この国のゆくえ 危機の今こそ考える

日経ビジネス:2009年1月15日(木)より転載
  篠原 匡(日経ビジネス記者)

働きたい者には等しく機会を与える

“障害者集団”、スウェーデン・サムハルの驚愕(1)

 未曾有の金融危機の波をかぶり、世界各国の企業で従業員の削減が始まっている。日本でも非正規雇用従業員といった弱い立場の人が「ハケン切り」や「雇い止め」といった形で職を失っている。社会問題化している彼らの救済は、政府にとっても大きな課題だ。

 だが、社会で最も弱いとされる人を正社員として雇用し、納税者として育て上げている企業がスウェーデンにある。

 この会社の従業員のほとんどは障害者である。しかし健常者と変わらない給料が支払われ、健常者と同様に高い税金を国に納めている。会社運営のコストの一部は国民が負担しているが、経営者は国民負担を減らすために不断の努力を続ける。

 働くことは人間なら誰もが持つ欲求であり、個人と社会を結びつける1つの重要な接点である。この会社は雇用の場を提供することで、障害者の社会参加の機会を生み出し、「障害者を納税者に」というその先の目標を見据えた経営を行っている。

 手厚い福祉で知られるスウェーデン。この会社が体現しているのは「働く意志を持つ者には等しく機会を与える」というスウェーデンの哲学である。福祉という視点を超えた経営哲学からは、弱者救済という視点からは見えてこない、強い国造りのあり方が見えてくる。

 北緯59度20分。スウェーデン、ストックホルムの中心に驚くべき企業があった。それは、サムハル(Samhall)。従業員2万2000人、収入868億円(2007年度、1スウェーデンクローナ=11.89円)の大企業である。

 設立は1980年。ROE(自己資本利益率)は9%、自己資本比率も38%を数えるなど、収益力、健全性も申し分ない。だが、サムハルには普通の企業と違うところが1つだけある。それは従業員の構成だ。実は、この会社では従業員の90%は何らかの障害を持っている。そう、サムハルは障害者が働く障害者のための企業である。

従業員は2万人の障害者

 この会社では、多様な人たちが働いている。知的障害の従業員もいれば、精神的な障害を持つ人もいる。身体障害者もいれば、アルコール依存症や麻薬の中毒患者もいる。そんな多様な人々のために、サムハルは仕事を作り出し、健常者とそう変わらない賃金を支払う。

 その現場を見れば、障害者施設に対する印象が変わるだろう。日本では障害者施設というと、一般的に言いようのない暗さや侘びしさが漂っている。だが、サムハルで見た人々にはそういった雰囲気はない。従業員は皆、企業の一員として誇りを持って生き生きと働いている。

 ストックホルム近郊の大型家具店、イケアで出会った人々もそうだった。

モップを動かすエリザベス、その姿はまるでミュージカル

 ガムラスタン(旧市街)から北に10キロメートル余り。「北のイケア」と呼ばれるバルカビイ店を訪れると、2人の女性がモップを動かしていた。


ずっとここで働きたいと言うエリザベス・アクセルソン。モップを動かす姿は生き生きとしている
(写真:Niklas Larsson)


買い物用のカートを整理するのも障害者である従業員が行っている
(写真:Niklas Larsson)

 エリザベス・アクセルソンとリタ・ベルッティ。買い物客の邪魔をしないように、丁寧にゴミやホコリをかき集めている。バルカビイ店は平日で日に8000人、休日で1万5000人が訪れる。その人たちが気持ちよく買い物できるように、心を込めて店内を掃除している。

  11月10日の昼下がり。日本から取材に来た――。そう告げると、エリザベスは作業の手を止めて話し始めた。

 「私はここが大好き。前のところに4年いたけど、今の方が断然いい。仕事も楽しいし、仲間もいる。ここにずっといたいわ」

 髪をポニーテールに結わえたエリザベス。サムハルに入社する前は牧場で働いていたという。エリザベスの話を聞いて、お揃いのトレーナーに身を包んだリタも笑顔で応じた。「そうそう。仕事ができるのは最高に幸せよね」。

 インテリア売り場でモップを動かすその姿。まるでミュージカルを踊っているかのようである。

 このバルカビイ店では、エリザベスやリタを含めて45人の従業員が働いている。仕事は店内清掃やカート集め。この日はあいにくの雨だったが、黄色のレインコートを着た従業員が駐車場のカート置き場からカートを集めていた。ここで働く45人の大半が何らかの障害を持っている。

 この日の訪問は50分ほどだった。笑顔の絶えない職場だった。


イケア・バルカビイ店のカスタマー・サービス・マネジャー、トビアス・ラリンデール
(写真:Niklas Larsson)

