朝日新聞 10月28日より転載

京都産業大学 コンピュータ理工学部 開設記念シンポジウム

未来を開く、多様で持続可能な社会へ


 コンピュータ技術はますます進化し、人間の夢を大きく広げるツールとして期待されています。 これからコンピュータの活用は、どんな社会を創造するのでしょう。また、それを担う人材を養成する大学の役割は何なのでしょうか。
 来春、京都産業大学にコンピュータ理工学部が開設されるのを記念し、10月7日にシンポジウムが開かれました。 各分野の有識者たちの多彩な発言を要約してお届けします。

主催者あいさつ

坂井 東洋男 氏の写真
京都産業大学学長
坂井 東洋男 氏

 7学部8研究科、学生数約1万3千人の京都産業大学は、1965年、未来を担う青年の育成を建学精神として開学しました。その2年後、コンピュータを計算機と呼んでいた時代、情報化社会を見越して当時世界最速の大型コンピュータを導入し「計算機科学研究所」を設置しました。また30年前には、今では図書館でなじみのあるオンライン目録を、いち早く実験的に実施しています。これらの実績をふまえて2008年春、理工学部と工学部のなかの2学科を再編成および強化し、コンピュータ理工学部を開設。技術革新が続く社会を貢献できる人材の育成を目指してまいります。

第1部 基調講演  「脳と未来」

茂木 健一郎 氏の写真

脳科学者・
ソニーコンピュータサイエンス研究所
シニアリサーチャー

茂木 健一郎 氏

もぎ・けんいちろう●「クオリア」(感覚のもつ質感)をキーワードに、脳と心の関係を研究するとともに、文芸評論、美術評論にも取り組んでいる。 著書「脳と仮想」(新潮社)で第4回小林秀雄賞受賞。NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」キャスター。

コンピュータの発展に欠かせない脳の理解

 人間の脳の働きというと「記憶力」を連想しますが、そこに大きな意味はありません。 過去の正確なメモリーは、コンピュータに任せておけばよいのであり、むしろ過去から未来をどう生きるかに、脳は生かされるべきです。コンピュータにない脳特有の機能とは、記憶すべきことを「自主的に」「無意識に」判断できること。同じ出来事を共有しても、覚えている人とそうでない人がいるのはそのためです。そして、その中でも特に大切な記憶は、思い出すたびに編集し、都合よく書き換えるといった「過去を育てられる」ことにあるのです。

 一方、コンピュータの利点は、やはり正確な記憶力です。かつて熟練した職人の知識をコンピュータに受け継がせるといった人工知能の研究が盛んでしたが、1980年代に「コンピュータと脳は違う」と決着がつきました。例えば検索サイトには人間のような意識や創造性はなく、あくまでも道具です。今後の課題は、コンピュータ技術をいかに発達させて脳との共生を図るかであり、それにはまず、脳を理解しなくてはなりません。

 脳の創造性はうれしさと深くかかわり、脳は、うれしいときドーパミンという物質を放出します。ドーパミンは、放出する前の行動を強化する働きをもちます。例えば「ある人と会うとうれしい、するとまた会いたくなる」こんな具合です。

 ドーパミンがいつ出るかを理解することは、脳を理解することの早道です。では、脳はどんなときにうれしいのでしょう。簡単にいうと、脳は「サプライズ」も「定番」も好みます。プレゼントは予告なくもらうのがうれしいし、水戸黄門のドラマは決まった時間に印篭(いんろう)が出るからよいのです。つまり創造性は、ランダムと規則的のあわいから生まれます。この状態を偶有性または不確実性といいます。

 

これからの大学に大切なのは創造性

 明るい未来を築くのは、「予測」でなく「意思」です。脳科学的に、人生がうまくいくかは、不確実性のある出来事を楽しいと感じられるか否かです。子どもが未知なことに挑戦できるのは、親という安全基地があるからで、大人が不確かなことを目前に逃げたいと思ったら、親代わりとなる知識や経験などの安全基地を見直すことが大切です。

 21世紀のキーワードは「生物多様性」と「持続可能性」です。例えば、自然界に無駄はなく、ワシがネズミを捕らえるのはワシの手柄ではなく、ネズミや関連する動植物を生かす豊かな森があるからです。同様に、ノーベル賞はその人個人でなし得たというよりも、人間社会という多様性のある生態系があったからと考えられます。日本には、一社員の提案書によるひらめきが企業を支えるといった多様性を土台にした文化があり、欧米のノーベル賞的なものへの対抗軸として重要視すべきです。

 また多様性を得るには、相当の時間を必要とし、持続可能な社会が機能しなければなりません。
ある社会システムの存続が長く続くほど、多様性は育まれ創造性が発揮できます。人生においても経験を重ねるほど、ひらめきが出るはずです。創造性は、21世紀の大学にもっとも必要であり、京都という地域性はその根源となる多様性を育む環境だと思います。

 

第2部 パネルディスカッション
「未来を創(つく)る発想の発見
〜コンピュータが可能にする 人類の夢と未来〜」

[パネリスト] 茂木 健一郎 氏/竹中 ナミ 氏/瀧田 佐登子 氏/上田 博唯 氏

 

コンピュータによるプラス面とマイナス面

竹中 ナミ 氏の写真
社会福祉法人プロップ・ステーション理事長
竹中 ナミ 氏
たけなか・なみ●1992年、コンピュータを活用した障害者の就労支援をスタート。 以降、チャレンジド(障害者)の自立と就労支援のため、産官政学民の連携を推進する活動に取り組んでいる。

