中日新聞 2024年10月11日より転載(ネット配信)
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特集・連載・コラム あの人に迫る
障害は関係ない、可能性を持った人いっぱいおるで
社会福祉法人理事長・竹中ナミさん(ナミねぇ)
ウィンドウズが普及する前から、パソコンとコンピューターネットワークに着目して障害者の就労を切り開いてきた。福祉の世界で「ナミねぇ」の名で知られる竹中ナミさん(76)は障害者を「チャレンジド」と呼び、「チャレンジドを納税者にできる日本」を掲げて障害福祉の姿を変えてきた。障害の有無を超えて支え合う共生社会づくりに向けた、パワーの源泉に迫った。
−障害者をチャレンジドと呼ぶのはなぜ。
チャレンジドは「挑戦すべき使命やチャンスを神から与えられた人々」という意味。障害のある人はかわいそうとか、一段劣るという目線が日本の文化みたいになっている。障害のある人たちの中にさまざまに眠っている、ポジティブな部分を表現したかった。
1973年に授かった長女の麻紀は重症心身・知的障害がある。育てる中でさまざまな障害者と友人になり、多くの人が適切なサポートさえあれば自律的に生き、社会的に意味のある活動ができると確信したんです。
−91年にチャレンジドの就労支援組織をつくった。
重度障害の人にアンケートをしたら、働いていない人の80%が「就職したい」、うち47%が「コンピューター関係の仕事」と答えた。この仕事なら在宅でできるし、体のわずかに動く部分で操作できる人もいる。そこで「プロップ・ステーション」を立ち上げ、パソコン教室を始めた。プロップは支えるという意味。今までの支えられる側が支える側に回る「乗換駅」になりたいという意味を込めた。
当時は「コンピューターを武器にして仕事を」と訴えている団体はどこにもなかった。今は各地でチャレンジドが学んでいます。
−「チャレンジドを納税者にできる日本」を旗印にしたのは。
夫に「おまえは麻紀を抱っこして家におれ。わしが働いて食わせたる」と言われたことがあった。働けないことで生きがいや誇りを奪われるとはこういうことなんやと身に染みた。障害者は「税金で助けてあげる人」と位置付けられ、働けないのは悔し
多くの企業にとってチャレンジドの雇用は、法定雇用率の数字とか補助金の問題で語られてきた。同僚がリストラされているのに自分たちは「雇用率に響くから」と残されている−と相談してきたチャレンジドは、「ものすごく傷つく」と嘆いていた。こんな状態は企業にもチャレンジドにも不幸。だから、仕事をきちっとできるチャレンジドを育てようやないか、と。
意欲のあるチャレンジドが自ら稼いで税金を納めて、社会に対して発言する場所、社会的な地位が初めて得られる。私は知力や精神力を持つチャレンジドに会うたびに「あんたら、障害者という枠から抜け出して、麻紀のようなコテコテの障害者を支える側に回ってよ」と言い続けました。
−名だたる人たちが支援に手を挙げた。
パソコン教室を始めた時に「障害者にコンピューター技術を教えるボランティア募集」と新聞に1行書いてもらったら、何十人もの超一流会社のエンジニアがドドッと来た。
「あんた、鉄の心臓に苔(こけ)が五重に生えてる」といろんな人から言われるんやけど、「あなたの会社が絶対ほしくなる人が私たちの活動から生まれるから、先行投資してください」と、有名企業などに手紙を出しまくった。すると突然、アップル社からコンピューターやプリンター一式が山積みで届いたり、マイクロソフト日本法人の社長だった成毛真(なるけまこと)さんが発売直後のウィンドウズ95をいっぱい送ってきてくれたり。めちゃくちゃ、ラッキーがつながった。
−成毛さんの紹介で、マイクロソフトの創業者、ビル・ゲイツ氏と会った。
まこちゃん(成毛氏)がやってる勉強会にビルが来たことがあって、プロップの活動を紹介した。「この眼鏡は僕の車いすです。僕はこれをかけていなかったら、プログラムどころか何の仕事もできない。人間はどの人も必ず何か道具を必要として生きている。その道具として、自分はソフトウエアを作りたい」と話してくれた。
−リスクを取って挑戦するのも大事と言う。
