婦人公論 2010年9月22日号より転載

親友・村木厚子さんの判決を前に

無罪判決と即時確定を勝ち取って
「ご苦労さまでした」と声をかけたい

大平光代(おおひらみつよ)/弁護士

構成・佐藤万作子 写真提供・読売新聞社

実体のない障害者団体に偽の証明書を発行、郵便不正に加担したとして、厚生労働省雇用均等・児童家庭局長(現在は休職中)の村木厚子さんが大阪地検特捜部に逮捕されたのは、昨年6月14日のことだった。

村木さんは一貫して容疑を否認し続け、村木さんが関与していたという他の証言も、裁判では次々と取り消された。

9月10日の判決を前に、親友である大平光代さんが村木さんにエールを送る

助役時代、四面楚歌の私を救ってくれた一言


2009年11月25日、大阪司法記者クラブで潔白を訴える村木厚子さん

村木厚子さんの逮捕は夕方のテレビニュースで知りました。そのとき、真っ先に思ったのは「嘘やろう。厚子さんがそんなことをするはずがない!」ということ。少しでも厚子さんの人となりを知っている人たちはみな同じ思いだったはずです。

厚子さんと親しくお話しするようになったのは、2003年、私,か大阪市の助役(現副市長)に就任してからのこと。やはり助役になってから出会った、杜会福祉法人プロップ・ステーションの竹中ナミ理事長の紹介でした。竹中さんは障害者の就労・自立と社会参画に力を注いでこられた方で、「ナミねぇ」の愛称でたくさんの方から慕われています。

そのナミねぇが「障害を持っている人がどうしたら幸せになれるかを真剣に考えてくれる官僚」だと評価する人ですから、上京した折、厚労省に厚子さん(当時、社会・援護局障害保健福祉部企画課長)を訪ねました。第一印象は、いま報道で見る通りに何の飾り気もなく、官僚らしくない。けれども言葉を交わすと、仕事をきちんとされる有能な方という印象が立ち上ってきました。

そんななか、04年12月、大阪市の厚遇問題(カラ残業や、ヤミ年金・退職金の積み立て等、不正な金の流用)が発覚。予算要求で私が省庁めぐりをしても「交付税がほしい? 職員に配るお金があるならそれを使えば」と言いたげな冷たい視線ばかり。

ところが厚子さんは違っていました。「いまは苦しいかもしれないけれど、大平さんが先頭に立って大阪市を改革することは子どもたちの笑顔に繋がりますよ。がんばってくださいね」と。当時、市民からは「大阪市は大阪から出て行け」とまで言われ、それではと、市政改革に注力すれば、今度は既得権益を手放したくない職員や議員の反発に遭い、サンドバッグ状態。四面楚歌のなかにいましたから、私がやろうとしていることを理解し、正当に評価してくれる人がいる──そのことが本当にうれしかったのです。

この事件が「壮大な冤罪」であることを訴え続けて


「村木厚子さんの完全な名管回復を願う」サイトに大平さんが寄せたメッセージ。愛娘・悠ちゃんの写真とともに

そんな厚子さんが逮捕・起訴されたと知って、いても立ってもいられません。そんなとき、「厚子さんがあんなことやるはずがない。声をあげよう!」とナミねぇから声がかかりました。インターネット上に2人で「村木厚子さんの完全な名誉回復を願う」サイトを開設。事件が冤罪であることや大阪地裁で始まった裁判の傍聴記、厚子さんの人柄などを積極的に発信し始めました。

これを読んだ人たちから厚子さんへの励ましの手紙が続々と集まりました。その数ざっと500通。これらを大阪拘置所にいる厚子さんに届けるとともに、毎日だれかが必ず拘置所へ面会に行きました。一方で私はマスコミ各社の記者たちに会って、この事件が壮大な冤罪であることを訴え続けてきました。

そのころ、ナミねぇを通じて、厚子さんの弁護人になってほしいという依頼がありました。ロス疑惑の三浦和義さんや斡旋収賄罪などで起訴された鈴木宗男衆議院議員など、数多くの著名事件の弁護を手がけてこられた東京の弘中惇一郎弁議士らがすでに弁護人になっておられましたが、大阪の事件ですから、大阪でも弁護士をつけようということになったようでした。

できることなら全力投球したかったのですが、刑事弁護は手馴れたプロが担当しないと、必要な証拠を見逃すことにもなりかねません。そして、残念ながら私は刑事弁護のプロではないのです。

「安易に引き受けて厚子さんのためにならなかったら、結果的に彼女を裏切ることになってしまう」

そう言ってお断りし、大阪弁護士会の副会長を務めたことのある主人に相談しました。こういう事件の弁護人に最も必要なことは、(1)厚子さんが無罪だと心から信じられる、(2)客観的な目でどこにどういう証拠があるかあたりをつけることができる、の2つの要素を兼ね備えていること。主人が推薦してくれたのは、その条件に当てはまる大阪弁護士会刑事弁護委員会のベテラン弁護士でした。受任直後から彼女は東京の弁護人らとともに精力的な働きをして、逮捕から5ヵ月あまりも大阪拘置所に勾留されていた厚子さんの保釈を裁判所に認めさせました。

事件に抱いた数多くの違和感

私が厚子さんの無実を確信したのは、個人的な付き合いがあるからとか、人柄がいいからという理由だけではありません。行政に携わったことのある人間として、また弁護士として、この事件には多くの違和感を抱いてきました。

