厚子さん、第10回公判傍聴記 by ナミねぇ

2010年3月3日

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3月3日、お雛祭りの今朝は、数日間の暖かさが去り、コートを羽織って自宅を出る。ゆとりを持って出かけたのに、JRが事故で(?)30分も遅れ、大阪地裁201号法廷に10時5分過ぎに駆け込む。でもなぜか上村氏の入廷が少し遅れ、10時10分開廷となったので、冒頭から傍聴できることに。 ホッ。

検事から、被疑者ノートを中心とした尋問が続く。検事が確認し続けたのは「取調べ検事の作文だとあなたは証言してきたが、あなたはノートの各所で(調書に)同意してるだけでなく、取調べに不満が無い、という欄にもチェックを書き入れているではないか」「後日、書き加えたり書き直したりしたのではないか」の2点。

それに対して上村氏は「法廷で証拠として公開されることは全く知らなかったが、自分が後で(取調室で何があったか)読み返す必要を感じていたので、書き直しはしていない。」「不満がない、にチェックした時は、何を言っても無駄と感じて、もうどうでも良いやと投げやりになっていたから」と証言。

「村木課長は本当のことを言って欲しい、という記述もあるが?」と検事。「塩田さんが村木さんに指示したとか、誰かが郵政の森さんに電話したとか、検事から色々聞かされて、もしかしたら自分が単独で偽造した以外に、もう1枚証明書は偽造されたのでは?と思ってしまうほどだった。」

「だんだん僕は頭が混乱し、村木さんが何か知ってるなら話して欲しいと思った時もあったが、検事から偽造証明書は1枚だと聞いて、村木さんは絶対関与してないと確信できた。でもそれを何度言っても調書に書いてもらえなかった。」

検事「村木課長の関与を自分から言ったことは?」。上村「全くありません!」。検事「でも被疑者ノートに<村木関与を認めた>と書いてますよね」。上村「違います。認めさせられたという事です」。検事「自供したんじゃないんですか?」ここで弁護側より「異議あり!」の声。裁判長が異議を認める。

「でもあなたは・・・」検事が問いかけ方を変える。「村木さんの関与を積極的に否定してませんよね」。上村氏「はい」。検事「この段階(起訴前日)で、それをほのめかしでもしておかなければいけなかったのでは?裁判官からも最後のチャンスと声をかけられたのでしょう?」。

上村氏「怖くて・・・迷いに迷って、ああいうあいまいな書き方になってしまった。申し訳なかった。勇気がなかった。本当はしっかり書きたかった!」聞き取れないほどの声で証言を続ける上村氏の声が高まって来る。検事「村木さんが関与を否定してることは、知っていましたよね」。上村氏「はい。 でも追いつめられて、与えられる様々な情報に混乱して・・・」上村氏の声に嗚咽が混じり、ついに泣きながら叫ぶ。「今は、はっきり村木さんの無実を確認しています。村木さんは無実です!!」

検事側尋問が終わり、弁護側と交代となる。弘中惇一郎弁護士が立ち上がり、穏やかに話し始める。 弘中弁護士「厚労省と、あなたが河野氏に証明書を手渡しに行った弁護士会館の図面を確認してもらえますか。」図面が法廷のプロジェクタに映し出される。弘中氏「厚労省〜地下道〜エスカレータ〜階段・・・ここで一瞬空が見えたというのは、こういう感じですね」次々写真が投影される、うなずく上村氏。

次に、弁護士会館地下の「喫茶メトロ」の写真と図面を弘中弁護士が提示し、それが法廷内のプロジェクタに映し出される。「この喫茶で間違いないですか? この写真にあなたと河野氏が座った席が写ってますか?写ってたら、図面に印をつけて下さい。」「はい、写っています。ここです。」と答えて上村氏はしっかりと記しをつける。

弘中氏とバトンタッチした信岡弁護士からは「改めて聞きますが、被疑者ノートの<不満が無い>にチェックしたことと、供述調書の修正を完全にあきらめた、ということの関連を教えて下さい」。上村氏「何度言ってもダメなんだから、もうどんな欄でも関係ないや、と投げやりになってしまっていました。」
最後に裁判長はじめ3人の裁判官から、証言全体を俯瞰した質問がいくつかなされ、上村氏の証言がすべて終わった。

「あんたの証明書偽造せいで、厚子さんは罪に陥れられたんやで!」
上村氏の証言を初めて聞いた日、私は怒っていた。傍聴席で怒りに震えながら上村氏の証言を聞いていた。厚子さんがそんな彼を慈母のような瞳で見つめていることにも「厚子さんも、もっと腹を立ててもえぇんちゃうん!」と感じながら傍聴記を書いた。でも3日間にわたる上村氏の証言を聞き、彼が取調べ室で、実は最初から一貫して「僕一人でやったことです。」と言い続けていたことが心底信じられた今、やはり厚子さん冤罪事件(と、はっきり言おう)を生み出したのは、上村氏ではないことを確信する。

