大阪府立大学 関西経済論VII
平成19年3月 より転載

チャレンジドを納税者にできる日本

(社福)プロップ・ステーション理事長 竹中ナミ

 どうも皆さん、こんにちは。今ご紹介いただきました、プロップ・ステーションの竹中ナミことニックネーム、「ナミねえ」と申します。よろしくお願いいたします。今日は、私よりも人生の先輩の方が多いようで、まあ私のほうが年下なんてすが、一応ニックネームが、ナミねえなんで、ぜひそういうふうなことで覚えていただければ、うれしく恩います。今、ご紹介いただきました宮本先生が、この関西経済論の講座をお始めになられて、もう十二年になるんだそうですが、私、宮本さんとは、今ちょっとご自身もお話しになりましたけれど、財務省の財政制度審議会という委員会、審議会の方のメンバーとして、関西から行っている数少ない二人なんですけど、お出会いをしまして、まあ意気投合してというか、関西のパワーをぜひ日本中に広げたいね、というようなお話をお会いするとよくさせていただいてるわけです。

 まあ、財政制度審議会というと、国の財政、経済そのものについて語るんですけれども、その財政制度審議会の中で私、唯一NPOのおばちゃんで入ったのが私でして、私以外の方はみなさん、大学の研究者の方とかあるいは一流企業のトップの方とか、あるいは大手マスコミの代表の方とか、日頃、テレビとか新聞でお顔を拝見するだけというような、抒鈴たるお方々がいらっしゃる中で、一人、NPOのおばちゃんが関西弁でですね、「ちょっと待って。そこらへんわかれへんから。」とかなんか言うたりして、聞いてるわけです。

 NPO、まあそういう市民の活動といいますか、地域の活動をしていると、扱うお金の金額といっても、まあよういっても十万、百万、そこから先は、まあほとんど日常的には無縁のことが多いわけです。ところが審議会に行ってみますと、配られた資料に三桁、四桁の数字が並んでて、一番上の方に単位、兆とか書いてありますねん。で、次のページ見てもまた、単位、兆と書いてあって、豆腐屋みたいに1丁2丁と並んでましてですね。で、それよりもちょっと桁数が多いかなあと恩ったら、単位、百億とか書いてありましてね、もう頭の中ではぜんぜん計算できないんですが、そういうお金の話を聞いていても、ようけあるように見えて、実はようけあるのは借金なんや、というのがだんだんだんだん、その財務省の審議会出させていただいてわかってきました。

 で、いったい、じゃあ、そのごっつい借金を抱えたこの国で、地域で、私らみたいな個人がどないして元気さを失わんと、生きていったらいいのかな、多分この関西経済論というテーマそのものも、そういうことを目指されてるんじゃないかと恩うんです。

 だけど、私らみたいにNPOで、草の根で、というような人間が、じゃあどんなふうにして、関西の経済を元気にする一翼を担えるんやろか、といろいろ考えてみると、やっぱり行き着くところ、お金じゃないですわ。人間のパワーですわ。人のパワーしか、たぶん、私は経済を救えるものはないんちやうかなあと思ってます。なぜ人のパワーしか救えるもん、ないんちやうかなあ、と確信するに至ったかというと、それがやっぱり私、このプロップ・ステーションという珍しい名前の活動やらせていただいてるんですが、この活動一緒にやっている仲間たちを見ていて、しみじみそう思うんですね。やっぱり人間の力はすごいなあ、侮れんものがあるなあというふうに思います。

 じやあ、どんな仲間と活動しているかということなんてすが、ちょっと今日はたくさんいらっしやる皆さんに、最初にお聞きしたいんですけど、「社会福祉法人 プロップ・ステーション」とか書いてあるんですが、プロップ・ステーションという活動についてすでにご存知の方、どんなことやってるか知ってるという方、ちょっと手を上げてみていただけますか。一名?一名ですか。質問を変えます。知らんという人、ちょっと手を上げてください。はい、ありがとうございました。 99.999999パーセントの方がご存知ないということで。何で私、呼んでいただいたんか、ようわかりませんけども、これで有名人を呼ぶ会ではないんだということがよくわかりました。経済活性化のために、ですから、少なくともお役に立たないかんなあ、と今の挙手の数を見て思いましたけど。

 実はこのプロップ・ステーションという活動体は、社会福祉法人と頭についています。普通、社会福祉法人といったら、皆さん何をイメージされますか。高齢者の方の施設である。あるいは障害者の方の施設である。あるいは保育所であるというような、そういうものを運営するのが、大体社会福祉法人なんですね。でも、私、どう見てもそんなふうな施設経営者に見えないと思うんですが。実は日本で唯一、施設を持たないで、コンピューターのネットワークで、重い障害を持つ人たちがつながって活動をしている、社会福祉法人で、しかも大臣認可を受けたというのは、日本でウチだけなんですね。ですから、社会福祉法人プロップ・ステーションが何をやってるか知らない方がほとんどやというのは、これぜんぜん当たり前です。不思議でも何でもないんです。大体、日本でこういうことやってる社会福祉法人が他にないわけですからね。

 じやあ、どうやってコンピューターのネットワークで、重い障害のある人たちがつながってるんや、ということなんですが、またまた質問ですけれども、今日いらっしやる皆さんの中で、コンピューターを使っている、あるいは携帯のメールみたいなことをやってるという方、ちょっと手を上げてみていただけますか。ごっつい人数ですね。ほんの数年前に同じ質問をしたら、これだけの人数おられても、手を上げられる方は多分十人でしたよ。じやあ反対の質問をします。使ってない人、ちょっとじやあ手を上げてみてください。もう完全に少数派になってますね。ちょっとその使ってないという方に聞きたいんですが、今は使ってないけど、もうそろそろ携帯くらいは使ってもいいかなと思ってる方、手を上げてみてください。あ、これ、少数派。ということは、今使ってない人は、将来的にも多分使わないやろうということですかね。使ってない人でもね、今日のナミねえの話を間いてもらうともしかしたら、その考えは変わるかもわからないです。

 先はどから障害のある人といいましたけど、実はプロップ・ステーションでつながっている仲間だちというのは、皆さん非常に障害が重いです。スタッフの一人は、筋ジストロフィーという障害名を聞いたことありますかね。筋肉の力が、進行性の方は特にそうですが、どんどんどんどん衰えていって、最後には死に至る、という筋ジストロフィーという障害がありますが、そういう障害がどんどん進行してきて、歩くことが無理になり、松葉杖をついて移動することも無理になり、車椅子で移動するのも無理になり、今はお母さんの介護の元にてすね、ご自宅で介護を受けながらも、コンピューターを使って、うちのスタッフでやってる人がおりますねん。実はその人がうちの、プロップ・ステーションのSEと呼ばれる人です。

 SEというのは、『システムエンジニア』の略で、いろいろコンピューターシステムの中心を取り仕切る人ですわ。あんた、ここ、こういうふうに仕事しいや、あんた、この仕組み使ってこうしいやみたいなことを、自分で考えて、組み立てて、指示も出して、する人のことをシステムエンジニアといってるんです。企業にお勤めの方なら、すでにご存知の言葉やと思いますけど。プロップ・ステーションのシステムエンジニアさんという人は、今お母さんの全面介護を受けながら、自宅のベッドの上で、パソコン使って、プロップ・ステーションに、サーバーといって、いろんなネットワークの中枢の箱みたいなものがありますねん。そこに電脳的に入っていくんですね、自宅のベッドの上のパソコンから。その、また向こうにいてはる、全国の障害の重い人たちに、あんたこんな勉強しいやとか、あんた今日はこんな仕事しいやとか指示出して、間違っていたら教えてあげて、あるいはその人ができた仕事をチェックして、というのをやってはりますねん。

 その方、今言ったみたいに、最初は元気に歩いてお仕事されていて、だんだんだんだん障害が進行してきて、今は全面介護なんですね この間その方がね、風邪引かれまして、やっぱり筋力が落ちてくると、風邪引くと一気に弱るんですね。それで入院されたんです、筋ジスの専門病院に。個室で、なんか、いろんな線につながれて、心電図みたいなのを24時間チェックしないとあきませんねや。で、風邪が治って、しばらく療養するまでは、その人はお医者さんに体をゆだねてはったんですけど、しばらくすると、やっぱり仕事の虫がウズウズうずくわけですよ。「こんだけ機械があるねんから、この医療機械かって、どうせコンピューターやねんし」とか言うて、母ちゃんに頼んで、自分が使ってたノートパソコンを病院に持ち込みましてね、回診の時間とか以外に、ベッドの上でね、線につながれたままでっせ、こう、やってました。そしたらね、婦長さんが飛んできて、「あんた、何やってんの。」て言わはってね、「えっ、僕パソコンで、もう、ちょっと体元気になったから、仕事やろうと思ってるんです。」「あんた、パソコン触ったときにねえ、心電図の波が激しなっているから、やめなさい。」とか言われたりしたんですけども。そんな状態でもう職業人としての意識がすごいんですね。そいで、私もお見舞いに行って、心電図がそんな状態で仕事するのは、ちょっとやめとき。」と言って、「一日も早く退院するのを待ってるからね。」と言って、今、また退院して復帰して、SEの仕事を続けていただいてるんですね。