自称障害者団体「凛の会」元会長・倉沢邦夫被告と同会発起人の河野克史被告から偽の証明書発行を頼まれた、厚労省元係長の上村勉被告が、それを発行したことまでは明らかです。けれども当時課長だった厚子さんが、間にいる人を飛び越えて係長に直接指示を出すはずがないのです。

それに、証明書発行の最終決定権者は厚子さんです。必要であれば自分の権限で発行すればいいし、もしも必要がないなら、発行しなければすむ話。偽の証明書を発行しなければならない動機がどこにあるのか、解せませんでした。

おそらく、調べるうちに、上村さんが金銭を受け取っていなかったことがはっきりしてきたものの、ではなぜ彼が偽の証明書を発行したのか、検察にはわからなかったのでしょう。

たまたま倉沢さんは十数年前に石井一衆議院議員(当時。現在は、参議院議員、民主党)の秘書をしていました。そこで検察は「倉沢被告らが石井議員の口添えで厚労省幹部に圧力をかけ、偽の証明書を発行させて、低料金の第三種郵便物を悪用して収益をあげようとした」というストーリーを描いた。それに沿うように倉沢さんや河野さん、上村さんの虚偽の供述調書を強引に取っていったわけです。

そんなふうに、もともと検察は“議員案件”にしようとしていたわけですが、そもそも口利きをしたことになっている石井議員の聴取をしたのは厚子さんの起訴後で、それも奇妙な話でした。倉沢さんは「04年2月25日に議員会館の石井議員の事務所へ行った」と供述し、証言もしました。けれども今年3月4日、厚子さんの公判に弁護側証人として出廷した石井議員は、「その日は千葉県成田市でゴルフをしていた」と証言。ゴルフのスコアまで記された手帳の存在も明らかになっています。

議員案件にしようとして動いていた検察は、障害者自立支援法を成立させるために組織ぐるみでやったというストーリーを描いたわけですが、厚子さんが倉沢さんに偽の証明書を手渡したとされている04年6月には、同法に繋がるグランドデザインすら、まだ出てきていなかったのです。完全な虚偽をでっち上げ、裏取りもせずに現職の厚生労働省局長を逮捕・起訴したというのが事実です。

厚子さんは逮捕当初から「身に覚えがない」と否認し続け、その姿勢は一貫していました。けれどもマスコミは当初、有罪報道一色。流れが変わったのは、今年2月の厚子さんの公判で、上村さんの「被疑者ノート」が公開されてからでした。同ノートは「被疑者自身が取り調べ内容を記録することで可視化を図る」目的で日弁連・大阪弁護士会が熱心に取り組んでいるもの。これを逮捕直後に弁護士から差し入れてもらった上村さんは、取り調べの状況を克明に記録していました。そこには「私が証明書を渡したことを『うそ』ということにされてしまった。こういう作文こそ偽造ではないか」「えん罪はこうして始まるのかな」などと記されていました。

検察側証人として出廷した上村さんや河野さんが供述調書の内容をひるがえし、厚子さんの関与を否定したにもかかわらず、検察は論告求刑で1年6ヵ月を求刑しました。判決は大阪地裁で9月10日に言い渡されます。横田信之裁判長は、上村さんら8人の検察調書の大部分を信用性がないとして却下。検察が描いた事件の構図は完全に崩れており、無罪を確信しています。あとは検察が控訴しないことを願うばかりです。

「小さな力」も集まれば人を絶望から救う

ある日突然、身に覚えのない容疑をかけられて逮捕勾留される──
そんな理不尽なことが起こっていいものでしょうか。自分の身に置き換えたら、だれでも恐怖で身震いするはずです。しかも、取り調べで「私はやっていません」といくら訴えても聞いてはもらえないのです。

私自身も、中学のときにいじめに遭い、友達に信じてもらえないつらさを味わいましたが、厚子さんの苦しみはそんな比ではなかったことでしょう。もしも絶望した披女が獄中で自殺でもしていたら、検察はどう申し開きをしたというのでしょうか。

幸いにも厚子さんは強い気持ちで一貫して無罪を主張し続けましたが、それはお嬢さんをはじめとしたご家族の支えがあったからこそ。また友人、知人、全国の心ある人々から寄せられた「信じています」「負けないで」という励ましが、彼女のエネルギーになったそうです。

私たちは日常に追われて自分や家族のことに終始しがちですが、つらい立場に追いやられただれかに、ほんの少し心を寄せることは可能です。「小さな力」かもしれませんが、大勢集まれば、その人を絶望から引き戻す力にもなりうるのだと改めて痛感しました。

保釈後、彼女からはメールをいただきましたが、まだ会ってはいません。無罪が確定したら、弁護団のみなさんとナミねぇも交えて、一緒にお食事でもしたいですね。

厚子さんは将来の次官候補の一人と目された優秀な官僚です。にもかかわらず、逮捕によってすでに1年3ヵ月もの間、休職を余儀なくされています。彼女の仕事人生にとって、このブランクはとても大きい。無罪判決と即時確定を勝ち取って、再び私たちのためにその能力を発揮してほしいと願っています。

無罪判決が出たら、「ご苦労様でした。お疲れさまでした」と言いたい。決して「おめでとう」ではないんです。

おおひら みつよ
1965年生まれ。弁護士として、非行少年の更生に努める。2003年から05年まで大阪市助役を務めた。著書に『今日を生きる』、鎌田實氏との共著『くらべない生き方』(ともに小社刊)など

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