月刊Mie 2000年(平成12年)1月号(2000年1月1日発行) より転載

【2000年新春座談会】(前編)

21世紀の三重を語ろう

自立した地球市民をめざして

2000年、新たな時代の節目を迎えました。
21世紀を目前にして、 三重県では行政と市民活動が対話を始めています
その積み重ねで、三重県はどう変わるのでしょうか。
北川県知事と、各自のビジョンを実現化する3人による 「21世紀の三重」への期待と提案。

来月号とあわせて2ヶ月連続でお届けします。


三重県知事 北川正恭(きたがわまさやす)さん
会社勤務をへて昭和47年より県会議員。
昭和58年より衆議院議員。
平成7年三重県知事に。
若さとバイタリティーで生活者起点の県政にとりくみつづける。 昭和19年生まれ。


鳥羽水族館 企画室長 中村元(なかむらはじめ)さん
まちづくり塾『でもくらしちずん』主宰。
『三重・鳥羽 海の生涯学習ネットワーク推進協議会会長。
『伊勢・鳥羽・志摩PR会議』幹事。
ふるさと応援に尽力中。
昭和31年生まれ。


子ども劇場三重県センター 常任委員長 田部眞樹子(たなべまきこ)さん
『子ども劇場三重県センター』は特定非営利活動法人(NPO)。
子どもの権利条約を基本に子どもの全人的発達と社会参画に寄与する活動をつづける。 昭和13年生まれ。


社会福祉法人プロップ・ステーション 理事長竹中ナミ(たけなかなみ)さん
娘が重度心身障害者であったことをきっかけにボランティア活動にたずさわる。
「障害者を納税者に」を合言葉に、コンピュータとインターネットでチャレンジド(障害者)の自立と就労を支援する。 昭和23年生まれ。 神戸市在住。

中村

今日は年頭にふさわしく、いよいよ本格的に動きだした感のある三重県の行政改革についてお話しいただきたいと思ってます。

社会は、行政も市民も参加して、みんなでつくっていくんだという視点で。 まずはお集まりの皆さん自身のご活動と、今年の抱負をお聞かせください。

田部

『子ども劇場三重県センター』の常任委員長をつとめております。

昨年は、上演した『アリアリ』という韓国の演劇作品がきっかけになって、子どもたちが韓国ツアーを自ら企画したり、朝鮮初級学校との交流を持ったりしてくれました。

子ども自身がつくりあげて、達成感とか自己肯定感、自信につなげる、そんな活動をしています。

彼らの人間としての発達を、活動を通して後押しできたらいいなと。

子どもたちに体験のチャンスを提供することが、今年も、来年も、抱負です。

中村

区切りのない活動ということなんですよね。

竹中

社会福祉法人『プロップ・ステーション』の「ナミねぇ」こと竹中ナミです。

私たちはインターネット、いわゆる情報技術を活用して、障害を持っている人、私たちは「チャレンジド」っていう新しい言葉で呼んでいるんですが、チャレンジドや高齢の方が誇りを持って仕事できるよう活動してます。

家庭で介護を受けながらでも、在宅でお仕事ができる、コンピュータネットワークのおかげでそういう時代がきましたので。

今年は私たちの「チャレンジド・ジャパン・フォーラム」を三重県でやりたいと思ってまして、三重県とのかかわりが深くなるのを喜んでます。

中村

私も離島の子どもたちの生涯学習をインターネットで推進してるんです。田舎ほど通信は必要なんだということを実感してますね。

そのほか昨年は伊勢志摩地区でNPOの「NPOネットワークの会」というのを、ひとつのボランティア団体として誕生させることができました。

その設立総会と記念事業でナミねぇに講演してもらったんですよね。その後も楽しくつづけています。

さて知事、行政改革の「今まで」と「これから」についてお話しいただけますか。

北川

写真:三重県知事 北川正恭さん

いつも言うてるんですけど、今、時代は大きな変革の時にさしかかってますね。
明治維新の何百倍も大きい変革の。

この混乱をチャンスととらえたいなと思うわけです。民主主義の再生のチャンスですよ。

強い者、生産の側が与える民主主義が消費者、受容者サイドのものになりつつある。

私は「生活者基点」という言葉を使っているんですけどね、納税者、税金払う方の民主主義をつくろうと思うわけです。

そのためには情報公開だと。

そういう行政改革をやってきて、道なかばなんですけど、今年ももちろんつづけていこうと。

まずは意識改革から

中村

三重県の行政改革が進んでいるのはよく見てますし、聞いてます。

知事の意向を受けて、市民はがんばってる。

むしろ県職員のほうがけっこう混乱してるでしょう。

田部さんなんか、活動の現場でお感じになりませんか?