 もう一人、グラフィックアーティストという仲間がおりますねん。コンピューターを使う仕事というのは、プログラミングみたいにシステムをさわる仕事と、あるいはアートのお仕事というのがあるんですね。これは文章を書いたり、音楽を作ったり、絵を描いたりみたいな事を今やコンピューターでやりはるんですが、その中で、アートの才能のすごい方がいらっしやるんです。女性の方なんです。この人はちょっと難しい、舌かみそうな障害名なんですけど、ウェルドニッヒホフマン病という、何万人かに一人の難病なんてすね。その方も筋肉の病気。筋ジストロフィーみたいに進行はしないんですけども、全身の筋肉に力が入らないという障害なんです。で、だから体グニャグニャなんです、本来はね。だけど彼女は、コンピューターグラフィックスで、子供のときから絵本作家になるのが夢だったもんですから、ずっと絵の勉強してきたんです。

 で、コンピューターと出会うまでは自分で、筆で絵を書いてはったんですね。ところがね、体の筋肉がほとんど弱ってる方ですから、絵を書こうと恩ったらどうするかというと、誰かが絵筆をまず指で挟んであげないといけないわけですね。お水汲んできてあげないといけないわけですね、それでパレット開いて、絵の具のチューブをひねるというのが、あれが手の動かない人には無理なんですね。誰かがチューブを開けてあげて、その人がよっしや、と納得する色になるまで、もうちょっと青入れて、白足してみたいな感じで、ずっとサポートして、その人の自分の思いのままの色が出たら、これで描くわというわけです。これで描くわと言ったって、誰かが画用紙持ってきてあげなあかんわけですね。で、しかも手が動く範囲の絵ならいいんだけど、それより大きいサイズの絵を描こうと恩ったら、画用紙回してあげないかんわけです、誰かがね。でも、そういう状態で、彼女は絵本作家になることを夢見てずっと絵の勉強をされてたわけですよね。

 ところが私たち、プロップ・ステーションの仲間で、コンピューターの勉強会というのをずっとやってきてたんですが、そのグラフィックのコースに彼女、勉強にいらっしやいましてね。といっても、もちろん一人では来られないですよね。お母さんに車椅子に乗せてもらって、押してもらって、そのコンピューターの勉強会の会場までずっと通われたんです。で、コンピューターのマウスを使ってのグラフィックを覚えられたんですけど、まあすごいことが起きたんですね。マウスに手をだれかが載せてあげさえすれば、後は、彼女がマスターしたグラフィックソフトの知識で、真っすぐな線であれ、ゲルゲルの渦巻きであれ、自分の好きな色を調合するのであれ、全部、このマウスの上の指先、わずかに動く指先で全部できちやうんですね。で、画用紙を誰かが動かしてくれなくても、これを動かすと勝手に画面のほうがついてきてくれるわけですよ。で、ちっちやい絵を描きたいというときは、拡大という操作をすると、1ミリの中にお人形さんを描くことだってできるんです。画面上はそれが大きくなるんですね。でもプリントアウトしたら、それが1ミリのちっちやな米粒のようなお人形さんが描ける。逆に、その逆の、四角い画面の中に、描いた絵の拡大でやると、プリントアウトすると、いっぱいくらいにもなるわけですね。で、色も失敗したなと恩ったら、今までやったら、もう一回全部チャラやったんですね。もう一回絵筆持って、画用紙、白いの持ってきてもらうところからせなあかんかったのが、自分の指先で、消去、あるいは変色、色変える、とやるだけで、自分の好きな色に瞬時に変わるんですね。で、彼女はどんどんどんどん、それでアート作品を製作されるようになったんです。ついに、彼女ね、絵本3冊目をプロとして出されるようになりました。すごいでしょう。

 で、今、私たちの仲間の中では、彼女がそういうグラフィックソフトをまた人に教えてあげる、他のグラフィックをやりたいという障害のある方に教えてあげる先生もできるんですね。どうやって先生するかっていうと、これがね、彼女はご自宅にいます。彼女はベッドの上じゃないんです。体を起こしてコンピューターを触られるんですが、全身コルセットで固めるんです。背中をしゃんとさせて、車椅子なんですけど、頭までこう、背もたれがあって、枕で頭をちゃんと支えるようになってて。で、これ、2センチずれてても自分で頭を起こせないんでね。ですから、そこはうまく工夫してある車椅子に乗られて、そしてお母さんにマウスの上に手に乗せてもらって、絵を描かれる。その、描かれている様子が今やテレビ会議というシステムが生まれましてね。勉強を教えにいかんでも、あるいは習いにいかんでも、教える人と習う人が、自分のパソコン同士がテレビ会議のシステムでつながっていたら、あたかも目の前にいてるみたいに、教えたり習ったりできるという時代がもう来たんですね。

 ですから、プロップ・ステーションはもちろん、集まってきてコンピューターの勉強してはる人もいてるし、教えてる重度の障害者の方もいるんですけども、通えない人の場合、さっきも言ったように、完全に在宅で介護を受けてるとかね、仲間の一人は四国の施設のベッドの上におる子もおるんですけどね。そういう場合はテレビ会議のシステムというのを使って、顔を合わせながら、ギャグ言いながら、この絵はああしよう、こうしようとかね、この書類をああしよう、こうしようとか、お仕事しはるわけですよ。すごいでしょう。これが電脳の力なんてすね。

 あの、「IT」っていいますでしょう。「インフォメーション・テクノロジー。」前、あの小渕さんが総理のときでしたか、森総理さんでしたか、「イット」とか言われて、インフォメーションテクノロジー、まあ情報技術というふうに訳していますけど、コンピューターとかそういうつながるインターネットの道具なんかのことをITいうんですね。これねえ、国際的には「ICT」ていうんです。日本ではIT、ITいわれてますけど、国際的にはICT。『C』というのは何か。何やと思います。コミュニケーション、よくご存知です、そのとおりなんてすね。「インフォメーション・アンド・コミュニケーションズ・テクノロジー」というのが国際的な正しい言い方なんてすね。つまり情報技術というのは本来、人と人がつながったり、コミュニケーションをとるということが一番重要な道具なんや。そのための大事な道具なんやで、ということやったんですね。それを今、重い障害のある仲間たち自身が、実現してるわけです。まさにコミュニケーション。情報という言葉を分解してみたら、情けを知らせると書くんですよね。まさにICTの考え方なんてすね。だから、コンピューターが日本で広がりだしたときは、初め、単にビジネスやってる人がこういう道具を使って、よりいっそう儲けるため、経済効果を出すとか、会社を大きくするとか、合理的にやって収益上がるようにするとかの道具といわれてたんですが、私たちからすると、私たちプロップ・ステーションのように、重い障害を持つ仲間たちがつながって、コミュニケーションをとって働いているグループからすると、ITとかICTというのはまさに、初め皆言うてたんです。「打ち出の小槌」と言ってました。最近では、人類が火を発見したような道具や、この道具で初めて自分は人間になれたっていうんですね。初めて自分が伝えたいことが、言葉がしゃべれなくても文字で、あるいは言葉がしゃべれなくても絵で伝えることができる。あるいは目が見えなくても、音声の装置をはさむことで、相手とコミュニケーションが取れる。あるいは体が不自由でさっきも言っているように、本当だったらこれだけしか手が動かないんだけど、その手で、無限のことをいろんな人に伝えることができるどころか、伝える技術を持っていたら先生にもなれる。指導者にもなれる。会社でいうたら上司にもなれるということなんですね。

 日本では残念ながら、障害が重いという人はかわいそうな人といわれている。かわいそうな人に何かをしてあげることが、ずっと福祉やっていわれてきたんですね。これね、でも、どう考えても経済論的にいうと、マイナスの話なんですね。かわいそうやから何かをしてあげるというのは、負の人に対して、つまりマイナスの人に対して、プラスの人が自分のプラスから何かをマイナスに分け与えてあげるという考え方ですよね。総合的に見ると、ここにプラスはないんですよ。ですけど、その人をかわいそうやね、というのではなくて、この人がかわいそうでなくなるためには、どんな技術とかどんな人の支えとか、どんな法律制度とかを整備したら、その人がかわいそうじゃなくできることを世の中に発揮していくことができるんやろうと考えたときには、プラスからマイナスヘの移転ではないんですね。マイナスの人がプラスにもなり、プラスの人はともに仕事をすることで、よりプラスになっていく。私ね、経済はさっき人や、と言ったのは実はここなんですね。これはなかなか、自分が財務省の審議会の委員してながら、こんなことを言っちゃいけませんが、机の上で数字書かれた紙を見てるだけではわからないです。だから、財政制度審議会で、私が参加させていただいてる役割はここやと思ってるんですね。 NPOのおばちゃんが一人人ったと、関西のなんか、図々しい、ケバいおばちゃんが入ったぞと。その人が入った値打ちは何やといわれたら、机の上だけで考えるのはやめましょうやと。人の力を何とか引き出すということをみんなでやろうよ、というのを発言させていただくためにおるといってもいいんですね。

