ナミねぇと元F1レーサーであり『長寿のMIKATA』の編集長でもある、山本左近さんとの対談記事(前・後編)

2019年4月26日

WEBマガジン『長寿のMIKATA』にて、ナミねぇと元F1レーサーであり『長寿のMIKATA』の編集長でもある、山本左近さんとの対談記事が公開されました。

読んでいただけたら嬉しいです(^^)/

<by ナミねぇ>

以下は山本左近さんのブログより転載させて頂きました。
オリジナルはこちら(前編) (後編) よりどうぞ。

 

SAKON Dialogue : 020
チャレンジド(障がい者)の働き方改革#1
竹中ナミ(社会福祉法人プロップ・ステーション・理事長)

竹中ナミ
Nami Takenaka
社会福祉法人プロップ・ステーション・理事長

障がい者福祉というと、障がいをもつ人が安心して暮らせる体制を「支援する側」が整え、「支援される側」をサポートするという一方通行の関係で語られてきた。こうした線引きが、障がいをもつ人が社会で活躍する機会を妨げていることにいち早く気づき、約30年前から活動を続けている「ナミねぇ」こと竹中ナミさん(70歳)。彼女が理事長を務める社会福祉法人プロップ・ステーションでは、ICT(情報通信技術)を駆使することで、全ての人が支え合える社会の実現を目指している。障がい者支援はどうあるべきか、そこにはどのような課題があるのか。『長寿のMIKATA』編集長の山本左近が話を聞いた。前編・後編の2回に分けてお送りする。

photos : Ren Arimura(d'Arc)
text : Yu Shimamura

障がいをもつ=「弱い立場」ではない

山本左近(以下、左近):障がい者の自立支援に携わる一人として、以前からナミねぇさんの活動は素晴らしくとても共感できると感じていました。今日はプロップ・ステーションがこれまでやってきたことについて、じっくりとお話をお聞きできればと思いますので、よろしくお願いいたします。

竹中ナミ(以下、ナミねぇ):よろしくお願いします。私のことは、「ナミねぇ」と呼んでくださっていいですよ。「ねぇ」に敬称が含まれていると思って(笑)。

左近:ありがとうございます。プロップ・ステーションという名前は何に由来しているんですか?

ナミねぇ:「プロップ」というのは、ラグビーでスクラムを組むときに一番下からガッと全体を支え上げるポジションの名前なんです。

一番はじめの時期に私と一緒に活動を始めた青年は、関西学院大学高等部でラグビーをやっていたときに、首の骨を折ってしまい全身麻痺になったという男の子でした。
寝たきりの状態で、わずかに動くのは左手の指先だけ。そんな状況でしたが、彼はプログラミングを学んだんです。当時はコンピューターが普及し始めた頃でした。普通だったら、食事から生活まで家族の世話になりっぱなしになるところ、彼はマンション経営のソフトを開発し、家業の一つである経営に携わるようになったんです。

左近:素晴らしいですね。

ナミねぇ:それで私は彼の頑張りを目にし、どんなに障がいが重くても、自分ができることを磨いて社会のために仕事したとき、本当の意味で誇りを取り戻すことができるんだと気付いたんです。

そういうグループを作ろうと思い立ち、名前をつけようというときに、彼がラグビーをやっていた頃のポジション「プロップ」という言葉を聞いたんです。プロップには「支え合う」という意味もあることを知り、じゃあそれにしようかということになりました。

ステーションというのは単に人が集まる「駅」という意味ではなく、駅でポイントを切り替えるような、「意識の切り替えができる場所」というイメージです。「障がい者はかわいそうだから手を差し伸べてあげましょう」という福祉の観念を切り替える「駅」になりたいねと。

左近:社会福祉法人さわらび会が実践してきたことは、まさにナミねぇがやってきたことと近いなと改めて感じています。
今おっしゃっていたことは、僕自身が日頃から感じていることでもありますが、障がいのある方は「障がい者」という弱い立場、何もできない人という枠組みにはめられてしまいがちです。しかし、そうではなく、彼らの能力をいかに引き出して、彼ら自身が自立できるようにするには、そして彼らの力を他の人に役立てるにはどうすればいいのか、ということを、さわらび会の創立者である僕の父の代からずっと考え、実践してきました。

