「ストーリー」

社会支える障害者を

―就労促進へ70歳奔走

毎日新聞 2018年12月9日 大阪朝刊 より転載
東京版はこちらでご覧いただけます

デジタル毎日のご購読はこちらからどうぞ 外部サイト


画像をクリックで、PDFにて紙面をご覧いただけます。

 「チャレンジド(障害者)の雇用・就労促進について、相談に乗ってもらえま せんか」。10月4日、一本のメールが、神戸と東京に事務所を置く社会福祉法人「プロップ・ステーション」理事長、竹中ナミさん(70)の元に届いた。自民党総務会長に就任した加藤勝信・衆院議員からだった。

 今夏に中央省庁などで障害者の法定雇用率を水増ししていたことが判明し、制度が揺らいでいた。渦中に厚生労働相の職を離れ、与党幹部として問題に取り組むことになった加藤氏が、1億総活躍担当相時代から懇意にする竹中さんに助言を求めたのだ

 神戸に暮らす彼女は同12日、東京・永田町に飛んでいった。「雇用率だけではあかん。チャレンジドが誇りを持てるような、多様な働き方のできる制度を新しく生み出さんと」。重度障害の起業家の例を挙げながら関西弁で発破をかけると、加藤氏はうなずいた。

 永田町の政治家や霞が関の官僚は「ナミねぇ」と呼び一目置く。情報通信技術 (ICT)を駆使して在宅のままパソコンで働ける環境を整えるなど、障害者の就労を支援してきた。金髪メッシュにジーンズ姿。「ギネス級」といわれる強心臓と しゃべりを武器に政・官・財界を走り回り27年、気がつけば10月に古希を迎えた。行動力は衰えを知らない。

 「チャレンジドを納税者に」。それが自らの「ミッション(任務)」と言う。チャレンジドとは障害者を呼称する米国で使われる言葉で、「挑戰すべき使命を与えられた人」ととらえる。彼らを「福祉の受け手」から「社会の支え手」にしたい。


竹中ナミさんが優しく抱き、アニメ「ドラえもん」の歌を口ずさむと、重症心身障害を持つ長女麻紀さんは笑顔を見せた=神戸市東灘区で、梅田麻衣子撮影

 湧き出すパワーの秘密は、重症心身障害を持つ長女麻紀さん(45)の存在だ。「この子の笑顔が私に力を与えてくれる」。チャレンジドの「おかん」は、日本の障害者福祉の大転換に挑戦する。

6面につづく
取材・文 桜井由紀治

◇               ◇               ◇


画像をクリックで、PDFにて紙面をご覧いただけます。

今回の「ストーリー」の取材は

桜井由紀治(さくらい・ゆきはる)(大阪エリア報道センター)


取材する桜井記者

 1990年入社。徳島、鳥取、神戸各支局員や松江支局次長、編集局編集委員などを経て、今年4月から現職。長男(24)に知的障害があることから、障害者福祉の問題に関心を抱き、取材過程で竹中ナミさんとも知り合った。

ツイッター(@mainichistory)発信中です。 外部サイト ストーリーの掲載日に執筆記者の「ひと言」を紹介しています。

ナミねぇの福祉改革

◆障害者の「できる」に目を向け

度胸と口 人動かす


竹中ナミさん(中央右)と長女麻紀さん(同左)を囲む「プロップ・ステーション」のスタッフら。重度脳性まひで車椅子を利用する全盲の男性(左端)も働く=神戸市東灘区で、梅田麻衣子撮影

1面からつづく

 「ナミねぇと呼んでね」。社会福祉法人「プロップ・ステーション」理事長、竹中ナミさん(70)=神戸市東灘区=は誰にでも、そう自己紹介する。「ナミねぇ」と呼ぶと、確かに距離がぐっと縮まり、旧知の間柄のように感じる。

 今でこそ政・官・財界でも定着しているが、実は「筋金入りのワルやった」という少女時代についた愛称だ。家出を繰り返し、神戸・三宮の盛り場をうろついた。アルバイト先で出会った恋人の家に転がり込んだのが15歳の時。高校は除籍となり、16歳で結婚した。「ワルやったから、平気で社会のルールを変えてやろうと思いつく。ええ子やったら、ルールを守らなきゃいけないと考えるし、つぶされちゃう」。不良精神は今も健在だ。

