AERA 2010年9月16日号より転載

「無罪」当確、厚労省の女性局長

イケメン検事のオレ様捜査

「国策捜査批判」などで逆風下にあった検察が、本当の危機に瀕している。郵便不正事件で逮捕した厚労省元女性局長の無罪が信実な情勢だからだ。「最強の捜査機関」の威信失墜は免れそうにない。


否認し続けたために逮捕から5ヵ月以上たってようやく保釈された村木被告。1978年に旧労働省に入省、女性政策課長などを歴任しキャリァを重ねた。

「9・10をどう乗り切るか。それが今、最大の課題だ」

観測史上最高の暑さとなった今夏。検察幹部は硬い表情で口々にそう話していた。

9月10日。大阪地検特捜部が虚偽有印公文書作成・同行使の罪で起訴した厚生労働省の元雇用均等・児童家庭局長・村木厚子被告(54)の判決公判が、大阪地裁で聞かれる日だ。

「法と証拠」を根拠に、裁きの場に人を立たせる以上、判決が出る瞬間まで、検察は有罪を確信しているのが当然だ。だが今回は違う。検察が提出した村木被告を有罪とする証拠のほとんどを裁判官は採用しなかった。10日の判決は無罪がほぼ確実。特捜部の捜査で無罪が確定した事件は少なくないが、これほどまでの惨敗ぷりは異例だ。

控訴して苦しい戦いを続けるか、恥を忍んで「白旗」を掲げるか──。

9月3日、大阪地検・高検の幹部らが上京。東京・霞が関の最高検察庁で、検察首脳による苦渋の最終協議が始まった。その議論は、後述するとして、まずは事件を振り返ってみよう。

「トランプ」の衝撃

郵便不正事件とは、障害者団体向けの郵便割引制度を悪用し、実態のない団体名義でダイレクトメールなどの企業広告が格安で大量発送された事件だ。大阪地検特捜部は昨年2月以降、強制捜査に着手。民主党の石井一議員の元秘書、倉沢邦夫被告が会長をつとめる自称障害者団体「凛の会」への偽の証明書発行にかかわったとして、昨年7月、倉沢被告、元厚労者係長の上村勉被告とともに、村本被告を起訴した。

04年、倉沢被告が石井議員に証明書の発行についての口利きを依頼。それを受けた上司の求めに応じて、当時の担当課長だった村木被告が部下の上村被告に「凛の会」への偽の証明書発行を指示した──という構図を検察側は描いた。物証はほとんどなく、証拠は上村被告や上司、倉沢被告の供述調書だった。

村木被告は逮捕直後から一貫して容疑を否認。村木被告と事件前からつながりがあった障害者団体などの人たちが中心となり支援する会も発足したが、
「村木公判は絶対大丈夫」
と、大阪地検や大阪高検の幹部は周囲に断言していた。

雲行きが怪しくなったのは、今年2月になってからだ。村木被告に偽の証明書の発行を求めたとされる元上司や上村被告が主要な証拠であった供述調書を「無理やり自白させられた」などと相次いで否定。次々、証言を覆し始めた。

上村被告は取り調べの様子を克明にノートにつけていた。法廷で明らかになったその内容には、検事が筋書き通りに、かなり強引に調書をとろうとした過程が記されていた。中でも、検察幹部に衝撃を与えたのは、上村被告の次のような記述だ。
「トランプ遊び約2時間。この余裕は一体何?」(09年6月24日。「大貧民」と「ダウト」をしたという)
「この期に及んでトランプとは。これで私を手の内にいれたつもりなのだろうか」(上村被告の保釈が決定した7月4日)
検察幹部の一人はあきれる。
「一体何をやってたんだと皆絶句したよ」

「組長と取引」の疑いも

この「トランプ検事」は国井弘樹検事(35)。村木被告の取り調べにもあたり、今回の捜査の中心だった。

実は国井検事、検察の有名人だった。一つは、キムタクが検事役を務めたドラマ「HERO」をほうふつとさせるイケメンであることだ。日本中の検事の顔写真が並ぶ『司法大観』を見ると、切れ長の目はどちらかというと歌舞伎役者風だが、キムタクさながらの長髪は、ずらりと並ぷ検事の写真の中で異彩を放っている。しかも長身だ。
この司法大観が出た07年当時、国井検事の所属先はさいたま地検熊谷支部だった。そして、この支部で起こした「問題」が国井検事をさらに有名にした。

