渚の風 2015年7月30日号より転載

渚の風ロゴ

■ユニバーサル社会
21世紀を拓く〜復旧復興を礎に
兵庫県知事 井戸敏三さん(69)


スペシャルオリンピックスをPRする聖火リレーに参加した井戸敏三知事(2014年10月16日、神戸市中央区の兵庫県庁前)

竹中ナミさん
Profile
愛称、ナミねぇ。社会福祉法人「プロップ・ステーション」理事長。「チャレンジドを納税者に」が合言葉だ。

 六甲山の緑を遠景にして建つ兵庫県庁舎(神戸市中央区)。6月15日夕、井戸敏三知事は、知事応接室に姿を見せた。知事に就任したのは、2001年8月1日。4期目の県政をあずかりながら、21世紀を拓いている。名刺を交換すると、にこやかな顔で「平田篤胤(国学者)の末裔ですか」「どうして渚の風(というネーミング)なんですか」。ユニバーサル社会をテーマにしたインタビューは、いきなり、知事からの逆取材で始まった。

(文 平田篤州)
Text by Atsukuni HIRATA

 井戸知事の名刺は、点字だった。いっきょに17年前の霞が関のシーンが蘇った。1998年夏の自民党総裁選。当時、厚生大臣だった小泉純一郎氏(73)が出馬、インタビューで訪れた厚生省(現厚労省)の一室で渡された小泉さんの名刺も点字だった。その時も、「篤胤の末裔か」。「いや、ぜんぜん関係なくて・・・」

NAGISAとUNIVERSAL

 もう1つの知事の質問、「渚の風」の理念やネーミングについて答えた。そのあとのシーンで、はっとした。説明に使った言葉の一群が、知事から、まるでおうむ返しのように出てきたのだ。
「障害のある人もない人も、高齢者も若者も、男であろうと、外国人であろうと、それぞれの個性を活かしながら地域の中で自立することをめざして努力していくことができる社会。それがユニバーサル社会です」。こちらが説明した「渚の風」の理念は次のような内容だった。

 <渚は、山や川や空が海に出会い、まぜこぜになって生まれる。そこの砂浜や湿原では、多くの命が誕生する。地球上で最も豊饒なエリア、それが渚だ。
それは、人間の世界でも同じだ。健常者や障害者も、男性も女性も、大人も子どもも、いろんな人がまぜこぜになった社会こそが、最も豊かな社会…そんな差別や偏見のない「渚」をあちこちに創る「風」になりたい>

 「渚とユニバーサル社会の定義って、ほんまにいっしょやったね」

 インタビューから5日後の6月20日夜、大阪・梅田の居酒屋でこうつぶやいたのは、ナミねぇこと竹中ナミさん。社会福祉法人「プロップ・ステーション」(神戸市)の理事長だ。実は井戸知事へのイ
ンタビューは、ナミねぇの仲介で実現した。もちろん、インタビューには、ナミねぇも飛び入りで同席していた。

灼熱の対談

 「ユニバーサル」は、英語でUniversal。万能の、普遍的な、などの意味がある。1985年に米国の建築家が「いろんな機器や建物は、できるだけ多くの人が利用可能であるようなデザインに」と提唱して以来、「ユニバーサルデザイン」の言葉が広がり、「だれもが〜しやすい」「だれもが〜できる」の意味合いで、使われるようになった。

 「ユニバーサルデザインは、どちらかというとハードの概念。でも、デザインだけじゃない。人間は、ハードやソフトで形成された地域を含む空間で生涯を送っているわけだから、すべての人が共生できるような空間づくりをしていかなければ…。社会そのものがユニバーサルにならないといけません」
21世紀の扉が開いた2001年。知事に就任してすぐ、井戸さんは「ユニバーサル社会の実現」を県政の旗印の1つに掲げた。

 ナミねぇは、こう話す。

 42歳の重度脳障害の娘を授かったオカンとして、「娘を残して安心して死ねる日本社会ってどんなんやろ」。そう考えた時、社会を支える意欲のある人のチカラを、(障害者も健常者も)漏れなく生かし切ることのできる『ユニバーサル社会』の実現こそが、持続可能な社会を創るんや、と思い至りました」

 知事は言った。

 「目から鱗が落ちました。ナミねぇから「チャレンジド」の話を聴いた時は…。障害者をチャレンジドと呼び、保護・支援の対象ではなく、タックスペイヤー(納税者)になりうる可能性を持った人々だ、と言い切る。そして、それを実行している。びっくりしました。なんでもできるんです、ナミね・・・」