 じゃあ、ちょっとそのプロップ・ステーションの活動。実はここ、パソコン持ってきているんですけど、きれいな花が写ってますでしょう。このきれいな花、ウチの花じゃないんです。世界中のどこにあったかわからへんけど、コンピューターネットワーク上のどこかにあったお花の絵なんてすね。そういうのをパソコンの画面にお花の絵を載せたいといって探すと、誰が写した写真なのか、どこの花なんか、本当はこの花の絵はどこの国においてあるのかわからへんのですよ、私には。だけど、いろんなお花の絵が画面上に出てきて、自分で選べるんです。「あ、この花ええなあ。」と思ってクリックすると、それが私のパソコンの画面の絵になってるんですねえ。すごいでしょう。というようなことを、私は最近できるようになったんです。障害の重い仲間たちはとっくの昔からできてるんです。私はやっと最近できるようになって、偉そうに今、自慢してるんですね。ちょっと待ってくださいね。今これロックになってるんです。ロックを解除してください。はい、わかりました。

 さっき、パソコン使われてる方が多いといわれたからおわかりでしょう。「お前はデスクトップの掃除をようせんのか」とよく言われるんですが。こんなぞろぞろ、せっかくお花の絵があるのに出すな、と仲間から怒られるんですけど。どうやって引っ込めたらいいかよくわかってないんで、とりあえず、このパワーポイントですね。こういうふうに出てきましたが。

 これ『チャレンジド』という写真集の中身をパワーポイントにさせてもらって、これが表紙です。ナミねえとプロップの仲間たちと描いてあります。スイッチをいれて、ここのボヤーっとして暗い影みたいなのが、私です。こっちのかわいらしいお嬢ちやん、これが実は、私の娘なんですね。竹中マキといいます。今年33歳になりましたが、生まれたときから大変重い脳の障害で、重症心身障害というジャンルなんです。ですから、まだちょっと私のことをお母さんと思ってくれてない部分もあります。お話しはできないし、音は聞こえてますけど、意味わからないし、目はきれいな目をしているんですけど、明るい暗いだけがかろうじてわかる全盲なんです。お母さんのきれいな顔が見えない、残念やなぁ、みたいな感じですが、最近こういういい笑顔を見せてくれるようになって、自慢してるんです。表紙に写真を使わせていただいて、マキタさんという、関西ではちょっと有名な写真家の方に撮っていただきました。

 『チャレンジド』というタイトルがついてます。さて、これはどんな意味なんでしょうか。実はこれ、米語、アメリカの言葉なんです。ハンディキャップに替わる新しい米語で、神から挑戦という使命や課題、あるいはチャンスを与えられたという、challengedというedがついた受身体になってるんですね。つまり、すべての人に自分の課題に向き合う力が与えられていて、課題が大きい人にはその力もたくさん与えられているという哲学がこもっていると私は思っています。この15年前位にアメリカで生まれた言葉です。ちょっと、歩くようになったんです。今練習中です。プロップ・ステーションは神戸の六甲アイランドに実は、事務所がありまして、六甲アイランドの浜で、岸壁で、横で魚釣りしてるおっちやんとかおるんですけどね、そこで撮りました。ちょっとこういうふうに歩くようになりましたよ。すごいですねえ。

 この方が先ほどお話しした、マウスの上に手を乗せてもらったら、アーティスト。この後ろに実はボヤーっと絵筆がいっぱいあるの、見えますかねえ。この絵筆でもともとは絵を描いていらっしやった。彼女、今はプロですから、絵筆のニュアンスとコンピューターのグラフィックスを組み合すということもできるんですね。すごいですよ。彼女、初めてプロップに勉強に来られたときは22、3歳でしたけど、今30歳ちょっと前ですかね。で、こちらがお母さん、お母さんの介護で、絵筆を使ってこういうふうに描かれているんですね。ちゃんとお座りになってるみたいですけどね、全身をコルセットで固めて、頭を枕でサポートされて、でもお母さんもご本もいい笑顔されているでしょう。彼女がコンピューターで稼ぐようになってるんです。アーティストですから、プロップ・ステーションは彼女の絵を売り込む仕事もしています。

 この方は仙台に住まれていて、交通事故で障害になられて、今仙台でこういうふうにパソコンに向かって、インターネットを使うお仕事をされています。この方もいい笑顔されてますでしょう。こういうふうに、特殊なハンドル、力が少ししか要らなくて操作のできるハンドルを使って、特別仕様車で、この方は運転お出来になるのですね。

 さてこの方は、堺に住んでいらっしゃるんですね。割とお近くですね。彼は生まれたときから重度の脳性麻痺という障害でした。ところが、彼も子供のときから絵を描くことが大好きだったんですよ。ところが脳性麻痺独特の障害で、手を曲げようと思ったらパーンと伸びてしまったり、伸ばそうと思ったら曲げてしまったり、不随運動、体が思いどおりに動かないという障害があって、真っすぐの線が描けなかったり、まん丸の絵が描けなかったり、でも自分の頭の中ではいろんな絵が次々わいてくるんですね。それを表現するためにプロップでコンピューター・グラフィックスの勉強をされました。彼もすごい才能を現されまして、この、後ろに飾ってあるお猿さんがグラフィックをやってる絵なんですが、自画像だそうですけどもね。なかなか言語の障害も重いですからね、初めてお会いしたときに、僕は絵が描きたいんだということをおっしゃるのに、5分か10分ぐらいかかって、ウオーッと言うてはったんですけど、コンピューター・グラフィックスが認められて、それが買い取られて、ちゃんと収入になって、アーティストとしてお仕事しだしているうちに、だんだんだんだん、しゃべくりが大きくなりますねん。人との会話する時間が増えますからね、やっぱり。打ち合わせもしないかんし、私がこの調子でワアーッとしゃべりかけるからね、必死になって返事もせないかんしということで、だんだんだんだん言語の障害がなくなるわけではないんだけれど、しゃべり方の間とか、息継ぎとか、つばを飲み込むときとか、少しずつ少しずつ変わってこられて、今では私と漫才をすると、彼と私がやるのが一番面白いと仲間内では有名になっています。なかなか、ちょっとシビアなセンスを持たれてますけれど。こういうふうにしてね。初め彼なんか、体が揺れてますからね、車椅子に体縛り付けて絵を描いてはったんですね。ところがそうすると、余計緊張して、手が震えるとわかったんです。で、今はこういうふうに一人座りをして、体揺らしながら、ヒューヒュッとやったら描けてはるりますねん。すごいですよ。人間、やろうと思えば何でもやらはるなあという感じですね。

 これは、プロップの私の大好きなコンピューターの先生なんです。わかりますか、これ。足がマウスの上に乗ってますやろ。日本ではポリオという障害は、今、赤ちゃんのときのワクチン飲むようになって、日本ではなくなりましたが、彼は私よりちょっと年上ですから、もう60ですね。ポリオのワクチンが日本中に普及してなかったんです。それでポリオの障害にかかられて、両手がまったく自分の意思で動かせないんです、ブランブランになってるんですね。足でコンピューターの勉強に来はったんです、15年前に。いまや、プロップで一番人気の先生。彼から高齢者の方や障害の方やチャレンジドの方や、あるいは障害のある子供がお母さんと親子で来たりして、勉強会やってますが、彼が講師やってるときのセミナー、面白いんですよ、聞いてたら。「はーい、皆さん、マウスから足離して。」そんなん、あんたしかおらへんのんちがうの、とか言うて。ギャグかなとかね。

 でもね、彼が先生してるからかわかりませんけど、最近足でコンピューターやってみようという人が増えましてね、「マウスから足離して。」言うても、ギャグじゃなくなりました。「ハイ、私も。」みたいな。すごい時代が来ましたよ。足でやろうが手でやろうが、マウス動かせたらオーケーなんです。彼は今一人暮らしなんです。初め、お母さんと一緒に住まわれてたんですけど、お母さんが亡くなられて一人暮らしで、今コーヒーを作るのにやかんから湯を汲んではりますけど、この(画面)下がコーヒーメーカーなんですね。お掃除からお料理から洗濯から全部足でしはります。彼ね、いつかお母さんが弱って介護が必要になったら自分がこの足で介護すると言ってはりました。すごいあったかい性格の人で、人柄も講師の中で一番人気なんですね。