 「サムハルのクオリティーには満足しているよ」

 彼女たちの仕事ぶりを尋ねると、紺地に黄色の、イケアカラーのベストに身を包んだトビアス・ラリンデールは、間髪入れずにこう述べた。彼はバルカビイ店のカスタマー・サービス・マネジャーである。

 バルカビイ店がサムハルに店内清掃やカート集めを委託したのは2008年2月のこと。それ以前は、健常者が勤める清掃会社に委託していた。だが、仕事のクオリティーに不満があったため、サムハルに委託先を変更した。

 「私たちが期待するサービスレベルを実現するまで6カ月はかかると考えていたけど、サムハルは3カ月で到達した。サムハルチームはよく教育されているよ」

 全土に17の店舗を持つイケア。現在はバルカビイを含めた11店で清掃業務などを委託している。

 前を見据えた障害者雇用の視線。それは、グローベンでも同様だった。

 ストックホルムの南、セーデルマルム島のグローベンにある食品スーパー。店内に足を踏み入れると、白髪の大男が早足でカートを押していた。名前はロルフ・アスプルンド。チーズ、ミルク、キュウリ、レモン――。手元のメモを見ながら、野菜や果物をカートの中に放り込んでいる。


食品スーパーで買い物代行サービスをするロルフ・アスプルンド。この仕事を愛している
(写真:Martin Ekelin)

 鼻歌を歌いながら店を闊歩するロルフ。ここは彼が愛してやまない職場である。

 「オレは去年(2007年)の11月21日からここで働いているんだ。その前の1週間、別の場所で清掃をしていたんだけど、階段の掃除をしなきゃいけなくってね。ほら、オレは体が大きいだろう。階段を踏み外すと危ないと思って、サムハルに言って、今の仕事に替えてもらったんだ」

 穏やかに語るロルフ。彼の仕事は高齢者に代わって買い物をする代行サービスである。サムハルは4年前にこのサービスを始めた。

混乱しないようサムハル専用のレジを設ける


商品は車を運転できる障害者が依頼主の家に配送する。1日の注文は40〜45人分もある
(写真:Martin Ekelin)

 何らかの事情で外出できない高齢者がサムハルに注文を出し、スーパーに常駐する障害者が代わりに商品を買う。注文する高齢者が負担するのは商品の実費のみ。買い物代行の手間賃を負担しているのは自治体だ。高齢者に手厚い福祉を提供する、何ともスウェーデンらしい制度である。

 このスーパーでは、「10」のナンバーがついたレジをサムハル専用にしている。一般客と一緒にしてレジが混乱しないように、との配慮からだ。実際に10番レジに行くと、サムハルの従業員が集めた商品を会計しているところだった。

 注文リストと商品を照合しているのは聾唖(ろうあ)の従業員。レジの店員とは筆談で会話していた。買い間違いを起こさないように、様々な障害者を組み合わせていることが分かる。

 レジを通過した商品は皆で袋に詰めていく。袋の外にはマジックで番号が書かれている。これは、利用者を示すナンバーという。その後、商品は車を運転できる障害者が依頼主の家に配送していく。1日の注文は40〜45人分。多い時には60人分になるという。

 仲間と商品を詰めていたロルフ。こちらを見てチャーミングに片目を閉じた。
 「たまには間違えるよ。オレはロボットじゃあないからね」


サムハルのマネジャー、ハンス・メランデル。自身も腕に障害を持つ
(写真:Martin Ekelin)

 ここではどんな障害者が働いているのでしょう――。そう尋ねると、同行したサムハルのマネジャー、ハンス・メランデルは次のように解説してくれた。ハンス自身、幼い頃の事故で左手の肘が動かない。

 「様々な障害者が働いているが、個人の障害について語ることはできない。まあ、予想外のことが起こった時に、自分で判断できる従業員でなければこの仕事はできないな」

 例えば、顧客のリストに「ミルク 1リットル」と書いてあったとしよう。でも、1リットルのミルクは売り切れで、500ミリリットルのミルクしか置いていないかもしれない。その時に、どのような対応が取れるか。500ミリリットルのミルクを2つ買うという手もあるだろうし、お客さんに電話して確認してもいい。いずれにせよ、このスーパーで働いているのはこの種の判断ができる従業員とハンスは言う。

イケアやボルボ、名だたる企業がサムハルの顧客

サムハルが手がけている業務は大きく言って3種類に分かれる。1つは、「インダストリアル・プロダクション」。簡単に言うと、メーカーなどの下請け業務である。全国各地の作業所でパーツを作り、別のサムハルの工場で組み立てる。従業員の35%がこの下請け業務に従事している。

 次に、「インテグレーテッド・オペレーション」。工場のラインやサービスをサムハルが一括で請け負う業務請負のことだ。全体の28%を占める。

 冒頭のイケアはこの業務請負に当たる。スウェーデン第2の都市、イエーテボリにあるボルボのトラック工場では100人前後の障害者がランプの部品を組み立てている。これもサムハルがチームで請け負っている。そのほか、配送センターのパッキング業務、手紙の仕分け業務なども手がけている。

