江川紹子さんの、厚子さん第14回公判傍聴記

ジャーナリスト江川紹子さんの、厚子さん第14回公判傍聴記です。江川さんの了解を戴き、ツイッターを時系列にまとめました。

2010年3月18日

 

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江川紹子さんのツイッター

大阪地裁なう。到着が早すぎ。遠い人ほど早く来て、近い人ほど遅刻するって、よくあるけれど。雨が降ると思って長い傘を持ってきたのに、なんと大阪は晴れている!どこかに置き忘れそうな予感。

村木裁判、今日から重要証人などの取り調べに当たった検事の証人尋問が行われる。取り調べ検事の尋問自体は珍しくないが、6人もというのは、かなり異例。検事の証人尋問って、要は「違法な調べはしてません。本人が任意で供述しました」と言うだけなので、かなり地味。弁護側がそれを突き崩せるか

大阪地裁の村木厚子被告の裁判。今日は傍聴券交付はなし。検事の証人尋問は地味です。「すみません、ちょっと被疑者脅しちゃいました」なんて自白する人はまずいないので、全然ドラマがないのが普通。ということで人気薄なのかもしれない

大阪地裁:午前中は凜の会代表の倉沢被告を取り調べた坂口副検事が証人。検察側の主尋問で、取り調べは適切だった強調。「取り調べを始める前に『体調はどうですか』と必ず聞いておりました。倉沢さんか『思わしくないです』と言っていた場合は短時間で終わらせていました」と

「私が『全容解明が検察官としての私の使命であり国民の要請である』と訴えると、倉沢さんは『分かりました。実は厚労省の担当部署にお願いし、正規の申請を得ずして公的証明書を発行してもらいました』と打ち上げました」と

坂口副検事は、取り調べメモを処分。弁護団はこれを問題にしているが、「私が自費で買ったノート。倉沢さんのプライバシーや名誉に関する記載もあったので、プライバシー保護の観点から保管を継続しておくべきではないと判断した」と正当化。検察庁での保管がなぜプライバシー違反?

取調中に検事が机を叩いたとの倉沢証言を確かめられ、「数回はあった」と認める。凜の会が障害者と無関係なことを「いったんは認めながら、責任逃れをするように『そこまでの認識はなかった』という時が何回かあったので、その時に少し机を叩いた」と

それでも、取り調べの最終日、倉沢被告はスーツを着て臨み、最後に深々とお辞儀をして、「ありがとうございました。私の担当が坂口さんで本当によかった」と言ってくれた、と。

倉沢被告は平成16年2月25日に石井議員に口添えを依頼したと述べていたが、取り調べの最終日に「それはアポを入れた日。100%その日とは言い切れない」と述べた、と。前回の法廷で、石井氏にこの日は倉沢被告と会ってないと証言されたためか、別の日の可能性を強くにおわせる

弁護側反対尋問:長時間の取り調べを行いながら、まったく供述調書を作ってない時期があることを指摘。この時期に何を調べていたのかを聞くも、証人「よく覚えていない」と。「全然覚えてないのか」の追及に、いくつか答えるが、それはすでに調書作成済みのこと。不自然さを追及され…

「経緯が長いですから」と苦しい答弁。その間にメモは取っていたのかを問われると、しばしの沈黙のあと「ある程度はとっていました。私の頭の中に倉沢さんの生の言葉として残っておりましたので、あとでまとめて調書にすればいい、と」。そのメモは廃棄されている

「石井議員についての供述は6月3日の調書に初めて出てくるが、この日に言い出したのか」の問いに、「5月末か6月1日」と。弁護人「そういう重要な話を聞きながら、その日に調書にしなかったのはなぜか」と問う

証人「倉沢さんの供述の出方からして、すぐに調書を作成しなくても、翌日、翌々日に作成しても供述は動かないだろうと確信していた。毎日顔を合わせて、人間関係が形成されていた」と。机を叩いて叱りつけなきゃいけないようなこともあったのに?