ナミねぇ:今までの日本社会は、障がいがあったら「支えられる側」、なければ「支える側」、という線引きがハッキリしていました。福祉の受け手と送り手。でも、それだけではなく、どちらも支える立場になれますよね。
「障がい」という言葉もネガティブな響きを持っているので、私たちは「チャレンジド(The Challenged)」という呼び方を提案しています。これは「挑戦する使命や課題、機会を与えられた人」という意味で、障がいをもつ人の中に眠っている可能性に着目した新しい米語なんです。

左近:僕がCEOを務める医療法人・社会福祉法人さわらび会でも、40年ほど前からチャレンジドの就労場所、能力を引き出す場をつくってきています。

たとえば、一例ですが障害福祉サービス事業所の「明日香」では、「felico(フェリコ)」というヴィーガンクッキーを販売していますが、このクッキー工房でも多くの利用者様がスタッフとして活躍しています。やはり自立するためには、経済的な自立も必要なんですよね。

ナミねぇ:とても素晴らしいことだと思います。


「できる」ことから仕事を創出

ナミねぇ:私たちは主にICT(情報通信技術)を使った分野で「チャレンジドをタックスペイヤー(納税者)に」というスローガンを掲げ、「働きたい」という意識を持った人が、現実的に仕事をやり遂げられるところまでをコーディネーションするっていう役割を受け持っています。

左近:ナミねぇご自身が、チャレンジドのお母さんでもありますよね。私たちも障がい者の子をもつご家族と話す機会がよくありますが、多くの人がもっている心配は「自分たちが亡くなった後に、この子達はどうなるんだろう」ということです。

ナミねぇ: 娘の麻紀は重症心身障がいをもっていて、今年で46歳になります。完全なbabyとして過ごしており、今も私のことは母親だとはわかっていないと思います。
彼女のような存在を、ひとりの母親として安心して残していこうと思ったとき、私の気持ちだけでは回っていかないですよね。もっと多くの人の手が必要で、経済的な裏付けもないといけない。
そうしたときに、先ほど話した男の子のように、それまでは働けない側にいた人が情報通信技術を使うと経営者にまでなることができると気付いたわけです。

私は福祉家ではなく、心が美しいからチャレンジドを支援しているわけでもありません。重度の障がいをもつ子の母親として、私が安心して死ねるように人の力を借りようと始めたのがプロップ・ステーションなんです。いわば「おかん」のワガママですね(笑)。

左近:これまでの約30年間、チャレンジドを支援する活動を行ってきて、変化を実感していることはありますか?

ナミねぇ:プロップを発足したのは1991年ですが(編集部注:「Windows95」が爆発的にヒットした「インターネット元年」は1995年)、最初は全身麻痺の方の支援からスタートしました。当時は、身体の障がいを持った人が通勤できなくてもコンピューターを使って働けるように支援するのが主な役割でした。

それが今は、情報通信技術を使えばありとあらゆる障がいを持った方が能力を発揮できるということがわかってきました。例えば、全く耳の聞こえない、ミキティさんという人は、コンピューターを学んでホームページ制作やイラスト・漫画制作の仕事を受注したり、耳の聞こえない子ども達に勉強の仕方を教えたり、自分でNPOを立ち上げて自ら聴導犬普及運動をしています。

左近:どんどん能力を発揮されて、自立されていく方が増えてるんですね!

ナミねぇ:子どもの頃から絵を描くのが好きで、現在はアーティストとして活躍している方もいます。体幹を維持することはできない難病を抱えているため、車椅子に座るときは全身コルセットで支えて、頭は固定して。
彼女の場合は自分で営業することはできないわけです。だから、プロップ・ステーションの役割は、彼女のような人が仕事できるように、付随するバックオフィスの機能を全てやるということ。注文を取るところから価格設定まで、あとはネゴシエーションですね。

だから、仕事のカタチは本当にさまざま。この人たちができることを、どうやったら仕事にできるかな、と逆算してコーディネートするので、すごく面白いですね。今までにない働き方をつくり上げるということなので。
「この人は◯◯ができない」とできないことを数えていたら、仕事を生み出すことはできません。

左近:僕も「この人はこれができないから……」という言葉を聞くことがありますが、「◯◯ができない」ではなく、何ができるかを見極めて、その人の能力を引き出していかないといけないと伝えています。

ナミねぇ:物を持てないけどできる仕事は何か、通えないけど、見えないけど……、と考えないといけません。その「発想の逆転」がないとダメで、逆に言うとその逆転さえあれば仕事はどんなものでも創出できます。私たちはそう思っています。
また、それをやり遂げるチャレンジドの方々からは、本当に、毎日、元気をいただいています。

左近:チャレンジドの皆さんの頑張りが、ナミねぇの元気の秘訣だったんですね!

