阪神淡路大震災から25年目の今日、想うこと。

2020年1月17日

2020年1月17日
国内の大都市における未曾有の災害であった阪神淡路大震災から、25年が過ぎました。

その後も災害列島とも言えるほど、各地を様々な災害が襲い、多くの命が奪われたり、生活が壊される事態が後を絶ちません。

昨年(2019年)も、1月3日に発災した熊本地震をはじめ、北海道、宮崎、千葉、山形、福島と、全国各地が大きな地震にみまわれ、また8月、9月、10月は、大型台風が各地を襲い、復興や生活再建の途上にある人たちが、今も多数おられます。
そうした方々が一日も早く生活を取り戻されることを、心から願ってやみません。

毎年書かせていただいているように、神戸市東灘区にある私の実家は、25年前の阪神淡路大震災で全焼しました。


全焼した自宅

阪神淡路大震災は、6400余名もの命が失われた大災害でしたが、不幸中の幸いで、私の家族は家は失ったけれど命を奪われること無く生き延び、むしろ震災をバネとして、多くの仲間や支援者の皆さんとともに、プロップ・ステーションの活動に邁進することが出来ました。

しかしながら、昨年は「我が家のゴッドマザー」であり、ナミねぇ&プロップ・ステーションの活動を、誰よりも応援してくれていた母が93歳で天に召され、震災後に再建した我が家のお仏壇に眠る人となりました。
淋しい気持ちはあるけれど、母の生き方から学び、「働く女」として母が切り拓いてきた道を、母の想いに寄り添いながら、私も負けずに歩んで行こうと、改めて誓うナミねぇです。


母(大好きだったお花を前に

おかげさまで、私は71歳(数え年では何と73歳!)の今も元気に、プロップ・ステーションの活動や講演活動で全国を飛び回ったり、ギタリストの弟たちや、音楽仲間のサポートでライブ活動を続けています。
国立病院で温かい看護を受けるベイビータイプの娘麻紀(間もなく47歳)とも、今年も一緒にお正月を過ごすことが出来ました。

1月17日は、そういう意味で、神戸に生まれ育った私にとって、日本が災害列島であることを忘れず、新たな気持ちで家族や仲間たちと生きていく節目となる、大切な日です。

何があっても私たちは「一人ではない!」ことを忘れず、手を差し伸べたり、差し伸べられたりしながら、生きていく存在なんやと思います。

阪神淡路大震災から25年の今日、改めて生きていることに感謝し、生きることを愛おしむ、ナミねぇです。

☆ by ナミねぇ ☆

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