読売新聞 平成28年3月10日夕刊より転載

ええやん! かんさい  <語る 聞く

社会福祉法人理事長 竹中 ナミさん 67

障害ある人 納税者に

活動は善でも正義でもない。おかんのわがまま


ええやん! かんさい <語る 聞く>
社会福祉法人理事長

竹中ナミさん

 障害がある人を「チャレンジド」と表現する竹中ナミさんは、自立のための発想を変え、多様な働き方の創出に挑戦する。税金で支えられるだけではなく、みずから納税するためにどれだけ働けるか。「同情はいらない。仕事をください」と言う。(3面に続く)

社会福祉法人理事長
竹中 ナミさん 67

障害ある人納税者に

 政治家も、官僚も、企業の幹部たちも「ナミねえ」と呼ぶ。竹中ナミさんは官民を巻き込み、「チャレンジド(障害のある人)を納税者にしよう」と提唱してきた。情報通信技術(ICT)を駆使した就労を支援する「プロップ・ステーション」を設立して25年。その訴えは、生きやすい少子高齢社会の構築にもつながるという。
(社会部 犬伏一人)

 昨年11月、東京・霞が関の中央合同庁舎4号館。安倍首相が掲げる「1億総活躍社会」の意見交換会で、加藤1億総活躍相らに提言した。

 「私たちが目指すユニバーサル社会と同義語やと思い、言うたんです。『全ての人が持てる力を発揮でき、支え合える日本にしてほしい』と」

 心身が不自由な人を「チャレンジド」とあえて呼ぶ。障害者を表現する米国の言葉で、「挑戦という使命、チャンスを与えられた人」を意味する。「支える場」を表すプロップ・ステーション(神戸市東灘区)で、その就労を創出してきた。最大の武器がICTだ。

 「パソコンやインターネットを使えば、在宅で、ベッドの上で働ける。チャレンジドの可能性を掘り起こしたい」


永尾泰史撮影

 たけなか・なみ 1948年、神戸市生まれ。長女出産後、障害児医療や福祉、教育を独学した。財務省財政制度等審議会委員や社会保障国民会議委員などを務め、2009年には米国大使館から「勇気ある日本女性賞」を受けた。

 少女時代は「不良」だった。中学3年で家出し、神戸・三宮の盛り場をうろついた。高校1年の夏、アルバイト先で知り合った男性と同棲して退学した。16歳で結婚し、22歳で長男、24歳で重症の心身障害がある長女麻紀さんを出産した。

 「お医者さんや看護師さんは慰めてくれたけど、欲しかったのは原因と対策。医学書を読みあさり、病院をいくつも訪ね歩きましたわ」

 その行動力が、1991年5月のプロップ・ステーション設立に結びつく。

 「自立運動の本を読んでケネディ・米大統領の演説を知ったんです。『全ての障害者を納税者にしたい』。彼は妹に知的障害があり、働けないから税金を払えないのが当たり前という考えが差別と見抜いていた。これやと思った」

 プロップ設立後、1300人にアンケートすると、8割が「コンピューターを使えば仕事かできる」と答えた。

 「ICTの活用に気づかせてくれたのはチャレンジド。みんな自らの責任と意思で人生の駒を進めたいんです」

 「女に社会は変えられない」と言う夫にキレて、43歳で離婚し、プロップの活動に没頭して四半世紀。パソコンセミナーは数千人が受講した。

 「脳性まひで電動車いすの男性はセミナーで技術を磨き、東京オフィスでプログラマーとして働いてます。常時50〜60人が在宅ワークしてますが、仕事を待つチャレンジドが全国にたくさんいる」

 2008年からはチャレンジドの洋菓子職人を育てようと、一流のプロを招いた講習会「神戸スウィーツーコンソーシアム」を日清製粉と毎年開催する。会場に来られない人たちのためインターネット中継し、12年からは東日本大震災の被災地の仙台や福島でも開く。発生から5年の今月は復興支援の創作菓子「祈りのプレッツェル」を発売する。

 どうしても変えたい制度がある。障害者の法定雇用率だ。障害者雇用促進法が対象にするのは直接雇用。企業から仕事を受注してチャレンジドに割り振るプロップのような方式は制度の枠外だ。

 「『障害者はかわいそう』が法律の出発点。本来一緒に働けない人たちを雇ったらポイントあげますという制度で、戦力として育成する発想が少ない。仲介の仕組みが雇用率に算入できれば、企業からの発注は増えるはず」

 多様な働き方を求めるのは、少子高齢社会も念頭にあるからだ。

 「世の中の支え手が減るんやから、チャレンジドも女性も高齢者も稼がんと。日本には労働力が眠ってます」

 とはいえ働けないチャレンジドもいる。そう質問すると、口調はひときわ熱を帯びた。

 「麻紀がそうです。せやから一人でも納税者を増やして、麻紀を守ってくれる社会にならんと、私は死ねない。『娘は働けないから、みんな働いてね』と言うのはずうずうしいけど、私は言う。母親やから。プロップの活動は善でも正義でも福祉でもない。おかんのわがままなんです」

 還暦になってからバンドを組み、ライブ活動を始めた。

 「麻紀は母親と認織できてないけど、私が歌うと笑う。音楽の力はすごい。これぞ障害の壁を越えたユニバーサルの世界やと。はまりました」

 43歳になった麻紀さんへの「究極の片思い」をたっぷりと込め、今夜も大阪・梅田のライブハウスでジャズを歌う。

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