“郵便不正事件”傍聴記

調書はでっち上げ !?

検察証人が冤罪を主張 異例裁判のゆくえ

昨年夏、虚偽有印公文書作成・同行使容疑で、元厚生労働省雇用均等・児童家庭局局長の村木厚子氏が逮捕・起訴された。

その公判が今年1月より始まったのだが、本人はもとより、検察側証人が次々と彼女の関与を否定する事態に。村木氏への嫌疑は、検察の捏造なのだろうか──。

初公判から傍聴し続けるジャーナリストが、その一部始終をリポートする

取材・文・撮影 ◎ 粟野仁雄( あわのまさお )/ジャーナリスト

イラスト ◎ 小沢信一

婦人公論 2010年4月22日号 より転載

私は無罪です

「本当に彼女がかかわったのか」

この疑問の答えが出るのに、そう時聞はかからないだろう。郵便不正事件で逮捕された厚生労働省の村木厚子元局長(54歳・休職中)は昨年、検察リークで悪女のようにも報道された。だが、大阪地裁(横田信之裁判長)の審理が始まると、起訴の根拠となった供述調書を取られた関係者が、ことごとく「言ってないことを検察官に調書にされた」と証言。村木氏の濡れ衣は、火を見るより明らかになってきた。「女性キャリア官僚希望の星」だった生真面目な女性を陥れた大阪地検は、この一件をどう決着させるつもりなのか。

弱者への優遇制度には、必ずやそれを悪用する不逞の輩が出没する。

郵便料が格安になる心身障害者用低料第三種郵便は、心身障害者の福祉向上を目的とし、一定の承認条件を満たした障害者団体に適用されてきた。自称障害者団体「凛の会」(東京すでに解散)の創設者、河野克史(ただし)氏(69歳)はここに目をつけ、厚労省に証明書を出させた。その結果、経費節減にとどまらず、ダイレクトメールへの広告を募り巨利を得たのだ。そして、その証明書を不正発行したとされるのが、厚労省雇用均等・児童家庭局局長だった村木厚子氏である。

彼女は昨年6月、虚偽有印公文書作成・同行使の容疑で大阪地検特捜部に逮捕され、起訴された。

直接の容疑は、企画課長だった2004年2月頃、上役の塩田幸雄部長(58歳・退職)から、「凛の会」のため、第三種郵便利用のニセ許可証を出すことを求められ、部下の上村勉係長(40歳)に偽造書類を作成させたというもの。

「凛の会」は障害者団体として証明書を出してもらえるだけの実績もないが、同会の倉沢邦夫会長(74歳)が20年以上前の一時期、秘書を務めた民主党の石井一(はじめ)衆院議員(現参院議員)に口利きを依頼。石井議員から塩田部長が頼まれ、それを受けた村木課長が、上村係長に証明書を作らせ倉沢会長に渡した、というのが検察の主張する構図である。

同容疑などで起訴された倉沢会長、河野氏、上村氏については大阪地検で村木氏とは分離公判となった。しかし、村木氏にとって、この一件はあずかり知らぬ出来事だった。彼女は一貫して容疑を否認したため、昨年11月まで5ヵ月も大阪拘置所に勾留されてしまう。

初公判の1月27日、大阪地裁201号法廷に立った村木氏は、罪状認否で「国家公務員としての仕事に誇りを持ってきました。私は無罪です」ときっぱり答え、足早に弁護人席に戻った。閉廷後の記者会見でも、「検察の言い分を聞いても、なぜ私がお金儲けのお手伝いをするのかわからない」と静かに話した。

壮大な虚構ではないか?

証言者すべてが検察調書の内容を否定し、
調書が事実でないことがはっきりした ── 主任弁護人・弘中惇一郎氏

証人尋問が始まり、次々と検察側の証人が登場。2月2、3、4日は「凛の会」の河野氏と倉沢会長だ。河野氏は証明書発行を急がせるように倉沢会長をせかしたことは認めたが、「企画課長に、と言った可能性もあるが、村木という名前とは知らなかった」と証言、村木氏について具体的な記憶もなかった。

一方、倉沢会長は「村木課長から証明書を直接手渡された」と話したが、供述調書の「渡してくれる時に『苦労したんですよ』と課長が言った」という内容については、「そんなことは(私は)言ってない」と否定。

2月8日は、村木氏の上司だった塩田氏。『聴取されていた当時は村木さんに指示したと思い込んでいたが、今では記憶にない」と供述書を否定した。石井議員から依頼されたという点についても、「交信記録があると聞かされ、それならあったのでは、と思ってしまった。後で記録はないと知り、ショックだった」と暴露。さらに、「検察の壮大な虚構ではないかと思う」とも語った。

