New Media 2010年2月号より転載

CM字幕の問題に、

早速、総務省としての改善策を練ります

原ロー博総務大臣と竹中ナミ社会福祉法人プロッブ・ステーション理事長は「チャレンジドをタックスペイヤーに(障がい者を納税者に)という同じ目標を持って、それぞれの取り組みを地道に続けてきたという共通点を持つ。障がい者が誇りを持って生きていける差別のない社会の実現に向けた新政権での取り組みや、そのためのICT活用の可能性、そして地上デジタル放送の「CM字幕問題」など、2010年を輝かせるために語り合っていただいた。
(構成:渡辺元・本誌編集部、写真:石曾桐理倫)

原ロー博
総務大臣
内閣府特命担当大臣(地域主権推進)

昭和34年           佐賀県生まれ
昭和58年3月    東京大学文学部心理学科(第4類心理学)卒業
昭和62年4月    佐賀県議会議員当選(2期)
平成8年10月    衆議院議員に当選(以降当選5回)
平成16年10月   財務金融委員会民主党筆頭理事
平成17年9月    郵政民営化に関する特別委員会筆頭理事
平成19年10月   総務委員会筆頭理事
平成21年9月    総務大臣

竹中ナミ
社会福祉法人プロップ・ステーション理事長
1948年神戸市生まれ。重症心身障害の長女(現在36歳)を授かったことから、独学で障害児医療・福祉・教育を学ぶ。
1991年、草の根のグルーブとしてプロッブ・ステ−ションを発足、1998年厚生大臣認可の社会福祉法人格を取得し理事長に。ICTを駆使してチャレンシド(障害を持つ人の可能性に着目した新しい米語)の自立と社会参画、とりわけ就労の促進を支援する活動を続けている。「チャレンジドを納税者にできる日本」をスローガンに、1995年より毎年チャレンジド・ジャパンーフオーラム(CJF)国際会議を主宰。
財務省財政制度等審議会委員、総務省情報通信審議会委員、内閣府中央障害者施策推進協議会委員、国土交通省「自律移動支援プロジェクト」スーパーバイザーなどを歴任。著書「プロッブ・ステ−ションの挑戦」(筑摩書房)、「ラッキーウーマン〜マイナスこそプラスの種」(飛鳥新社)

障害は障がい者の側ではなく社会の側にある

原口総務大臣 「チャレンジドをタックスペイヤーに(障がい者を納税者に)というのが私の基本的な理念です。竹中ナミさん、ナミねぇと呼ばせてもらいますね。ナミねぇに初めて出会ったのは10年前の7月2日、ちょうど私の誕生日でした。

その後、私は国連の障害者権利条約推進議員連盟の副会長になり、条文案を作ってきました。「チャレンジドをタックスペイヤーに」という活動のモデルは、ナミねぇのプロップ・ステーションであり、もう―つがスウェーデンの福祉企業体サムハルです。サムハルは人口900万人のスウェーデンで、3万人の障がい者を雇用している会社です。そこでは「障害というのはその人の中にあるのではなくて、社会の側にある。その社会の側にある障害を取り除いていく」という考え方で運営されています。ICTというのは社会の側にあるバリアを取り除くための一つの道具です。できないことが問題なのではなく、できることが大事なんです。

竹中ナミ(ナミねぇ) チャレンジド一人ひとりの中にいろいろな可能性が眠っています。それを眠らしたままにしていることほどもったいないことはないわけで、それを引き出す方法はICTのような情報技術であれ、プロの手であれ、法律改正であれ、ありとあらゆる方法を使って、その人の力を社会で発揮していただいて、その人が誇り高く生きてもらうことやと考えています。

そしてできれば、仕事をした結果、タックスペイヤーになっていただくことで、働くことが不可能な重度の障がい者のように、社会から丸々守っていただかないと生きていけない人たちをきちんと保障する原資も得られるんです。若くて元気な人たちだけが働いて支えろよ、というような国はもう持たない。原口さんのすごいところは、そのことを政治家という以前に人間として深く理解されていることやと思っています。