 穏やかなはずの「創刊1年インタビュー」が、しだいにナミねぇとの「灼熱の対談」になってきた。

27面(裏面)に続く

あとがき
 季刊フリーペーパー、渚の風は、福祉施設で働く人々を元気づけよう、福祉現場につきまとうマイナスイメージを吹き飛ばそう、との目的で昨年7月、創刊しました。みなさまのご支援のもと今回を含め回発行することができ、その間、さまざまな方面から応援や感謝の言葉をいただきました。深く御礼申し上げます。今号で休刊となりますが、バックナンバーは引き続き、インターネットの「産経新聞制作」ホームページから閲覧できますQRコード(右)からジャンプすればスマートフォンでも読むことができます(一部の機種では不可の場合もあります)。(渚の風編集委員会)

フリーペーパー渚の風
問い合せ 郵送のお申し込み 06・6633・9905
発行 且Y経新聞制作 東京都千代田区大手町1の7の2
編集 渚の風編集委員会 写真協力 産経新聞大阪本社写真報道局
編集協力 社会福祉法人産経新聞厚生文化事業団

 

                    創刊1年インタビュー     2015.7.30 渚の風 5号 27

28面から続く

■ユニバーサル社会 兵庫県知事 井戸敏三さん(69)

 あっという間にインタビューの時間が過ぎていく。兵庫県知事の井戸敏三さんと、飛び入りの社会福祉法人「プロッブ・ステーション」理事長のナミねぇこと、竹中ナミさん。実は井戸さんのふるさとは、兵庫県揖保郡新宮町(現、たつの市)。阪神淡路大震災の翌年(1996年)に、当時の貝原俊民知事に乞われて、自治大臣官房審議官の職から兵庫県の副知事に転身した。ナミねぇも神戸市の生まれ。自宅は、あの震災で全焼している。


(写真陶器浩平)Photo bv Kohei TOKI

見守リ、地域支援が必需品に

 |おまえ、ふるさとの復旧復興を手伝え|。そう貝原さんに言われた時から、「復旧復興」が、最大のミッション(使命)になった。貝原さんは同じ東大法学部卒、そして自治省の先輩でもあった。

 被災地へ。街の道路は、波打ったまま。歩道もガタガタだった。

 「復旧復興といっても当初は、ソフト中心の施策でいくしかなかった。その1つが「見守り」であり、今のユニバーサル社会の創造にも通じている」

 「仮設住宅の暮らしで、自立は難しいけど、ちょっとした手助けがあれば暮らしていける・・・そんな被災者をサポートする見守りの仕組み(サービス)をどう創っていくのか。サービスを提供できる、福
祉型仮設を用意した」

 井戸さんは、当時を振り返りながら話した。

 ボランティアやNPOの人々に、被災者の身の回りの世話やリハビリを担当してもらった。そして、「見守りの仕組み」と「地域が支援する」というシステムは、被災地の必需品になっていった。

 もう1つ、ユニバーサル社会の創造に通じる施策として、その後の復興過程に入ってからの高齢者の見守りをあげた。

 「仮設から恒久住宅に移行したあとも、その地域に高齢者の見守りの仕組みを創ることはとても重要だった。支援には、永続的な組織が必要だ。ボランティアやNPOの人々に活躍していただき、それを市民や行政が支援するシステムを創っていった」

震災10年、指針ができた

 震災から10年が過ぎた2005(平成17)年4月、兵庫県は「ひょうごユニバーサル社会づくり総合指針」をつくった。井戸さんは、巻頭に次のように書いた。

 <共に生きる。震災が教えてくれたこのことを基に、どこよりも安全・安心な地域づくりを進めていかなければなりません・・・障害の有無や年齢等にかかわりなく、だれもが、同じ地域社会で生活する者として、主体的に生き、社会の支え手となることのできるユニバーサル社会の構築をめざしています>

 この時の「だれもが」の例示として、「県民、地域団体、NPO、企業、自治体」などをあげている。

 それから10年。「今は相当、ソフト事業に力を入れている」と井戸さん。その1つとして「みんなの声かけ運動」をあげた。障害のある人や高齢者をはじめ、だれもが道に迷っている時や電車の乗降などで困っている時に、気軽に声をかけて必要な手助けを行う県民運動だ。「県民運動として取り組もうと・・・。約4500人の県民(ボランティア)に『声かけ運動推進員』になっていただいている」。

 さらに今、取り組んでいるのが、特別養護老人ホームを拠点にした24時間見守りサービスだ。

 「特養を中心に、中学校区ぐらいかな、24時間見守りサービスを行っている。特養には人材、スタッフがそろっている。もちろん、日常の仕事があるので1人か2人、県からコーディネーターを配置して在宅の人からの連絡対応やスタッフ派遣の段取りをしている。将来的には、特養が在宅24時間サービス事業の基地になっていけばいい、と思っている」