倉沢被告が石井議員に会って依頼をしたという日が100パーセントではないと述べたと主張する坂口証人に対して右陪席裁判官が鋭く突っ込む。「手帳に書いてあるのは予定、変更になった可能性もある」と弁解。さらに右陪席は「あの手帳では予定を消化すると赤線で消してある。この日も赤線で消してある」と指摘。「本当に倉沢さんはそんなこと言いましたか」と検察官の証言に疑問を呈した。

裁判長、倉沢被告が本件で逮捕された後、裁判所で行われた勾留質問で、「証明書偽造されたものとは知らなかった。そういうもの作成するよう共謀したことはない」と述べている点を指摘。逮捕後、そういう趣旨の検察官調書ができてないことについて「否認の調書を作らないんですか」と

質問。さらに「否認の弁解をそのまま調書にとることはないんですか」と重ねて質問。取り調べをしているのに調書がなく、否認の調書もない状況に、裁判所は不自然さを感じているよう。検察は否認調書は作らないのではないかという裁判長の質問は、本件捜査の本質を突いている

続く検察官側証人は、凜の会の河野被告、村木被告の上司だった塩田元部長ら3人の厚労省関係者を取り調べた林谷検事。スーツがはちきれんばかりの”豊満な”肉体の大阪地検特捜部検事は、ペットボトルを片手にヒョコヒョコ軽い足取りで登場。いかにもこういう場は「慣れている」雰囲気

それもそのはず、捜査中の取り調べが問題になって証人出廷するのは、これで3回目という。「宣誓してください」と裁判官に言われて、「は〜い」と間延びした返事。リラックスのし過ぎなのか、それとも余裕を演出しようとしているのか……こういう態度の証人はちょっと珍しい

しかも林谷検事の話は、声が小さく、とにかく早口。いくら主尋問の検察官が「ゆっくり」と言っても、改まらない。速記官が、最初は困惑顔、そのうち、うんざりした顔をしている。中身のあるなしはともかく、ぺらぺらとまくし立てて、相手を圧倒しようとするタイプのようだ。

林谷検事もメモを取ったノート2冊は廃棄している、と。理由を聞かれ「私にとって必要ないから」と。大阪地検特捜部では、被疑者が否認しても調書にしない、取り調べの時のメモは廃棄する、というのが慣例なのだろうか

林谷検事に取り調べられた4人は、いずれも公判の証言で調書の内容を否認し、捜査段階で無理な取り調べがあったと証言している。しかし林谷検事は、大声で追及したことはあったと認めながら、威嚇的な取り調べや取り引きなどは一切なかったと、4人の公判証言を否定

村木被告の上司である塩田厚労省部長は、公判で「石井議員との通話記録がある」と林谷検事から言われて、それならば電話をしたことがあるかもしれない、と認めた旨を証言している。しかし、後でそのような通話記録はなかったと知らされ、欺かれたとショックを受けたというのが法廷証言

林谷検事は、そうした塩田証言を一切否定。自分から通話記録についての話を持ちかけたことはないと述べた。そのうえで、塩田部長を2度目に取り調べた時に、「すみません。実は昨日は隠していました」と石井議員とはこの件で2回話をしていることを供述した、と証言

本当のことを話そうと思った理由を尋ねると、塩田部長は小泉元首相の秘書だった飯島氏に相談したところ「本当のことを話なさい」と言われたからと述べた、と。自分自身の逮捕をおそれた塩田氏が、かねてから知り合いの飯島氏に相談をしたが、当たり前の返答しか返ってこなかった。

林谷証言によれば、飯島氏は、以前厚生省次官だったO氏が逮捕された時のことを引き合いにして、「あの事件のことはよく覚えているだろ」「嘘をついてもばれるから正直に話した方がいい」と、至極まっとうなことを勧めたとのこと。林谷検事は、そのいきさつを調書化しようとしたが

塩田元部長が飯島氏の名前を出すのを嫌がり、その部分は調書にしなかった、と。それにしても、なぜ検察側はここで飯島氏の名前をわざわざ出したのか?一部で、飯島氏がこの事件の黒幕であるかのような陰謀論が出回っていることを意識してのことか、それともマスコミがこの名前に

飛びついて、検察官の取り調べの問題よりも、飯島氏に関心が移ることを期待してのことか?あるいは、特別な意図はなく、事実経過を単に述べただけなのか?その意図はいまいちよく分からない

弁護側の反対尋問で、捜査情報がマスコミに伝わっていたことについて質問が及ぶと、検察側が相次いで異議申し立て。「誤導だ」「関連性がない」と検察側は主張した。リークが問題になることをおそれてなのか、検察側の過敏な反応が印象的

凜の会の河野被告の弁護人が林谷検事の取り調べは問題だと大阪地検に抗議。林谷検事は、特捜部副部長から注意を受けた。その辺の事情を聞かれ、「大きな声で追及はしたかもしれない」と。ただし、「大きな声で何を言ったか」と問われても「覚えていません」と

林谷検事は、任官10年にして大阪地検特捜部は7カ所目の任地であることも明らかになった。あまりに優秀なので、あちこち引っ張りだこになったのか、それとも……その辺は次回の弁護側尋問で明らかにされるかもしれない。

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