厚子さん、第18回公判傍聴記 by ナミねぇ

2010年4月16日

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4月15日(水)厚子さん第18回公判。
小雨の中、予定通り10時開廷。
昨日に続き、厚子さんが証言台に。

弘中弁護士が、昨日の尋問の続きを開始する。
「遠藤検事が、明日から取調官が代わると言って、実際に代わったのか?」
「はい、國井検事に代わりました。國井検事から事件の詳細な説明を受けました。倉沢氏→石井議員→塩田部長→私→北村係長→上村係長・・・といったストーリを克明に語られました。」と、厚子さんが答える。

「質問ではなく、ストーリーを語った?」
「はい、よく覚えてないんですが・・・物語風に説明されました。そして國井検事は、色々な人の話を聞いてるようで、あなたの話と他の人で温度差があるね、と」
「その日、調書は?」と弘中弁護士が聞く。
「とってません。翌日は(他の人を調べた)調書を持ち込み、指さしながらまた詳細に話しました。遠藤検事とは対照的に、私が何を言っても全くメモを取らずに話を続け、口述筆記しながらパソコンに入力するよう事務官に指示しました。そして(打ち終わった調書に)サインしますかと聞かれました。」と、厚子さん。

「内容は?」
「私は上村さんに大変申し訳なく思っている。私の指示がきっかけでこのような事になってしまった。上村さんは真面目な人で、一人でこのようなことはしない。私は責任を感じているという内容でした。」
「サインしたのですか?」と弘中弁護士。
「していません」キッパリ答える厚子さん。
「私は、どのようにでも読み取れる、このような、いやらしさを感じる文章にはサインできません。」
「あなたが言ってないことを調書にしたということですか?」と弘中弁護士。
「はい。」

「そのやりとりで國井検事を、どう思いましたか?」
「信頼関係が結べないと思いました。思い込みが非常に激しく、私は罠にはめられると感じました。」
「國井検事の言葉で、記憶に強く残っていることがありますか?」と弘中弁護士。
「あなたが嘘をついてるか、他の全ての人がついてるかだ、と。」

「私は國井検事がいう『石井議員の案件なので全員が私の指示に従って不正をした』という状況が起こりうる場面を考えてみました。3つの可能性があると思いました。

*部下が全員、議員案件は、何が何でもやるものと思い込んでいる場合 
*気づかない間に私が恨みをかっていて、皆が(私を)罪に陥れようとしている場合
*私が重篤な二重人格という疾患で、悪い人格で行った時の記憶が無い場合

の三つです。
しかし冷静に考えてみると、どれもあり得ないと思いました。
まさか検察官が嘘を言っているとは思わず、このようなことを言う理由は何なのだろうと考えたのです。」

「國井検事は、キャリアとノンキャリについても『ノンキャリは汚い仕事ばかりさせられ、仕事がイヤで嫌でたまらない』とも言いました。全く違う、それはノンキャリに対する侮辱であり、大変失礼だと感じました。でも私がどのように説明しても『いや違う!こうだ』 と、考えを押し付けるので、この人は、なぜこんな思い違いをしてるのかと思いました。

それから國井検事は、ほぼ毎日来るようになり、なぜかと聞くと、あなたのことが心配だから来る。このままだと重大なことになる、それが心配だ、というような話ばかりされました。」
そして『今回の件はたいした罪ではないんだよ』などと言うので私が『それではたいした罪とはどんなものですか』と聞くと『殺人や傷害です』と応えたので、「私は(公務員として)このような罪に問われるくらいなら、殺人犯と言われるほうがましです、と答えました。」

「上村さんのことは、他に何か言いましたか?」と、弘中弁護士。
「はい。上村さんは私が逮捕された時泣いたそうで、ああいう人が嘘を言うはずがない。彼は孤独でゴキブリが出ないのさえ寂しいと言う、そんな人だ。あなたには責任があると。私は自分の職場で起きた事件には、自分にも責任があると思っているけれど、上村さんについては、なぜそんなことをしたのかと叱りつけたい気持ちですと、応えました。」

