか「かわいそう」といった言葉は自分より何かが劣っていると思う人に向かって使う言葉であると竹中さんが言われたことが印象に残った。確かにそういった一面があることは否めない。しかしながらだからといって、何らかの部分でハンデを負う人たちに何の手も差し伸べないのがいいのかというとそれも違う。援助と自立というのは難しい関係にあるが、自立するのを支援するという援助の仕方がもっとなされるべきであるように思う。

今回のナミねぇのお話は、どれも考えさせられるものばかりでした。その中でも特に印象に残ったのは、「かわいそうということによって一緒に生きることができなくなっているのではないか」というお話です。確かに、チャレンジドに意識を向けることは重要ですが、その際、何かをして“あげる”という一方が優位の考え方は禁物だと思いました。対等に向き合っていくからこそ成長の限界を感じさせない取り組みなのだと思います。また、私自身、ナミねぇを“すごい”と思うことなく対等に向き合えるよう努力していきたいと思いました。

今回の授業を聴いて、障害を持った人への見方が変わりました。障害者の人たちを「challenged」と呼ぶことによって社会的にも根本的にその人たちの見方がかわっていくとおもいます。そしてアメリカのように「challenged」のひとたちも納税者となり、大学にも普通に行けるような環境作りが大切だと思います。

よりよい社会にするために今まで「してあげる」対象だった存在が、語弊を恐れず言えば「活用できる」対象に変われば、これほど大きな力はない。健常者も障害者も一長一短、その長所を活用できればいい。まずは社会全体の意識改革が不可欠だ。そのためには、社会の中で「弱者」の存在をもっと可視化する必要がある。もっと生活を共有していくべきだ。例えば、健常者の子も障害者の子も同じ校舎で学ぶようにするのはどうだろう。

今日は、貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございました。竹中さんが、こんなに明るい方だとは思っていませんでした。とても楽しかったです。授業の最初に、「弱者」についてお話されましたが、私も普段「弱者」という言葉を、意味も考えずに使っているような気がします。「障害者」のことを「チャレンジド」というのも、障害という言葉をマイナスの意味ではなく、前向きな意味で捉えようとしていて、とてもいいと思います。そしてそれは自分のこれからの人生に関係してくる重要な課題であると気づくことができました。

ナミねえの講義は考えさせられることが多かったです。障害者を「かわいそう」と思っている時点で下に見ている、対等になれない、と話していましたが、まさにその通りだと思いました。人は、自分では偏見を持っていないつもりでも、心のどこかで健常者と障害者は違うと思っている、と思います。僕も例外ではありません。難しいことだとは思いますが、そのような偏見がなくなるといいな、と感じました。僕だけじゃなく日本全体、世界全体が、偏見を持たなくなってくれることを願います。いつか本当の意味で対等になる日がくると良いです。

竹中先生の話は、今までにない視点からいわゆる「障がい者」の方の生活を捉えていて、それはこれから福祉だとか、ノーマライゼーションとかを考えていく上で、重要で、絶対必要な視点だと思った。最後に写真を見たが、あの写真からは障がいのある方を支援する竹中先生の姿が生き生きと写っていたと思う。それが、介護や福祉に携わる人にとって理想のような気がした。

高校で野球部に在籍していた時、障害者の人たちが集まる家に訪れたことがある。その時僕は緊張していたが、この緊張は完全に杞憂だった。というのも、彼らが積極的に遊ぼうというアプローチをしてくれたからだ。遊びに没頭している時の彼らの姿は健常者となんら変わらない。このような経験もあり、今回の講義にでてきたスライドから彼らの無限の可能性を強く感じた。好きなことに没頭し、飛躍していた姿にただただ圧倒された。

弱者という言葉を使うことによって、すでに対等な立場ではなくなってしまっている。かわいそうと自分が心の中で思っただけで見る世界が変わってしまう。「チャレンジド」という言葉には他者からの哀れみが含まれていない。健常者と障害者と二項対立的に区分してしまう傾向が日本にはある。マイノリティーを受入れる制度や風習が必要だと思いました。

本日のお話の中で「弱者という言葉を使った時点で、相手を対等な関係に見ていない」というフレーズが非常に印象に残りました。そして、challengedの人達が生活しやすい社会を作り出すことは、結果として自分が年を取っていく際に住みやすい社会を作り出す。この言葉も非常に説得力のあるものでした。これから社会に出て行く私たちが、システムとして社会を変えていけるか、非常に心に刺さる講義でした。