 転機となったのは、24歳で授かった第2子の長女麻紀さん(45)が心身両面で重い障害を持つと分かったことだった。自分の意思で体を動かせない。明暗が分かるだけの視力。だが「麻紀が私を更生させてくれた。この子を通して私のやるべきことが見つかった」。訓練施設に向かうバスを待つ朝、いつも一緒になる母子の姿がない。我が子の将来を悲観し、心中していた。日本の福祉はどうなっているのか。専門書を読みあさった。当事者から学ぼうと施設のボランティアもした。彼らの「できない」ことより「できる」ことに目を向けると、見えてきたのは、適切な支援さえあれば自立できる人がたくさんいることだった。一方で、障害者と認定された人は障害年金を支給される代わりに一般社会の外に置かれる。「障害者」イコール「施しの対象」という社会の意識を変えようと決意した。

 1991年、障害者の就労を支援する草の根団体「プロップ・ステーション」を設立。「チャレンジドを納税者にできる日本」というスローガンを掲げた。知的障害のある妹がいた第35代米大統領、ジョン・F・ケネディの教書にヒントを得た。納税者になるということは、社会を構成する一員になり、誇りを取り戻すことだ。一方、「チャレンジド」は米国で使われる言葉で、心身が不自由な人を障害者と呼ばず「挑戦すべき使命を与えられた人」ととらえる。そこに新鮮さを感じ、スローガンに組み入れた。

 活動開始にあたり、全国の重度障害者にアンケートした。8割の人が「パソコンがあれば仕事ができる」と答えた。翌年、就労目的に絞ったパソコンセミナーを開いた。セミナーでプロの講師から技術を習った障害者らに、プロップが企業から発注を受けた仕事を、得意分野に応じて割り振る。そんなビジネスモデルを描いた。

 この年、「女に社会は変えられない」と言い放った夫にキレて離婚した。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 「パソコンは苦手」というナミねぇの役割は、度胸と口を駆使した営業だ。企業トップに会い、社会貢献などの面から仕事を発注するメリットを訴える。パソコンはまだ普及しておらず、購入資金はない。アップル社に「先行投資を」と持ちかけ、パソコン10台などを寄付してもらった。「ずうずうしいのは得意やねん」と屈託ない。セミナーを有料にすると、「障害者から金を取るのか」と批判の声も上がったが、ナミねぇは「自腹を切らんと本気にならん。絶対元を取ったるぐらいの気構えが必要や」と動じなかった。これまで500人ほどがプロップ経由で在宅就労し、デザインやシステム開発などに能力を発揮した。

 霞が関にも足を運んだ。障害者雇用制度を変えたい。企業や役所に一定割合の雇用を義務付ける法定雇用率が柱の制度では、日常的に介護が必要な在宅の重度障害者は支援を受けられない。プロップのような方式は制度の枠外だ。ナミねぇは「企業が積極的にチャレンジドに仕事を発注するために、発注企業にもインセンティブが必要だ」と訴える。

 今夏に発覚した雇用率水増しについて、ナミねぇは「起こるべくして起きた」と指摘する。「雇用率はチャレンジドを戦力とみなして育成する制度ではない。雇用する側は数字さえ達成すればいいという意識になる。ごまかす人間も出てくるわ」と痛烈だ。プロップは昨年度から兵庫県と連携し、クラウド上で企業が仕事を発注して、障害者が在宅で就労できるモデル事業に取り組む。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


成毛眞さん(左)、村木厚子さん(右)と居酒屋で議論する竹中ナミさん。この日も3人の話題は、障害者に対する社会の意識をどう変えていくかだった=東京都港区で11月、宮間俊樹撮影

