毎日新聞 2011年2月11日より転載
時代を駆ける
障害者に苦楽を尋ねる
竹中ナミ [4]
たけなか・なみ 社会福祉法人理事長。62歳(写真は昨年11月、兵庫県内で撮影。20歳から重度心身障害で入院中の麻紀さん<車椅子>と=竹中さん提供)
娘の麻紀の目は光を感じることができる程度で、音にも反応するけど、どんな音かは分かっていないようでした。それならと、目の見えない人や耳の聞こえない人たちに何が困るのかというマイナス面と、どういう工夫をしたら楽しく過ごせるのかというプラス面の両方を聞きに行きました。
《障害者から教わるという姿勢が通じ、夢や希望、不平不満などいろんな思いを話してくれた》
子育てをしている視覚障害のご夫婦と親しくなったんですけど、頭の中に地図があって、家のどこに何があるかをすべて把握していました。さらに、赤ちゃんが熱を出してないか、虫に刺されてないかということも常に体を触ってるから分かると言うんですね。これには驚きました。
《能力があるのに、そうは思われていない》
「連れて死ぬ」って父に言わせた原因もこういうところにあるのかなと分かりました。
《麻紀さんが4歳の時に兵庫県西宮市北部の夫の実家に引っ越した》
20軒くらいの静かな集落で、麻紀が泣き叫ぶと響き渡るくらいでした。家の裏にはダムがあり、散歩に最適な土手の上に通じる獣道を麻紀の乳母車を押しながらよく通りました。ある日、その道に鉄条網が張られていました。お義母(かあ)さんに聞くと、顔役のおばあさんが「そんな子は通ってほしくない」と言って取り付けたそうです。
《古いしきたりの残る田舎で、麻紀さんのことを理解してもらうのは容易ではなかった》
私はよそ者だからこういうことをされる。それならここの人間になってやろうと思いました。集落では月1回、観音様を祭るお堂に集まって、御詠歌を歌いながら大きな数珠を繰ったりするんですね。私も大切に思ってますよと知らせることが必要だと考えました。
千羽鶴を折り、観音様の新しい座布団をこしらえ、鈴ひもを紅白の新しいものに替えました。すると鉄条網を取り払い、「麻紀ちゃんに」と白菜やお餅も持ってきてくれたんです。自分が大切にしているものを侵さないと分かれば、人は心を開いてくれると改めて実感しました。
2011・2・11
聞き手・近藤諭/次回は15日掲載です