オピニオン

ICTを駆使してユニバーサル社会(共生・共助社会)の実現を目指す

ナミねぇ写真社会福祉法人プロップ・ステーション
理事長 竹中ナミ

プロップ・ステーション(略称:プロップ)で学び、働くチャレンジドの多くは、日常生活を営む上で何らかの介助・介護を必要としていますが、ICTが彼等(彼女ら)の潜在的な力を社会に引き出す大きな役割を果たしてきました。
  コンピュータは、手指以外に、足、口、瞼など、身体のどんな部分であっても、僅かでも自分の意思で動かせたなら「入力装置」を接続することが出来るからです。また最近ではパソコンのハードとソフトが発達したために、身体障がい以外のチャレンジドにとってもICTは重要な道具になっています。プロップのセミナーでは、知的ハンディあるいはLDや自閉症や精神障がいのチャレンジドもICTを学び、それぞれの個性と能力を発揮しています。
  日本では「IT」と言われることが多いのですが、国際的には「ICT」と呼ばれており、「C」は、コミュニケーションの「C」です。つまり情報技術は本来「人と人の、あるいは人と社会のコミュニケーションに役立つこと」が大きな役割なのです。

自分の個性や能力を社会で生かすためには、チャレンジド個人の努力だけではなく、社会全体が「障がいによるマイナス部分のみを見るのではなく、一人一人の可能性の部分に着目し、それを引き出す技術や制度を生み出すこと」が欠かせません。人は障がいの有無に関わりなく「誰かから期待されている時」自分に誇りが持てます。マイナスだけに着目する福祉は、いくらそこに「慈愛」が込められていても、人の誇りを奪うことに繋がります。 今「もったいない」という素晴らしい言葉が再クローズアップされていますが、「人の力を眠らせるほど"もったいないことはない!"」というのが私の持論です。
人が自分や社会に挑戦する意欲を持つためには、社会全体の意識の転換と同時に、その人が「支えられる存在」であるだけではなく「支える側にもなれる」柔軟なシステムが必要です。

私の娘は50年前に重い脳障がいを持って生まれ、重症心身障がい者として全介護を要する状態で現在に至っていますが、彼女から私は「色んな人が居る。それが社会なんや!」「人の成長のスピードは、一人一人違って当たり前」ということを心底学びました。ですから彼女は私の恩師であり、同時に私の宝物です。娘は「日本の非行少女のハシリというようなワル」であった私を現在の私に育て上げた人です。したがってプロップの活動は、娘の支えによって続けられているといって過言ではありません。私は自分にとって誇らしい存在である娘を、「可哀想」と呼んで欲しくないと強く思っています。

プロップでは「障がい者」というネガティブな呼称ではなく「チャレンジド」(挑戦という使命やチャンスを与えられた人を表す米語)という言葉を使うことによって、すべての人が「支え合うという誇り」を持って生きられる「ユニバーサル社会」の実現をめざしています。
  「ユニバーサル社会」を日本語で表現するのはなかなか難しいのですが、敢えていうならば「共生・共助社会」でしょうか。人がみな、自分の身の丈にあった活躍ができ、お互いに尊重しあい、支え合うことができてはじめて、持続可能な日本を生み出すことが出来ると私は信じています。そして、そんな社会が創造された時、私は娘を残して安心して死んで行けると確信しています。「ユニバーサル社会(共生・共助社会)」の実現をめざして、一人でも多くの方が「人のマイナス部分ではなく可能性に着目し、それを引き出す行動」を起こして下さることを願っています。

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