原口 生きずらさや働きずらさを感じている人がナミねぇに会ったら、「自分もできるんだ」ということを理解します。私は小学生のころ家庭環境もあって、学校になかなか行けず、たまに行くと親が職員室に呼ばれるという状態でした。小学校5年生の時に先生が、『君の可能性』(斎藤喜博著)という本を下さったのです。そこには島秋人さんという死刑囚のことが書かれていました。褒められたことがなく、結局人を殺めて死刑になるんですが、獄中で短歌を作るようになります。たった一回絵を褒めてもらった先生に手紙を出して、「あなたにはこんな良いところがあるよ」ということを教えてもらって、最後はすごくきれいな歌を残されたのです。

私は学校に行っても自分のイスはなかった。名簿には載っているけれど、私の居る場所はなかった。魂が乾いていたんですよ。生まれて来なければよかったとさえ思っていました。先生がその本を通して、私の中にも無限の可能性があるんだ、ということを教えてくれました。その本に出会っていなければ、今頃荒ぶる力がどうなっていたかわかりません。ナミねぇにお会いした時、その先生にお会いしたような思いがしました。

情報共有型のICT協働教育

ナミねえ ICTは本当にすごい可能性のある道具です。最初は身体障がいのある人たちの視覚、聴覚、身体の補完に使われましたが、今は発達障がい、精神障がい、知的ハンディのある方であれ、それぞれの能力が伸ばせるソフトウェアがあります。プロップ・ステーションではチャレンジドがプロになり、今度は彼らが先生になって教えていきます。そうすると今までコンピュータは無理だろうといわれていた知的障がいや発達障がいの人たちに教えるノウハウを彼ら自身が蓄えていくんです。例えば、足でパソコンを操作する人が、ひらがなしか読めない子にIllustratorの使い方を教え、今この子はバリバリIllustratorを使いこなしています。そういったことが日々起きています。

だけど日本の国は、まだまだそういうことに気付いていないし、障がい者には無理だと思っているし、ICTはそんなにすごい道具なんだということも知られていません。私たちも発信していきますが、原口さんには総務大臣という立場で発信していただきたいですし、できればタイアップしてきちっと世の中に知らしめる活動をやれたらいいなと思っています。

原口 やりましょう。来年度予算の中にICT協働教育予算を入れています。ICT教育というと、「電子黒板で何かするんですか?」という人がいますが、違います。今ナミねぇがおっしやたように、自分が先生になれるんですよ。○×△を求める教育は、「あなたはダメ」と相手を排除するものでした。学校に私のイスがなかったように。誰かの成功が誰かの失敗になる社会というのは、とても貧しい社会です。情報共有型のICTの協働教育というのはそうではなくて、お互いが先生だし、お互いが知識を積み重ねられるし、お互いが芸術性を高めることができるのです。奪い合うのではなく、分け合うということなのです。足を引っ張り合うのではなく、力を重ね合うということなのです。ICTという道具を使って、皆がお互いの中に深く眠る宝をもっと引き出し会いましょう、ということです。可能性への挑戦の道具はいくらでもあります。

社会のバリアを取るための「合理的配慮を怠る」のも差別

ナミねぇ 地上デジタル放送もその道具の一つです。ところがテレビ放送の中でCMは放送時間の約2割を占めていますが、そこに字幕は付いていません。十数年前に私はビル・ゲイツさんからお手紙をいただいたことがあるのですが、そのお手紙にはすでに「字幕放送はすべての人に有用であり、当たり前のことです」といったことが書かれていました。日本では字幕放送は福祉政策の一環として、「聞こえない人に字幕を与える」というような姿勢で行われています。CMはユーザーを増やすために放送するものですが、字幕が付いていないためにそのCMが何を売ろうとしているのかわからない人がいるんです。聴覚障がいの友人が「白い犬が何が“吼えてる”CMをよく見るけれど、あれ何?」と聞かれました。CMで一番伝えたいコアな所が伝わっていないんです。もったいないと思いませんか。地デジになるとボタン一つで字幕を出せるわけです。CMであろうが、ニュースであろうが、ドラマであろうが、ボタン一つで字幕が出るようになれぱいいね、という素朴な考えで情報通信審議会などで発言してきました。

