毎日新聞 2011年2月15日より転載

時代を駆ける

対価は障害に関係ない

竹中ナミ [5]

時代を駆ける

たけなか・なみ 社会福祉法人理事長。62歳(写真は94年ごろ大阪市内で、技能講習を受けるチャレンジド<手前>を見守る=竹中さん<左>提供)

 娘の麻紀が養護学校に通い始めると、障害者の通所施設でボランティアをしたり、いろんな活動に参加するようになりました。そこで「アテンダント」という言葉を知り、視界が開けました。「有料の介助者」という意味です。それを使って活動する車椅子の人と出会い、障害のある人が社会参加するために必要な考え方だと思いました。

 《アテンダントの普及を目指す「メインストリーム協会」(兵庫県西宮市)の事務局長を務め、その就労支援部門として91年「プロップ・ステーション」が設立された》

 創設メンバーは4人。うち1人はスポーツ事故で首から下の自由を失っていましたが、わずかしか動かない指でパソコンを使い、実家のマンションを経営してるんですね。彼はパソコンを駆使することで、かわいそうな障害者じゃなくて経営者になったんです。全国のチャレンジド(障害者)へのアンケートでも「就労のための武器はコンピューター」という回答が多く、「これや」と思いました。

 《92年に大阪へ移し本格的に始動。机一つ、受講者は4、5人だった》

 ある重度の脳性まひのチャレンジドはパソコンでデザインした絵が初めてお金になった時、「ナミねぇ、お金って公平なもんやったんですね」って言った。その言葉が忘れられないの。社会で認められる仕事をすれば、障害に関係なく対価を受け取れるんですよ。

 《活動する中で、人脈が広がった》

 パソコンなど必要な道具は私たちの考えを理解してもらった企業からも提供を受けました。技能講習の講師も計約30人いましたが、みんなボランティア。IT業界がベンチャーだった時代なので、若手のトップクラスの人たちとお付き合いすることもできました。

 《98年に「プロップ」が社会福祉法人化する時にも支えられた》

 法人化しなければ大きな仕事はもらえない。だけど1億円の基金が必要でした。どうしようと悩んでいた時、マイクロソフトの日本法人社長だった成毛眞(なるけまこと)さんがすぐに寄付してくれたんです。あれがなければ今のプロップは存在しません。

2011・2・15

 聞き手・近藤諭/火〜土曜日掲載です

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