10月1日 尊敬する友人である村木厚子さんが、厚生労働事務次官を退任されました

2015年10月2日

ナミねぇの尊敬する友人である村木厚子さんが
10月1日厚労事務次官を退官され、長い官僚人生の幕を閉じられました。

ナミねぇは、その前日の9月30日厚労次官室を訪れ
お部屋の片付けに慌ただしい厚子さんと、しばしの「お喋り」を
させていただきました。

「お疲れさまでした! これからもますますの活躍に期待してます!!」
と、お伝えするとともに
次官室での最後のツーショット写真を撮影。
感慨深い思いでいっぱいになりながら、次官室を後にしました。

☆20150年9月30日 厚生労働次官室にて、村木厚子さん&ナミねぇ↓

私が初めて村木厚子さんと出逢ったのは1996年ごろやったと思います。

拙著「プロップ・ステーションの挑戦〜チャレンジドが社会を変える」を
「この本にナミねぇ&プロップのミッションを書いてるから、ぜひ読んで下さい!」
と、無理矢理押しつけたところ、翌日お電話があって
「ナミねぇ、ありがとう。読んだよ。これで私は上司と闘えるわ!!」
と、元気な声で言われたことを、今もくっきり覚えています。

霞が関という男社会で、2人のお子さんを育てながら働く女性官僚である厚子さん・・・

その厚子さんから
「あのね、ナミねぇ、障害者の働きにくさも、女性のそれも根っ子は同じ。
問題は、日本システムにあるのよ! だから一緒に変えて行こう!」
という言葉を聞いて
「あ、この人とは一緒に歩いて行ける!!!」と強烈に思いました。

プロップ・ステーションが社会福祉法人となった1998年
(旧)労働省障害者雇用対策課長になられた村木厚子さんとナミねぇは
官民の立場を越えて
「チャレンジドが誇りを持って働ける社会。」
「誰もが持てる力を発揮し、その力で支え合って構築するユニバーサル社会」
の実現に向けて
ともに歩み続ける「同志」になったのです。

☆拙著「プロップ・ステーション挑戦〜チャレンジドが社会を変える」
 https://www.prop.or.jp/books/challenge.html

熱い想いを胸に、仕事に邁進する厚子さんを
「冤罪による逮捕!」という思いもよらぬ出来事が襲ったのは
2009年6月14日。
それから、厚子さんの新たな「司法との闘い」が始まりました。

私は、ネット上に
「村木厚子さんの完全な名誉回復を願う」
というサイトを開設し
無実を確信するご家族とともに、厚子さんの全ての裁判を傍聴。
傍聴記録をネットで発信し続けました。

「検察が証拠を改竄した冤罪事件である」ということが明らかになり
厚子さんの無実が確定したのは2010年9月。
ただちに官僚として復職し、2013年7月には、厚生労働事務次官に就任されたのです。

☆「村木厚子さんの完全な名誉回復を願う」サイト
 https://www.prop.or.jp/news/topics/2009/20090727_01.html

波瀾万丈の人生を歩まれた厚子さん。
その厚子さんを支えてきたのは、どんな想いやったんやろう・・・と振り返る時、
無罪確定の記者会見で、厚子さんが語られた言葉を思い出します。

「人生には避けられない事もあるが、
娘が困った時に「母さんも頑張ったから大丈夫」
と言えるように頑張ろうと思っている。」

オカン 村木厚子。
オカン ナミねぇ。

これからも、厚子さんのますますのご活躍に期待するとともに
同志として、オカン仲間として
人生を伴走していきたいと思う、ナミねぇです。

☆多くのメディアが厚子さんの退官を報道しましたので
その一部をご紹介して、ご報告を終わります。

<by ナミねぇ>

 

新聞各紙のオンライン記事

誇り持てる仕事させてもらった…村木次官が退任

10/1 読売新聞オンライン

2015年10月01日 22時08分


1日に厚労次官を退任した村木厚子さん(1日、東京・霞が関で)

