婦人公論 2009年8月7日号より転載

緊急ルポ >障害者福祉団体、女性ジャーナリスト、元官僚たちの証言

村木厚子・厚生労働省前局長の逮捕に戸惑う人たち

“キャリア女性の星”と評判の高いトップ官僚の逮捕劇。

「またか」と思ったきり、よくある官僚の汚職事件として記憶している方も多いかもしれない。

しかしこの事件、どうも様子がちがうようなのだ。

その理由は“誰も悪評を聞いたことがない”という彼女の人物像にあった──

取材・文 高崎真規子 (たかさきまきこ) / ジャーナリスト

「厚生労働省の現職女性局長が逮捕」の報に世間が騒然としたのは、6月14日のこと。7月4日には、その村木厚子前雇用均等・児童家庭局長(現、大臣官房付)が、逮捕後も一貫して否認を続けたまま、大阪地検特捜部によって起訴された。

罪状は「虚偽有印公文書作成・同行使」。1通120円のDM送料がたった8円になるという障害者団体向け割引郵便制度を悪用した、厚生労働省の偽の証明書発行にかかわったというものだ。当時の上司である元部長も、起訴された元部下の係長も、今回の事実関係を認めたとされている。そこで、否認し続けている村木前局長にも裏の顔があるのでは……といった憶測が乱れ飛んだ。

ところが、逮捕から日がたつにつれ、彼女への支援の声が高まりつつあるのだ。

こんな官僚もいるんだ

最初に声をあげたのは、長崎県雲仙岳のふもとにある社会福祉法人、南高愛隣会理事長の田島良昭さん。会のHPに「村木厚子さんに『信頼の想い』を伝えたい!」という提言を載せ、支援を募りはじめた。

田島さんが村木さんと初めて会ったのは約10年前、彼女が労働省(当時)の障害者雇用対策課長として、この地を訪れたときのことだった。

「最初に『生意気だと思わないでくださいね』と前置きをして、こう言うんです。『ハンディキャップを抱えながら働く人には、雇用対策を講じるだけではダメなんじゃないでしょうか。雇ってやるからこれだけ働けということではなく、もっと優しい目線で見て、就労支援みたいなことができないかなと思うんです』と。あまりに新鮮な発想に、こんなふうに考える官僚がいるんだと、びっくりしました」。 どうしてそう思うのかと問う田島さんに対し、村木さんは、「子育てしながら働くという点では、ハンディキャップがある。そういう意味では一緒」と答えたという。

田島さんはその後、村木さんと全国各地の障害者福祉施設を回った。

「現場に行って現場で教わるという手法なんです。それも、上の立場から視察するという姿勢ではなく、謙虚に話を聞く。障害を負っている当事者にとって何が一番いいことなのかを、常に考えている人でした」

村木さんは、1978年に労働省に入省。一時期は婦人局に在職し女性労働問題にも取り組んでいた。そのころ『読売新聞』記者として親しくなった永峰好美さんは、「女性の労働問題を中心にしつつ、障害者や高齢者の雇用、ハンデを負っている人の生きにくさについても肌で感じて取り組んできた人」と評する。

「プライベートで、旧労働省で働く年齢の近いキャリアの方たちとワインの会を開いたりしたこともあります。雇用均等・児童家庭局長といえば、日本の女性官僚の中でもトップのポジション。周囲のみんなはライバルのはず。でも、会は終始なごやかな雰囲気でしたね。村木さんは会話をリードするタイプではなく、楽しそうに聞き役に回っていました。仕事の場では、データを駆使し、論理的で明快な指示をするのですが、物腰に独特な柔らかさがある。部下への目配りも行き届いていて、会に後輩をよく連れて来ていました」

温かい目線の持ち主


6月12日、衆議院厚生労働委員会で答弁する村木厚子さん
(写真提供 共同通信社)

20年来の付き合いだという元大手外資系企業人事部の女性は、村木さんの仕事ぶりをこう振り返る。

「初めてお会いしたのは、90年代初めごろ。村木さんが労働省の女性政策課の課長補佐だったときです。私がいた会社は育児や介護休業など、法律に先駆けて働く女性をサポートする体制を作っていたので、話を聞きにいらした。また当時、大手企業の人事担当の女性12人ぐらいでネットワークを作って勉強会を開いていたのですが、ぜひメンバーに加えてほしいと言われました」

「法律だけ作っても、女性たちが継続して就労できるような環境を整備しなければ負担がかかるだけ。働く女性がどんな問題を抱えているのか、企業での対応も含め生の声が聞きたい」。村木さんに言われ、労働省の課長補佐の立場にある人が民間企業にいる自分たちの意見を積極的に聞こうとする姿勢に驚いたという。

「どうやったら企業側にも働く側にもよくなるかっていうことを、本音で話しました。そのうえで彼女は、行政の立場から最適な提案をし、解決方法を考え出していく。そういう才に長けていましたね」

バブル崩壊後に障害者の解雇が急増したとき、この女性のところに障害者雇用対策課長の職にあった村木さんから、「緊急雇用プロジェクトでお金が出るんだけど、それで何かできないか」と相談があった。この女性は、「企業が障害を持った人たちを雇用するときのハードルを低くするのが一番。『何かあったらどうする』『働き続けられるのか』といった雇う側の不安を取り除けば、雇用につながる」と答えたそうだ。

そうした声をもとに、労働省は3ヵ月の有期契約をして、契約が満了した時点で本雇用に結びつけるかどうかを決定する「トライアル雇用」の制度を導入、3ヵ月間は国から支援金が出ることになった。のちに若者や高齢者へも広がっていくこの制度の導入によって、知的障害者の雇用が画期的に進んだという。