 そして、37%の人たちが働く「サービス」。高齢者の買い物代行のほか、レストランの配膳や調理、店舗の清掃、クリーニングなど、文字通りのサービス提供である。サムハルのディレクター、リーフ・アルムによれば、ボルボやイケア、DHLなど1000社を超える企業が取引をしている、という。

 サムハルの最低賃金は月1万6600万SEK(スウェーデンクローナ)。従業員は産業別組合と企業が合意している最低賃金以上の給料を受け取っている。日本円にして約20万円。後は習熟度によって賃金が上乗せされていく。この20万円を多いと見るか、少ないと見るかは評価が分かれるところだろう。その多くは、税金として徴収されていくからだ。

 消費税や住民税などを合算したスウェーデンの租税負担率は約50%。社会保障負担率を合わせた国民負担率では70%を超えている(2005年度のデータ)。日本の国民負担率が40%であることを考えれば(OECD=経済協力開発機構=諸国の中では米国に次ぐ低さ)、その負担率の高さが理解できるだろう。

 だが、サムハルの人々は当たり前のように納税している。福音ルーテル派が国教のスウェーデンは日本と同様、勤労を美徳と捉える文化がある。労働と納税は自立した社会人の証し――。これは、働くことができる障害者であれば、誰もが持っている意識だろう。

 サムハルが業務を請け負っている民営郵便会社の配送所で出会ったパトリック・レアンデル。待遇について尋ねると、こう言葉をつないだ。


民営郵便会社の配送所で働くパトリック・レアンデル。サムハルに入る前は失業状態だった
(写真:Niklas Larsson)

 「もっと給料がよければいいけれど、まあ満足しているよ。だって、働いていないということはつらいことだからね」

 郵便物の仕分け作業に従事していたパトリック。サムハルに入る前は1年ほど失業状態にあった。就労は社会との接点である。「たとえ障害を持っていても、可能な限り働きたい」。そう考えるのは、人間であれば当たり前の感情だろう。

 「ここで働く人々は、ビジネスの世界で競争しているという意識をみなが持っている。企業の一員として、普通の企業と戦っていると思っている」

 パトリックが働く配送所の責任者、ロニー・ヘンリクソンはこう語る。企業の一員として競争している―--。頭ではわかっていても、なかなか実感できるなことではない。


民営郵便会社の配送所の責任者、ロニー・ヘンリクソン
(写真:Niklas Larsson)

 働く意志のある人間に対しては、サムハルはできる限りの努力を払って職を与えていく。ふさわしい職業がなければ、その人に合う仕事を作り出すこともある。障害者を弱者として保護するのではなく、労働と納税を通じて社会に組み込む。そんな役割を、サムハルは担っている。

 そして、この会社は転職支援企業という側面も持つ。サムハルでは毎年、1000人以上が一般労働市場に転職している。2007年には全従業員の5.3%に相当する1017人がサムハルを巣立った。これまでの転職者数は2万5000人を数える。

 転職者数が多いのは、一般労働市場で問題なく働くことができる人材に対して、積極的に転職を働きかけているためだ。転職先が合わなければ、1回までは出戻りが可能。この制度も、障害者の背中を押す要因になっている。

 障害者の就労を支援する組織は日本にも存在する。だが、従業員の9割が障害者。しかも、年1000人以上が転職していく――。世界広しといえども、このような会社はほかに例がない。「働く意志を持つ者には等しく機会を与える」。これは、スウェーデンという国の底流を流れる哲学である。この哲学を実践するために、サムハルは存在していると言っていいだろう。

国民負担を削減するために不断の努力を続ける「国営企業」

 驚愕の企業、サムハル。種を明かせば、政府が100%の株式を持つ国営企業である。事実、収入の58%に当たる506億円の補助金が投入されている。スウェーデンの高い国民負担率。その一部がサムハルの運営に充てられている。

 だが、「国営企業」と侮ると見誤る。国営企業であるがゆえに、どこよりも厳しい経営の縛りをかけられている。その制約の中で企業を経営する姿は日本の特殊法人とは似て非なるもの。国民の負担を削減し、障害者を社会化するために、不断の努力を続けている。そして、その存在を国民も理解している。

 グローバル資本主義が隅々にまで浸透しているこの時代。なぜほとんどが障害者の企業が存在できるのか。その疑問を解くために、ストックホルムにあるサムハルの本社を訪ねた。そこで出会ったのは同社のCEO(最高経営責任者)、ビルギッタ・ボーリン。笑顔が可愛らしい白髪の女性だった。

(文中敬称略)

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