毎日新聞 2012年1月1日より転載

夢チャレンジド物語

パティシエへの道 希望の扉を開けて

米国では障害者を「チャレンジド」と呼ぶ。「神から挑戦の機会を与えられた人々」という意味だ。夢や希望を失ってしまったかのように閉塞感漂う日本にも、夢を追いかけるチャレンジドがいる。挑戦する彼らの「物語」を追い、希望の扉を開く勇気をもらいたい。

洋菓子講座 教材は職人技


「神戸スウィーツ・コンソーシアム」で、ケーキの作り方を伝授する永井紀之さん(左) =神戸市東灘区の日清製粉東灘工場で

「スポンジを巻くときは空気を入れないように押して、押して」。昨年11月19日、日清製粉東灘工場(神戸市東灘区)で開かれた「神戸スウィーツ・コンソーシアム」の11年度最終講座。講師のフランス菓子店「ノリエット」(東京都世田谷区)オーナーシェフ、永井紀之さん(50)が、受験生にクリスマスケーキ「ブッシュ・ドゥ・ノエル」の作り方を伝授した。

講座は、社会福祉法人「プロップ・ステーション」(神戸市東灘区)と日清製粉が08年から企画。洋菓子作りのプロを目指す障害者に一流パティシエらが指導する。この日は精神・知的障害者6人が受講した。受講生の徳山雄祐さん(30)=同市西区=は「難しいけど、やりがいがある。僕も永井さんのようなパティシエになりたい」と目を輝かせた。

永井さんの長女(14)はダウン症の障害がある。「娘は成長していくにつれ、社会の支えが必要になる。私も自分が教えることができるお菓子作りで支える側になれれば」と話す。

08年の開講当初から指導する「モロゾフ」テクニカルディレクター、八木淳司さん(60)の三男悠さん(16)も軽度の知的障害で、愛知県の養護学校高等部に通う。

「この子の将来はどうなるんだろう」。八木さんは父親として息子を心配する一方で、障害者の作業所などで作るお菓子が気になっていた。単調な味で、彼らの自立を支えるだけのビジネスとして成り立ってはいなかった。

悠さんの将来のためにも、状況を変えたい。そう考えていたころ、プロップ・ステーションの竹中ナミ理事長から協力を求められ、引き受けた。講師は八木さんの人脈から紹介され、意気に感じた一流パティシエが毎回、手弁当でやって来る。永井さんもその一人だ。

八木さんは受講生について「4年間一緒にやってきて、彼らは限られた時間なら集中して仕事ができる。フォローさえすれば、十分就労が可能だ」と手応えを感じる。さらに、「私たちは趣味的な講座を開いているわけではない。将来は彼らが作った商品が売れるまで持っていきたい」と強調する。

チャレンジド(障害者)の可能性を信じて。パティシエという夢に向けた挑戦は、そんな人達に支えられている。

【桜井由紀治】

トンネル抜け再出発


開店前に事業所の女性職員と打ち合わせをする内海友人さん(右) =神戸市北区で

神戸市北区の神戸電鉄大池駅前にある洋菓子店「スイーツ・ファクトリー・ポテト」のプリンは「絶品」と地域で評判だ。店を運営する障害者支援事業所に通う内海友人さん(36)=同区=が中心となって作る。「神戸スウィーツ・コンソーシアム」の受講第1期生で、八木淳司さんらプロのパティシエの手ほどきを受けた。

精神・知的障害者の就労を支援する事業所「ほっとステーションぽてと」が10年6月、空き店舗を利用してオープンさせた6畳ほどの店内で、内海さんはスイーツ作りに励む。おいしさの秘訣を尋ねると、「愛情を込めて作ることかな」と笑顔を見せた。彼は「引きこもり」という長いトンネルをくぐり抜け、ここに自分の「居場所」を見つけた。


中学時代の成績は常にトップクラス。周囲の期待は大きくそれに答えようと、1日10時間、勉強したとこもある。高校は県内有数の進学校で、大阪大工学部に現役で合格した。今思えば無理をしていたのだろう。反動が入学後にやって来た。

大学の同級生に失恋したのをきっかけに、心に異変が起きた。周りが自分のうわさをしていると感じる。ある見知らぬ人は「あいつはエリートコースを外れたな」と笑っているように見えた。自分の考えていることが世界中の人に伝わっている気がした。

人間不信に陥り大学を休みがちとなった内海さんは、統合失調症と診断された。被害妄想が強く、奇妙な体験は特有の症状だった。大学はなんとか卒業したものの、症状はひどくなる一方で大学院の入試に2度失敗。「このままでは社会生活が送れなくなる」と医師に言われた母春美さん(61)は98年、下宿先から息子を連れ戻すが、彼はそこから約7年間引きこもった。自宅のソファに座っているだけの日々を送った。

家族はどう接していいか分からず困惑した。息子の障害を理解するため、両親は一緒にカウンセリングを受けた。運動不足を解消させようと、夜になると春美さんは息子をランニングに誘った。内海さんは小学校のグラウンドを走りながら「なんで分かってくれんのや。なんでや」と大声で叫んだ。春美さんは7年間、日中に外出したのはスーパーへの買い物ぐらいで、ずっと息子に寄り添った。


歳月は流れ、春美さんやカウンセラーの支援もあり、内海さんの症状は少しずつ改善されていった。05年頃からは引きこもりもなくなり、病院の作業療法に参加した。園芸実習などで同じ障害を持つ仲間と出会い、人と話すことが楽しくなった

6年前から通う事業所「ぽてと」では、地域の人とふれあい、自分の作ったお菓子が、おいしいと喜んでもらえる。引きこもっていた時は自分が世の中に見捨てられた存在と感じていたが、今は社会に必要とされていると思えるようになった。

内海さん親子は気持ちを素直に伝えられるからと、手紙の交換をしている。春美さんは「頑張らなくてもいいよ。生きていてくれるだけで十分」と息子に書いた。一昨年の「母の日」、内海さんが母に宛てた手紙にはこう書かれていた。「産んでくれてありがとう 育ててくれてありがとう 信じてくれてありがとう」。春美さんは思わず涙した。

内海さんは自立に向け、自宅を出てグループホームで暮らす。今も、妄想が彼を苦しめるが、障害と向き合えるようになった彼の夢は膨らむ。「スイーツの技術を生かして就職したい。それと結婚も」

【桜井由紀治】

ページの先頭へ戻る