日本経済新聞 10月30日より転載

こどもと育つ

喜びが毎日生まれる

大平光代さんの写真

弁護士
大平 光代

 おおひら・みつよ 兵庫県出身。自殺未遂など波乱の半生を経て1994年司法試験合格。03年大阪市助役就任、05年辞任。著書に「だから、あなたも生きぬいて」など。42歳。

 「僕らの子ども、ダウン症やねん」――。長女で一歳の悠(はるか)が産まれた翌朝、病室で夫が静かに言った。その事実を受け入れるのは、私にはごく自然なことだった。子どもの個性により勉強や、運動に得手不得手があるのと、障害の有無も同じだ。

 弁護士になり、犯罪や非行に走る、少年少女のSOSを数え切れないほど聞いた。私自身子どものころに、いじめ、自殺未遂、そして非行と、どん底の状態を経験し、気持ちがよく分かった。彼らは他人との比較の中で、親や周囲に自分を否定されたと感じ、苦しんでいた。子どもに対しては、まずありのままを受け入れようと、思っていた。

 頭では分かっていても、思わず「ごめんなさい」という言葉が□をついて出た。つらい治療を受けるのは、私ではなくこの子。健康に産んであげられなくてごめん、と。ところが夫は「ダウン症はどの家庭に起きてもおかしくない。そんなこと思ったらあかん、障害を持つ子の親が苦しむ」。ただ一生懸命育てよう、と二人で誓った。

 帝王切開による後遺症が長引き、入院は一カ月にもなった。退院してからがまた大変。ミルクも、昼夜問わず二時間ごと。経管で一度にたくさん飲ませればもっと楽かもしれない。でも、チューブに頼っていたら、悠は今こんなに自由に動き回れなかったろう。

 仕事は極力抑え、差し支えなければ打ち合わせにも子どもを連れて入る。「これはな、窃盗罪やねん」なんて話しかける。常に腕に抱き、体をさすり、五感に刺激を与える。神経を少しでも発達させるためだ。童謡の歌詞や英語などを画用紙に書き込んだ自作の教材で、八畳と六畳の部屋を囲む本棚はいっぱい。教えた言葉と実物を結びつけるため、買い物にも一緒に行き「はるちゃん、にんじんやで」と見せるようにしている。

 ダウン症の子の場合、はいはいなど、健常な子どもが成長すれば自然にできることも訓練しなければできない。だからこそ「あっ、今できるようになった」と分かる瞬間が来る。毎日毎日成長するので、うれしいことがたくさん。悠が産まれる前は目の回るような忙しさで、明日のことばかり考え、いつも何かに追われていた。しかし今は、「悠が笑った、バイバイができた」と、今日の喜びを一日の終わりにかみしめることができるようになった。

 悠は産まれた時、心臓に穴が二つあり、手術をした。肺高血圧症、白血病の合併症もあり、先のことは全くわからない。でも人に何か夢を与えられるような子に育ってほしい、それだけを思っている。

 

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