ナミねぇ:そうです。一人ひとりが自分の力を発揮できるようになるまでのプロセスを毎日見られるというのが、私にとってはパワーになっています。

(#2に続く)

竹中ナミ
Nami Takenaka
社会福祉法人プロップ・ステーション・理事長

1948年、兵庫県神戸市生まれ。重症心身障がいの長女を授かったことから、独学で障がい児医療・福祉・教育を学ぶ。1991年、プロップ・ステーション(任意組織)を設立。1998年、厚生大臣認可の社会福祉法人格を取得、理事長に就任。チャレンジドの自立と社会参画、とりわけ就労の促進を支援する活動を続ける。文部科学省中央教育審議会初等中等教育分科会委員、財務省財政制度等審議会委員などを歴任。2010年6月、日本放送協会(NHK)経営委員会委員に就任。著書に『プロップ・ステーションの挑戦 「チャレンジド」が社会を変える』(筑摩書房)、『ラッキーウーマン マイナスこそプラスの種!』(飛鳥新社)がある。

×

山本左近
SAKON YAMAMOTO
さわらびグループ CEO/DEO
レーシングドライバー/元F1ドライバー

1982年、愛知県豊橋市生まれ。幼少期に見たF1日本GPでのセナの走りに心を奪われ、将来F1パイロットになると誓う。両親に土下座して説得し1994年よりカートからレーシングキャリアをスタートさせる。2002年より単身渡欧。ドイツ、イギリス、スペインに拠点を構え、約10年間、世界中を転戦。2006年、当時日本人最年少F1デビュー。2012年に日本に拠点を移し、医療法人/社会福祉法人の統括本部長として医療と福祉の向上に邁進する。2017年には未来ヴィジョン「NEXT55 Vision 超幸齢社会をデザインする。」を掲げた。また、学校法人さわらび学園 中部福祉保育医療専門学校において、次世代のグローバル福祉リーダーの育成に精力的に取り組んでいる。日本語、英語、スペイン語を話すマルチリンガル。

 

SAKON Dialogue : 021
チャレンジド(障がい者)の働き方改革 #2
竹中ナミ(社会福祉法人プロップ・ステーション・理事長)

竹中ナミ
Nami Takenaka
社会福祉法人プロップ・ステーション・理事長

前回(#1)に引き続き、社会福祉法人プロップ・ステーションの理事長を務める「ナミねぇ」こと竹中ナミさん(70歳)とのクロストークをお届けする。プロップ・ステーションは1991年の発足以来、約30年にわたり障がい者福祉において「支援する側」と「支援される側」の境界線を取り払うべく、ICT(情報通信技術)を使った障がい者雇用・就労支援を続けている。障がいをもつ人を「障がい者」と呼ばず、新しい米語「チャレンジド」(挑戦する使命や課題、機会または資格を与えられた人)という呼称を提案するなど意識改革にも取り組むナミねぇに、山本左近が現在の課題と今後のビジョンについて話を聞いた。

photos : Ren Arimura(d'Arc)
text : Yu Shimamura

現場に合わない制度をどう変えるか

山本左近(以下、左近):ナミねぇは、プロップ・ステーションを通じて、チャレンジド一人ひとりが活躍できる場をつくるサポートをされていますが、福祉が目指すべき根本的なことを実践されていると僕は感じています。

一方で、現行の制度の中で福祉を行っている人の一部には、その取り組みを遠く感じる人もいます。
誰もが安心して暮らせる社会保障は整備されているのですが、障がいをもつ方がその人らしく生きるために何ができるんだろうか? この人はどんな能力を持っているんだろうか?といったことまで考えている人はまだ多くないなと。僕はここに日本の次の課題があると常々考えているんです。

竹中ナミ(以下、ナミねぇ):たとえば「法定雇用率」(※)というものがありますよね。障害者雇用率制度というのですが、これは「障がいをもつ人は働くのが難しいから、割合を決めて雇ってあげよう」というものなんです。厚生労働省は、この制度がチャレンジドの雇用や就労の促進につながると思っているんです。

※ 障害者雇用促進法43条第1項により、従業員が一定数以上の規模の事業主は、従業員に占める身体障がい者・知的障がい者・精神障がい者の割合を「法定雇用率」以上にする義務がある。民間企業の法定雇用率は2.2%で、従業員を45.5人以上雇用している企業は、1人以上の障がい者を雇用しなければならない。(厚生労働省ホームページより)