おそらく彼には「障害者団体に、書類審査のスピードを上げることくらい、してあげても良いんじゃないか。ちょっとだけ便宜を図って、彼らの活動を少し応援することくらい、いいじゃないか・・・」という、親切心や同情心も有ったのではないか、と思う。そんなふうに思えるほど、上村氏の証言の正直さと涙は、私の胸に切なく残った。

でもその心情を巨額の利益に利用した詐欺師たちがおり、その詐欺事件の構図を「政治家と省ぐるみの巨悪の構図」に書き換え、厚子さんを大犯罪者に仕立て上げた輩が居る。今日から先の公判は、その輩が断罪される公判であるべきだ。

午後の公判は、上村氏の上司であった企画課課長補佐、北村氏の出廷。
ここでもまた、今まで出廷した証言者のすべてが語ったように「検察の誘導尋問」が明らかになった。北村氏は、厚労省を訪れた倉沢被告を、村木厚子企画課長や社会参加推進室の室長らに引き合わせ、上村氏の証明書偽造を直接指示したとされている。

彼も取調べで一貫して「そもそも、倉沢氏に会った記憶がない」と言い続けてきたが、検事から「倉沢があなたの名刺を持っている。これは政治案件であり、石井議員、村木課長、そして社会参加推進室という流れは分かってるんだ。」と、東京地検に呼び出された最初の日に言われたそうだ。

「倉沢氏が名刺を持っているというだけではなく、誰それがこう言って、誰それもこう証言している、と言われ続け、自分も記憶力に自信があるわけではないので、いつしか、そういうこともあり得るのか・・・と揺らいでしまった。」

しかも最初から「被疑者」としての尋問で、恐ろしさから逃れたい気持ちでいっぱいだった。「知らない」「記憶に無い」と言うと「一泊でも二泊でもして行くか!?」とか「検察をなめるなよ」とか大声で言われ、調書に署名してしまった。と語る北村氏。
その後、度重なる取調べと何通も作成された調書をとりまとめる日もあったが、訂正や修正を言い出せなかった。村木さんを陥れるつもりなど、全く無かったし、こういう結果になったことを大変申し訳なく思っている。

しかし・・・と、ここで声をあらためた北村氏の証言に、法廷内の皆が驚愕することに。「倉沢が私の名刺を持っている、ということが実は嘘だったんです! 私はやはり倉沢と会ってなかったんです。」「いつそれを知りましたか?」と弘中弁護士。「つい先日。公判のために検事と打合せをしている時です。」

前回の傍聴記で私は「検察の取調べノウハウ」を書いたが、後一つ「嘘の証拠をでっちあげて、ストーリー通りの証言を引き出す」を、加えなくてはならない。塩田元部長の証言を引き出した「石井議員への報告電話の通信記録がある」もそうだったが、こうなると本当に「嘘の証拠の提示」が取調べにおいて「常態化している」と言わざるを得ないだろう。

ジャーナリスト江川紹子さんが、上村氏の公判傍聴後、自身のブログに書かれた『地検「特捜部」は本当に必要か』を今、全国民が真剣に考えねばならない時かもしれない。
http://www.egawashoko.com/c006/000319.html

ところで、かくも深刻かつ馬鹿げた状況に陥った公判であるが、裁判長の最後の一言が、法廷を沸かせたことを記しておこう。今日の証人である北村氏へ投げかけたその一言は・・・「取調べ検事の、一泊でも二泊でもして行くか?というのは、東京の自宅(我が家?)にお泊まりなさい、という意味ではないですよね」という、お茶目なもの。思わず私は「裁判長に座布団3枚!」と声をかけてしまいそうになりましたよ、ははは。

そして特筆すべきは、厚子さんが今日はとてもファッショナブルなスーツを着ておられたこと。毎回私が傍聴記で「地味!」などと書くので、意識されたのだろうか。今日は濃いグレーのスーツなんやけど、襟とポケットとボタンに濃い緑のベルベットがあしらわれ、中に着ているブラウスも同色でシルクのタートルネック。しかも、髪を後ろでひとまとめに括る髪飾りはスーツと同色という、トータルコーディネイト!
う〜む、今日はキャリア官僚っぽくてしかも上品だ。公判の行方がだんだん明確になってきて、気持ちが落ち着いて来られたのかなぁ、と嬉しく思う。

え、私のファッション? そらいつも通り、ジーンズに「ケバい」メッシュ頭でございますよ。毎回、大阪地裁の警備員に、胡散臭そうな目で見られながら、法廷に通っておりますのよ。
さぁ、この出で立ちで、明日の石井議員出廷も見届けるわよ〜!!!

<文責:ナミねぇ>

 

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