「鉄棒ができる夢」筋電義手

 「これ、絶対聞いてね」。インタビューの前にそういわれてナミねえから渡されていたチラシ。見出しに、こうあった。

 <小児筋電義手バンクを設立〜子どもたちの夢・希望 実現のために〜>

 筋電義手とは、手を失った人が、残された腕の筋肉の収縮から生じる微弱な電気信号(生体信号)を利用して、本人の意思で指などが動かせる義手だ。兵庫県立リハビリテーション中央病院ロボットリハビリテーションセンター(神戸市西区)で開発が進められてきた。

 小児筋電義手バンクは、2014年6月に誕生した。井戸さんは、集まった善意と同額を県が助成する「マッチングファンド」を採用。民間の善意3000万円と同額の3000万円を県が助成して合計6000万円の基金ができた。そして、今春から本格的に貸与事業が始まった。

 「世間のみなさんの善意からバンクができて、県が何もしないというのは・・・。。かといって、県単独でやってしまうと善意が生かせなくなる。そこで、マッチングファンドを採用した」

 井戸知事は、「民」と「官(県)」の役割について、こう話した。そして、こちらのすわっている席をみやりながら、話した。

 「(今年3月に)奈良県の女の子(5歳)がちょうどそこの席にすわって、初めて装着した。女の子は(筋電義手を使って)ちゃんと手のひらを開いたりむすんだりできていた・・・」

 女の子は、「鉄棒ができるように(訓練を)頑張る」と話したという。

得意技を集めて土俵を創る

 さて、戦後最悪の状態になっている生活困窮者。全国で220万人を超える、といわれている。

 「格差の広がりもあるが、がんばってもなお追いつけない人々が増えていると感じている。この人たちに意欲を持ってもらわないといけない。昔は、御上の庇護には入りたくない、という「やせがまんできる人」がいたが、今は違う。そんな生活弱者に対応する仕組みの発想や土俵を上手に創っていかなければと思っている」

 「高齢社会で労働人口は減る一方。そんな中、社会の持続可能性を高めていく大きな要素は、女性、高齢者、障害者、そして社会に埋もれている若者だと思う。これまで『自立』の対象とされなかった人をどう支え、活躍できるようにするか。もちろん、自立できない方々については、福祉サービスを充実していかなければならない」

 土俵は、どう創るのか。

 「引きこもりの若者のところに県のお役人がいっても拒否されるだけ。接点を持っているグループに担ってもらう。ボランティアであったりNPOであったり、ナミねぇのような活動家であったり
(笑)・・・。これからは、行政が単独でやるのではなくて、行政は、みんなの「得意技」を少しずつ集めてくる。結構、制度自身は、用意されている。そんな人や制度をどう結び付けていくのかが重要だ」

 ナミねぇも、加わった。

 「行政は後押しする役目。後押しされた人たちが燃え上がっていく・・・そんな構図ですよね」

(平田篤州)

 

ナミねぇ走る
日本を「リハビリ最先端国」として世界に発信
2019年、神戸で国際大会開催決定

 皆さんは[補装具」をご存知ですか?生まれつきあるいは事故や病気や加齢によって失われた身体の一部、あるいは機能を補完するものを「補装具」と呼びます。具体的には、義肢(義手・義足)・車いすが有名やけど、杖・義眼・補聴器もこれにあたります。

 |補装具」の研究開発は、パラリンピアンが使うことでも知られているように、材質や形状だけでなく、コンピュータを組み込んだものなど科学的な研究も進み、近年飛躍的に進化しています。

 兵庫県立リハビリテーション中央病院ロボットリハピリテーションセンターの陳隆明博士のもとで研究開発が進んでいる「小児筋電義手」は、上肢の一部を失った生後すぐからの子ども遠の成長に合わせて、サイズを変更しながら製作され、子どもの日常生活を改善し、成人後の就労までを見据えたリハビリが行われています。

 陳博士は、ドイツ製が中心だった筋電義手を国産化することで価格を3分の1に押さえ、なおかつ日本人の感性に合った精緻なデザインでの製作・普及に精力的に取り組んでおられます。

 また兵庫県知事、井戸敏三さんの呼びかけによって「小児筋電義手バンク」が股立され、使用者家族の負担の軽減にも取り組んでいます。小児だけでなく高齢者向けの様々な歩行補助装置などは、高齢化がますます進む日本の産業としても大きな分野に成長しつつあります。このような社会状況の中、「補装具の国際会議(ISPO)日本招致」がこの度決定しました。ISPOの日本代表をつとめる陳博士が中心となり、安倍総理、麻生副総理はじめ関係閣僚の「ウエルカム・レター」を携えての招致活動の結果、2019年に兵庫県神戸市において国際会議の開催が実現することとなったものです。

 東京オリンピック・パラリンピックの前年に開催されるこの国際会議では、リハビリロボットの見本市やパラリンピックのプレイベントなどもオールジャパンで企画されており、日本を「リハビリ最先端国」として世界に発信する好機になると思われます。誰もが使用する可能性のある「補装具」の分野に、国民的関心が寄せられることを心から期待するナミねぇです。

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