毎日新聞 2010年10月7日より転載

ザ・特集:証拠改ざん事件被害者、村木厚子さんの家族らが語る

検察批判、口にせず 「はちきん」の胸の内

郵便不正事件で無罪が確定した厚生労働省元局長、村木厚子さん(54)が、内閣府政策統括官として現場復帰して10日が過ぎた。大阪地検特捜部を存亡の機に直面させた証拠改ざん事件が、当時の特捜部長、大坪弘道容疑者(57)らの逮捕へと発展するなか、被害当事者の村木さんや家族は、何を思うのか

【鈴木梢】

「説明が大切」公務員気質/年金記録問題の思い、脳裏に/「調べ官が部下だったら…」


無罪判決を受け、心境を語る村木厚子さん。確定の日々が緊張のピークだったという=塩入正夫撮影


この1年3カ月を「本当に得難いけれど、二度としたくない経験」と振り返る村木太郎さん=西本勝撮影


厚労省職員の出迎えを受ける村木厚子さん=9月22日、津村豊和撮影

 

大坪容疑者らの逮捕が発表された1日夜。村木さんは取り囲む報道陣に「何とコメントしたらいいのか。誰かの責任を問うのではなく、真相解明を一番に考えてほしい」と冷静に語った。悲劇のヒロイン視報道にも自我を抑え、客観的に振る舞う様子は、「今後の検察を、厳しく温かく見守っていきたい」と無念や恨みを表に出すことのなかった、無罪確定直後の記者会見に共通する。

村木さんが、本格的に仕事を再開させた先月27日。夫で厚労省の同僚でもある総括審議官の太郎さん(56)を執務室に訪ねた。太郎さんは、一貫した村木さんの対応に、入省後30年余で培った公務員気質と生来の性格を見る。

「厚労省の仕事は、言ってみれば自分の考えを相手に分かってもらうということ。怒りをあらわにするのではなく、きちんと説明することが大切だと考えていると思う」

任官先に旧労働省を選んだのも、「当時の大蔵省とか通産省のように、大きな絵を描いて世の中を動かしていくのではなく、一人一人を相手に具体的な役に立ちたい」と考えたからだという。

それでも太郎さんは、冷静さを保つ村木さんの本当の気持ちを代弁するかのように、大阪特捜の捜査に憤りを隠さなかった。

「一検事の犯罪かと思っていたが、裁判が始まったばかりの今年2月には幹部も証拠改ざんを知って隠していた。1年3カ月にわたって被告人の立場に置き、1年6月を求刑した。私はこれが一番、人間として許せない」

◇ ◇ ◇

村木さんは高知市出身。地元の高知大を卒業し、78年に旧労働省に入った。坂本龍馬を生んだ土佐では、男勝りで快活な女性を「はちきん」と呼ぶ。語源は諸説あるが、龍馬が慕った姉、乙女のように泰然自若かつ優しく頼れる女性像だという。「酒も好きだし、まさにはちきんですよね」と太郎さんは笑う。

同僚や知人も、村木さんについて異口同音に話す。

村木さんは、06年10月から本格施行された障害者自立支援法の成立に、障害保健福祉部企画課長として携わった。事件の公判で同僚として証言台に立った元課長補佐の間隆一郎さん(43)は「いつも直球勝負の人」と感じる。障害者に就労の門戸を開くことを目指す一方、障害の程度にかかわらず利用したサービス量に応じた負担を求めたため、成立までの過程で賛否が噴出した。村木さんは法律に疑念を抱く障害者団体に「どうしたら障害者の暮らしを守れるかを考えているんです」と語り、おくすることなく説明に飛び回った。

間さんは、村木さんの口から検察批判を聞いたことが、ほとんどない。07年、厚労省が年金記録問題で国民的批判を浴びたことが、脳裏にあるのではと感じる。だから、致命的な捜査ミスの被害者になっても、検察を擁護するような発言をする、とも思う。「検察は必要な組織でしょう。今、検察の置かれている立場はわれわれの数年前の立場と同じ。一部の検事のために信用を失い、多くは本当に悔しい思いをしているのではないか」。村木さんの胸中をこう推測している。

障害者の自立支援を行う社会福祉法人「プロップ・ステーション」(神戸市)の理事長、竹中ナミさん(61)は保釈後、大阪特捜の取り調べについて尋ねた。村木さんは「『この調べ官が、自分の部下やったら』と思って聴取に臨んでいた」と答えたという。追いつめられた状況下でも、検事を同じ公務員の立場から見ようとする姿勢を垣間見た竹中さんは「あの人、はちきんだし、根っからの公務員やねん」と繰り返した。

村木さんの次女(19)は、この事件を経験しても、将来は公務員になりたいと話した。「この母にしてこの娘あり」。竹中さんは、血を受け継いでいると感じたという。

◇ ◇ ◇

09年6月14日から11月24日までの大阪拘置所での生活は、すべてが非日常だった。24時間監視カメラ下に置かれ、月曜日から土曜日まで続く取り調べ。食事には麦飯が出た。心配する家族から1日おきに手紙が届き、結婚以来30年で初めて太郎さんと文通をした。

夜になると、冷房のない3畳の独居房にプロ野球の阪神戦が響き、耳を傾けているうちに巨人ファンから阪神ファンになった。

取り調べも接見もない日曜の夕方には、俳優の福山雅治さんの人気ラジオ番組が、房内に流れた。それまで番組を聞く時間などなかったが、低い声で冗談交じりに話す飾らない人柄にひかれ、毎週楽しみにした。

昨年8月30日には「脱官僚」を掲げた民主党政権が誕生することとなった。独居房でニュースを聞き、「政権交代で仕事のやり方も変わるだろう」と不安も募らせた。

そんな非日常から解放された日、東京に戻る新幹線で缶ビールを開けた。

自宅では、2人の娘と「福さんの声がいい」と、太郎さんそっちのけで、福山さんの話で盛り上がっている。村木家では、今年から始まった福山さん主演のNHK大河ドラマ「龍馬伝」を見るという。

無罪確定の先月21日に、太郎さんは逮捕以来、初めて村木さんの涙を見た。自宅で娘と抱き合って泣きじゃくり、家族の緊張が一気にほどけたときだった。

その翌日、初登庁した村木さんは、復帰会見で「拘置期間は163日。宇宙飛行士の野口聡一さんが地球を離れていた日数と同じです」と話した。非日常の日々を、一般人には想像も難しい宇宙生活と重ね合わせた。「子どもの虐待が非常に気になる」と言い、今後の仕事について聞かれると「子どもや雇用政策は難しい問題が山ほどある」と、厚労省として早急に取り組むべき問題を挙げた。

与えられた執務室には新しいパソコンが用意され、分刻みのスケジュールが待っていた。マスコミからの取材依頼は、「仕事に専念したい」とすべて断っている。「霞が関の乙女」に、忙しかった1年3カ月前の日常が、戻りつつある。

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