村木さんは常に現場の声を聞く、とても仕事熱心な人物だったという声は多い。障害者の働く場作りを応援する福祉ベンチャーパートナーズ代表の大塚由紀子さんはこう話す。

「障害者雇用に熱心に取り組んでいる企業の見学にもよく行っていたし、グループホームに泊まりこんだりもなさっていました」

さらに、何かの折に、子育ての悩みを話したこともあるという。

「すると『ウチも子育てではいろいろあったのよ。子どもの描く“家”の絵がなんか変なの。おねしょもなくならない。仕事ばかりしていたせいかも。カウンセラーに相談したこともあったのよ。でも今から思うと、そういう出来事があったことで、子どもに一所懸命向き合うことができたんだと思うの。あまりにも順調に育っちゃうと、子どもそっちのけで仕事しちゃうからね』と、元気づけられたこともありました」

大塚さんの会社は、「福祉のプロでもないのに何ができるのか」と、よそから足を引っ張られることもあったという。「そんなときも、村木さんは、『私はプロの保育士じゃないけど、子どもを育てた経験からできることはある。福祉も同じで、障害のプロにしかできないことじゃない』とおっしゃって、同じ志を持っている方を紹介してくださいました。あの霞が関にこんな人がいるのかと思うような人です。目線が温かいんですよ。官僚の目線ではなくて一般の目線、普通の暮らしを通して社会を見ているのが印象的でした」

熱心に耳を傾ける

「村木さん夫妻と3人でお食事させてもらったことがあるんですが、ご主人がまた、官僚なのに地味でおだやかな方でね。全然イケメンじゃない。なんでこんな人を選んだんかと思ったら、自分が落ち着ける、縁側の座布団のような人を夫にしたかったらしいと彼女の親しい友人から聞き、なるほど、わかるわかるって」

こう話すのは、公私ともに15年近い付き合いだという社会福祉法人プロップ・ステーション理事長の竹中ナミさんだ。竹中さんは障害者を「チャレンジド(挑戦という使命やチャンスを与えられた人を指す米語)」と呼ぶ。コンピュータを活用して能力に応じた働き方をすることで、社会参画できるシステムを作れないかと思いたち、91年に草の根活動のグループ、プロップ・ステーションを立ち上げた。村木さんと出会ったのは、活動を大きくするために奔走しているときだ。

「健常者は別のところにおって障害者をひとくくりにし、『かわいそうやから、なんか福祉の手当てしてあげたらいいやんか』と、福祉の対象としてしか見ないのはおかしいよね。それが私の出発点なんです。村木さんも、女が子どもを育てながら働いてちゃんと収入を得ていくことは、男性よりもすごく難しい、女性であれ、チャレンジドであれ、高齢者であれ、どんな人でも自分の持っている能力を花開かせて、社会の中で活躍する仕組みを作らないといけないんだっていう考えを持っていらっしゃった。だから、お会いできたときはうれしかったですね。チャレンジドを取り巻いているいろいろな問題点も熱心に聞いてくださって。よく勉強会をしたり、意見交換をしたりしました」

コツコツと控えめ

「障害者の問題をライフワークとしてやっていきたい」。多くの人が村木さんからそんな言葉を聞いたという。それだけに、2005年10月の障害者自立支援法の成立にはひとかたならぬ思いがあったのだろう。この法案は、「当事者にも一律に負担が課せられる」という面ばかりクローズアップされ、諸方面からの批判が多かった。一方で就労支援の強化や障害の種類に関係なく施策を一元化するなど、これまでの障害者行政を一新する改革でもある。

村木さんは責任者として、「多少の不正には目をつぶってでも、法案を通したい」と焦った末、04年春、偽証明書発行に……。逮捕劇を目にした人の多くが、そう思っても不思議ではない気もする。検察の筋書きも、そこを突いているのだが──。

新制度実現に一緒に取り組んでいた元障害保健福祉部企画官(現在は退職)の北川博一さんは、こう話す。

「新制度の具体的な中身を詰め始めたのが、04年の8月ごろです。その前は、実際の資金不足の把握作業などを進めていた時期で、赤字の穴埋めをどうするかという省内での判断も決まっていません。内容も定かではない4月から6月の段階で、法案成立のために外に働きかけるなんてことはありえません。時期や筋があまりに違うので、今回の件には強い違和感があります。

8月以降の当事者団体の対応は、当時企画課長の村木さんが一手に引き受け、精力的に説明会や勉強会をしていました。村木さんは、政治家との合意形成の前に利用者サイドとの合意形成をきちっととっていく。その姿勢が、極めて新鮮でした。人柄もクリーンですが、仕事の進め方自体がオープンで透明性がある。だから、みんなの信頼が厚かったのだと思います」

取材中、誰の話を聞いていても、村木さんから出世欲の“し”の字も出てこない。福祉関係に詳しいマスコミ関係者は、こうもらす。

「コツコツと控えめだけど、政策理念を持って成果をあげていく人だったと思います。私も長年、この世界の人たちに取材していますが、村木さんについては一度も悪評を聞いたことがないんです。この件で『仕事熱心だが、手段を選ばないところがあった』という障害者団体の男性理事の談話が出ましたが、マスコミ関係者の中でも、なんで今あんなコメントが出るのかって、不思議がっていたくらいです」

舛添要一厚生労働大臣は、逮捕の報に際して「働く女性にとって希望の星だった。非常に残念」と語った。かつて厚生労働省の前身である旧厚生省には私腹を肥やしたとして実刑を受けた元事務次官がいた。それに比して、村木前局長が私を利した形跡は、まったく見えない。まずは裁判の行方を見守りたい。

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