田部

現場でぶつかること、いっぱいありますけど(笑)、ぶつかり合いの中で変わっていけるというのも実感してます。

中村

ナミねぇはどう?行政とやりあって、気分悪かった経験はわれわれより先にしてると思うんですけど。

竹中

写真:社会福祉法人プロップ・ステーション 理事長竹中ナミさん

そんな、気分悪いなんてことないですよ(笑)。
そりゃこっちがヘタやったら、いやなことが多いわけで。

それに私は産・官・学・民を分けて考えることあんまりしない。
私が興味あるのは、あくまで個人。

興味ある個人がたまたま「産」にいてはったり、「学」にいてはったりする。

どこの分野にもかならず願いや目標を同じの人がという気持ち。それぞれが、それぞれの拠って立つ場所で開拓するという関係なんですよ。

それがわかるまでが苦労だったのかな。

中村

行政の人も市民ですもんね。

竹中

そうなの。家帰ったらとうちゃんだったり、かあちゃんだったりするわけで、企業の社長さんも同じでしょう。「この部分だけはいっしょになれますね」というのを探すやり方がわかったときからすごい楽になった。

中村

写真:鳥羽水族館 企画室長 中村元さん

「対行政」じゃなくて、人と人のつながりということですね。

社会をつくるのに、今までは代表制民主主義で充分だったんですけど、市民が直接、参加する時代になってきましたね。

北川

未成熟な社会は単一の目的で動くんですね。
すなわち「昨日よりも今日を豊かに」という。

そうすると官の役割はこれ、民の役割はこれ、という二者択一しかなかったわけですよ。

ところが成熟した社会では選択はいくらでもできる。 できの悪いほうが淘汰されますよ。 そのくり返し、連続なんですよね。 今は過渡期なんですよ。

中村

おそらく官の人たちの多くは、社会をつくるのは「仕事」と考えてしまうんやろね。何のために行政があるのかを忘れて「仕事」こなしてる。 そこには「哲学」がないんです。

知事は『町づくりは哲学だ』とおっしゃってたことありますけど。

北川

そんなこと言うたかな(笑)。  「哲学」ちゅう生意気な言葉を使ったかどうか知りませんが、僕は「月へ行こうよ」という想いがなければアポロ計画なんてありえなかったと思うわけ。念ずれば花開く、でね。  街づくりも、自分たちの願いや想いを実現しよう、というところからスタートするわけでしょう。そういう意味で「哲学」と言ったんかな。

情報公開、そして対話

北川

情報非公開の時代ならね、県庁は県民なんか見る必要なかったんです。

お国の予算、つまり国の顔色見て、上司顔色見とればすんだわけでしょ。

ところが民と対等協力の関係でやるようになったら「あれ?」と。

指導したり、助言をするもんだと思ってた民のほうがやるじゃないかと。

逆に民の側も「官もなかなかやるじゃないか」となって、やっとコミュニケーションができたわけです。

やっぱり情報公開でしょう、すべて。

田部

写真:子ども劇場三重県センター 常任委員長 田部眞樹子さん

民と官が情報を共有することで何かをつくりあげていけるんですよね。

北川

だから「情報を出せ」と言われてから出す、というんじゃないんですわ。政策を決めていく、意思形成過程から出していったほうが早いですね。県民を共同正犯にまつりあげるわけです(笑)。