- 皆さんは、コンピュータとどのようにかかわっているのですか。

瀧田 10年前、インターネット向けのソフトウエアであるネットスケープ日本語版の開発に携わりました。インターネットが商業化の波に乗った時代です。今は、インターネットエクスプローラーという閲覧ソフトがよく知られています。では、「Firefox(ファイアーフォックス)」はご存じですか。これは、企業の商品ではなく、インターネット上で、ソフトウエアの設計図を公開し、誰でも開発に協力して応用できる「オープンソース」という方法で作られました。Mozilla(モジラ)は、このFirefoxを無料配布する非営利法人です。皆で良い製品を作ってハッピーになろうと日夜努力しています。

竹中 プロップ・ステーションが生まれたのは16年前。パソコンの活用が仕事になり、社会とつながりたいという重度障害者の人たちとグループを作りましたまた当時、アメリカで障害者を指す「チャレンジド」という新しい言葉ができました。挑戦する使命が与えられた人という意味です。"障"も"害"もネガティブなイメージなので、私もそう呼んでいます。
  コンピュータはチャレンジドにとって脳の一部ですが、使うのは彼ら自身。皆さんに彼らの意思や努力を伝えていきたいですね。

上田 IT技術の進展は、家庭に何をもたらしたでしょう。例えば、昔は家庭で電話やテレビを共有し、会話や意思疎通が生まれやすかった。でも今は、個々に携帯電話やパソコンで情報収集をするし、パソコンを使えない人は取り残されている。便利な半面、家族の孤立や情報弱者を生んでいます。
  人間の知性とコンピュータの知性は別もの。両者をうまく交わらせて、よりよく共生できるようにする研究に取り組んでいます。

茂木 皆さんの話から、コンピュータやネットが発達するほど、人間の価値はむしろ上がっていると思いました。
コンピュータを媒体に人間のどんな可能性を引き出せるかが、私たちの共通テーマですね。

 

大学の新しい価値が問われている今

瀧田 佐登子 氏の写真
有限責任中間法人Mozilla Japan代表理事
瀧田 佐登子 氏
たきた・さとこ●コンピュータ汎用機の草創期からエンジニアとして活躍。東芝、Netscape Communicationsを経て現職で活躍中。

−未来を創るのはどんな大学なのでしょう。

瀧田 大学でオープンソースの授業をしていますが、面白い情報を提供すれば学生はついてくる。最近の大学の授業は型にはまりがちだし、情報はネットで得られるので、先生も大変。大学の新たな価値をどう示すかが大切です。

上田 学生に必要なのは成功体験。模擬的でも誰かの話でもいい。自らのチャレンジする意欲につながります。

瀧田 企業も同じです。モノ作りはある意味、行きつくところまで行ったので成功体験に乏しい。今後は内向きでなく外向きに取り組むことで、新たなモノ作りができるはず。そうなれば学生にも夢を与えられます。

上田 できそうもないと思えるくらい大きなテーマを学生に与え、小さな目標を一つずつクリアすることで最終的になし得るよう指導したいですね。そうした成功体験は、答えのない社会の問題にチャレンジできる力を養います。

竹中 プロップでのコンピュータセミナーは、教えたい人と吸収したい人の間に火花を散るような熱さがある。しかしこれだけ多く大学があると、大学側と学生の思いも様々で、火花散る関係は難しいかも。両者がともに考える問題だと思います。

茂木 ネット上に学問の情報はあっても、人はいません。学生は教師に影響を受けるので、教師の夢は青天井であるほどいい。また、いろんな人に学べる機会を与え、個々の能力を発揮できる大学にするべきです。今後の大学は人の魅力にかかっています。

 

ゴールを設けないコンピュータの未来へ

上田 博唯 氏の写真
京都産業大学工学部 教授
上田 博唯 氏
うえだ・ひろただ●1973年大阪大学通信工学専攻修士課程修了。FRIEND21研究センター次長。日立電子(現日立国際電気)開発研究所部長。情報通信研究機構専攻研究員などを経て2006年京都大学客員教授。07年から現職。

−これからのコンピュータについてうかがいます。

竹中 パソコンは打ち出の小槌(こづち)。人類が火を発見して動物から人間になった、それに匹敵する道具だとチャレンジドは言います。でも技術は使い方次第で悪にもなる。どう使うべきか、大学の内外で考えプラスの方向へ伸ばしてほしい。日本の大学はチャレンジドに閉ざされがちで、若い時期にいろんな人と出会う環境がないのも問題。大学の変化と、コンピュータの上手な活用法が合えば、日本はすごい国になります。

瀧田 未来はオープンソースにかかっています。ハンディのある人もない人も編集すればいろいろなことができる。また、デジタルとアナログが共存することで、すばらしい世界が実現します。それを研究するのは次世代の人。ブロードバンドも携帯電話も進んでいる日本には、発展の土壌がそろっている。ゴールを設定せずに進んでいただきたいですね。

茂木 「コンピュータ理工学部」の名に京都産業大学の決意を感じました。新しい動きがここから起こると期待しています。

上田 今後コンピュータを学ぶ人は、人間の脳について深く理解し、人類のために何ができるかを考えて行くようにしなければなりません。今日の話から、本学部の方向性がより明確になりました。

 

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