原口 地デジになればさまざまなオプションが拡がっていきます。チャレンジドに必要な情報伝達を本当の意味で保障できると考えています。ホワイトスペースでいろいろなこともできるし、情報を圧縮できますから、アナログだとできなかったことが、地デジでは双方向でいくらでもできるんです。

ナミねぇ しかも、そういう技術に関して日本は最高レベルにあります。ところがCMに字幕を付けるということについて、いろんなブレーキがかかっているようなんです。不思議です。初めは業界の基準で、「CMに字幕放送は取り扱えられません」となっていました。それを知った時はびっくりしました。これはどういう意味なのか、と。技術的に無理だという話も聞きましたが、本当なのかどうか疑問でした。

原口 今、障害者権利条約の批准に向けた取り組みを進めています。この条約の中には、Reasonable Accommodation(合理的配慮)という概念があります。差別というのは「おまえは××だ」というような醜い言葉を発することだけではなくて、「合理的な配慮をすれば社会のバリアが取れるのに、それを行わない」ということも差別だととらえているのです。

早速、CMに字幕を付けることがなぜダメなのか、総務省としての改善の方策を練ってみます。(対談取材に同席している総務省職員の方に向いて)「すぐやってください」。

障害者基本法とユニバーサル社会基本法

ナミねぇ 米国はパパ・プッシュ大統領の時にADA法(障害を待つアメリカ人法)を通して、「障がいのあるアメリカ人も、障がいのないアメリカ人も、同じように地城で暮らし、学び、働き、タックスペイヤーになる権利がある。それを妨げるものは差別である」と明確に規定しています。日本の場合は、チャレンジドが学ぶことについては「特別な場所で学ばしてあげるよ」とか、働くことについては「従業員の1.8%は雇ってあげるよ」とかという形です。「思い切り活躍してくれよ。お前に期待しているぞ」とか、「君も国家を支える一人になってよ」とは全然言ってくれないんで、チャレンジドは「特殊な人」みたいな位置付けになっています。

もうそろそろ、こういうことはやめないといけません。高齢社会では、そういう位置付けに置かれる人の方が増えてくるので、もう日本は持たないな、という思いが私はますます強くなっています。

原ロ パパ・ブッシュ大統領の時のADA法成立の背景に興味を持ち、それを米国で研究したのです。民主党政権だったらできるだろうけれど、共和党ブッシュ政権でなぜADA法ができたのか。それができたのは意識の切り替えがあったからです。政権の皆がチャレンジドの権利について学んでいったのです。真剣に学んで情報を共有することによって、「我々は行動が必要だ」ということになり、その行動が法律になっていったわけです。われわれ民主党でまとめている障害者基本法の考えとして、今まで保護の対象は国民で、保護しているのはこの霞ヶ関の“偉い役所の人”っていうのは違うでしょ、と明確にしています。「当事者のいない政策は、政策ではない」という理念です。

ナミねぇ 私はユニバーサル社会基本法の実現を目指しています。人の意識と法律は裏表です。意識が変わったことで新たな制度ができ、また、新たな制度ができて初めて意識を変えることのできる人もいます。「法律にすることに意味あるの?」という意見もありますが、やはり米国のADA法と同じように制度として設けるところまでぜひやりたいと思っています。2009年4月に民主党が発表された障がい者に関する基本理念の中に、「ただのバリアフリーではなくユニバーサル社会ヘ」と書いていただいていました。今は本当に転換の時期なので、大いに期待しています。

原ロー博 ICTは社会の側にあるバリアを取り除く道具で、それをやらないことは差別です。 竹中ナミ ICTがそんなにすごい道具だと日本では知られていませんし、生かされていません。

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