僕が小学校のころクラスに目が見えない子がいた。補助の教員が一人つき、授業はすべて出席し、点字でノートをとり、ピアノも弾くことができた。ただやはり、すべてみんなと同じようにというわけにもいかず、当然手助けを必要とするが、それがどこまでが手助けで、どこまでが甘えと取られてしまうのか、本人も周りの児童も今し判断がつかず、いやな感じになってしまうことがあった。これは別に障害者に限ったことではなく、健常者どうしでも考えられることかもしれないが、やはり難しい問題だと思った。

今までは障害を持っている方々のことをかわいそうだな、と思ったりびっくりしてしまったりすることが多かったのですが、ナミねぇの講義を聞いて見方が変わりました。前向きに自分の能力を活かすため頑張っているチャレンジドの方々の活動を知り、障害を持っているというだけでかわいそうだと思うことは、むしろ失礼なことだったのだなと気付きました。社会的に作り出してしまっている隔たりをなくすためシステムを変えるには、一人一人の意識を変えていく必要があるのだと思いました。これから生きてゆく上で非常に大事なことを学びました。ありがとうございます。

challengedを納税者にする、という先生の理念には強く共感いたしました。聞きそびれてしまった質問なのですが、私はchallengedの中にも様々な考えを持っている方々がいると考えています。challengedの方々の中で、納税者になりたい≒労働して自ら稼ぎたい、という方はどれほどいらっしゃるのでしょうか?もし仮に、国による所得の保証が十分になされていて働く必要がない、という方ならばわざわざ自分から働こうと思われない方もいらっしゃると思うのですが…。

今回、特に印象に残ったのは、「Challenged」という新しい概念との出会いです。障害を持つ人を表す英語として、「handicapped」、「disabled」等のネガティブな意味を含むものは知っていましたが、「Challenged」というポジティブな意味を持つものは初めて知りました。障害というものをネガティブに捉えるのではなく、ポジティブに捉えるという考えが共有されているために、プロップ・ステーションに関わる「Challenged」の方々が活き活きとしているのだと感じました。

弱者という考えは決め付けから来ている。確かにそう思う。しかし、自分が経験、体験したことの無い立場に立って物事を考え、その目線を獲得する事は容易ではない。だからこそ私たちは意識しなければならない。誰もが自分と同じように、同じようなスピードで生きているのではない事を。私たちはその事を忘れがちだ。それが決め付けとなり、偏見となり、差別となる。ナミねえさんの講義でChallengedの方々の見方が間違いなく変化した。

障害者のことを、正直かわいそうだと思っていた自分が恥ずかしくなった。なみねぇの話す障害者の方々は弱者どころか、とても魅力的でかっこよく思えた。健常者よりもかなり重いハンデ(しかも背負いたくて背負ってしまったものではない)を持っていながら、それを乗り越えて自分にしかないスキルを手に入れている。単に人より少し劣っているだけで挑戦すらあきらめている自分が情けなくなった。

冒頭部分で「弱者ってなんだろう」と言う問いがあったが即答できない自分がいた。また「弱者と呼んだとき、すでに対等ではない、下に見ている。」と言われ、確かにそう考えているのかもしれないと自分を責めた。質問の答えで「日本語にチャレンジドよりふさわしい言葉がない」「言葉は文化・思想からできる」というのを聞いて、日本は普通でないものを排除し、あまりにも普通を求めすぎではないのかと思った。

ナミねぇの人柄というかキャラクターがとても素晴らしかった.周りの人が耳を傾けたくなるようなオーラがあった.弱者という言葉に既に彼らに対する差別のようなニュアンスがあったことに驚いた.自分は今までchallengedという言葉も知らなかったし,彼らが自立して納税者になるという考え方も全く頭になかった.全ての働く意欲のある人に就労のチャンスがある社会を今後も私たちは目指していくべきだと思った。

終始ナミねぇのパワーに圧倒され、また彼女の紹介するチャレンジドの方々にも圧倒された。日本おける障害者がいわゆる『隔離』された生活を行っている話は聞いており、養護学校の話も聞いていた。今までは質問で出たように彼らが普通の学校生活を送れないため、養護学校制度は仕方がないと思っていたのだが、そういう考え方自体が弱者に対する考え方であり、彼らもまた教育を受け、働きたいものは働く権利があると改めて感じた。

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