毎日新聞 2010年9月17日より転載

記者の目:郵便不正事件 村木元局長が無罪

謙虚さ失い「特捜エリート」暴走

社会部:日野行介

障害者団体向け郵便料金割引制度を巡る郵便不正事件で、偽証明書の作成を部下に指示したとして起訴された厚生労働省の村木厚子元局長(54)に対し、大阪地裁の横田信之裁判長は10日、無罪判決を言い渡した。大阪地検特捜部というエリート集団にとって、前代未聞ともいえる手痛い敗北だ。ここからどう教訓をくみ取るかが問われている。

判決は、偽証明書を作成した元係長、上村勉被告(41)の「指示はなく、独断で作成した」という証言が客観的証拠に合致すると判断し、検察が描いた「厚労省の組織的犯罪」という構図を退けた。

不都合な証拠 意図的に隠す?


無罪判決後、笑顔で記者会見する村木厚子元局長(左)=大阪市北区で10日、三村政司撮影

決め手となったのが、偽証明書の電子データに記録されていた「04年6月1日午前1時20分」という最終更新日時だった。「村木被告は04年6月上旬、5月中の日付で偽証明書を作るよう指示した」という検察側主張と明らかに矛盾する。このデータは上村被告の調書に記載はなく、弁護側が求めた証拠開示で初めて明らかになった。検察が不都合な証拠を意図的に隠したとさえ疑わせる。

特捜部はなぜ、誤った捜査に陥ったのか。最大の原因は「供述調書さえ取れたらいい」と勘違いし、関係者の供述に率直に耳を傾ける謙虚さを失った一部検事たちの姿勢にある、と私は思う。

特捜捜査は、端緒の情報を基に主任検事が事件全体の構図を描くことから始まる。「密室の犯罪」を扱う難しい捜査だけに、こうした手法自体は否定できない。しかし、捜査の過程で得た供述を正確に評価し、丹念に裏付け捜査を行わなければ、誤った方向に暴走する危険をはらむ。

私は07年までの2年余り、大阪地検を担当した。事件の摘発に当たる特捜部は検事、副検事と事務官合わせて約50人。関西検察では圧倒的な存在感を誇るエリート集団だ。

取り調べは主に30代の若手検事とベテラン副検事が担当し、40歳前後の主任検事が取りまとめる。今回の関係者から「再逮捕をちらつかされた」「うその証拠を告げられた」などと厳しく批判された検事数人は30代の若手だ。

同じ大阪地検特捜部が摘発した大阪府枚方市の談合事件で無罪判決を得た小堀隆恒・元副市長(64)は、関与を否定し続けたのに対し、若い検事から「エリート集団が組織を挙げて逮捕したのに裁判で勝てると思うのか」と脅されたと証言する。受託収賄罪などに問われた衆院議員の鈴木宗男被告(62)は、最高裁の上告棄却後の会見(今月8日)で特捜検事を「青年将校化している」と批判した。

血気にはやる「青年将校」たちの暴走を許した背景は何か。事件着手に際して、上司や上級庁の了承が必要だが、捜査当時の検察幹部は「特捜検事の書類はよくできているし、説明がうまい。調書の取り方まではチェックできない」と釈明した。特捜検事は、容疑者の自白を取れる「割り屋」として組織内で重宝され、上司のチェック機能が働かなかったとみられる。

裁判所の姿勢も問わなければならない。ある元特捜検事は「特捜部は『最強の捜査機関』と言われるが、それはうそだ。裁判官が甘いだけだ」と言い切る。特捜検事の供述調書は裁判所で高い信用性を認められてきた。今回の裁判では、出廷した検察官6人全員が「取り調べのメモは捨てた。調書がすべてだ」と述べた。07年に最高裁が取り調べメモを証拠開示の対象になる「公文書」とする判断を示していたが、検事たちは無視したわけで、裁判所が軽く見られていた格好だ。

失敗徹底検証し組織を立て直せ

報道機関や世論にも特捜部を甘やかしてきた面があったと思う。特捜捜査のターゲットは「権力者」や「目立つ人」であることが多い。「巨悪」と闘う正義の象徴としてのイメージが先行し、批判にさらされる場面は少ない。大阪地検は裁判中、重要な公判ごとに報道向けの説明を行ったが、判決後は一切会見せず、次席検事のコメントを文書で発表しただけだった。

昨年6月の逮捕から1年3カ月。村木さんは保釈金1500万円だけでなく、弁護費用も支払った。村木さんは判決後、「経済的な負担は大きく、家族や友人の支えがなければ裁判を闘えなかった。私は運が良かった」と語り、こう訴えた。「検察は巨大な力を持っており、一度間違いを起こせば大変なことになる。慎重にしてほしい」

検察はこの言葉を真摯(しんし)に受けとめてほしい。検察当局は控訴断念の方向で協議しているが、当然だろう。失墜した信用を回復するには、徹底した検証を通じて組織を立て直し、改めて捜査能力を示すしかない。

発信箱:ひとまず横において
 

夕刊編集部:本橋由紀

少女パレアナはアメリカの小説の主人公。どんな時にでも喜びを見いだすゲームをしている。現実逃避とも指摘されるが、苦境にあってもできるだけいいことを見つけようとするのはイケてると思う。

大阪地検特捜部に逮捕された厚生労働省の村木厚子元局長が、10日に無罪判決を受けた。その後の会見で、精神的にも肉体的にも経済的にも負担を強いた検察に対し「これ以上、私の時間を奪わないでほしい」としながらも、「私は検察を信頼していきたい」と要望した。

その言葉が気になって、ジャーナリストの江川紹子さんが月刊「文芸春秋」にまとめた手記「私は泣かない、屈さない」を開いた。そこからは一貫して無罪を主張できた村木さんの仕事ぶりに加え、その人柄が読み取れた。ずっと共働きで2人の娘を育て、常に時間がなかったから、問題に直面しても「どうしようもないことは、ひとまず横においておく」「悩んでみても仕方がない」と考えた。拘置所にいた163日間で150冊の本を読み、ラジオで野球や大相撲を聞き阪神ファンになった。

上手に気持ちを切り替え、「いいこと探し」をしていたようだ。江川さんも「困難な中で楽しいことを見つけるのが上手」と評した。やってもいないことで逮捕されるという理不尽さを強いた相手を恨み抜くのではなく、気持ちをコントロールして「信頼していきたい」という言葉をかけるなんてなかなかできない。でも、「ひとまず横において」考えれば、困難な中にも楽しみはあるし、どんな相手であってもゆるせる点があるのかもしれない。

検察は控訴を断念する方向で、厚労省は「それなりのポスト」での処遇を検討しているそうだ。年齢的には「最後の奉公」。いい仕事をしてほしい。

画像ページ

ページの先頭へ戻る