霞ヶ関の環境省で、今年初となる「ユニバーサル社会を創造する事務次官プロジェクト(勉強会)」を開催しました!

2020年1月9日

1月7日から8日、ナミねぇは今年初の東京出張でした。

7日は、プロップ・ステーション東京オフィスでスタッフと新年の挨拶を交わした後、夕刻から「赤坂マルヨシ」で初お好み焼きを食べました。

翌8日は、霞ヶ関の環境省で、やはり今年初となる「ユニバーサル社会を創造する事務次官プロジェクト(勉強会)」を開催。

配給元のKADOKAWAから、プロデューサーの野久尾さんを講師・解説者としてお招きし、映画「1964愛と栄光の東京パラリンピック」を、参集された約30名の各省次官、官僚の皆さんとともに視聴しました。

「東京パラリンピック 愛と栄光の祭典」(KADOKAWAホームページより)

この貴重な記録映画は、1月17日からユナイテッド・シネマ豊洲で放映開始されますので、日本で初めて開催された「パラリンピック」と、当時の日本における「障害のある人たち」をとりまく社会状況や、障害者スポーツに対する意識、スポーツに人生をかけたチャレンジド・アスリートの思い、日本と諸外国の「障害者の置かれた状況の違い」などを、この映画からぜひ体感していただけたらと思います。

 「東京パラリンピック 愛と栄光の祭典」(オフィシャルサイト) 外部サイト

「ユニバーサル社会を創造する事務次官プロジェクト(勉強会)」は、原則、毎月第2水曜日のお昼休みに10省庁の事務次官、官僚の皆さんを対象に開催していますが、今年で何と13年目となります。

今や「霞ヶ関の奇跡」(笑)と呼ぶ人も居る(!?)この勉強会が、少しでも「ユニバーサル社会」の推進に役立つことを願ってやまないナミねぇです。

☆ by ナミねぇ ☆

※以下はオフィシャルサイトより転載させていただきました

【はじめに】

50年ぶりの復活上映
『東京パラリンピック 愛と栄光の祭典』は、世界で初めて「パラリンピック」という愛称で呼ばれた1964年の東京パラリンピックを映した世界的にも貴重なドキュメンタリー映画です。しかし1965年の公開以後、ほとんど上映される機会がありませんでした。そんな貴重な映像が、初のデジタル化を経て劇場公開されます。

日本における障がい者スポーツの黎明期を振り返る
本作は、公開当時人目を忍ぶようにして生活していた障がいのある方たちが、スポーツによって光を当てられていく様子を映し出しています。当時パラリンピックの開催によって、日本人選手は競技経験や社会保障制度といった海外との差を実感することになりました。しかし、明るく自信に満ち溢れた海外の選手との交流は、日本人選手の意識を変え、彼らはスポーツによって希望を取り戻していくと同時に、社会からも注目されていきます。この映画は、日本の障がい者スポーツが今日に至るまで発展してきた礎となった、まさに原点ともいえる大会を映し出しているのです。

CAST
宇野重吉

STAFF
製作: 上原明<日芸綜合プロ>
監督・脚本・撮影: 渡辺公夫
音楽: 團伊玖磨

【あらすじ】

1964年、東京オリンピックは成功のうちに終わった。街が再び落ち着きを取り戻した頃、確かな意義に支えられたもうひとつのスポーツ大会が開幕する。国際身体障害者スポーツ大会。その第一部、下半身麻痺のため車椅子で生活する競技者を対象にした国際大会は、東京パラリンピックという愛称で親しまれた。

パラリンピックに参加するため、身体障害者の更生指導所では、車椅子に乗ってスポーツに励む人たちがいる。交通事故にあった人、戦争で負傷した人、病気で下半身が麻痺した人、それぞれに車椅子で生活することになった背景を語ってくれる。しかし、スポーツをするその顔に暗さはない。

大会直前、各国の選手が来日する中にはグットマン博士の姿もある。海外の選手たちはみな明るく、日本の選手たちは彼らとの交流を通じて、社会福祉制度の違いを感じつつも、社会復帰への意識を強めていく。そして皇太子・皇太子妃両殿下(当時)が見守る中、いよいよ東京パラリンピックが幕を開ける―。

 

関連リンク

「東京パラリンピック 愛と栄光の祭典」(オフィシャルサイトで予告編が視聴できます) 外部サイト

KADOKAWAホームページ 外部サイト

ユナイテッド・シネマ豊洲 外部サイト

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