ふぁっとえばー通信 2007年11月26日号より転載

2003年8月、チャレンジド・ジャパン・フォーラムがやってきた

安房からのチャレンジド大会を開くまで

高橋輝子さんの写真
高橋 輝子
NPO法人
南房総IT推進協議会

千葉県で開かれた全国大会

 2003年8月、千葉県で「第9回チャレンジド・ジャパン・フォーラム2003国際会議inちば」が開催されることになりました。その前々年、三重県で開催された同フォーラムに出席した堂本暁子知事が大変感動して、このフォーラムをぜひ千葉県でも開催したい、ということになったのだと聞いています。

 この三重県でのチャレンジド・ジャパン・フォーラムに千葉県から参加していたのが、千葉県安房郡鋸南町に居住し、館山市で「ふぁっとえばー」という障害者の社会参加を呼びかける任意団体を主宰する秋山岩生さんでした。秋山さんは、衣類卸売会社を経営していた43才のとき、脳出血で倒れ、その後遺症で右半身機能障害を持つチャレンジドです。

 チャレンジド・ジャパン・フォーラムは、社会福祉法人プロップ・ステーションが、「障害者を納税者に」を合言葉に、各界の人々が集う場として毎年開催しているフォーラムで、1996年から始まりました。

 第1回のチャレンジド・ジャパン・フォーラムと、その翌年の第2回フォーラムは、主催者側の招いた参加者だけによるクローズドなフォーラムだったそうですが、さらに翌年開催された第3回からは、一般参加者にも公開するフォーラムとなりました。秋山さんは、この第3回のフォーラムに参加したのだそうです。1997年7月のことでした。

 そして秋山さんは、その後も毎回、全国各地で開催されるチャレンジド・ジャパン・フォーラムに参加しています。そして、堂本知事が出席した三重県で開催された第7回フォーラムで、知事と出会ったのでした。

 その2年後の第9回大会の開催にあたって、千葉県とプロップ・ステーションは、県の関係者ではなく、地域のチャレンジドを実行委員長にする、という方針を立てたようです。第3回大会から欠かさず参加してきており、三重県での大会でも、千葉県内から唯一の参加していた秋山さんに、ぜひ実行委員長をお願いしたい、という依頼があったのはフォーラム開催前年の2002年12月のことだったとのこと。

 秋山さんはそれを承諾し、翌年のフォーラム開催までの間、実行委員長として、あちこちの取材を受けたり、プレ大会に出演したりすることになったのでした。

記者会見の写真
第9回CJF大会後の記者会見
(右より堂本知事・竹中ナミねぇ・秋山岩生)

 

質疑応答の写真
参加者からの質疑応答

秋山さんとの再会

 私が、この全国大会を受けて南房総地域で開催された「安房からのチャレンジド大会」の開催をお手伝いするようになった直接のきっかけも、この「2003国際会議inちば」でした。

 私は、大学卒業後、十数年、県庁で仕事をしてきましたが、このチャレンジド・ジャパン・フォーラムが開催された2003年度には総合企画部報道監広報グループという部署で、県の広報を担当していました。

 このとき、私の所属する広報グループで、障害者雇用を重点広報テーマとして、広報していこう、という話があったのです。私はそのとき、「千葉県ニュースリリース」という在京メディア向けの広報紙制作の一部を担当していましたが、この障害者雇用に関して「ニュースリリース特集号」を発行することになりました。

 そして私は、その特集号作成のための取材で、チャレンジド・ジャパン・フォーラム2003国際会議inちばの実行委員長である秋山岩生さんと再会したのです。

 

点字打刻の写真
地元・高校生のボランティア
点字打刻

安房地域への思い

 そう、秋山さんと私は「再会」したのでした。もともと、私が秋山さんと知り合ったのは、1999年、チャレンジド・ジャパン・フォーラムが千葉県で開催されるよりもずっと前のことだったのです。

