神戸新聞 2009年3月11日コラム「正平調」より転載

正平調

「元始、女性は太陽であった」と書いたのは平塚雷鳥だが、分子生物学者の福岡伸一さんによると、こうなる。「原始、生命はメスだけだった」◆売れ行き好調の著書「できそこないの男たち」(光文社新書)で、福岡さんは書く。「生物学的には、男は女のできそこないだといってよい」。だから男は寿命が短く、病気にかかりやすく、精神的にも弱い。だが、できそこないでかまわない。なにせ男は、遺伝子の「使い走り」にすぎないのだから、と◆そういえば、免疫学者の多田富雄さんはかつてこう唱えていた。「女は存在で、男は現象だ」。科学者であり、能の作者でもある多田さんは言う。「うちのワイフから見れば、私などは、はかなき現象にすぎません」◆そして存在感たっぷりの女性が、神戸にいる。社会福祉法人「プロップ・ステーション」を設立し、障害者の就労支援に取り組む竹中ナミさんだ。先週、三月八日の「国際女性デー」にちなみ、米国大使館から「日本の勇気ある女性賞」を贈られた◆挑戦する使命やチャンスを神から与えられた人として、彼女は障害者を米国流に「チャレンジド」と呼ぶ。人には能力にあった働き方がある。障害者だけじゃなく、高齢者もリストラされた人も。そう一貫して訴えてきた。今の日本で胸に響かない人はいないだろう◆男だの女だの、竹中さんなら笑い飛ばしてしまうに違いない。しかし世間を見渡すと、不況を憂いたり、政治とカネで釈明を繰り返したりしているのは、男ばかりだ。やはり男は「使い走り」で「現象」にすぎないのか。悲しいけれど。

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