毎日新聞 2011年2月18日より転載

時代を駆ける

出会いに恵まれた

竹中ナミ [8]

時代を駆ける

たけなか・なみ 社会福祉法人理事長。62歳(写真は09年12月、兵庫県丹波市の大平さん宅を訪ねた竹中さん<右>と長女麻紀さん<中央>=本人提供)

 社会の制度を変えるためには、やっぱり国が変わらないとだめだと気づいて、霞が関行脚が始まりました。それぞれの組織の内部につながる人間関係を作るのが目的です。ケンカするより理解者を増やしていくのが「ナミねぇ流」です。

 《旧労働省では郵便不正事件で無罪になった村木厚子さんと出会った》

 女性やチャレンジド(障害者)が働ける社会というのが厚子さん自身のテーマでもあったんです。仕事に誇りを持っていた。だから逮捕されたと聞いた時は「100%あり得ない」と思いました。チャレンジドの力も借りて「村木厚子さんの完全な名誉回復を願うサイト」を開設し、支援を始めました。裁判も毎回傍聴して明け方までかかってブログで内容を報告しました。

 《人柄を知る人は無罪を信じていた》

 勾留中に彼女に接見したら、「ナミねぇ、麦飯って結構いけるわよ」って。ふわっとした雰囲気のままで、励まそうとして逆に励まされたり。あんな状況でも女性刑務官の労働状況などを気にするような人なんです。

 《サイトの開設には、共通の友人で元大阪市助役の弁護士、大平光代さんも関わった》

 助役時代からの付き合いです。極道の妻から弁護士になって壮絶な人生なんですけど、その彼女が06年に出産しました。今から分娩(ぶんべん)室に入るという時までメールのやりとりをしてたのに、その後なかなか連絡が来なかったの。みっちゃん(大平さん)の出産は、帝王切開やったから心配で。3日後に連絡が来ました。「ナミねぇ、女の子やってん。それでな、ダウン症やってん」

 私は日ごろ子どもに障害があっても大丈夫とか言ってるのに、その時は絶句してしまって「おめでとう」の一言が出なかった。でも、みっちゃんが「心配いらんで。ナミねぇの世界に行くだけやし、これからもよろしくね」って明るく言ってくれたんです。

 《どんな状況でもお互いを思いやれる強い信頼関係で結ばれている》

 厚子さんもみっちゃんも心から親友と呼べる人。私は出会いには恵まれてると改めて思います。

2011・2・18

 聞き手・近藤諭/火〜土曜日掲載です

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