2月16日には、上村氏の前任係長だった村松義弘氏が登場。供述調書では、04年2月頃、厚労省に倉沢会長が来た際、村木氏が「大変な案件だけどよろしくお願いします」と証明書の発行を指示したとなっている。しかし、「検察官からそう言われて、よく確認せずに署名してしまった。(村木)課長は冤罪だと思う」と証言。村松氏は04年の4月に異動し、上村氏に仕事をバトンタッチしている。

2月17日は「凛の会」の新聞発行責任者だった木村英雄氏。取られた供述調書について、「私が倉沢さんと一緒に石井議員の事務所に行ったなど、検事は最初から筋書きを決めつけていた。私は行ってないから検事さんに抗議したが、時間も遅いし署名はした」と話し、翌日、検察庁に文書で抗議したことも明かした。

主任弁護人の弘中惇一郎氏は、この日の会見で「証言者すべてが検察調書の内容を否定し、調書が事実ではないことがはっきりした。また、上村被告のフロッピーに残された偽造文書作成日付は6月1日未明。これは検察が、6月上旬に村木被告が指示したとする時期とも合わない。検察の主張は完全に破綻している」と指摘した。

上村氏、単独犯行を断言

2月24日はキーパーソンの登場た。部下だった上村氏。検察冒頭陳述では、上村氏が材木氏に、認可への疑問を呈した際、「(石井)先生からお願いされて部長から降りてきた話だから決裁なんかいいので、すぐに証明書を作ってください。上村さんは心配しなくていいから」と言われた、と実に具体的。だが、上村氏は、「私が独断で作成し、厚労省近くの喫茶店で河野さんに渡した」と断言。

調書に署名・指印していることを検察官から指摘された同氏は、「私は言ってないのに國井(弘樹)検事が勝手に作っていた。國井検事は保釈の具体的な日時などを持ちかけ、直後に署名を迫った。拒否すればいつまでも拘置所から出られず、再逮捕されるかもしれないと怖くなった。上司に言われてやったと言うほうが、世間も仕方ないと思ってくれるとも考えた」と涙声だった。

弘中弁護士は「完全に上村被告の単独犯行で彼の引っ張り込み供述」とするが、さしずめ検察による「引っ張り込まれ供述」だろう。

形勢が悪くなった大阪地検はこの日、公判部副部長が法廷横の廊下で異例の「ぶらさがり会見」をした。上村氏が、「引き継ぎ業務の中でも、この案件は後回しにしたい雑事でした」と言ったことを指摘し、「それなのに、引き継ぎ資料からこの関係のファイルだけ引き出したのは不自然。証言は信用できない」など苦しい説明をした。

 

何とかしてあげなくては

3月4目、渦中の石井一議員が出廷。倉沢会長は「石井さんに(格安郵便のことを)頼みに行くと、『わかった』と言われた」と証言していたが、東京の事務所に頼みに来られたはずの04年2月25日の日中、石井議員は千葉県成田市でゴルフをしていたことが詳細な手帳から判明。「あの日に会えるわけがない。そもそも『凛の会』を知ったのは、04年ではなく、2年後の06年11月に選挙を手伝ってくれた倉沢会長から『この新聞を使ったらどうか』と会の新聞を見せられた時が初めてです」とした。

石井議員は閉廷後、「参院選挙の公認決定直後の今、党の選挙対策委員長を務める私は東京にいたかった。でも国のために頑張ってこられた女性が事件に巻き込まれたのだから、何とかしてあげなくては、と出廷した。事件後、『村木厚子というのはあんたの女か』と、事務所に支媛者から電話があったが、今日の法廷で初めてお会いした」と怒りの会見を開いた。

倉沢会長の秘書経歴に目をつけた検察は、東の小沢一郎幹事長と並び、西で力のある民主党副代表(当時)の石井一氏(地盤は神戸市)を立件しようとしたがうまくいかなかったのだろう。天下の大阪地検特捜部挙げての立件が係長クラスでは不細工だから、局長だった村木厚子氏を強引に巻き込んだというところではないか。

私が知らないはずがない

3月10日は、厚労省の間(はざま)隆一郎政策企画官が証人出廷した。当時、課長補佐で村木氏と最も密接に仕事をしていた間氏は、「私は当時、部屋から一歩も出ることなく仕事をし、毎日、数回は課長と情報交換や打ち合わせをしていました。『凛の会』だとか、石井さんから依頼があったという話は聞いたこともない」と証言。

検察官に「上村係長が課長席に行くのを見たことはないか」と問われると、「彼は特徴的な容貌なので来ればすぐにわかりますが、見たことは一度もない」とした。さらに、「国会や議員担当は私でした。議員案件の重要な依頼があれば私が知らないはずはない」とも話した。

