神戸市消防局が監修する「雪」2019年5月号(神戸市危険物安全協会発行)に、ナミねぇの紹介記事が掲載されました!

2019年5月13日

「雪」2019年5月号より転載
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テキストは後段に掲載してあります

ココロにサプリ
広報メデイア研究所代表 上野弘子
代158回

“かわいそうな人”から“チヤレンジド”ヘ
社会福祉法人「プロップ・ステーション」
理事長竹中ナミさんを訪ねて

開□ 一番「私のこと“ナミねぇ”って呼んで。そうしてくれへんかったら返事せえへんからね」。といって豪快に笑う竹中ナミさん(70歳)。

「はい、ナミねぇ」と答えると、一気に緊張が解けた。

障がい者を“チャレンジド”(挑戦するチャンスを与えられた人)と呼び、ICT (情報通信技術)を駆使してその自立と社会参加、特に就労を支援する社会福祉法人「プロップ・ステーション」を自ら設立。理事長として神戸本部(神戸市東灘区)と東京オフィスを行き来しながら、委員として内閣府、総務省、経産省、文科省など霞が関での多くの会議に出席。「すべてのチャレンジドを納税者にできる日本にするためには、国の制度を変えなあかん」と、独自の意見やアイデアを積極的に発信し続けている。

神戸市生まれ。物心ついた時には、世の中の常識やルールに反発していたという。

「小さい頃からじっとしてられへん子で、授業中も木に登ったり一人で鉄棒したりしてた。型にはめられたり、敷かれたレールに乗せられたりするのが嫌やったんやね」

中学時代の趣味は家出と反抗。不良娘だったと振り返る。16歳の夏休み、アルバイト先で知り合った人と同棲し、高校を中退して結婚。転機となったのは次女の麻紀さんの誕生だった。生後間もなく重度の心身障がいと診断されると、父が「この子がいたらおまえが不幸になる。わしがこの子と一緒に死んだる」と真剣な表情で言った。強いショックを受けた。

「なんで死ななあかんの。これまで私がいくら悪いことをしても取り乱さず優しかった父が、こんなに動揺して心配している。こんな世の中、変えなあかん」

そう思うと持ち前の反抗心がむくむくと湧き起こり、麻紀さんと生きるための挑戦が始まった。

医学書を読み、病院に専門医を訪ね、障がい者医療や福祉の勉強をし、施設でのボランティア活動も始めた。そのなかで気づいたのは、障がい者は“かわいそうな人”ではないということ。そして「社会参加したい、貢献したい」と思っている人が多いということ。時は1990年代。ちょうどパソコンの黎明期だった。


プロップと|よラグビーのポジションで支えるという意味がある。ナミねえの「みんなが支え合う社会になってほしい...」という願いがこもっている
Kobe Rokko-island Apr.2019.

パソコンが使えれば在宅でもベッドの上でも仕事ができるのではないか、と考え、西宮市内で障がい者を対象にパソコンセミナーを始めた。自身はパソコンが得意ではないと言うナミねぇは、営業を担当。企業の経営者に障がいがある人も使いやすいパソコンの開発を依頼したり、仕事を受注し、技術を身に着けたチャレンジドたちに振り分けたりした。やがて起業をしたり、感性を生かしてアーティストとしてデビューする人たちも増えていった。

「娘の麻紀が私を更生させてくれたんです。今年46歳になりましたが、永遠のベビーちゃんのような麻紀の存在が、私のパワーの源になっています。この娘を残して私が安心して死ねる世の中にしたい。それが“おかんのたくらみ”や」

活動を始めて30年近くが経過したが、就労支援はまだ道半ばと言う。雇用率を高めるだけではなく、チャレンジドが誇りをもてるような多様な仕事を生み出す制度をつくらないといけないと力強く語る。

楽しみは、還暦を過ぎてから始めたライブ活動。プロミュージシャンの弟二人が協力してくれ、年に数回、ライブハウスで歌っている。バンド名は「ナミねぇバンド」。ステージでは、越路吹雪のナンバーや童謡を歌い、トークもする。

「昔ね、麻紀が発作でつらそうなとき、耳元で歌うと不思議と落ち着いてくれてん。歌にはそんな力があるんやね」。


昨年、京都・祇園のライブハウスで。ステージでよく歌うのは越路吹雪の「ろくでなし」、童謡「七つの子」、「スマイル」など

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