 さて、この方は三重の方です。髪の毛長いけど女性じゃなくて実は男性なんです。大学を卒業して会社に就職が決まったその日に、オートバイの事故で首の骨を折って、全身麻痺になってしまったんですね。彼も全身麻痺ですから、首もグラグラできない、したら余計にひどくなりますからね。枕のついた車椅子に乗られて。手は完全に固まってしまってるので、実は口にくわえた棒でコンピューターを操作されるんです。コンピューターのキーボードを口にくわえた棒で、キュッ、キュッ、キュッと操作してプログラミングするんです。彼がなんと地域の子供たちにコンピューターを教えるNPOを作ったんです。それどころか、あまりにも彼のプログラミング技術が優秀やからということで、『マイクロソフト』という会社、知ってはりますやろ、あそこの日本法人の社長さんが彼に投資しまして、彼は今、会社も起こして、株式会社の社長さんもやっています。ただし、下のことから着替えることから何から何まで介護が必要なんですよ。だけど、それを除けば非常に優秀な社長さんで、なおかつ地域にとって、子供たちにコンピューターを教えるNPOのリーダーなんですね。この方もやさしい方ですよ。

 この人も、実は宮城県に住んではるんですね。この人の病気はさっきのウェルトニッヒホフマンよりも一つ難しくて、グーテンベルグ何とかかんとかという、ちょっとよう言いません。やっぱり筋肉の病気なんですね。日常はこういうふうに、お母さんの全面介護で、移動するときはお母さんの運転する車の助手席に乗られて、ですけど彼の場合、背中はしゃんとされているんで、コンピューターのお仕事が手を使ってお出来になるわけです。彼とプロップ・ステーションはコンピューターネットワークでつながっていまして、私がわからないことをしょっちゅう彼に聞きますけど、的確にいろんなこと教えてくれはるんです。いい笑顔でしょう。だって誇り高い技術者ですから。

 さあ、これは何をされているところでしょう。手話でお話しをされてるんですね。彼女は生まれついてまったく聞こえないんですね。彼女の息子さんです。彼女シングルマザーで今息子さんを育てながら、プロの漫画家を目指してコンピューターと手書きと両方とで勉強されているんです。彼女は聞こえませんけど、小さいときから発声の訓練をさせて、言葉、声はある程度出るんですけど、自分が出している声も聞こえないし、子供さんが話しかけている声も聞こえません。だから親子で口を見て、口を見合いっこしたり、時々こうやって手話を交えたりして、会話を交わされてるんですね。彼女は某大手住宅メーカーに事務員で、障害者雇用ということで採用されていたんですが、その会社の経営がしんどくなったときに、やっぱり障害者ということで真っ先に「辞めてください」と言われたんです。「仕方がないなあ、辞めないと仕方ないなあ」と言ってたんですが、彼女は実はプロップ・ステーションでホームページを作る勉強をされて、非常に優秀なホームページの作り手になってはったんです。で、会社がそれを知りまして、「ちょっと辞めるのをやめてくれと。今、外へ発注してる高いホームページをあんたが社内におってやってくれへんか。」と言われましてね。それで彼女、「あんたの条件聞くから。」と言ってもらって。でも彼女すごいですね。「いや、いいです。私これからプロの漫画家になりたいですから、自宅でプロの漫画を勉強しながら、在宅でそのホームページの仕事をやりますから、会社からどうぞ発注してください。」と言われて。個人事業者しながら。まあ彼女の気持ちとしたら、いつ何かあったら首切られるかわからんところにおるよりも、自分のやりたいことをやりながら、できる技術で子供を育てていこうと思われたんですね。この誇り高さがすごいなあと私は思うんですね。

 この方は西中島に住まれてるんですね。手が不自由で動かない方の場合は、こういうふうにいろんなサポート装置を使われます。さっき口に棒をくわえてと言いましたけど、この人の場合はキーを押すような、手にパチッとはさんで、先が少しとんがっているものがキーボードを押すように緩やかに手を動かす、指は動きませんからね。それぞれその人にあった道具を皆さん開発されてます。

 この方が先ほど言った、筋ジストロフィーのSEの方なんです。これはちょっと前の写真なんで、お家でこういうふうにコンピューターに向かわれていますが、今だいぶん障害が進行して、この間入院されたりしましたんで、今は寝たり起きたりしながら、ベッドの上でもやるし、体調のいい日には起きてされてると聞いてます。このお家のパソコンがプロップ・ステーションのサーバーにつながっているわけです。

 これはセミナーの様子ですね。セミナーで勉強される方。この方はクリエーターさんですね。アーティストの方がプロの技術とかを伝授してくださるんですね。ボランタリーに参画をしていただいて、皆さん真剣なまなざしですね。皆さんこの技術を身に付けて、世の中に自分のできることを発揮していこうと思って必死で勉強されてるんですね。

 この方は、身体の障害と知的なハンディと両方持たれてる方です。ですけども、勉強は人一倍熱心にされるんです。今、コンピューターのソフトウェアがいろんな感覚で使いやすくなってきましたので、昔は身体障害の方が中心でしたが、今はかなり重度の知的障害の方やまったく会話が交わせない自閉症の方とかが、いっぱいコンピューターを勉強されています。特に自閉の方はコンピューターとの相性がものすごくいいです。顔を合わせて、言葉でのコミュニケーションはまったくできないけれども、文字によるチャットコミュニケーションはできるということなんかは非常に自閉症の方の特徴ですね。

 これは、なんばグランド花月。実はこの写真集が吉本興業から出版する記念に、「あんたら何がしたい?」と仲間に聞いたら、「いっぺん花月の舞台に立ってみたい。」と言いよりましてね。やっぱり関西人でんなあ。それでグランド花月に登らしていただいて、みんな楽しそうにしてますでしょ。みんな日頃コンピューターに向かって働いてますからね、この日は思いっきり楽しみましたねえ。

 この方はマイクロソフトの女性技術者。この方は、マイクロソフトの男性技術者なんですが、プロップ・ステーションの技術者が余りに優秀な技術者なんで、マイクロソフトの社長に会ってもらいました。彼は生まれて生後一年で、両目の癌にかかって、眼球を摘出した全盲の方なんですね。ところが子供のときからお父さんと一緒にいろんな工作をするのが好きで、小学校2年生の時にはお風呂の見張り番みたいな、お水が入ったらブザーがなるというものを自分で作ったりして、近くの小学校の校庭はチャリンコで走り回ってたというくらいすごい子なんですね。もちろん両目ありませんから見えてないんですけど、感覚がすごいんですよ。高校生のときには秋葉原へ行って、こっちでいったら日本橋ですわ。部品買ってきてパソコン自分で組み立てて、線がつながってないところは、はんだ付けしてみたりしたり、という人です。コンピューターの技術もすごくて。ただ日本では全盲の方向けのコンピューターの点字の教科書とかそういうものがほとんどないんです。あってもいっぺん点字にされたものが何年前のやつが繰り返し印刷されてるみたいなんで、彼はなんと、インターネットでアメリカのサーバーへ入っていって、アメリカでは、文字は商業のものであれ、法的なものであれ、みんな「墨字」という文字ですね。普通の文字はデジタルデータに置き換えなさいという法律があるんです。そうすると何ができるかというと、見えない人はデジタルデータは全部音声で読むことができるんです。彼は英語もすごい勉強されまして、日本でコンピューターがきちんと勉強できないなら、アメリカのサーバーでやるといって、インターネットのすごいところは、日本とアメリカの距離がないんですね。日本のここからここへ行くのも、ここからニューヨークに行くのも同じなんです。彼はアメリカの法律に基づいて、アメリカのインターネット上にさまざま、載せられてる最新の技術情報を全部自分で学んで、そして自分でプログラミングをやるという、大学の時には一人暮らしして、下宿で自分でお掃除、料理しながら、その勉強をしてはったんです。あんまりすごいから、私、プロップを応援してくれていたマイクロソフトの日本法人の社長が、「プロップの事をすごく未来がある」と言って応援してくれてましたから、「ぜひ彼に会ってほしい」と言って、会ってもらいました。お二人の会話がなかなかおもしろかったですね。社長が「僕はコンピューターのプロだ、マーケッティングのプロだよ。」と言ったんです。そしたら、彼、細田和也君というんです。和也君が「いや、僕は全盲のプロですから。」と言ったんです。

 実はその当時、マイクロソフトというのは、いろんな障害がある方がコンピューターの使い方について相談してきたときに、一番冷たい会社といわれてたんです。技術者が障害のユーザーに対して剣もホロロで有名だったんです。で、彼が「私は全盲のプロですよ。プロの障害者ですしね。」と言ったのを聞いて、まだ学生だった彼とコンサルタント契約をその場で交わしたんですね。そして彼が大学を卒業したらすぐに、マイクロソフトは彼を技術者として雇って、日本のマイクロソフトの日本法人がどれだけいろんな障害のある人に使いやすいソフトウェアにしていくかという部門のリーダーに据えたんです。彼は英語もできますから、今や国際ビジネスマン、国際技術者ですよね。シアトルにあるマイクロソフトの本社と日本の東京のマイクロソフト本社とを行ったり来たりして、アメリカの方が先ほど言ったように法律が進んでいますから、すべての人がコンピューターを使えなければアメリカではコンピューターを売ってはいけないというくらい厳しいんですね。日本と違って。日本では、「障害者の方、気の毒やから、型落ちのん使わせてあげよか」とか言ってるんですが、そうじゃないんですね。そういう人の力を引き出すための道具なんだから、すべての人が使えないとだめという法律に基づいている国に行って、そこの情報や知識を全部日本に持って帰ってくるという役割を細田和也君がやっているんですね。彼女はそのサポートするお仕事の職場の仲間。サポートといっても身体のサポートではなく、技術とか言語による、いろんなことのサポート、マネージングをされているんですね。

