脱!子どもの貧困 子どもHAPPY化計画 2009年9月6日より転載
すべての人が持てる力を発揮し、支え合い、構築する社会を目指して
社会福祉法人プロップ・ステーション理事長 竹中ナミさん
障がい者のことを「挑戦するチャンスを与えられた人」として「チャレンジド」と呼び、ICT(情報コミュニケーション技術)を活かした自立と社会参加、就労促進、雇用創出にめざましい実績を作られている「ナミねぇ」こと、竹中ナミさん。 重症心身障がい児のお子さんを持つシングルマザーとして、「仕事づくり」のために始めた20年の活動を通し、力強いメッセージをいただきました。
竹中ナミさん
1948年、兵庫県神戸市生まれ。小学生の頃から家出を繰り返し、15歳で高校除籍、翌年結婚、ゴンタクレな10代を過ごす。24歳で重症心身障がい児の長女を授かったことから、障がい児医療・福祉・教育について独学。障がい者の自立支援組織活動に参加後、91年「プロップ・ステーション」を創設、パソコン技術指導、在宅ワークのコーディネートなどを行う。98年に社会福祉法人格を取得し、理事長に選任。軽快な関西弁トークと「苔が五重に生えた」心臓を武器にチャレンジドが誇りを持って働くことができる社会を目指して奔走中。エイボン女性年度教育賞、総務大臣賞、アメリカ大使館からは「日本の勇気ある女性賞」などを受賞。
社会福祉法人プロップ・ステーション
http://www.prop.or.jp/
私には36歳の娘がいます。娘はお医者様の発達診断によると「生後3カ月未満」だそうで、音が耳に入ってもその意味はわからない。全盲なので私のこともわかりませんし、機嫌のいい時と悪い時とで違う声を発します。介護には重度の認知症の家族がいる状況を想像していただけるとわかるかもしれません。「そんなお嬢ちゃんがいて大変ですね」と言われたりするんですが、私はこの娘を授かったおかげで、ものすごいパワーをもらって、素晴らしい人たちとの出会いに恵まれ、たくさんのことを学ぶことができたんです。
娘が小さい時、父が私に向かって「おまえのために、俺がこの子を連れて死んだろ」と言ったんです。その時、「こういう子どもを連れて死ななあかん日本っておかしい! 何か間違ってる」と思いました。私は子ども時代にド貧乏な生活を経験しまして、13年間で7回引っ越し、10代の時は家出を繰り返すような不良だったもので、世の中がおかしいと思ったら、まずルールや常識を疑ってみる思考があるんですね。しかも、娘のおかげで世の中のルールについて真剣に考えるようになった。本当にラッキーやったと思います。
昨今、精神的疾患になられる方が多いですが、ルールに合わせられない自分があかんのと違うかと考えてしまう、とても真面目な方ばかりだと感じます。自分の存在をマイナスと捉えてしまわれるのでしょう。それは悩みを持つすべての人に言えることで、ひとつの出来事をマイナスと思うかプラスの種と思うかによって、大きく人生は変わるんですね。そのことに気づいてほしいし、それを伝えていくのも私のひとつの仕事だと思っています。
結婚25年目で、私は娘を抱えて離婚、シングルマザーになりました。しかし、子どもと食べていこうにも、重度の障がい児と一緒にいては仕事ができない。私は障がい者の自立支援組織に参加して、「障害があっても働いてお金を稼ぎたい」「やりがいを持ちたい」という人たちの自立支援をする「就労部門」をつくり、そこを独立させて「プロップ・ステーション」を立ち上げました。障がい者の仕事をつくり、自分が食べていくための仕事もつくる。まさに「背水の陣」から生まれた、一石二鳥だったんです。
プロップ・ステーションでは、「チャレンジド(障がい者)を納税者にできる日本!」をキャッチフレーズに、パソコンと情報通信を使って、在宅ワークを中心とした仕事をしています。作業所と呼ばれる日本で障がい者が通う施設は、補助金で職員を雇い、通う人は月1万円とかもらって福祉就労に頼っている。でも、それはおかしい。何年か通って勉強すれば、その施設の何か役割を担えるとか、身につけたスキルを活かして外で仕事ができる仕組みにするべきやと思うんです。だからこそ、私たちの組織をモデルにしなくてはと思っています。例えばプロップでは、スキルを身につけたチャレンジドが次のチャレンジドを育てる講師を務めていますが、寝たきりの絵が上手な女性だって、ベッドの上からテレビ会議を通してグラフィックの指導ができるのがICTの凄さです。そうやって身につけた技術を次の人に指導して、組織の仕事量を増やせるようにしていきたいんです。