また、昨年5月に家宅捜索された塩田氏から直後に、「検察に狙われている。石井議員とか、倉沢さんという人の依頼なんて僕は知らないけど君は覚えていないか」と電話があったことも証言。閉廷後、間氏は挨拶した筆者に「一体、どういう捜査をしたらこんなことになるのか。もう信じられません。本当に怖い話ですよ」と顔をこわばらせた。

受け取れる日はなかった

ボロボロ状態の検察がすがるのは、倉沢会長である。

2月3、4日と証人となった倉沢会長は、「村木課長から、封筒にのせた証明書を、表彰状を受け取るように手渡しされた」と証言。しかし、起訴状には肝心な日時が「6月上旬」とされるだけ。格安便が悪用され始める6月10日までに受け取った可能性のある日時を、法廷モニターに示された押収された手帳を見て、倉沢会長は「(厚労省に行った日は)ない」と繰り返した。村木氏の弁護団の一人、河津博史弁護士は「証明書を受け取れる可能性のあるのは10日間だけ。しかし行けた日はなかった。村木さんから渡された事実はない、ということです」と語った。

押収された倉沢会長の膨大な名刺に村木氏のものはなかった。法廷で初めて倉沢会長を見た村木氏は、休廷中に押しかけた報道陣に「まったく記憶にない人です」と話した。

倉沢会長は「課長席に挨拶に行ったが、長電話していたので諦めた。その時、課長さんは森さん(当時の日本郵政公社、森隆政・東京支社長)という人と会話していた」と証言したが、本当に聞こえたのか疑問が残る。なぜなら、倉沢会長は相当の難聴で、法廷でも何度も検事や弁護士の質問を聞き直していたからだ。

地検は、森氏に対して、村木氏が電話で「(証明書に基づく)格安便発送をよろしく」と依頼したとするが、森氏は地検の聴取で「電話があったかどうかはわからない」としか答えていない。村木氏の夫も厚労省の幹部で、森氏と昵懇だった。男なら、付き合いの深い友人の奥さんが初めて電話してきたら覚えているだろう。会見で筆者が村木氏にそのことを投げかけると、「まして私が悪いことを頼んできたら覚えているのではないでしょうか」と笑顔を見せた。

嘘を吹き込み、調書を捏造

拷問や暴力はなくても、検察はあの手この手で、
言っていない供述調書を作り上げるのです ── 主任弁護人・弘中惇一郎

今回、上村氏は検事に「(村木課長の)関与を認めないのはあなただけだ。あなたが村木課長に証明書を渡すのを見た人がかいる」と嘘で迫られたことも明かした。

3月18日に証言した社会参加推進室の元室長補佐は取調検察官から、「村松係長が『課長席に倉沢さんを連れてお願いに行った時、あなたがいた』と言っている」と吹き込まれた。「彼が言っているなら、覚えていないけど業務処理の流れでは可能性もあると言っただけ。本当は記憶にないと言っているのにそう書いてもらえなかった」と証言した。

ここまでの10人の証人はすべて「供述と違う内容だった」と証言しているにもかかわらず、調書には署名・指印してしまっている。だから、検事らは各証人に「署名、指印しましたね」をやたら強調していた。法廷証言よりも調書を重視する書類主義の裁判官が多いからだろう。

弘中弁護士は「古典的な拷聞や暴力はなくても、騙しや、仮定の話として聞いて具体的事案にすり替える……。検察はあの手この手で、言ってない供述調書を作り上げるのです」と話す。言ってもいないことを調書に書く検察官こそ虚偽公文書作成で逮捕すべきだろう。関係者の証人尋問は終了、3月18日からは検察申請で取り調べ検事が証人出廷している。

飾らぬ人柄に広がる支援

村木厚子氏は名門、私立土佐高校から高知大学へ進学。国家試験を受けて旧労働省に入省した。東大出身が多い中央官庁で地方大学出身の女性が局長に昇進するのは異例。「メモ魔」と呼ばれるそうだが、法廷でも休まずメモを取り続ける姿からも仕事師ぶりが窺える。課長時代は「障害者自立支援法案」作成に尽力した。飾らず驕らない人柄で福祉などの現場でも誰からも好かれている。

最初、テレビで見た時、何の根拠もなく「お金にも興味のなさそうな清楚で真面目そうな人やなあ。悪いことなんかするかいな」と感じた。裁判所の廊下で挨拶する程度の彼女は、意志が強くシャイな印象だ。

雪冤の日を待ちわびる彼女のお嬢さんが、いつも傍聴に来ている。




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