「あなたは弁護士である私に、手紙をくれたことがありましたね。」と弘中弁護士が問いかける。
「はい。『記憶がないがありえる』ということと『絶対やっていない』ということを
いくら頼んでも書き分けてくれないので、不安になって手紙を書きました。

*倉沢さんに会ったかどうかについては、毎日たくさんの人が来られたり、会ったりするので、記憶に無いがありえること
*上司からの指示を受け、自分が部下に指示をする、という状況はよく有るが、虚偽と知りつつ行うことは絶対にないこと
*倉沢氏に、証明書を手渡していないこと

このよう『記憶がないがありえる』ということと『絶対やっていない』ことを、キチンと区別して調書にして欲しいと言いましたが、聞いてもらえませんでした。

その時の遠藤検事の説明は『調書はあなたから見た真実。客観的事実とは違う』ということでした。つまり、『あるかもしれない=ない』と書けばいいんだと言われサインしてしまったのですが、だんだん不安が募りました。
これは私を『うそつき』という罠にはめようとしてるのじゃないかと恐ろしくなり、お手紙を書いたのです。」

大阪地検に出頭し、いきなり逮捕された時の衝撃と、自分の言葉を全く聞き届けてもらえない理不尽さを思い出しながら、それでも落ち着いた声で話し続ける厚子さん。

尋問が、弘中弁護士から白井検事に代わる。
「取調べにおいて、暴行、脅迫などはありましたか?」と、白井検事。
「(私が)知らないと言った時『知らないはずはない!』と、大声で言われました。また國井検事は、このままでは重い罪になると言い続けましたが、これは脅迫だと思います。」と、厚子さん。

その後、白井検事は、昨日の尋問で「時期的な整合性が無いことが明らかになった、障害者自立支援法との関連」についての質問などを、再び繰り返した後「あなたは保釈された日に、ご主人同席で記者会見を開きましたね。保釈の条件に事件関係者との接触禁止が有ったのではないですか? テレビカメラは、まずいと思いませんでしたか?」と、唐突に聞く。

「逮捕、拘留中に、全く事実と違う報道をされ続け、身の危険さえ感じていました。
(私が家に帰ることで)マスコミが家に押しかけたり、心ない人がルールを無視した行動をとって、子どもたちが恐い思いをすることなどが無いよう、また真相解明に繋がって欲しいとも考え、弁護士に相談したところ『問題なし』とのことでしたので、会見を行いました。」と厚子さんが答える。

弘中弁護士からは「記者会見は、こちらから呼びかけたものではありません。一度保釈が取り消されたこともあり、マスコミから記者会見の要望が非常に強かったので、それに応えたものです。」との説明がなされた。

最後に、裁判官たちから、厚子さんの多忙なスケジュールや配席図の確認などがあり、裁判長からは「凜の会の倉沢氏に、厚子さんが公的証明書を手渡した」という検察ストーリーについての質問が投げかけられたが、「絶対にありません。もしあったとすれば非常にイレギュラーなことなので記憶に残っています!」と、厚子さんがきっぱり否定し、今日の公判が終了した。

私は厚子さんの公務員としての挟持、理不尽な出来事に屈しない強さ、母親としての温かさを噛みしめながら、残る公判で検察側がどのような反撃を企てたとしても、きっときっと厚子さんの名誉を回復しなければならないと、改めて心に誓って大阪地裁を後にした。

寒の戻りの小雨の中を、肩を寄せ合って歩く厚子さんと二人のお嬢さんの、後ろ姿を見送りながら・・・

 

PS.
4月の公判はこれで終了し、証拠整理、論告、弁論などを経て、9月1日に判決が言い渡される予定となった。検察に控訴されない(出来ない)無罪判決が出て、厚子さんの無罪が確定することを、切に願うナミねぇです。

<文責:ナミねぇ>

 

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