中村

市町村の行政マンとか首長さんは、今まで県の指導があるから楽やった部分もあるでしょう。

でも、ここへきて「情報は出すから、あとは自分たちで考えてやってみい」って言われてるわけで、えらいことですよ。

北川

民主主義いうのは、ほんまはものすごくめんどうだし、手間ひまかかるし、コストもかかるしね。

その中で、いちばんの早道を読みきる目測力というかね、それが今の政治家に与えられた課題だと思うんですよ。

私だって、学者みたいに理想ばっかり言ってても実現できなきゃ意味ないし。

時間はかかると思う、だけど、なるべく早く追いつかないと、世界はどんどん先へ行っちゃうという焦燥感はありますね。

行政の仕事は、許認可とか、権限とか、予算の配分権とか、そういうものだと思ってたんですよ、今まで。県なんか特にそうですよ。

「してあげる」のであって「さしていただく」なんて気はなかったわけです。県のNPO室はね、民間のみなさんと接触せざるを得ないようにしたんです。勤務時間、変えちゃった。8時半から5時15分はやめて、フレックスタイムにしたんです。

そうすると、NPOの方とお話するときに「月曜日の3時から」ということ、しなくなった。

そこなんですよ。
「してあげる」という論理で補助金を配分してきた行政マンは今まで、ウィークデーの昼間に「県庁へいらっしゃい」と言ってたんですね。

でも、自立した県民なら、「私ら働いてんのやから話するなら夜の8時からにして」とか、「土日にして」となるわけです。

こちらがそれに合わせられる勤務形態を整えないと。
そうやって、ひとつずつ「行政の仕事はこんなもんや」という思い込みを退けていくことでね、県職員が、たとえば田部さんたちと日本語が通じるようになったんです(笑)。
それまでは通じなかったわけですから。

行政と市民のいい関係とは?

北川

僕ね、職員には「魚を与えることが仕事じゃない」と言ってるんですわ。魚の育て方とか、魚の獲りかたを考えるのが行政の仕事であると。そうできれば行政の仕事はぐうっと小さくなる。小さくなるほど行政効果は大きいわけです。

仕事をぽっと与えると「予算をよこせ」「人をよこせ」。そんなことしてたらいくら増税しても足りない。

田部

すごく大きなお金を食うことですものね。

民と協働できれば行政はスリムになれますよね。

北川

そうです。

田部

『みえ歴史街道フェスタ』のとき、行政の方たちは「市民活動の人たちといっしょにやらなければ自分たちのアイディアは枯渇してしまっていて、出てこない」っておっしゃってましたよ。

北川

『歴史街道』は最初、予算12億円で出してきたんですよ。

私が「ダメだこんなの」って、7億円くらいまでに削ったんですよ。議会でさらに2億円削られちゃった。

12億円のものが5億円になったんですよ。
なったからこそ、民の人たちの力を借りようという知恵が出るわけですよ。

12億円あったら「なんとかプロモーション」とか「なんとか企画」とかに頼んでたでしょうね。

田部

知事さんは意図的に追いこんでますね、行政の現場を。

北川

それが僕の仕事でね。職員がいちばん張り切るのはね、「このプロジェクトがうまくいったら知事が要らなくなるぞ」と言ったら、もう (笑)。

いろいろ考えてんのやから、僕も(笑)。

中村

どうやら三重県では、行政と民間、市民活動の協働できる土壌が育ちつつあると言えそうですね。

北川

だけど、どの組織も自立してなきゃダメなの。

おたがいがベタベタと、出来の悪いもの同士がくっついてたらよけい悪くなる。

だからNPOも自立してなきゃいけない。

田部

うん、ぜったいその通りです。

北川

行政も自立してなきゃいけない。ほんとにおたがいが自立した関係にならなくちゃいけない。

司法、行政、立法がそうであるように。官と民がそうです。

中村

おたがいに認め合えるような主張と活動がなきゃいけない。

北川

そしておたがいに認め合えるようなクリアな組織でないと。

中村

そのへんのところを、後編では話し合ってみましょうよ。

―――― というわけで、「行政の自覚」、「県民の自覚」とも、伸びている三重県。次号・後編では、両者が生き生きと力を発揮できる社会について探ってみます。

ページの先頭へ戻る