「チャレンジド」という言葉について

〜プロップ・ステーションからの提案〜

社会福祉法人プロップ・ステーション 竹中 ナミ

Challenged(チャレンジド)というのは「障がいを持つ人」を表す新しい米語「the challenged (挑戦という使命や課題、挑戦するチャンスや資格を与えられた人)」を語源とし、障がいをマイナスとのみ捉えるのでなく、障がいを持つゆえに体験する様々な事象を自分自身のため、あるいは社会のためポジティブに生かして行こう、という想いを込め、プロップが1995年から提唱している呼称です。

私たちが「チャレンジド」という呼称を提唱するのは、いわゆる「障がい者」が、その文言が表すようなネガティブな存在から脱却できる社会の創造をめざしているからです。

そもそも米国でこの言葉が生まれ、世界的に広まったのは「人権の国アメリカと言いながら、自分たちが、“Handicapped” や “Disabledperson” というネガティブな呼び方をするのは、おかしいのではないか?」という声が約20年前に市民からあがり、様々な呼称が提唱されるという経緯を経て、“the Challenged” が使用されるようになったのだ、と聞きました。今ではスウェーデンなどでも使われています。

言葉は文化であり、哲学であり、その国のあり方を表すものでもあります。

バリアフリー、ノマライゼーション、ユニバーサルデザイン、インクルージョン、アセスティブテクノロジー…などなど、多くの福祉用語が英語のままに定着していますが、それは単に「英語のほうがカッコいい」などという理由ではなく、残念ながら日本という国に、そのような文化や哲学や社会システムが無かったので、翻訳が困難(不可能)であったからです。

しかしながら、これらの英語が日本に定着するとともに、その言葉が表す概念も、多くの国民の意識に刻み込まれて行き、また社会制度にも組み込まれて行きつつ有ります。

「チャレンジド」という言葉も、残念ながら日本語に訳すことができません。なぜなら日本の文化は、障がいのある人を、まだまだ可哀想とか、気の毒という視線で見てしまい、可哀想な人に何かをしてあげることを「福祉」と考えているからです。

私たちは「弱者に何かをしてあげることではなく、弱者を、弱者で無くして行くプロセスを福祉と呼びたい」と考えています。それが、私たちが「チャレンジド」という呼称を提唱する大きな理由です。

私が出会った多くのチャレンジドやその家族が「私たちも、誇りを持って生きて行きたい」と言われました。そして「チャレンジド」の意味を知った時「そうか、そのためには自分自身がまず変わらねば!」と気付かれました。

たとえば、私が10年前に札幌で講演させて戴いたことを契機に誕生した「障がいのある人の就労促進を行うNPO=札幌チャレンジド」は、今年無事10周年を迎えられました。また昨年10月には、全盲の教師を主人公とするNHK土曜連続ドラマ「チャレンジド」が放映されました。

またプロップ・ステーションが主宰する「チャレンジド・ジャパン・フォーラム国際会議」はすでに10数回を重ね、「チャレンジド・フォーラム」と名付けた会議も、千葉県や佐賀県では地元主宰で毎年開催されています。

最近「障がい者」という、ひらかな混じりの標記が増えてきました。言葉を見直そうという意識が広まりつつあるのは喜ばしいことだと、私は思っています。

私たちは「チャレンジドという呼称に変えなければならない」と強制することは全く考えていません。アメリカでも様々な呼称が入り交じって使われているのが現状です。したがって、日本においても「障がい者」と同様に「チャレンジド」という呼称も、このような理由で広まりつつある、ということを一人でも多くの方に知って戴ければと思います。

今政府では「しょうがいしゃの標記に関する検討会」を設けて呼称に関する議論を進めていますが、私は国家が「このように呼ぶべし」と決めるのではなく、様々な考えや立場の人が、自分の思いにふさわしいと思う呼称を柔軟に使うことを、むしろ推奨するのが良いと考えています。

言葉は人を変える「ちから」を持っています。

社会を変える「ちから」を持っています。 

当事者の意識や、広く国民の意識が変わるには長い時間がかかります。プロップ・ステーションが発足して、すでに20年が経ちました。

しかし、どんなに時間がかかっても「チャレンジド」が誇りを持って生きられる日本の国になるよう、自分たち自身、努力を続けて行きたいと思っています。

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