福祉の文化では、障害者は競争するチャンスすらなかった。チャレンジドには「自分の力でつかんだるわ」という気持ちで臨んでほしい。プロップは職業紹介ではなく、個々のチャレンジドに応じた適切なコーディネーション。コンピューター入門から技術を身に付け仕事ができるようになるまで、今後も一気通貫で携わっていきたい。
仕事ができるようになったチャレンジドは皆、「障害年金が振り込まれた時と働いて得た報酬が振り込まれた時では、お金の価値が全然違う」と言います。誇りを取り戻すために自分たちはやってきたと、その言葉から再認識できた。
−近年はドローン操縦に着目している。
最高の科学技術こそが、最重度の方までを世の中に押し出すことができるというのが私の信念。情報通信技術(ICT)の次に来るチャレンジドのチャンスはこれ。もう動物的勘としか言えないんですけど。3年前に国際ドローン協会の榎本幸太郎代表理事に電話。「チャレンジドの職域開拓で操縦の先生をお願いしたい。交通費も払えませんが」とめちゃくちゃなことを言ったら、「そんなことはいいです。趣旨に賛同します」と言ってくださった。
「ユニバーサル・ドローン協会」という非営利組織をつくった。受講した両上腕欠損の女子高校生が超難関の一等国家資格を最年少で取得。発達障害の男性も一等を取った。コンピューターで制御できるから、操縦者はベッドの上でもいい。物流や人命救助など多彩な職域で活躍するため、努力して技術を身に付けるムーブメントを広げたい。
−「ユニバーサル社会を創造する事務次官プロジェクト」も続けている。
民間の力だけでは世の中は変わらない。お上と言われる人を巻き込まなかったら自分がやりたいことは前に進まない。そう思って友人の村木厚子さん(元厚生労働省次官)の協力で始めた勉強会で、今は12省庁の次官がメンバー。月1回、講師を招いて開き、もう18年も続いていて「霞が関の奇跡」と呼ばれている。障害者や高齢者、すべての人が持てる力を発揮して支え合うユニバーサル社会づくりのためで、成果物もたくさん生まれています。
−ナミねぇの身上は、人と人をつなげて新しいものを生み出すこと。
どこに行っても面白そうなことを発見できるのが私のパワーで、出会った人たちをつなげていく。私はつなぎのメリケン粉。おいしいお好み焼きを作ります。
いろんな才能を持ったチャレンジドが、才能を発揮するチャンスを求めてプロップに集まる。その一人一人のいいところを伸ばしたい。「障害の有無なんか関係あらへん。すばらしい可能性を持った人、いっぱいおるで」って。
重い障害の麻紀がいたから私は忍耐強くなり、出会った人のプラス面を必ず探すようになった。私が社会に役立っているとしたら、それは不良少女だった私を変えた麻紀の存在意義でもある。それに尽きますね。
たけなか・なみ 1948年、神戸市生まれ。社会福祉法人「プロップ・ステーション」理事長、一般社団法人「ユニバーサル・ドローン協会」理事・事務局長。重症心身障害の長女を授かったことから、独学で障害児医療・福祉・教育を学ぶ。ICTを駆使してチャレンジドの自立と社会参画、就労促進を支援する活動を続けている。関西大経済学部客員教授や、財政制度等審議会や中央教育審議会など国の審議会の委員、兵庫県IT戦略推進会議など地方自治体が設けた会議の委員を歴任。99年にエイボン女性年度賞教育賞、2009年に在日米大使館による「日本の勇気ある女性賞」を受賞。著書に「プロップ・ステーションの挑戦」「ラッキーウーマン」など。
あなたに伝えたい
障害の有無なんか関係あらへん。すばらしい可能性を持った人、いっぱいおるで
インタビューを終えて
子ども時代は家にいるのが嫌で、冬の公園の土管で寝て連れ戻された。神戸のキャバレーでトップのお姉さん宅に居候して水商売のまね事も。15歳でバイト先の男性に一目ぼれして同居、結婚。高校は不純異性交遊で学籍抹消となった。そんなナミねぇを変えたのが重度の脳障害で生まれた麻紀さん。「絶対に不幸になる。ワシがこの子を連れて死んだる!」と言う父親に、「この子はすごく大きな価値があるんや」と開き直ったという。
障害者の在宅就労が白書で取り上げられる時代になった。だが、ユニバーサル社会実現を掲げるナミねぇのゴールはまだ先だ。共に頑張りたい。
(五十住和樹)