厚生労働次官に就任された村木厚子さんとお会いしました
&アエラの記事 です(^_^)/~
2013年7月10日
7月10日(水)午後、ナミねぇが霞が関で開催する勉強会で、厚生労働次官に就任された「村木厚子さん」にお会いしました。
駆け寄って、ハグして「おめでとう!! 大変なお仕事やけど頑張ってな!!」とご挨拶するとともに、「就任御挨拶 厚生労働事務次官 村木 厚子」と書かれた名刺を(記念に)いただきましたミーハー、ナミねぇ(笑)
厚子さんは、「廃案になった生活保護法改正案は、必ず秋の国会に、再提出するわ!」と、キッパリおっしゃってました。
次官就任以来、厚子さんの来し方が様々なメディアで紹介されていますが、今日は「アエラ」(朝日新聞出版)の記事を転載させていただきますね(^_^)/~
<by ナミねぇ>
【霞が関】 冤罪を乗り越え事務方トップに
「ふつう」力で道切り開く
AERA 2013年7月15日号より転載
【霞が関】 冤罪を乗り越え事務方トップに
「ふつう」力で道切り開く
女性で2人目の事務次官となった厚生労働省の村木厚子さん(57)。
男社会の「霞が関」で、官僚として、娘2人の母親として、道を切り開いてきた。
7月2日の就任会見で、何度も「後輩たち」への思いを口にした。
「正直に言うと、『次の仕事は次官』と言われた時は、少しひるんだのですが、後輩の女性、これは、企業の人にも霞が関の人にもですが、『昇進の話があったら絶対に受けろ』と言ってきたので、ここで私が引いちゃいけないと思いました」
「子どもを持つ職員には、家族を大事にしながら、仕事も一生懸命やるなかで道が開けていく、と言ってあげたい」
悲劇のヒロインではない
事務次官就任の記者会見もトレードマークの「ひっつめ髪」で臨んだ
1978年 | 高知大学卒業。労働省(現厚生労働省)入省 |
---|---|
82 | 結婚 |
85 | 長女を出産 |
91 | 次女を出産 |
99 | 労働省女性局女性政策課長 |
2003 | 厚労省社会・援護局障害保健福祉部企画課長 |
05 | 官房政策評価審議官 |
08 | 厚労省雇用均等・児童家庭局長 |
09 | 郵便不正事件で逮捕 |
10 | 無罪判決を受け職場復帰、内閣府政策統括官に |
12 | 厚労省社会・援護局長 |
13.7 | 同事務次官に就任 |
村木さんは2009年、郵便不正事件で大阪地検特捜部に逮捕されたものの無実を主張、無罪判決を勝ち取った。冤罪を乗り越えての事務方トップ就任は、「悲劇のヒロイン」という文脈で語られがちだ。だが、本当に語られがちだ。だが、本当に大きいのは、旧帝大卒のエリートが幅を利かせる男社会の「霞が関」で、地方大学出身の女性が子育てをしながらトップに上り詰めたことではないか。
旧労働省で6期上だった坂本由紀子元参院議員は、こう語る。
「彼女の熱心な仕事ぶり、優秀さは省内でも定評があった。女性だとか、事件とは関係なく、きちんと評価された結果。当たり前のことだと思います」
とはいえ、転勤、長時間労働が当たり前のキャリア官僚の世界で、2人の子どもを育てながら仕事をするのは並々ならぬ苦労があったに違いない。しかも入省当時は、「男女雇用機会均等法もなく、採用担当者が『労働省の女はなかなか辞めないから、女は1人しか採らない』と明言する時代」(坂本さん)だった。
村木さんも、著書『あきらめない 働くあなたに贈る真実のメッセージ』(日経BP社)のなかで、子どもが小さかった頃をこう綴っている。
〈とにかくいつも時間が足りない。保育ママさんが預かってくれるぎりぎりまで仕事をして子どもを迎えに行き、時間に追いかけられながら、また翌日が始まる。お金で買える時間は、お給料全部を使ってでも買いたいと思いました〉
労働省の同期だった夫の太郎さんと家事や育児は分担していたが、保育料と送り迎えのタクシー代で年間300万円以上かかった時もあった。長女が2歳の時には地方に単身赴任した。
だが、そんな母親の姿を娘たちは見ていた。郵便不正事件で逮捕され、面会できなかった時は、毎日「ママ、かっこいいよ!」「さすが自慢のママです」と手書きのメッセージを弁護士に託した。次女は両親についてこう書いている。
〈私の将来の夢は、2人のような社会人になることです〉
その熱心な仕事ぶりは現場の人たちの心も掴んだ。
社会福祉法人「プロップ・ステーション」理事長の竹中ナミさんは、村木さんが障害者雇用対策課長時代に初めて会った。働く意欲のある障害者の就労支援をしていた竹中さんに、村木さんはこう言ったという。
「女性や障害者が働きにくいっていう壁は同じ“日本のシステム”なんだ! ナミねぇ、一緒に変えていこう」
廃案に落ち込んでいた
社会福祉法人「南高愛隣会」の田島良昭理事長は国会閉会の前日、厚生労働省で村木さんに会っている。「おめでとう」と声をかけようかと思ったが、暗く沈んだ表情に口をつぐんだ。
「翌日、安倍首相への問責決議が可決し、村木さんが力を注いできた生活保護法改正案が廃案になりました。その見通しを聞いていたのでしょう。『この法案を通さないと困る人がたくさんいるのよね』と見たこともないくらい悲しそうな表情をしていました』
村木さんは著書の中で、スーパーウーマンではなく、「ふつうの女性のロールモデルになりたい」と書いている。
村木さんが道を切り開いてこられたのは、目の前のことに一生懸命取り組む、そんな「ふつう」のことを決しておろそかにしない姿勢ゆえだったのかもしれない。
編集部 大貫聡子