 私たち、チャレンジド・ジャパン・フォーラム国際会議といって、こういうことを一人でもたくさんの方に伝えるための国際会議も毎年のようにやっています。私たちの大会の特徴は、ここに車椅子の仲間たちみんなプログラマーが映ってます。彼はキャドとか建築設計の技術者になられて、今在宅でお仕事をされていますけども、こういう大会を開いていて、決して「この大会に車椅子の方、何人招待します」、ではないんですね。彼らはスタッフなんですね。どんなふうにこの大会をプレゼンテーションしたらよいかとか、どんなゲストを海外から呼ぶと今一番日本にはインパクトがあるか、とか企画を一緒に考えて、プログラムを立てて、たとえば、私たちのこの大会のお知らせのホームページというと、彼らが当然作るんですね。ゲストヘの連絡、海外への連絡といったら、英語のメールをバンバン出して、やり取りしたりするスタッフなんですね。

 これは、この『チャレンジド』という写真集が出たときに、新聞記事にしていただきました。この写真が私の一番のお気に入りなんですね。なかなかいい笑顔で笑うということが少ない娘だったんですけども、本当にこの日はすごく機嫌がよくて、夢のような笑顔を見せてくれまして、いい記録の写真になりました。ということで、写真を見ていただきながら、私たちのプロップ・ステーションという活動がどんな考え方で、何をやっているかということを少しご理解いただけたかな、と思います。

 実は、今年の国際会議を7月22日土曜日に、東京のビッグサイトで開くということに決めています。これが簡単な紙のチラシです。もう第11回目になるんです。第11回チャレンジド・ジャパン・フォーラム2006国際会議in東京。去年は、第10回大会を、先ほど言いましたように私たち神戸に本部があります。ですから、あの阪神淡路大震災十年目の神戸で第10回の大会をさせていただきました。第11回、今年は東京でしようということで、この趣旨のところで私たちの考え方を述べさせていただいてるんですけど、ちょっと字が小さいから読みにくいかもしれませんので、読ませていただきます。

 「すべての人が持てる力を発揮し、支えあうユニバーサル社会(共助社会、みんなで支えあうという意味ですね)の実現は、少子高齢化が未曾有のスピードで進む日本において喫緊の課題です。プロップ・ステーションはユニバーサル社会(共助社会)の実現のため、ICTを駆使して、とりわけ社会の支え手になることが困難といわれてきたチャレンジド、障害のある人たちの自立と就労を促進する活動を長年取り組んできました。この活動を産官政学民の幅広い層の人たちと連携して推進するためのイベントが、このCJF、(チャレンジド・ジャパン・フォーラム)国際会議です。世界各国とりわけ、先進諸国ではすでに障害者や高齢者は弱者という概念を脱しています。そして弱者を弱者でなくしていく社会システムを強力に推進しつつあります。そのような各国の事例に学びつつ、日本においてもユニバーサル社会を実現するため、本年は特別ゲストで、小泉純一郎総理大臣をお迎えして、第11回チャレンジド・ジャパン・フォーラム国際会議を開催するものです。」

 テーマはここに書かれているように、ユニバーサル社会の実現を目指してということなんですね。プログラムとしては、オープニングに各国のすごい活躍をされているチャレンジド、先ほどの絵を描かれている、クボリエさんといわれた方ですが、彼女は作品展も、製作された絵本の販売などもされますが、そういう各国のチャレンジドたちと小泉総理との冒頭セッション、それからユニバーサル社会を語る、閣僚セッション、これは今のところ、財務省の谷垣大臣、厚生労働省の川崎大臣、そして国土交通省の北側大臣、それぞれ私が委員をさせていただいてる、審議員をさせていただいてる、というようなこともあって、ぜひ自分も出て発言をするとおっしゃっていただいたので、お迎えをすることになりました。そして海外からは米国、スウェーデン、タイ、そして日本のチャレンジドたちがそれぞれに発表してくれます。その他、企業のユニバーサル・プロジェクトなどの発表もする。夕方からはコミュニケーション・パーティというのがありまして、今、安倍官房長官が、再チャレンジをできる社会にしようとかおっしゃっていますが、そういったスピーチもいただくということで、一人一人のお名前は言えませんけれども、いろんな方が来ていただけるということになっています。

 別に、私たちの活動は政治の活動ではないんですね。ですけど、先ほどから言っているように、その国の法律によって、チャレンジドの人やあるいは高齢の人たちやあるいは女性がどこまで活躍できるかというのは、法の整備によってぜんぜん違うんですね。日本では、全盲の人は気の毒です。体の不自由な人、かわいそうです。アメリカに行ったら違うんですね。全盲の人はどんな道具を使って、どんな仕事をする。体が不自由だったら、その人はどんな道具や科学技術によって、その人の持てる力を発揮するか、そのために道具はあるのだ、ということで全部法律が決められていくんですね。

 たとえば、日本で、事故で車椅子が必要になりましたというと、どう言われるでしょう。「大変なことですね。気の毒なことですね。とうとう車椅子になっちゃったんですか」と言われますよね。車椅子にじっと乗っていると、だんだん体が歪んできたり、車椅子に敷いてある座布団が合わなかったら、お尻に床ずれみたいなのができたりして、日本では車椅子に乗るようになったら、背骨が歪んだり、床ずれができたりするのが、障害者の宿命と言われてきたんですね。アメリカはどうですかね。車椅子に乗ることで、その人の体の状態が悪くなったら、その車椅子はPL法に引っかかるんです。法律によってこれだけ違うんですね。車椅子というのは、座ってその人が移動するための医療機器だというのが日本の車椅子という、残念ながら位置づけなんです。アメリカでは、その人を元の勉強していた場所とか、元の働いていた場所とかへ戻す、あるいは元の場所に戻れなかったら、新しい仕事をこの車椅子へ乗った形で、どうやってするのかということで、コンピューターの技術なんかと全部組み合わせて、その人を社会を押し出す道具にするんですね。ですから、その押し出すための道具が、その人の体にとってマイナスの結果が出たら、当然、製造責任を問われますということで、車椅子の体へのフィッティングということは、すごく厳しいんですね。そういうことを今回は、アメリカからのゲストがお話しをしていただけることになっています。

 で、ここに書いているように、公式サイトというのがありましてね、サイトというのは、ご存知のようにインターネットのことですね。その公式サイトというのも、仲間たちが作っているんですけど、ちょっとアメリカから来るゲストのことをご紹介したいと思います。米国からお招きする、チャレンジド・ゲスト、ジョン・ティー・ケンプさんという方です。この方、ちょっとわかりにくいかもわかりませんが、こうしてみると、手に特徴があるのがわかりますかね。実は、両手両足が義手義足なんです。で、その両手がですね、肩のところにコンピューター操作みたいなのが入ってるんですけど、昔でいうピーターパンのフック船長に出てくる、鉄の爪みたいな、ああいうのがダブルに合わさったような鉄の爪がパクパクパクと動くようになっていて、結構高価な装置だと思うんですけど、そういうのを使われていて、彼は実は、ここに書かれていますけれども、71年にジョージタウン大学を卒業し、74年にウォッシュバーン大学院法科大学院を卒業し、2003年5月には同大学院より名誉法学博士号を授与されたという、すごい才能の方で、実は、弁護士さんなんですね。アメリカの一流企業いくつもの顧問弁護士をやっていて、なおかつ全米の国際的なチャレンジドの組織の会長さんもされているんです。つまり、チャレンジドとしてもアメリカのリーダーであり、弁護士としてもアメリカのリーダーであるという方なんですね。こういう方が生まれてきた、あるいはこういう人たちが大学へでも行けちゃう国のすごさ、日本では、試験そのものも受けさせてもらえないということは、ゴロゴロとあるわけですね。まして、大学の先生が彼のような人というのは、まずほとんどの大学でおられませんけれど、アメリカではその人が能力があれば、学校も自分の選びたいところを選べるし、その大学は、その人が受験したいといったら、受験できる体制を整えるということが法で決められているんですね。排除してはいけない。その人が障害があるという理由で受験できない状態であれば、「あんたとこ、学校という免許返しなさい」と言われるのがアメリカという国なんですね。今、アメリカはそんな国にまでなっています。