 ナミねぇとつながった人たちは、彼女と同じ夢を見たくなる。ナミねぇと「ミッション(任務)」を共にした2人が11月、東京・赤坂の居酒屋に集まった。

 元マイクロソフト日本法人社長の成毛眞(なるけまこと)さん(63)=現書評サイト「HONZ」代表=は、プロップ最大の支援者だ。23年前、出張中の飛行機内で、ナミねぇを紹介する雑誌記事に「チャレンジドを納税者に」の一文を見つけ感銘を受けた。すぐに、自社ソフト「ウィンドウズ95」を幾セットもプロップに贈った。そればかりか、自身が主宰する勉強会「フォーラム50」にナミねぇを迎え入れ、創業者のビル・ゲイツ会長(当時)らも紹介。ナミねぇの人脈を広げさせた。プロップが98年に社会福祉法人格を取得した際には、基金に1億円が必要と聞き、成毛さんは自ら5000万円を寄付。ゲイツ氏とも掛け合い、マ社に同額を寄付させた。

 「なぜそこまで」。私の問いに、成毛さんは「ナミねぇと付き合っていると元気になるから」と笑いながら「彼女のミッションは、効率性ばかり追い求めてきた旧来の日本の価値観を壊してくれそうな期待感を抱かせる。新しい価値観への先行投資ですよ」と説明した。

 居酒屋で乾杯したもう一人、元厚生労働事務次官の村木厚子さん(62)もスローガンに衝撃を受けた。「チャレンジドに納税を求めるなんて、怖くて誰も言えなかった。彼らも、みこしが重くても自分で担ぎたいと思っているのよ」。旧労働省課長時代、初対面のナミねぇから著書「プロップ・ステーションの挑戦」を渡されると、一晩で読み終え「これで上司と闘える」と自信を深めた。

 旧来の常識を打ち破るには「トップの意識が変わらなきゃ駄目よね」と、ナミねぇと村木さんの発案で始まったのが、官僚トップによる月1回の勉強会「ユニバーサル社会を創造する事務次官プロジェクト」。2007年の開始当初は3省の事務次官だけだったが、12年目の現在は10省から参加する。ナミねぇと交流のある、共生・共助社会実現に取り組む人たちが講師だ。11月14日は、中途失聴者でユニバーサルデザインコンサルタントの松森果林さん。羽田空港での手話対応ができるスタッフを増やす取り組みなどを紹介した。

娘の笑顔がパワーの源


iPadを使ってイラストを描くくぼりえさん。「私は難病女子です」と明るく語る=大阪府枚方市で、川平愛撮影

 ナミねぇの周りには、就労の夢を実現させたチャレンジドらがいる。

 絵本作家でイラストレーターのくぼりえさん(44)もその一人だ。企業広告のイラストなどを手がけ、2冊の絵本も出版している。生後6カ月で難病「脊髄(せきずい)性筋萎縮症(SMA)2型」を発症、全身の筋力がほとんどない。大阪府枚方(ひらかた)市の自宅で両親やヘルパーの介護を24時間受けながら、描き続ける。

 幼い頃から、わずかに動く右手で描き「絵画の道で自立したい」と願っていた。美術短大在学中に就職を目指したが、どの企業も自力通勤などの条件があり、エントリーすらできなかった。卒業後、プロップのグラフィックセミナーに通った。ナミねぇは「あんたは才能があるんやから、頑張りや」と励ました。

 受講2年目に、初仕事がきた。企業イベントのイラストで、プロップを通じての依頼だった。「私も働ける」。作品は好評で、他企業からも発注が来た。大手化粧品会社のカレンダーのイラスト制作は今年で14年目。収入を得て納税者となったくぼさんは、腰痛に悩む母広子さん(70)にロボット掃除機を贈った。

 進行性の病気で、最近は手も上がらなくなった。介護用リフトアームからつるしたベルトに右手を乗せ、iPadパネルをタッチしながら描く。指の爪には美しいジェルネイル。くぼさんは「ナミねぇのおかげで生きがいを持て、社会を支える側に回ることもできた。これからも希望を持って描き続けたい」と話す。