左近:なるほど。

ナミねぇ:この制度には、障がいをもつ人を雇ったのち、会社の戦力にしないといけないというミッションはないんです。「難しいんだから、気の毒だから、何人かは入れてあげよう」という。
これは大きな間違いで、今、私たちが政治に求めているのは、雇用率だけじゃなく発注率も定めてほしいということなんです。

左近:ただ雇うだけではなく、一人ひとりが仕事をうけられるようにするということですね。

ナミねぇ: 雇用という形だと、会社まで毎日通勤することや1週間の最低勤務時間を求められるので、介護が必要な重度の障がいをもつ人やコミュニケーションに障がいがある人など、この制度では働けないというチャレンジドが多くいます。

本当は、バックオフィスのシステムがあれば、その人自身がひとりで1から10までできる必要はないんです。プロップ・ステーションでは、チャレンジドができる仕事を生み出して、企業や行政と働き手をつなぐ役割を担っていますが、「できること」さえ磨けば仕事をうけられる、という流れをつくるために必要なのは発注率なんです。

だから、私たちのような活動をしている組織を通じて、チャレンジドに仕事を発注してくださるとよいなと。チャレンジドの雇用をポイント化する、という考えしかないことが、逆に障がい者の雇用促進にストップをかけていると私は思います。

左近:どの分野にも共通するかもしれませんが、福祉の領域でも常に現場の方が早く、制度がなかなか追いついてこない状況が生まれているということですよね。

ナミねぇ:発注さえしていただければ。どう進めるか、といったやり方を考えるのは私たち、プロップの仕事ですから。
今、業務をアウトソーシングしてない企業ってほとんどないですよね。コンピューターを使わない仕事もほとんどないと思います。そう考えると、企業にとっても「発注する」ということは「雇用する」ことよりも融通がききやすいと考えることもできるわけです。そのあたりを考えていただき、柔軟に組み入れていただけると。

左近:そうですね。僕もこの問題はしっかりと考えなければいけないと思っています。

ナミねぇ:30年活動をしてきて、さまざまなことが変わったけど、この通勤を前提とした障害者雇用率制度しかない状況は一日も早く変えたいと思ってきました。
いろいろな働き方を後押しできる制度があれば、私たちのように企業や行政からアウトソーシングされた仕事をチャレンジドたちが受注できるようバックアップする組織がもっと生まれると思うんです。ただ、今はそういう組織はない。なぜかというと、「雇用」につなげないといけないからなんです。

固定観念を外し、可能性を引き出す

左近:誰しも調子が悪いときがあると思いますが、体調不良などの理由からチャレンジドの方々が仕事を思うようにこなせないときはどのようにされていますか?

ナミねぇ:それをフォローする体制をつくるのが、私たちの仕事なんです。私たちは、「体調やメンタルの状況がよくないときは、すぐに言ってね」とみなさんに伝えています。ちょっとでも無理かなと思ったら、すぐに言ってと。

今までは、調子がよいときと悪いときの波があったらダメだよ、と言われていました。でも私たちは、一番調子のよい時期、波が上に振れたときだけを切り取って、「ここだけ働いたらええやん」という風に考えています。
この共通認識を持っていれば、1人の仕事を3、4人で分担してやってもいいし、3、4人でやろうと思ってた仕事を調子がよいからと1人でやり遂げちゃってもいい。どちらもあっていいと思うんです。

チャレンジドの人だけでなく、私も調子がよいとき、調子が悪かったりするときがあります。彼らは他の人よりも波が激しかったり、深かったりするかもしれないけど、上がる瞬間は同じようにあります。だから、「波が上がっている瞬間にやろうぜ」ってね(笑)。そうやって達成することで、彼らの自信にもつながるわけです。

左近:彼らだって本当はもっと挑戦できることがたくさんある。彼らだけでできない部分は周りがサポートするなど、機会をつくってあげることが大事ですね。

ナミねぇ:「できる」「できない」でいったら、たとえば私なんか、ワルで中卒やから(笑)、できへんことがすっごく多い。英語も「ディスイズアペン」「マイネームイズ、ナミねぇ。イエーイ!」くらいやし、算数も分数になったらダメです(笑)。だから人前でしゃべる仕事だけに専念してるんです。

でも、「できない」部分を「できない」「できない」と言われたら、私もムカつきます。誰もができないことがあって、「でも、それはあんたも同じやろ」「その代わり、私はこれだけはあんたに負けへんで」という人間関係になれたら、障がいがあるかどうかは大きな問題ではなくなってきます。