 そして、このジョン・ティー・ケンプさんという方は、今、国務長官の諮問機関の障害者部門の委員をしておられて、政治、政策の面でも、それから企業的な財界の面でも、あるいはチャレンジドの世界でも、非常に有名な方です。で、めっちゃ、ハンサムでね。あの昨日、岡田真澄さんが亡くなられて、日本の俳優のハンサムが一人亡くなったなあと思って、ちょっと残念なんですけど、お会いすると、岡田真澄さんをもう一回り渋くハンサムにしたみたいなブルーの深い瞳で、すごい素敵な方なんです。奥さんと子供さん二人、確かいらっしゃったと思いますが、鉄の爪ですごく暖かく家族を抱きしめられたり、この鉄の爪にかっこいい万年筆を挟んで、弁護士さんですから、サインされたり、書類を整えられたりされるということで、「あなたは日本の俳優の岡田真澄に似ている。」と言うと、「誰、それ?」と言うので、「日本で一番有名なハンサムな俳優やったんです。」と前、お会いした時に言ったら、それから自分のことをミスター真澄と呼んで、とかいって、冗談もおっしゃるという素敵な方なんです。

 こういうふうに、日本の中で福祉とか障害者とかというふうに考えると、その人たちに何をしてあげたらいいの、どうしてあげたらいいの、という会話ばかりになってしまうんですね。その人たちに何をしてもらったらいいの、という会話になかなかならないんです。これが日本の残念なところで、私はそういう意味で、日本の福祉って、ものすごくもったいないかなあと思っています。日本人って、ものすごくやさしいんですよね。人の事を思いやるという、この思いも、どの国にも、私負けないと思ってるんです。だけど、結局その人のマイナスのところ、できないところだけに着目をして、その暖かい気持ちを発揮すると、どうしても何々してあげるになっちゃうんですね。だから、私たちが本当に見ないといけないのは、その人の中に隠れている可能性だと思うんですね。あるいは、その人が何をしたいのかという部分だと思うんですね。本人も気づいてないかもわからない、だけどその人がいろんなできることを勉強するチャンスとか、それを磨く場所とか、磨いたときにそれを仕事につなぐシステムとかそういうものが整備されていたら、私は決してかわいそうな人ではないと思うんですね。プロップ・ステーションは先ほど言ったように、彼らがスタッフです。私は自分の娘が重症心身障害ですけど、自分自身は障害はないんです。

 だけど実は、私、そこの紹介にも書いてあるかわかりませんが、神戸市立本山中学校卒業、学歴中卒やったんですね。めっちゃ悪やったんですよ。もう日本の非行少女の走りと呼ばれましてね。高校も一応行った事は行ったんですが、不純異性行為というので退学になっただけじゃなくて、学籍抹消になりましてね。その時代に、私らの時代に、男女の、まあ中学生や高校生が手をつないで歩いてたとか、喫茶店に入ったとかいうと、もうこれ退学なんですね。そんな時代やったんです。団塊の世代ですのでね。皆さんもご記憶があるかと思いますが、今なんかよりも、めっちゃ校則が厳しかったときです。それで、私、高校に入ってすぐ、勉強よりもなんか自分でお金儲けするほうがいいわと言って、アルバイトに行った先の人と知り合って、えらいかっこいい兄ちゃんやわぁと言って、すぐに一緒に暮らしだしてね、もう、その時代の男女の感覚からいうと、とてもじゃないけど許せないことやったんですね。しかも公立の学校で、無理から成績悪いのに入れてもろうたのに、それやのに、「あんたみたいな子は学校の恥です」と言って、もう退学。学籍抹消。で、結局まあ中卒なんですけど、きょうび中卒というと希少価値ですよね、でも私、勉強してませんから私、算数でいうと、足し算、引き算、掛け算、割り算、三桁くらいは何とかできます。そこから先はもうだめ。中学校になると、方程式とか、もうちょっとすると、関数とかいうじゃないですか。もうそうなるとまったくだめですね。要は、小中学校の算数がやっとできるかなというのが、今の私の算数的レベルなんですね。で、勉強してませんから、英語ぜんぜんだめなんです。まったく。英語でしゃべれるのは、「ジス・イズ・ア・ペン」と「アイ・アム・ア・ウーマン」だけなんです。それでも、さっきから、海外の人と付き合ってると言ったでしょう?何でかわかります?英語の優秀なスタッフがいるんですよ。さっきの全盲の細田和也君でもそうですが、私がしゃべれんでも、私が日本語でしかも関西弁でベラベラベラーっと言います。そしたら英語の得意な人が瞬時にバッと訳してそれを電子メールとかで送ってくれるんです。だからね、受け取った相手の人は、『フロム ナミ』とか書いてありますから、ナミねえはごっつい英語達者なんやなあと思って、国際会議に招かれてみたら、私何もよう言わんと、ただ「イエ、イエ、イエ」とか、「ハロー、ハロー ハロー」とかね、「マイネーム・イズ・ナミねえ、イエイ!」とかしか言われへんで、あの手紙はほんまにあんたがくれたんかとかよく聞かれますけど、多分そう聞いてるんやろうと思うんですけど、私は横で「私しゃべる人、彼書く人」とか言って、こう紹介して、つまりこういうことなんです。

 私が体動く、目が見える、耳が聞こえる、言葉しゃべれます。そしたら、その役割は100%果たします。だけど、数学できへんから、日常生活で数学必要なところって当然ありますよね、経理とかありますから、そういうのは、数学や経理の得意な人が仲間に入ればいいんです。私、偉そうに、こんなの持ってきていますけど、今みたいに指で動かすだけしかできないんです。何かソフトウェアが操作できるとかということはないわけですよ。指でチョンチョンとすることしかできないわけですよね。だけど、チャレンジドの仲間たちが非常に優秀な人たちが、私の何百倍も何千倍もコンピューターを使いこなして、ネットワークで日本のこっち側とこっち側と、あるいはアメリカやスウェーデンとやり取りして、私は頼みまっさ、とその部分においてはいうとけばいいわけですよね。

 共助社会、ユニバーサル社会というのは、つまりそういうことなんです。この人は障害があるからかわいそうで、支えられる人で、私は障害がないから強い人で、かわいそうじゃない人で、支えてあげる人やっていう、この概念をもう、いっぺんチャラにしましょう。障害のあるなしとか、男か女かということとか、若いとか年寄りとかそういうものを一切チャラにしましょう。あんたは何がしたいの、あんたは何ができるの、何が得意で、何が苦手なん?得意なものは全部出そう、苦手なものは得意な人と組みましょう。これでオーケーじゃん。これがプロップ・ステーションのプロップという言葉なんですね。これは支柱、つっかえ棒、支えあうという意味を持つ言葉なんです。

 『Prop』はラグビーのポジション名でもあるんですね。ラグビーのスクラム組んだときに、下からガーっと支えに入る地味ですがすごい重要な役があるんです。実は、私と一緒にプロップを始めた青年は、ラグビーのそのプロップの役をやっていたんです。ところが、ガーっと支える、あのプロップというあの役は怪我が多いんです。鎖骨折ったり、肋骨にひびが入ったり、しょっちゅうするんです。彼も試合中に、ガーっとスクラム組んだときに骨を折りました。ところがそれが鎖骨とか肋骨ではなく、首の骨だったんです。で、彼、その場で気絶して、救急車で病院に運ばれて、リハビリもしました。必死でリハビリしましたけど、ある日お医者さんが、「君、もうこれ以上リハビリしても、体がよくなることはないから、お家へ帰りなさい。」と言ったときに、自分の意思で動かせるのは、左手の指先これだけと、首が左右に90度弱、これだけになっていたんですね。つまり、ついこの間まで、ラガーマンですよ、しかも優秀なプロップといわれていた、その青年が一瞬の事故で入院手術して戻ってきてみると、寝たきりですわ。動かせるのは、左手の指先、これだけですからね。

 朝、お父さんとお母さんが、「おはよう。」と言っても、自分で枕から頭上げられないし、顔拭くのから、着替えるのから、食事から、入浴から、下のことから、全面介護が必要な重度障害者になって帰ってきたわけですよ。スポーツマンだった、ラガーマンだった彼が。もちろんすごいショックを受けられたんですけど、ある日彼が、自分を介護してくれてるお父さん、お母さんにこう言ったんです。「もうこれ以上、くよくよするのをやめる」死のうかと思ったけど、死ぬ元気も、死ぬ力もないですからね。指のこれくらいの力やったらね。「首も吊れへん。屋上から飛び降りることもできへん。僕は、自分に考える力が残されてるのがわかったから、この考える力を磨いて、仕事できるようになって見せるわ。」と両親に言ったんです、寝たきりの息子がね。また、両親がすごいのはね、お前そんな体で何言ってんねん。そんな無茶なこと言わんでええと。お父ちゃんお母ちゃんが世話したるから。とかお前のために何ぼ残したるとかそんなこと言わんとね。彼が「働きたい」と言った瞬間に、「そしたら働け。」と言ったんです。「ほんなら働かんかい、お前。」と言ったんです。「お前は働きたいんやったら、我が家の長男やねんから、家業をついで働け。」とこう言ったんです、寝たきりの息子 に。で、実際、彼は今家業をついで、立派に働いてはるんですよ。どんな家業かというと、マンションの経営をしてはるんです、おうちが。彼、マンションの管理人というんですかね、マンションの管理をするコンピューターのデータベースをつくるようになって、そして、それでマンション管理をするということに目標を定めて、彼はそのための勉強をずっと、つまり、考える力を磨くというより勉強ということですね。経営学とか経済学とかコンピューターのプログラミングの技術とかをずっと勉強されたんです。自分のマンションを経営するための、すごいすばらしいデータベースを組んで、今、実際に優秀な経営者として、やってはるんです。私ね、彼がマンションの経営者になったときに会いに行きました、どんなしてやってるのかなと思って。彼は指先で動かす電動車椅子に乗って、コンピューターを操ってはりました。まあ、完璧なデータベースが組まれていて、本当に全部、入ってきたお金から税金払うところまで、住んではる人一軒一軒の苦情から何から、もう全部そのデータベースで組み上げてあるわけですよ。私びっくりしましてね。「あんた、マンションの管理人になったと聞いてたけど、あんた青年実業家やなあ。」と私言ったんですよ。「カッコええわぁ。」と。

