阪神淡路大震災19年目に想うこと・・・被災体験、そして「チャレンジド」という言葉

2014年1月17日

阪神淡路大震災を体験してからの19年間
ナミねぇは
自分が今、生きていることへの感謝と
亡くなられた方々へ心から哀悼の意を捧げつつ
亡くなられた方々の分も、生き抜かなアカンと思う日々を
過ごしてきました。

とりわけ、東日本大震災・大津波の発災以降は
改めて阪神淡路大震災を経験した自分の生きている意味と
何が自分に出来るんやろう・・・と
自分自身に問いかける日々が続いています。

1月17日 早朝5時46分 阪神淡路大震災発生。
隣家の二階が、平屋だった我が家に落ちてきたんやけど
庭に植わっていた月桂樹が
鴨居を支えてくれる形で自宅倒壊を免れ
寝ていた両親が外へ避難した後に、近所で火災が発生。
近隣の72軒が焼失・・・
というのが19年前、我が家に起きた出来事

でも、数年かけて再建した新しい自宅で、
父は84歳で天寿を全うし
母は「童返り(わらべがえり)」が進んでるけど
古くからの友人・知人、ご近所の皆さん、
介護保険によるヘルパーさん来訪やデイサービスの利用
などなど、などなど、たくさんの応援をいただいて
今日も自宅で生活を送り続けることができています。

ナミねぇ自身は、あの日、プロップ大阪の事務所で
夜明け前の大きな振動に目覚め
テレビ映像で、我が家の近くの高速道路が倒壊した様子と
火災の発生を知り・・・
母から公衆電話で「生きてる」の連絡を受けるまで
呆然としていました。

でも、その日のうちに、
息子が避難していた両親を救出してくれて
その後は、家族で大阪の事務所での避難生活。

娘マキも、三木市の国立病院に入院していたため
震災の影響を受けることなく無事に過ごし、
来月2月2日には、41歳の誕生日を迎えることができます。

 *焼失した自宅(神戸市東灘区魚崎北町)
 

生きること・死ぬこと
運・不運
幸・不幸

それは実は、「紙一重」なんや・・・

と、深く深く、思い知らされた19年前の体験が
私自身の心と頭から消えることは
一生無いやろうと、思います。

阪神淡路大震災を体験した、丁度その頃
アメリカの支援者から「チャレンジド」という言葉を教わり
障害のある人を表すだけやなく
震災復興に立ち向かう人なども表す言葉・・・

つまりそれは
「人間には、課題に向き合うチカラが与えられている」
ということなんや、と知ってから
家族避難所と化した、プロップ事務所を拠点として
被災したチャレンジドたちと、
パソコン通信を駆使して安否や物資など
様々な情報交換と情報発信を交わす日々を始めることが出来ました。

「チャレンジド」という言葉は、
「復興の原動力は、被災者自身と被災地域の潜在的なパワーや!」
と、私に教えてくれたのです。

被災地に「同情」を寄せるのではなく
日本に暮らす全ての人が
その潜在力を信じ、支援することが必要やないかと
19年目の今日、あたらめて思います。

一人一人に出来ることは小さいけど
小さい力を撚り合わせて
細くても強靱な「綱」になって
繋がりあって行きたいと思います。

そして、その「綱」のパワーを
しっかり取り込み、後押しする政策が
すべての大災害において
迅速に、真摯に遂行されることを
強く強く、切望します。

日本に暮らす全ての人が
「課題に向き合うチカラを与えられた チャレンジド」
やから

きっと出来る!!!!
と、信じたい私です。

<by ナミねぇ>

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