 郵便不正事件で無罪が確定し、2013年7月から厚生労働次官を務めていた村木厚子さん(59)が1日、退任した。

 「誇りを持てる仕事をさせてもらった」と振り返り、事件については「誰でも突然、支えが必要になると実感した」と述べた。

 村木さんは、厚生労働省雇用均等・児童家庭局長だった09年6月に同事件で逮捕されて1年余り休職したが、10年9月に無罪が確定。復職し、内閣府の政策統括官などを務めた後、同省の事務方トップの次官に就任した。同省の女性次官は、旧労働省時代も含めて村木さんが2人目だった。

 同省で記者会見した村木さんは「ある日突然、拘置所の中で裁判を闘うためにプロの助けが必要になった。自分は支える側にいると思っていたが、間違った優越感だった」と述懐。「病気でも介護でも失職でも、大きな困難に遭遇した人にはプロや身近な人の支えが必要だと分かった」と語った。

 自身の今後については「白紙」という。

 

厚労省の村木事務次官が退任会見 後輩女性官僚に助言も

朝日新聞デジタル

小泉浩樹 2015年10月2日05分


記者会見で話す前厚生労働事務次官の村木厚子さん=1日午後、東京都千代田区、川村直子撮影

厚生労働省の村木厚子事務次官(59)が1日に退任し、記者会見を開いた。郵便不正事件で逮捕後に無罪が確定し、5年前に復職。旧労働省を含め厚労省で2人目の女性事務次官を2年3カ月間務めた。記者会見では「やらせて頂いて本当によかったと言える大事な仕事だった」と、37年半の公務員生活を振り返った。

 雇用均等・児童家庭局長だった2009年6月、大阪地検に逮捕されて164日間勾留された。その経験から「だれでも身近な人に支えてもらわなきゃいけなくなることを実感した」と言い、復職後は「気持ちを込めて仕事ができるようになった部分はあるのかなと思う」と話した。11年6月からは、冤罪(えんざい)事件の当事者として法制審部会の委員も務めた。

 後輩の女性官僚には「非常にハードで家庭との両立とか難しいことはいろいろあるかもしれないが、その時々の100%で力を出せばいい」とアドバイス。退任後の身の振り方は「まっさらで白紙」とした上で、「政治(の世界)には行きませんので、それだけは広めておいて下さい」と笑いを誘った。(小泉浩樹)

 

村木厚子前事務次官:退任会見

毎日新聞オンライン

毎日新聞 2015年10月02日 東京朝刊

 厚生労働省の村木厚子前事務次官(59)は1日、退任に際して記者会見を開き、2009年に冤罪(えんざい)事件で逮捕された経験を振り返り、「誰でも支えてもらわなければならなくなることを実感した。政策の中に必要な考え方がよくみえるようになった」と述べた。

 村木氏は雇用均等・児童家庭局長を務めていた09年、文書偽造事件で逮捕され、164日間勾留された。無罪となり復職し、13年7月から事務次官を務めた。村木氏は「拘置所の中で、裁判を闘うにも、家族を守るにも外の人に頼らなければいけなくなった」と当時の心境を語った。

 

「政治にはいきません」村木厚労次官が退任

産経新聞オンライン


厚労事務次官を退任し、記者会見する村木厚子さん =1日午後、厚労省

厚生労働省事務次官を約2年間務めた村木厚子さん(59)が1日、退任し「(厚労省は)大事な仕事をしている役所と誇りを持って言える。その思いを後輩に引き継ぎたい」とあいさつした。 村木さんは平成21年に厚労省の文書偽造事件で逮捕された後、無罪が確定し、22年9月に復職。安倍晋三首相の抜擢(ばってき)で25年7月、女性として2人目の事務次官となった。逮捕・勾留の経験を通じ「自分は支える側にいるという間違った優越感があったと実感した」と語り、「(復職後は)より気持ちを込めて仕事ができるようになった部分がある」と振り返った。2人の娘を育てながら勤め上げた経験を踏まえ「男性も女性も家庭責任との両立は難しいが、その時々の100パーセントで頑張ればいい」と後輩にエールを送り、退任後の予定については「真っさらで白紙。あえて言えば政治にはいきません」と笑顔でかわした。

ページの先頭へ戻る