 でもね、カッコええ青年実業家やなあと彼に言いながら、私、あれっと思った。だって、それまでの日本の国では、彼のようにお布団から起きるところから介護が要る。着替えも入浴もお食事も。下の世話なんかそうですよ。全身麻痺になってしまうとね、排便とか排尿とか、感覚なくなりますし、気張るということもできませんからね。おしっこは管みたいなものを通して、小さいタンクみたいなものにたまるように、たとえば乗っている車椅子にそのタンクがついてる。大のほうはどうかというと、週に何回か、お部屋の一室にブルーシート敷いて、そこへご本人を寝かせてご家族が、腸まで届く医療用の浣腸というのがあるんですが、それでおなかを押さえてあげて排便のお世話とかするんですよ。で、呼吸がしんどくて、たとえば風邪引いたとき、ゴホンと私ら平気で痰出しますやん。これ自分でできないんですよ。そういう時は胸をドンと押してあげないといけない。

 それまでの日本では、そんな人はかわいそうな、気の毒な、不幸な、大変な障害者と呼ばれていたでしょう。家族がそういう人であるというご家族も、かわいそうな、気の毒な、ご不幸な、つらいつらいご家族やねえといわれてたんですよ。でも、マンション経営者になった彼は、どう見ても立派な青年実業家ですよね。もちろん、障害はあります。介護も必要です。だけど立派な青年実業家で、堂々と自分の仕事の話しをされて、お父さんお母さんはどう言いましたか。「いやあ、ウチの息子は誇らしい、我が家の誇りの長男です。」とか言われるんです。何でそんなことが起きたかというと、彼自身が自分の力を発揮して、仕事をしたいと思ったこと、家族とか周りの人が、無茶や無理やとか、やめとけ、とか言わんと、無理でもやれるんやったら、やってみい、というふうに応援したんですね。

 そして何より、このコンピューターのような道具ですよ。その当時コンピューターはまだ実は、日本ではほとんど普及してなかったんです。プロップ・ステーションの活動は15年前に始めましたけど、15年前は、一般家庭にコンピなューターはゼロだったんです。企業の経営中枢で、少し使われ始めていたんです。そのときに、彼は業務用のパソコンでデータベースを組んで、自宅マンションの経営者になったんですよ。本人の意思と周りの人のその意思をバックアップする力とその時代の最高の科学技術ですよ。使い古しの何かではなく、お恵みのものではなく、最新の最高の科学技術。この組み合わせによって、彼は今、私の前でかわいそうな、気の毒な障害者ではなくて、すごい経営者として、堂々と生きる人としているんだなあと思ったんですね。

 私、それがわかったとき、日本の福祉って何てもったいないことしてたんやろうと思いましたね。何か手助けしてあげないかん、親切にしてあげよう、とか暖かい気持ちを持っているのに、着目しているところがマイナスのところだけで、この人、ここが無理やしここがあかんし、ここが私より劣るから、何とかしてあげないと、という方向にだけ暖かさが働いたときには、結局その人の力は眠らせたまま、可能性にフタしたままやったんやな、ということに気がついたんですよ。

 それで、私、彼に今までに日本にない、福祉活動やボランティア活動をしてみようと思うんやけど、それどんなんかといったら、それは人の力と、コンピューターみたいな最高の科学技術を使って、その人が障害が重くても自分が何ぞしてみたいなあ、できたら仕事したいなあと思う人がいたら、そうなれるようにする、という活動をしてみたいんやけど、どう思う?と彼に聞いたんですよ。そしたら彼が「僕もぜひ一緒にやる。」と。何でかいうたら、彼がリハビリ病院にいたとき、一緒にリハビリした仲間で彼と同じように介護が必要な状態で帰った人は、彼以外誰一人、もとの学業にも戻ってないし、元の仕事に戻れてないし、新しい仕事に就けてないしというのを、彼はいやというほど、見たんですね。「だけど自分が今出来てるんだから、他にもきっと出来る人おるし、僕よりももっとできる人おるやろうから、ナミねえと一緒にやる。」と言って、「よっしゃ、グループ作ろう。」ということで、「どんなグループ名にしたい?」と彼に聞いたら、「プロップにしてくれ。」と言ったんですね。「何、そのプロップというのは?」「自分がラグビーやってたときの、誇りあるポジション名や。」と言うから、「私ら、ラグビーチーム作るのやないから。せめて意味を調べてみてや。」それで、意味調べてみると、『支柱、つっかえ棒、支える、支えあう』という意味があったんです。それを聞いた瞬間、もう私らの名前はこれしかないと思いましたね。なんでか?それまで日本では、彼のように介護の必要な障害者、支えられる人、障害のない私、支える人って、パーンと線引きがあって、これが常識といわれてたんですね。だけど、私と彼でいうたらぜんぜん違います。彼は、私にない経営能力を持って、私が触るのもいやなコンピューターを使ってバリバリやってはるわけですよ。だけど、スポーツマンやから、シャイで口下手なんです。でも私は、コンピューター触れないし、経営能力ないけど、口と心臓はギネス級。この二人がお互いの欠点を見合いしてたら、何にもできないけど、得意なとこだけ出し合いしたら、すごくないかい?て。口と心臓はギネス級で、経営能力とコンピューター技術がある。すごいじゃん。こういうふうに組めばいいのよね。お互いどっちも支え合いよね。プロップ、支え合い。ベストじゃんみたいなんで、プロップ・ステーションとなった。そういう考え方の人たちが、集まってやってきたのがプロップ・ステーションなんです。そして、そういう考え方を日本ではなくて、すでに海外で実践しているいろんな国の人たちと連携して、それを知ってもらう、伝えていこう、というのが、チャレンジド・ジャパン・フォーラム国際会議なんですね。ぜひ7月22日土曜日ですね。私のお話の時間もそろそろになりましたから、ぜひメモを取っていただきたいと思いますが、東京ビッグサイトです。

 先ほど、たくさんの方がホームページを使ってらっしゃる、パソコンも使ってらっしゃるということでした。プロップ・ステーションのホームページのアクセスも多分ここに書いてあると思います。もちろん、このホームページは、私が作ったものじゃないですよ。私は後ろで、「この記事載せて。」とか「小泉さん来ると書いて。」とか言うてるだけです。それをチャレンジドのスタッフの皆さん方が、カチャカチャカチャッと作ってくれるわけですよ。そこへ入っていただくと、最初に、トップのところに、ご案内へ飛ぶところがあります。そこから申し込みも宿泊も参加もパーティーも全部申し込みしていただけるということになっています。一応今年は1500名くらいまでの方を募集しています。まだホームページが出来てから半月くらいなんですけど、今のところ、申し込みが3〜400名くらいですから、いっぱいまだ空きがあります。で、もうしばらくすると、新聞告知とか出ますから、それで見ていただいてもいいですが、新聞告知が出ると案外ワアーッと申し込みが殺到するかもわかりません。ただこれ残念ながら、フォーラム、お金要ります。フォーラムのほうはお一人5000円払ってもらわないけません。パーティーの方は、一流のお食事出ますけど、8000円払ってもらわないけません。ですけど、日ごろなかなかテレビでしか見られへんような人らとか来られたり、絶対日本ではお会いすることのできない、先ほどのジョンケンプさんのような方、あるいはスウェーデンからは両手がない女性の方ですが、ゴスペルシンガーで、世界一の歌声といわれる、すばらしい声のレーナ・マリアさんという方がいらっしゃって、実は、彼女はパラリンピックの水泳の金メダリストでもあるんですね。その彼女が来てくださって、さっきのジョン・ケンプさんなんかと発表していただくだけではなくって、パーティーではそのすばらしい歌声も聞かせていただけるということになって、多分、たくさんの方が今までの福祉観と違うものを持って帰っていただけるかなと思っています。決して、お金は無駄にはさせませんので、よろしければお申し込みいただければうれしく思います。

 ということで、実は、私に今日与えられた時間があと3分くらいになっていますが、せっかくですので、お一人かお二人か、ナミねえにちょっとこんなこと聞いてみようという方がいらいただいて1分以内くらいでお話をしていただけたら、うれしく思いますが、いかがでしょうか。せっかくのこういう出会いをする機会はなかなかありません。よければ何でも突っ込んでください。