07年8月、埼主県警が覚醒剤事件で暴力団組長を逮捕し、同支部が起訴した。この組長の取り調べにあたった国井検事は、組長が所有している疑いがある拳銃の提出を促した。その際、組長から「長男に拳銃を自主的に提出させ、組から脱退させるよう仕向けたい」などと持ちかけられた。組長は取調室内の電話を使って、自分の組の組員に工作を指示したという。

当時、この「司法取引」疑惑が新聞で報道され、検察当局は調査した。組長からの持ちかけや、組長が取調室の電話を使ったことは確認されたが、肝心の
「なぜそんな電話をかけることができたのか」という点はあいまいなまま、検察当局は「取引に応じず違法ではない」として国井検事を処分せず、エリート候補生として米国へ留学させた。

「関西検察」の社風

国井検事は当時32歳。すでに大阪地検特捜部を経験しており、
「大阪のエース候補を東京で預かっている」と周囲にみなされていた。

帰国後、国井検事は古巣の大阪地検に戻り、今回の事件を担当することになるのだが、当時の幹部は「今となってはあの時、もっと厳しく処分すべきだったかもしれない」と悔やむ。

検察の、身内に甘い体質を表しているのは間違いない。だが、背景のひとつには、東京と大阪の検察の微妙な関係もある。一般企業にもよくあるように、東京と大阪の特捜部では「社風」が異なる。最近では、交流人事も増えたが、大阪地検出身者は「関西検察」と呼ばれ、主に西日本中心に異動する。そのトップは、大阪高検検事長だ。検事総長、東京高検検事長に次ぐナンバー3として遇され、かなりの独立性が尊重される。

「トランプ調べ」問題についてもこの社風の違いがある。内部調査に国井検事が「被疑者をリラックスさせようと思った」という説明をしていることについて、東京地検特捜部のOBは「発想自体がナンセンス」とあきれるのに対し、大阪地検特捜部OBは、同情的だ。
「腹を割ってもらってなんぼ。信頼関係を築くには、いろんな手があるんや」

実際、和歌山カレー事件元被告の林健治氏は、週刊朝日のインタビューで「検事と事務官とカラオケをした」と話している。

だが、今回に限って言えば、情に頼る「大阪流」は、まったく通用しなかった。

東京地検も大阪地検も、自白調書を得る「王道」として関係者の弱点をつかむ、という手法をとる。村木被告の関与を供述した元上司は、業者などから金品の提供があった。上村被告は別の偽造書類も作っていた。

ある検察幹部はいう。
「一筋縄では特捜部の取り調べは進まない。いろんな駆け引きがあるのは事実だ。だが、それと並行して物証も必要。証言をひっくり返されたら終わり、では、いくらなんでも雑すぎる」

東京は「傷は最小限に」

「無罪判決」後の村木被告についても、「関西検察」は「主戦論」をとるようだ。検察が描いた構図どおり認めている「凛の会」メンバーが一人おり、この人物については、大阪地裁は有罪判決を出している。であれば、大阪高裁で、再度全面的に争うべきだという考え方だ。検察側は倉沢被告の公判などでも控訴しており、それらとの整合性の問題もある。

一方、東京側では、控訴に慎重な意見も多い。大阪地裁で無罪が確定すれば、村木被告はすみやかに局長に復帰できる。定年まで後6年、という時間を考慮しても、傷を最小限に済ませたほうがいいという考え方だ。

厚労者のキャリア官僚だった村木被告は障害者問題をライフワークにする一方、今年6月に施行された改正育児・介護休業法にも携わった。「大変有能な局長で、働く女性にとって希望の星だった」。逮捕当時、舛添要一厚労相はこう評してもいる。

郵便不正事件と時を同じくして、東京地検特捜部では、小沢一郎前幹事長の政治資金についての捜査が進められていた。今後、小沢氏の元秘書ら3人の公判が控えている。

民主党代表戦に出馬し、首相の座を狙う最高実力者・小沢氏と対決しなくてはならない検察としては、村木被告に世論の同情が集まっている郵便不正事件は早期に決着したほうがいいという見方もある。

最終決断は10日の判決内容を受けて下される。

編集部 三橋麻子

地検特纏部が「黒星」を喫した最近の主な事件
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  • 【05年10月】 背任罪で名古屋地検特捜部に起訴された北國銀行元頭取に無罪[名古屋高裁での差し戻し審判決]
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  • 【09年5月】 大阪府枚方市の談合事件で競売入札妨害(談合)罪で大阪地検特捜部に起訴された枚方市元副市長の無罪確定[大阪地裁]
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