家の光 2010年11月号より

〈特集〉 わたしをつくった心の一冊

娘がダウン症という現実を受け入れることができたのは
ナミねぇの本のおかげ。

大平光代さん 弁護士


おおひら・みつよ
1965年兵庫県生まれ。不遇の少女時代から立ち直り、29歳で司法試験合格。弁護士として非行少年の更生に努める。その壮絶な半生を描いた『だから、あなたも生きぬいて』はベストセラーとなる。現在、龍谷犬学客員教授。


『ラッキーウーマン』
竹中ナミ・著
著者は障害者のための就労支援組織を運営。先天的・後天的障害をもった人たちがそれぞれの得意分野で仕事をし、自立できる社会づくりに取り組んでいる。
波乱の生い立ちから、やがて重度脳障害の娘を授かったことをきっかけに、福祉活動に携わるまでをつづった自伝。■飛鳥新社・1365円

弁護士として少年事件を担当していたころ、行政関係の知人からよう言われてたんです、「神戸にナミねえと呼ばれるパワフルな女性がいるから紹介したい」って。ある日、その人が書いた本を本屋さんで見つけて、講演への移動中に一気に読みました。不良少女時代を経て十代で同棲・結婚……前半につづられた半生は波乱に富み、わたし自身の過去とも似ていて共感を持ちました。

ところが後半。お嬢さんの麻紀ちゃんの話に及ぶと、ごっつ泣けてきたんですよ。生まれた娘が脳に障害をかかえていることを医師から告げられたときのナミねえの気持ちを思うといたたまれなくて。また、孫の障害を知ったナミねえのお父さんが「わしがこの子を連れて死んでやる」と叫ぶくだり……。娘に苦労させたくない親心が手に取るように伝わってきたんです。でも彼女は、持ち前のバイタリティーで周囲の哀れみや心配を跳ね返し、一生懸命に麻紀ちゃんを育てます。障害者の自立のために奔走したりもして。

感動しました。すごい人がおるもんや。社会にも目を向けてパワフルに生きてはるなぁ。わたしにはこれほどのバイタリティーはないわ。こうも思いました。親は生まれてくる子を選べへんけど、麻紀ちゃんはどんなときでもへこたれへんナミねぇを選んで生まれてきたんやと。

紹介してもらう機会がないまま2003年、わたしは大阪市の助役に就任。たまたま彼女が仕事で市役所を訪ねられたさいに、ようやくお会いすることができました。まるで十年来の友人みたいな出会いで、今では“ナミねぇ”“みっちゃん”と呼び合う仲です。

その後、わたしは再婚して長女・悠(はるか)を出産しました。誕生の日、主人から「ぽくたちの子ども、ダウン症やねんで」と打ち明けられましたけれど、取り乱すことはなかった。多くのお母さんは絶望し、将来を憂えることでしょうね。けどね、わたしは即座に現実を受け入れることができたんです。ナミねえの本のおかげで下地ができていたからね。この本との出合いがなければ、ナミねえのお父さんみたいに死のうとしたかもしれません。

ダウン症の子はゆっくりと成長します。先月、四歳になった悠はミルクとジュースだけの食生活を卒業し、野菜のポタージュも飲むようになって、食事の支度が楽しくて。こんな幸せを見つけて、悠との毎日を楽しめるのは、この本で考え方や生き方を変えられたおかげ。ほんまに救ってもらった。保育園の送り迎えや家事の合間にくつろぎながら読むので、コーヒーのしみだらけですが、かけがえのない一冊です。あ、ナミねえには何度も読み返してることも、人生を変えてもらったことも言うてへんのですけどね(笑)。

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