毎日新聞 2011年2月16日より転載

時代を駆ける

震災契機にまた成長

竹中ナミ [6]

たけなか・なみ 社会福祉法人「プロップ・ステーション」理事長。62歳(写真は1月27日神戸市東灘区、技能講習で受講生と話す竹中さん<中央>)

 「プロップ・ステーション」の活動がこれからという時に阪神大震災(95年)が起きました。私は大阪の事務所にいて無事でしたが、神戸の両親に電話がつながりません。テレビを見ると街は燃えてるし、高速は倒れてる。頭が真っ白になりました。すると昼ごろに母から電話があって「家が全部焼けた。これから逃げるところ探す」って。とにかく両親が無事だと分かって安心しました。

 電気や通信回線が復旧すると、プロップのメンバーやチャレンジド(障害者)からも「僕は生きてる」などの連絡が入ってきました。幸い大きなけがもありませんでした。

 《震災ではITを使った支援でチャレンジドが活躍した》

 どこでお弁当をもらえるとか、車椅子でお湯を使える場所とか、生活情報などをパソコンでやりとりするようになりました。ボランティアを登録するデータベースも作ってもらいました。情報通信が人と人をつなぎ、支え合うことに役立つんやと確信しましたね。

 今ではパソコンを使ったボランティアは確立してるけど、日本初のパソコンボランティアは、被災地にいたチャレンジド自身の活動から始まったんです。

 《ボランティア元年と言われた震災で、官に頼っていた人々の考え方が変わった》

 それまでは社会の公的な部分は官がするもんやとなっていた。それが震災では官も民も関係なく被災者になってしまった。一人一人の障害者がどこにいてるかなんて役所は把握していなかったんです。だから地域のみんなで助け合わなあかん、ということを震災に教えてもらった。チャレンジドは何も障害者だけを指すんじゃなくて、震災復興など課題に向き合う人もそうなんですよ。

 《震災後、国のいろいろな委員に呼ばれるようになった》

 私に声が掛かったのは、社会福祉法人の理事長だったことも大きいと思います。けど、それよりも、震災で草の根運動みたいなものが社会を支える重要なファクターになる、行政システムに民を巻き込まないとだめだ、ということが分かり始めたからやと思います。

2011・2・16

 聞き手・近藤諭 写真・大西岳彦/火〜土曜日掲載です

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