【本日6月6日日経新聞朝刊】ナミねぇ&マキ&プロップ・ステーション活動が紹介されました。

2015年6月6日

本日6月6日(土)日経新聞朝刊連載企画「烈女」にて
ナミねぇ&マキ&プロップ・ステーション活動が紹介されました。

ここまで書いちゃうのね・・そっか、タイトル「烈女」やもんね・・・(^_^;)
という感じの記事になってて恥ずかしいけど、プロップ・ステーションの仲間たちの笑顔と
取材下さった女性記者さんの「伝えるぞ!!」という熱い想いに敬意を表し、転載させていただきます。

<by ナミねぇ>

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写真は、プロップ・ステーション神戸オフィスの、パソコンセミナールームにて。中央が娘マキです(^_^)/~

 

烈女 「障害者が持てる力を発揮できる社会を」 竹中ナミさん

日経新聞 2015年06月06日 より転載

 「ナミねぇ」。霞が関の年上の男性政治家もこう呼ぶ。金髪メッシュにジーンズ。軽快な関西弁で豪快に笑う。パソコンを使った就労支援をする社会福祉法人「プロップ・ステーション」の理事長だ。「体が不自由でも働いて税金を払い、社会を支える一員に」。思いを形にしようと活動を始めてまもなく25年たつ。

 中学生でたばこを覚え、学校をサボって家出を繰り返す不良だった。アルバイト先で出会った恋人の家に転がり込んだのが15歳の時。高校は退学、中卒の主婦となった。

 転機は出産だった。24歳で産んだ第2子の長女、麻紀さん(42)は重度の心身障害者だ。「この子を連れて、わしが死んだる」。悲観した父がそう言った時、「親子で生きる」と誓った。医師を訪ね歩き、専門書を読みあさったが、障害児を育てるための答えは得られない。娘を抱え、24時間の介護に明け暮れた。

 「不幸だと思ったことは一度もない。敷かれたレールを無理して歩かなくて良くなったから」。障害者自身から学ぼうと施設のボランティアに通い、障害者が地域で自立生活する運動に携わった。「私を更生させたのは親でも学校でも警察でもない。娘が大切なことを教えてくれた」と話す。

 夫は子育ての力にならなかった。90年ごろ、「パソコンならチャレンジド(障害者)が働く武器になる」と起業を決意する。43歳で離婚し、プロップ・ステーションをつくった。

 毎年300人ほどがパソコン研修に参加する。ホームページ作成やイラストを描く技術を身につけ、一部は在宅での仕事につながる。自身は「パソコンが苦手」だが、企業や技術者、国に仲間を増やし、インターネットやテレビ会議など、時代を先取りして就労環境を整えてきた。

 「障害のある娘を残して安心して死ねる社会にしたい」との思いは「時代がようやく『ユニバーサル社会の実現』を掲げて追いついてきた」と笑う。障害者が働きやすい環境は女性や高齢者にも生きやすい。「人への飽くなき好奇心が原動力」。全ての人が持てる力を発揮できる社会を――。今日も全国を飛び回る。---

 たけなか・なみ 24歳で重度心身障害者の娘を出産。手話通訳や障害者施設でのボランティアを経て、社会福祉法人「プロップ・ステーション」(神戸市)理事長。

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