 当時、企画政策部という部署で地域活性化を担当していた私は、南房総地域でITに関心を持つ人たちが参加している、あるメーリングリストに登録していました。そして、秋山さんもそのメーリングリストに登録しており、お互いその場で時々発言していたために、知り合いになったのです。

 その後、私は、大学院に行ったり、所属が変更になったりして、しばらく秋山さんとは疎遠になっていました。そして私が秋山さんと再会したのが、このチャレンジド・ジャパン・フオーラムだったというわけです。

 私自身は、その間、そのITに関心を持つ南房総地域の人たちによるメーリングリストの中から立ち上がったNPO法人南房総IT推進協議会にメンバーとして参加していました。南房総地域は、千葉県の中でも最も南端にある過疎地でありながら、このNPOのメンバーたちのように、地域がまとまって前向きに物事を進めていこうという人たちに溢れています。そんな地域を応援していきたい、それに、そもそもこのNPOでの活動がとても楽しい、ということで、私は南房総にかなり親近感を持ち、NPOのメンバーとしてそこでの活動を楽しんでいたのです。

 

オリーブの写真
山口さんの介助犬「オリーブ」

もっと地域から。安房でチャレンジド大会を

 8月21日・22日に千葉市の幕張メツセで開催された「チャレンジド・ジャパン・フォーラム」が無事に終了した後、秋山さんから私に連絡がありました。「今度の3月に館山でチヤレンジドのための小さな大会をやることにしました。幕張で開催されたような大きな規模のものでなくていいので、地域で、こういう取り組みを行っていかなければならないと思ったのです。ぜひ手伝ってくださいとのことです。秋山さんはこうも言いました。「仕事としてではなくて、高橋さん個人に手伝ってもらいたいのです」

 私にとってもむしろ、その方が好都合でした。そのとき、私の県での仕事は「広報」で、障害者雇用施策は商工労働部が担当だったので、仕事として手伝って欲しい、と言われてもなかなか難しかったからです。

 そして、私はその後、安房からのチャレンジド大会開催のため、夜間や休日など、ブライベートな時間をかなり費やすことになりました。

 

NPO南房総IT推進協議会との連携

 個人として今回の安房からのチャレンジド大会を手伝うことになった私は、私の南房総での活動の源泉となっている特定非営利活動法人南房総IT推進協議会メンバーとして、この大会に協力することにしました。

 南房総IT推進協議会は、情報化を推進して地域の活性化を図っていこうという目的で活動しているNPOで館山市が活動の中心地域です。私は先に述べたように、このNPOに数年前からメンバーとして参加していました。

 今回、南房総の館山市で開催するこの安房からのチャレンジド大会に、同じ地域で活動している団体として、NPO南房総IT推進協議会が協力するのは当然だと私は思いました。まして「安房からのチャレンジド大会」を開催するきっかけとなった「チャレンジド・ジャパン・フォーラム」は、「チャレンジドがITを使って仕事をしていく」ことを提唱しているわけで、IT推進を活動の目的としている南房総IT推進協議会がこの大会の開催に協力することは、大会の趣旨から考えても非常に良い、とも考えました。

 そんなわけで、NPO南房総IT推進協議会がこの大会の開催に協力することを視野に入れつつ、私は、このNPOのメンバーという位置付けで安房からのチャレンジド大会の実行委員会に参画することにしたのです。ちなみに、私が安房からのチヤレンジド大会の実行委員会に名前を連ねることに決めたとき、既にもう一人、南房総IT推進協議会から実行委員会メンバーに参加している人がいました。南房総IT推進協議会の副理事長であり、館山市役所の職員でもある石井博臣さんです。石井さんと私の二人がIT推進協議会から参加することによって、安房からのチャレンジド大会は、「ITによるチャレンジドの社会参加」をより強く意識したものとなりました。

 「安房からのチヤレンジド大会」は2004年3月に初めて開催されました。その初回の大会開催の際の様子を連載でお伝えしています。

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