小一 教育技術 11月1日より転載

スペシャルインタビュー

社会福祉法人プロップ・ステーション理事長

竹中ナミ さん
たけなかなみ

竹中ナミの写真

障害のある人もない人も生きいきと働ける社会の実現に向け、パワフルに活動し続けている竹中ナミさん。人生の波風をものとせずエネルギッシュに生きる思いをうかがった。

プロフィール

1948年、兵庫県神戸市出身。プロップ(prop)とは支え合いという意味。重度心身障害の長女を授かったのを機に障害児の医療、福祉、教育問題に携わる。障害のある人たちの可能性に着目してチャレンジド(Challenged)という言葉を提唱、1992年からチャレンジドの自立と就労を支援する活動を続けている。内閣府、厚生労働省、総務省など多くの省庁で様々な委員を歴任。文部科学省選定ドキュメンタリービデオ「Challenged」や著書「ラッキーウーマン〜マイナスこそプラスの種!〜」(講談社)やサイト「PROP STATION」(http://www.prop.or.jp/)で、世界中で活躍している活動の詳細が紹介されている。

 

 竹中ナミさんが理事長を務める社会福祉法人プロップ・ステーションは、障害のある人たちが自立して社会に参画できるように就労支援、雇用創出を目指している。障害のある人たちに対しては、障害を否定的にとらえず、それゆえに経験する様々なことを自分自身や社会のためにポジティブに生かそうという思いを込めて、「チャレンジド(Challenged)」という呼称を提唱。これは挑戦という使命やチャンスを与えられた人を意味する米語を語源とする。

ITスキルを高めて就労のチャンスを望む高齢者やチャレンジドに対するパソコンセミナーの開講や技術指導、在宅ワークのコーディネート、「チャレンジドを納税者にできる日本」をテーマとしたシンポジウムなども開催。プロップ・ステーションでは、チャレンジドはスタッフとしても働いている。

 

破天荒な子ども時代

 底抜けの明るさで多くの人に「ナミねぇ」と親しまれている竹中さんは、「自分自身が若い頃から道をはずれて生きてきたから、道をはずれることが怖くない」と言い切る。

 「レールをはずれてはいけないという真面目な人ほど、最近は弱ってはる感じがするんですよね。チャレンジドの世界で言うと、障害児の親は青い顔をしてしんどそうにしていなくてはいけないような世間のイメージがあります。障害があってもマイナスのことだけではなくていいところが絶対ある。障害はマイナスであるというイメージをとにかく捨てよう、みんな不良になってみようよと、"不良のススメ"を言って回っています」

 破天荒さは子どもの頃から芽生えていた。
  「趣味は木登りと家出。最初の家出は幼稚園時代でした。小学生時代は、東灘区にある学校の木には、全部登りました。運動場では鉄棒の高いところから低いところまで棒の上を何秒で走れるか自分の中で競ってみたり、猿みたいでしたね」

 ナミさんは団塊の世代に当てはまる。
  「一クラス60人ぐらいいて人数が多い。今でもご健在の、小学校6年生のときの担任の先生には手に負えん奴やと思われていたみたいですけど、だからといって無視されたり否定された記憶はないんです」

 

障害のある子はかわいそうという圧力

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場数を踏むといろんなことが見えてくるという竹中さんは「好奇心の塊」だそう。

 家でも学校でも、生命力の塊のような野生児だった竹中さんは、高校を中退して結婚。両親はいわゆるインテリ層だった。

 「父は何やってもええと言う人でした。母は、父親や長男が一段高いところでおかしらつきの食事をして、女や働いている者は土間でメザシを食べるのが当たり前だった時代に、それを許せないと思った人でした。
  二人とも、私が何をやってもお前はそのままでかわいいからええねんと言っていた。これは私が娘を授かったときに世間がなんと言おうがかわいい、すごく価値があると思ったのと同じなんです」

 34年前に授かった長女が生後数か月で重度心身障害、脳障害と診断を下され、竹中さんの父親は「この子を連れて死ぬ!」と言った。

 「障害のある子はかわいそうで、その家族も不幸な目に遭うと思っていた父の行動を阻止するには、私と娘のこれからの人生が辛い、大変、不幸なだけではなく、面白いこともあるし元気でやれるんだと見せるしかありませんでした。

