日本経済新聞 2010年9月11日夕刊より

<働く障害者

竹中ナミさんに聞く

 弱者を弱者でなくする

     期待されると誇りに

ナミねぇの写真
 たけなか・なみ 1948年神戸市生まれ。神戸市立本山中卒。ボランティア活動後、89年障害者自立支援団体「メインストリーム協会」(兵庫県西宮市」事務局長。91年就労支援の「プロップ・ステーション」創立。98年社会福祉法人とし理事長に。著書に「ラッキーウーマン」「プロップ・ステーションの挑戦」。

 働くことで人は認められ、誇りを持てる。ハンディのある人も同じ

 神戸市の六甲アイランド。パソコンがずらっと並ぶ事務所の主が、髪に金色のメッシュを入れた竹中ナミさん。「みんなにお願いしてるんですけど、ナミねぇと呼んでね」。一見、障害者団体のリーダーには見えない。
  「ハンディがある人は働けない人だと、親や社会があまりにも決めつけていませんか。働くことは社会の一員になること。他人に何かを期待され求められ、それに向かって活動するのが人としての生きがいでしょう。自分の存在が、誰からも期待されないことほどむなしいことはないと思う。働いて税金を納めるチャレンジド(障害者)が増えていくのがユニバーサル社会につながると思う」
  障害者は税金をもらって当然、ではない。障害者とも言わない。「障も害も嫌。ほかにふさわしい日本語がないから」。チャレンジドは「期待される人」の意がこもる米国の新語。使う自治体も出てきた。
  障害者にパソコンセミナーを開き、就労支援を始めて20年。社会福祉法人の理事長として、財務省の財政制度審議会など政府の各種審議会委員を務め、この6月NHKの経営委員にも就いた。
  「チャレンジドが働く手段としてパソコンが最適。入力業務やホームページ作り、あるいはイラスト制作などで活躍している人が次々出ています。京都には自分の会社を持ち、施設のベッド上にいながら仕事をこなす人もいる」
  自動車事故で頚椎を損傷した青年から、「毎日が日曜ってどんなに苦しいことか分かるか、と言われてハッとした」。弱者に手当を支給するのが福祉といわれるが、休日続きの生活を強いることになる。「考え方が違う。弱者を弱者でなくしていくプロセスが社会保障のはず」
  重度の脳性麻痺(まひ)の青年が、母親の欲しがっていた包丁を買い、喜ばれた。イラストが売れたからだ。
  「彼が、お金って公平なんですねと言った言葉も忘れられない。障害者年金は上から下りてくるけど、今度は仕事を評価してもらっての収入。重みが違う。認められたことが誇りにつながっていく」

 社会に支えられていたチャレンジドが、支える側に回るように

 16歳で同棲(どうせい)し、高校を除籍された非行少女。生活が一変したのは、長女の麻紀さん(37)を重度心身障害児として授かってからだ。
  「父ちゃんに話したら、『この子がいたらおまえは不幸になる。わしが一緒に死んでやる』と言われてビックリ。インテリの父にそう言わせる社会って何だろうと思ったのがそもそもの始まりでした」
  「医者や福祉関係者に相談に行くと、『がっかりせんよう』としか言われない。娘はかわいそうな人としか見られなかった。前向きな話を聞くには、同じ目や耳の不自由な人からだと思って、会いに行き、生活ぶりを教わった」
  障害児や福祉の世界を独力で学び、施設でのボランティア活動に参加する。
  「娘は社会から丸抱えの手助けが必要。私がいなくなるとどうなるのか。娘を支えてくれる人を増やさねばならない。それには社会的活動ができないと見られているチャレンジドが、支える側に回ってもらおう。そんな身勝手といえるおかんの一念でした」
  働く障害者を増やそう、と草の根団体「プロップ・ステーション」をつくる。ステーションとは「支えられる側から支える側に乗り換えるための駅のことです」。
  ラグビーで首の骨を折りながら、コンピユーターを操作してマンションの経営者となっている青年の話に感動した。「プロップ」とは「支える」の意でラグビー用語だ。障害者に就労意欲をアンケート調査したら、「パソコンでなら」という結果に驚く。その声に応えようと、パソコンの研修事業に乗り出した。
  「私はパソコンはまるっきりダメだった。でも技術者や企業に応援を頼む人集めは大得意。いわばつなきのメリケン粉みたいなもんです」
  ポランティアでパソコン操作を教えるのはプロばかり。
  「役立つのなら、と喜んで来でくれた。彼らが、チャレンジドの眠っていた力を引き出し、市場で通用するレベルまで教え込んでくれる。そして、技術を身につけたチャレンジドが、次は逆に教える側に回っていく」

 障害者の働く場は在宅。パソコンでの発注を増やしてほしい

 20年近い活動で4千人以上がパソコンの研修に参加した。そのうち一度でも仕事につながったのは500人近い。
  「まだまだ少ない。障害者の雇用率を高める政策はありますが、通勤が原則。それを在宅勤務に考え方を切り替え、業務の発注率を高めれば就労者は増えていく」
  日清製粉の協力を得て、パティシエ(菓子職人)を目指す障害者研修を始めて3年。
  「今年は東京の研修会場から神戸と名古屋にも映像を流して、スイーツ作りの輪を広げた。パソコンだけでなく、稼げるものだったら何でもいいんです。でも、プロを目指すからには、一流の指導者を付けるのは同じこと」
  「チャレンジドが社会で仕事ができるモデルを作っていきたい。ゼロから1にする火付け役が私の仕事。10から100に広げていく段階になれば、制度化が必要です」
  竹中さんのデスクの横には、ドラムなど本格的なバンドのセットが鎮座。米国大使館から昨年「勇気ある日本女性賞」を授与され、そのお祝いパーティーで歌を披露するためここで練習に励んだ。ギター奏者で米国在住の弟との共演を楽しむことも。
  音や明かりをほとんど認識しない長女だが、「私が歌うと笑顔を見せてくれるんです。ええ表情なんよぉ」。
(編集委員浅川澄一)

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(毎週土曜に掲載)

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