「身体障害者補助犬シンポジウム」で聴導犬アーミを褒める安藤美紀さん。「ナミねぇのおかげで私も前向きになれた」と言う=兵庫県宝塚市で、小松雄介撮影

 11月3日、兵庫県宝塚市で開かれた身体障害者補助犬シンポジウム。聴覚障害者の安藤美紀さん(49)は、聴導犬アーミとデモンストレーションをした。玄関のチャイムや目覚まし時計が鳴ると、安藤さんにアーミが知らせてくれる。

 02年施行の身体障害者補助犬法では、飲食店などでの補助犬(盲導犬、聴導犬、介助犬)受け入れを義務づける。だが、理解が進まず、安藤さんも同伴入店を拒否されたことが度々ある。聴導犬への理解を広めるため、全国の学校やイベントで講演、今年は約90カ所を数える。

 一人息子の一成さん(24)を身ごもった時、周囲から出産を反対された。障害者は子供を産んではいけないのか。悩み、人間不信に陥った。そんな頃、知人から紹介されたナミねぇは「障害はハンディなんかと違う。チャレンジドが誇りを持って生きられる社会にしたいねん」と熱く語った。この人は日本の福祉を変えるかもしれない。勇気が湧き、出産を決断した。

 一成さんをおぶってプロップでパソコンを習い、04年に障害児の学習支援などに取り組むNPO法人「MAMIE(マミー)」を設立。幼い頃「耳」代わりになってくれた一成さんは昨春、歌で補助犬を普及させようと「ほじょ犬って知ってる?」を作った。母の講演先などで手話を交えて歌い、啓発活動を後押しする。安藤さんは「私はナミねぇの背中をずっと追い続けている」と笑顔を見せる。

 ナミねぇは「自分は人と人をつなぐメリケン粉」と言う。そのパワーは、障害者福祉という枠を突き破る。還暦になってから、プロ演奏家と「ナミねぇ&ナミねぇBAND」を結成して歌い続ける。彼女のもう一つの顔だ。10月には京都で古希祝いライブをして、熱唱した。

 私は、彼女の幅広い人脈に頼ったことがある。公職を離れた後、表舞台から姿を消したある女性を取材したかった。ナミねぇはその女性とつながっていた。「紹介してほしい」と請うと「彼女に手紙を書きなさい。持ってってあげるから」と言ってくれた。

 ところが、私の手紙を読んで怒った。「あんたの思いが全く伝わって来ない。こんな内容では、会ってくれへんで。私もよう持っていかん。書き直しや」。手抜きをして、おざなりな文章を書いた私の横着さを見抜いていた。手紙は書き直した。結局、女性とは「取材を受ける気になれない」と会えなかったが、大事なことを教えてくれたナミねぇに私は感謝した。この人は強心臓と口だけではない。絆を大切にして誠実に向き合う。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 障害者を取り巻く社会環境は、変わってきた。ナミねぇが01年から委員を務める財務省の財政制度等審議会。今年の建議(意見書)で、障害者が初めて「社会の支え手」として位置づけられた。これまでは「福祉の受け手」としての記述しかなかった。ナミねぇは「ようやくここまで来た」と感慨深げだ。障害者を戦力として採用する企業も出てきた。

 とはいえ、就労状況はまだ厳しい。神戸市の委託を受け、プロップが昨年10月から運営する、情報通信技術(ICT)関連に特化した全国初の就労相談窓口「しごとサポートICT」には、毎月100件以上相談が寄せられる。「引きこもる自分に何ができるのか」など、発達障害者からの切実な相談が目立つ。

 「社会の意識を変えていくには、教育から変わらんとあかん」とナミねぇは言う。昨年から、文部科学省の中央教育審議会委員も務める。「中卒の元ワルでもいいのかな」と照れながら「教育でもバンバン言いまっせ」と鼻息が荒い。

 11月22日。普段は国立病院の重症棟で生活する麻紀さんが、帰省外泊でナミねぇの元に戻ってきた。今も母と認識できない娘は白髪が目立つようになった。抱きしめ、アニメ「ドラえもん」の歌を口ずさむと、娘は笑った。いとおしくてたまらない。おかんの顔をのぞかせた。

 「みんなが支え合い、麻紀を守ってくれる社会にならんと、私は死ねない。まだまだいけるで!」

ページの先頭へ戻る