 ワルだった自分がマニュアル通りにはいかない娘を授かったのは必然だなと、すごく感じたんです。これでますます世の中のレールに乗らなくていい、徹底的にはずれてもいいと吹っ切れたんですね」

 当時は、障害のある人に対して今よりももっと偏見があった。
  「30年以上前は障害者が家族にいると石を投げられたり、逆にミカンやお金を渡されたり拝まれたり、お金持ちの家では座敷牢のようなところに押し込めたり、あるいは心中したり、という話がゴロゴロあった。けれど、障害があったら連れて死ななければいけなくなるということのほうが絶対おかしい。幸せになっちゃいけないという圧力が社会全体にあるに決まってる、次に私が勝負するのはこれや! と思いました。
  自分が今、こういう仕事をしたり人前でお話ししたりできるのは、娘が私を更生させて育ててくれたからです。世間的にはかわいそうな存在かもしれないけれど、私にとって娘は"特別な存在"。娘がいなかったら今の私は絶対にない。リスクが大きければ大きいほど、すごく大きなパワーにつながるんです」

 竹中さんは「そうやって、自分がワルやったことを正当化して生きてきたんですけど、自分で正当化しなければ人はしてくれない」と笑う。個人の問題を社会の問題としてとらえる母親の視点や両親の愛情は引き継がれ、阪神大震災や離婚などの経験も、竹中さんをさらにパワーアップさせている。

 

立場の違う人たちの言語を「翻訳」できる

 竹中さんのあだ名は、「つなぎのメリケン粉」だそうだ。
  「私はジス・イズ・ア・ペン、マイ・ネーム・イズ・ナミのレベルで国際会議をしたりペンタゴンに行ったりする。人間は究極のワーク・シェアリングで生きていけます。自分ができる部分は決まっているけれど、自分の苦手なことを得意とする人と組めばいいんです。
  ボランティアのグループがなかなか続かないのは、集まっている人が同じことが好きとか得意という場合が多いからなんですよね。障害者が弱いと言われるのも、同じ障害種別のグループごとに分かれてそこにお世話する人を集めるから。別の力をもった人と組み合わせてできるようにするシステムを作ればいいんだと思います。
  日本では大学入試さえ受けさせてもらえないといった、チャレンジドが受け入れられないシステムがまだまだある。高等教育を受けられなければ、要件を満たせず希望する資格も取れないし、青春時代にいろいろな人とつきあう経験ももてない。そうやってどんどんマイナーな存在にしておきながらかわいそうだねと言う。社会がチャレンジドを弱者という存在に押し込めている。障害のあるなしにかかわらず、子どもたちも今、そういう状態に置かれていると思います」

 すべての人が力を発揮できる"ユニバーサル社会"を実現するには、社会制度を整備しなければならない。
  「今、高齢者や障害者が働けないと言われていても、本人も雇用側の意識が変わって制度を改めたら、100%変化するでしょう。そのプロセスを速めたりスムーズに移行するための法律が必要です。そのために、衆参両院で意見を述べたり各省庁で意見交換をしたりしています」

 リーダーにはなれないけれど、人と人をつなぐことができる。「コーディネートとしてはたぶん天才」と自負するのは「翻訳する力にある」と分析する。貧乏な人と金持ちの人、有権者と政治家、役人と民間人など、立場が異なる人たちとつきあい、両者の言語と皮膚感覚の違いを理解して結びつける。

 「言葉を発しない娘の翻訳ができるので、風土や空気の異なる人同士を融合させることができるんです」

 

問われるのは大人

 最後に、学校の先生に対するメッセージをうかがった。
  「小学1年生にとって担任の先生は、学校という世界に初めて足を踏み入れた最初に新しく出会う大人。大きな影響を与える存在だと思います。大きな存在であるという自覚が他の学年の先生よりもさらに重要なのではないでしょうか。先生方はそういう気持ちで教壇に立たれているでしょうが、その初心を常に忘れずにいることが大切なのではと思います。
  子どもは大人から吸収したものによって行動パターンや価値観などの影響を受けるので、問われるのは子どもではなく出会った大人です。そこまで自覚をもつのはすごくしんどいことやと思いますが、やっぱり先生というお仕事には期待するので、それを常に感じていただきたいなと思います」

 チャレンジドの可能性を信じる竹中さんのまなざしは、子どもたちを指導し見守る先生たちと同じであるに違いない。

[取材・構成・撮影/東野由美子]写真提供/プロップ・テーション

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