質問者:国の施策にもかかわっておられるので、ちょっとお聞きしたいのですけど、今年4月から出来ました、障害者支援法がありますね。あれの何といいますか、感想と、今後、どういうふうな展開をしていくのか、ちょっとお聞きしたい。と申しますのは、私も知的障害者の通所施設で若干ボランティアをしておりますので、今度の場合には、非常に父兄の理解がなければ出られないようになるかと思いますので、そこのところをよろしくお聞かせいただけたらなと思います。

竹中:はい、わかりました。自立支援法という新しい法律が、障害者の世界に生まれてきました。実は、これは障害者はかわいそうで、いたわってあげなければならない、という福祉感から大きく転換して、その人のできることを世の中に発揮していただいて、社会の支え手にもなっていただこうという大転換なんですね。この理念に関しては、多くの方が異論はないと思います。ただし、その大転換施策をするにあたって、今まで福祉の受け手であった人たちが、一部社会の負担も、介護保険に皆さんがお金を40歳以上の方全員払われてるのと同じように、一部負担もしてもらうようにしようという、これがセットになりました。そしてその人たちがお仕事できる環境を整えていく、その人が働けるシステムを作っていくというのが、まさに私たちの方向性の一つなんです。ところが、この自立支援法で、実は大きな反対運動が障害を持つ人たちから起きました。それは、私たちのように今、働けない人間からも負担を取っていくというのはおかしいではないか。負担が増えたら自分ら死んじゃう、というテレビなんかの報道でも、声高に言われてる方がいらっしゃったのをご覧になった方もいるかもわかりません。

 ただ、私の考え方は違います。負担の出来ない私たちではなくて、負担の出来る私たちにせよ、という運動を私たちはしないとだめなんですね。そのときに、本当に困っている人に対しては、きちっとした施策がこの法律の中でもとられます。だけど、あなたは負担できるようになろうよといえる人に対して、それをみんなでお願いをしていくということなんですね。だから、私たちは負担が出来ない障害者に何を言うねん、というのではなくて、絶対に負担できる自分たちにしてくれよということを言い続けておりますし、その一つの方向性が、こういった大会です。そして出来るということを自分たち自身で見せていかねばならないと思ってるんですね。今、知的障害の方の作業所でボランティアですか、お手伝いされてるとお聞きしました。お手伝いにどんな方法があるかということですね、先ほどから言ってるように、私たちの仲間がプロになってきたのは、プロの技術を身につけたからです。教えてくれる人も、みんな一流のプロを引っ張ってきたんです。そして、その人の中にあるものを全部引き出せる人とお付き合いをしてきたんですね。残念ながら、今、日本の福祉の現場では、そういう人との出会いはゼロです。親切な人や気の毒と思ってくれる人や手助けしてくれる暖かい人はいっぱいいらっしゃるんですけど、プロフェッショナルな技術で君をここまで連れてきてあげるよ、という方がなかなか接点がないんです。だから、私たちのすべきことは一つは絶対それだというふうに思っています。現にプロップ・ステーションもそういう出会いがなかったら、先ほど見ていただいた人たちは、一人として生まれていません。きっと、みんなかわいそうな障害者といわれたままでいたと思うんですね。先ほども言ったように、コンピューターというのも、決して知的ハンディのある人や自閉症の人に、高いハードルのものではなくなりました。教え方だけの問題なんです。伝える人、教え方がプロフェッショナルであれば、知的ハンディのある人や自閉症の人であれ、勉強してもらいます。

 それから、作業所でいろんなもの作りされていますが、その福祉的現場で作られてるものは一流のデザイナーや一流のマーケティングのプロや一流の販路を持っているところと組めば、必ずその製品はプロフェッショナルなものになっていくんですが、そのチャンスというか、その考え方自身が福祉の中にはなかったんですね。そういうものを取り入れていけるという法律が、この自立支援法です。

 ですから、この自立支援法という法律をどう使うか、というのは自分らの力次第だと思ってるんですね。これをかわいそうな障害者いじめの法律にするのか、かわいそうだと言われた人をかわいそうでなくす法律にするのか、私ら次第だと思っています。私は絶対、後者でやってみたい。だって、すでに諸外国では、特に先進国と呼ばれるところはみんな、そういうふうにしてきているんです。先ほども言ったようにいろんな人がいろんな社会の場所で活躍されています。

 アメリカへ行って印象的だったのは、大変重い障害の人でお仕事されてる人に、一緒に視察に行った人の一人が聞きはったんです。「あなた、障害者でそんな体でお仕事されて、大変ですね。」と言ったら、その人「いや私、働いてるから障害者じゃないんです。」とおっしゃった。非常に印象的でしたね。日本の国も、きっと私はそうなると思っているし、それは一人一人の意識を変える。意識と同時に法律も変える。今までの福祉の現場で当たり前といわれたことが違うかもしれない、という思いを持って、もう一回見直すということがすごく大事だろうと思います。とても重要な質問をいただいたと思って、今このお話をさせていただけるのをすごくうれしく思っています。

 知的な障害の人たちの作業所と組んで、今言ったプロフェッショナルでいうと、うちは今、フェリッシモさんという、カタログ通販の日本のベスト3と組んで、そこの一流のデザイナー、一流のマーケティングの人、あるいはフェリッシモの販路を使って、組み合わせることによって、チャリティで売るというのではなく、一つ一つの商品のクオリティを上げて、フェリッシモ製品にして売るというプロジェクトをやってますが、これのもう少し大きな全国展開もこの夏ぐらいから、フォーラムが終わってから、プロップはやる予定にしています。

 で、私たちの特徴は、こういうことに税金を使わないんです。福祉って税金でやるもんと思われてきたんですが、違います。一流の人と組むということは企業と組むということです。企業にとってもプラスになる結果を出すということです。だって、その人が障害があろうがなかろうが、その人がなんらかのことが出来て、ちゃんと稼げる人になっていくというのは、その人にお仕事を出す人、あるいはその人を雇う人にとっても、ごっついメリットがあるわけですからね。だけど補助金に頼らざるを得ない世界になってしまっているということが、実は本当のプロフェッショナルと組めなかった理由でもあるわけです。ここ、ごっつい微妙なところですけど、たとえばこれは過疎とかそういった問題と一緒かもしれません。「補助金がなければおらが村はダメだ」と言って衰退する村と、補助金をどんな使い方、あるいは自分のそこに住んでいる住民の力と加えて、同じ1の力の補助金を100くらいの効果をあげるようにやってる地域だってあるんですね。だけど、補助金だけに頼るところは、この補助金上げてもらわへんかったら、自分ら何も出来へんわ、ということだって起きているわけですね。だけど、日本の国は今財政厳しくなってきて、あと知恵と自分たちの思い、パワーですよ。誰のためでもなく、自分自身のために、そうしなければならないのかなと。

 私、さっき言ったように、私の娘は重症心身ですからね、私、安心して先に死にたいんですわ。絶対安心して、先、死にたいんです。彼女、私のこと親ともわかっていませんから、最重度ですから、何かあったときに真っ先に、「こんな子に税金いるの、こんな子生きていくのに金要るの」と言われます。だけど、彼女のような人もいて、社会なんよ、ということを一人でも、多くの人に伝えて、彼女のような人も生きていける経済の裏づけのある国にしよう、というときには、絶対に、障害者かわいそうやからませんとか、そんなこといってたらダメなんですね。みんなでその人の持ってる力を、ようけの人はようけ出す、ちょっとの人はちょっとでもいいから出す、そして無理なところは出来る人と組み合わすという、さっきからユニバーサル社会と言わせていただきましたけど、そうすることによって、初めて私は、安心して死ねるのかなあと思ってます。つまり、プロップ・ステーションの、別に正義でも善でもないんです。ただ母ちゃんのわがままでここまできたんです。ただ、人間わがまま強いんですよね。わがままでやろうと思ったことは結構パワー続きます。世のため人のためと言うとったら続きませんけどね。わが娘置いて、安心して死ねる日本にしたろうというのは、結構エネルギーになるんですね。しかも昔は「こんな活動はものすごく異端や」と言われました。「あんたは福祉の考え方、違う」と言われました。「こんな人らに働け、言うの」と言われました。石がいっぱい飛んできました。だけど、見ていただいたように、みんなきらきらした笑顔で、自分の力を世の中に発揮されてるんです。私はやってきてよかったと思っているし、今日、こんなに多くの方がナミねえの話を聞いていただいてもしかしたら、何人かの方はナミねえの言うてることも、そうかもわからんなあ、自分の周りでも違うやり方してみようかなって、言ってくださる方も、もしかしたらいらっしゃるかもわからない。今日、こういう機会を与えていただいたこと自身に、私は本当に心から感謝しています。経済論、経済にどこまで役に立ったかわかりませんが、少なくとも、私と娘にとっての経済は大きく変わっていくのではないかしらと思います。ということで、時間も過ぎてしまいましたが、最後まで皆さん話を聞いてくださって、ありがとうございました。

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