ところが、それを実現させるには、作業スピードが健常者より遅いですから、量や速さでなんぼという仕事は不向き。クオリティの高い仕事ができるスキルを磨かないとダメで、それはプロから学ぶ必要があるんです。そうやって全てを逆算して動いています。今すぐ仕事が欲しいからと目先の安い仕事を取ってきてしまったら、仕事の単価は安いわ、作業スピードが遅くて量はこなせないわで、マイナスのスパイラルにはまってしまいます。当然、二次、三次請けの仕事はだめで、発注元であるクライアントに価値を評価していただき、直接取引する。そのための営業に私が専念できるのも、パソコンできっちり仕事をこなしてくれる人、事務所を守るスタッフなどがいてくれるおかげです。
とはいうものの、実は私にはコンピュータの知識なんて全くなかったんです。いろんな所に協力をお願いしていくなかで、ある日突然、かじったリンゴマークの大きな箱がいくつも届いてびっくり。それは、ありがたいことにアップル社さんがMacのパソコンを寄付くださったんですが、当時はそれがどれだけ高価なものかも、ソフトを入れて使うということすら、私は知らなかったんですよ。
プロップを社会福祉法人にしようとしたとき、仲間のお金を集めても100万円に満たなかったのに「施設を持たない二種社会福祉法人の設立には1億円の基金」が必要でした。私の話を聞いたマイクロソフトの社長は、「アメリカではビジネスベンチャーとソーシャルベンチャーがしっかり組んで社会に役立つ技術が次々と伸びている。日本ではまだまだ先のことと思っていたけど、あなたがしようとしていることはソーシャルベンチャーです。だから私は投資しますよ」と、1億円を投資してくださったんです。びっくりするような金額でしたが、決して卑下することはない、誇りを持って結果でお返ししようと思いました。「あのグループを応援してよかった」と言われることが、「みんなが見てくれている、期待されている」という、メンバーのモチベーションにもなります。
私は自分の役目を、そうやって人と人をつなげる「メリケン粉」やと思っています。メリケン粉は関西人の大好きなお好み焼きの「つなぎ」。重度の障がい児のおかんがこうなったというモデルとして発信すれば、「あそこでできるなら、うちもできるかも」と思ってもらえるかもしれない。そしていろんな所に飛び火していったら、今度はそういうグループと横につながっていけたらと思います。今までの政治、福祉は、ほとんどがヒエラルキーをつくってきたんですよね。下にいる者は常に上に委ねたりぶら下がったりしていたわけです。でも、そうじゃない。納税者になれるんです。世の中の政治が、行政がおかしいと言う前に、自分たちでモデルをつくって、それに沿った政策や制度について発信する側になろうよ、ということです。
障がい者であるというハンディも、貧困者というハンディも、いくらでもチャンスにできると私は思うんです。経済の活性化は人のモチベーションで決まるんじゃないでしょうか。産まれてよかった、生きていてよかったと思えるモチベーションが原点やと思うんです。「モチベーションなんてないんでしょ?」と世間で思われているであろう重度の障がい者たちが、モチベーションさえあればやれてしまうことを見せる、この快感(笑)。人の力が眠らされていることほどもったいないことはありません。「私を働かさない日本はもったいない!」の精神でいきましょう。私の父は84歳で他界しましたが、亡くなる前に「おまえがこんなに支援者に囲まれて頑張って、俺はあの時、連れて死なんでよかったよ」って言ってくれたんです。
どんなにハンディがあると思える状況も、それは個人の問題じゃなく社会の問題だと気づければ、必ず解決策が見つかります。「チャレンジド」は、そういう意識改革の言葉やと私は思っています。みんなで力を合わせて「すべての人が持てる力を発揮し支え合う、ユニバーサル社会」を実現しましょう。
■プロップ・ステーション公式サイト http://www.prop.or.jp/
取材・執筆/羽塚 順子