左近:ナミねぇの周りにいるチャレンジドの方々には、「自分たちはできる」と思っている人が多いと思います。障害あり、なしに関わらず、自分では何もできないと思っている人たちがいるのは本当にもったいないと感じています。彼ら自身にも「自分はできる」ってことを知ってほしいなと。

2年前、僕はサハラ砂漠240kmを7日間かけて走る「サハラマラソン」という大会に出場したんです。人生で初めてマラソンに挑戦しました。僕が運営しているさわらび会の施設でリハビリを頑張っている人たちを応援するために、自分が頑張っているところを見せたいと思って。

でも、驚いたのは、その大会にはブラインドの方や手の不自由の方も、ガイドと一緒に挑戦していたんです。こんな過酷なマラソンですから、健康な方でも話を聞いただけで「私には無理」と言う人がいます。にもかかわらず、チャレンジドの人もサハラマラソンに挑戦しているという事実に僕自身励まされましたし、もっと多くの人に知ってもらいたいと思いました。

ナミねぇ:最終的には、「必ずその人の中にもできることがある」って信じられるかどうかだと思います。
日本の人権教育では、障がいをもつ人に出会ったら「『何かお手伝いすることはないですか』と聞きましょう」と、習うんです。でもこれは間違いで。その相手はあなたとは違うやり方で、あなたよりもすごいことができるかもしれない、と考えるように教えないと。

左近:だから、「障がいをもっていると◯◯ができない」といった固定概念を外さないといけないんですよね。日本の社会全体に、「健常者」と「障がい者」という線引きがあるんですけど、僕はこうした状況は健常者側から変えていかないと、と思っています。

僕は高齢者施設や障害者施設を運営する両親のもとで育ったので、幸運にも小さい頃から口に筆をくわえて絵を描く人と接したり、知的障がいをもつ子と当たり前に遊んだりしていました。そういう経験があるので、偏見や区別をつくらないですんでいるんだなと思うんです。そうすると何が大事かというと、やっぱり教育なんだなと。

ナミねぇ:そうですね。

左近:これだけ多様性が叫ばれる中でも、社会に目を向けると分断が起きてしまっている状況がある。この分断をなくすために、お互いの多様な能力を認め合う社会をつくっていくためにも、ナミねぇのようなチャレンジドの方の新しい働き方を後押しする活動には大きな力があると思っています。
さらなる発展のために、これからのご活躍にも期待しております。本日はありがとうございました!

ナミねぇ:これからもワクワクしながら活動を続けたいと思います。どうもありがとうございました。左近さんも頑張ってね!

竹中ナミ
Nami Takenaka
社会福祉法人プロップ・ステーション・理事長

1948年、兵庫県神戸市生まれ。重症心身障がいの長女を授かったことから、独学で障がい児医療・福祉・教育を学ぶ。1991年、プロップ・ステーション(任意組織)を設立。1998年、厚生大臣認可の社会福祉法人格を取得、理事長に就任。チャレンジドの自立と社会参画、とりわけ就労の促進を支援する活動を続ける。文部科学省中央教育審議会初等中等教育分科会委員、財務省財政制度等審議会委員などを歴任。2010年6月、日本放送協会(NHK)経営委員会委員に就任。著書に『プロップ・ステーションの挑戦 「チャレンジド」が社会を変える』(筑摩書房)、『ラッキーウーマン マイナスこそプラスの種!』(飛鳥新社)がある。

×

山本左近
SAKON YAMAMOTO
さわらびグループ CEO/DEO
レーシングドライバー/元F1ドライバー

1982年、愛知県豊橋市生まれ。幼少期に見たF1日本GPでのセナの走りに心を奪われ、将来F1パイロットになると誓う。両親に土下座して説得し1994年よりカートからレーシングキャリアをスタートさせる。2002年より単身渡欧。ドイツ、イギリス、スペインに拠点を構え、約10年間、世界中を転戦。2006年、当時日本人最年少F1デビュー。2012年に日本に拠点を移し、医療法人/社会福祉法人の統括本部長として医療と福祉の向上に邁進する。2017年には未来ヴィジョン「NEXT55 Vision 超幸齢社会をデザインする。」を掲げた。また、学校法人さわらび学園 中部福祉保育医療専門学校において、次世代のグローバル福祉リーダーの育成に精力的に取り組んでいる。日本語、英語、スペイン語を話すマルチリンガル。

ページの先頭へ戻る