道路 2007年3月号より転載

ITを活用したユニバーサル社会と道づくり

今回は、障害者が自由にアクセスできる道路環境について国土交通省に提言、口火を切った社会福祉法人理事長の竹中ナミ氏と、少子高齢社会を迎える日本の活力低下を食い止めようと、国土交通省技監の時代に取り組みを具体化させた大石久和氏。「自律移動支援プロジェクト」の「生みの親」ともいえる2人に、プロジェクトが実現した経緯や意義を語ってもらった。

司会は、国土交通省政策統括官付政策調整官室の鹿野正人政策企画官。

the challenged(チャレンジド)
「神から挑戦という使命やチャンスを与えられた人」が語源で、「障害をもつ人」を表す。障害をマイナスとのみ捉えるのでなく、障害を持つゆえに体験する様々な事象を自分自身のため、あるいは社会のためポジティブに生かして行こう、という想いを込め、プロップ・ステーションが提唱している。なお、「プロップ」というのは「支柱」「つっかえ棒」「支え合い」を意味する言葉。
(プロップ・ステーションのホームページより)

竹中:「チャレンジドによって支えられる社会でなければ、国の活力は生まれない」
大石:「ユニバーサルな社会は、社会に存在する多様性を受け入れ、尊ぶことで成り立っている」

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竹中 ナミ TAKENAKA Nami

社会福祉法人 プロップ・ステーション理事長

たけなか・なみ。1948年、兵庫県生まれ。中学卒業後、障害児医療、福祉、教育について独学し、各種ボランティア活動を経て、プロップ・ステーションを設立。障害者の自立と社会参加を目指す活動を展開している。国土交通省をはじめ各府省の審議会委員を多数務める。

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大石 久和 OHISHI Hisakazu

財団法人 国土技術研究センター理事長

おおいし・ひさかず。1945年、兵庫県生まれ。京都大学大学院工学研究科修士課程を修了し、1970年、旧建設省に入省。大臣官房技術審議官、道路局長、技監を経て、2004年7月から現職。早稲田大学大学院客員教授、東京大学大学院特任教授を務める。

司会 「IT(情報技術)を活用したユニバーサル社会と道づくり」が、本日の対談のテーマです。ユニバーサル社会を目指し、国土交通省ではいつでも、どこでも、だれでも移動に関する情報にアクセスできる自律移動支援プロジェクトに取り組んでいます。なぜ、いまユニバーサル社会なのか、プロジェクトがどういう背景の中で生まれたのか、そのあたりからお話を進めていただきたいと思います。

大石 建築物や交通機関のバリアフリーを強力に後押しする「ハートビル法」と「交通バリアフリー法」を一体化したバリアフリー新法が、2006年12月に施行されるなど、ユニバーサル社会を見据えたシステムづくりが進んでいますが、議論の始まりは、私が建設省技術審議官だった1999年に発足した「次世紀の暮らしを語る懇談会」です。

懇談会は、国際日本文化研究センター教授の川勝平太さんとジャーナリストの嶌信彦さんに共同進行役をお願いし、竹中さんにも委員になっていただきました。竹中さんとお会いしたのはそのときが最初です。

竹中 メンバーは当時、マイクロソフト社長の成毛真さん、人文学者の井上章一さん、「構想日本」代表の加藤秀樹さんなど、錚々たる顔ぶれでしたね。

大石 住宅、社会資本の整備や管理を行い、国民に提供するのが国土交通省の仕事ですが、行政を取り巻く状況が大きく様変わりしたことが、懇談会の思い立った理由です。

日本のインフラは戦後一貫して、量的に不足する状態が続いてきました。そのため、道路は、舗装や改良が必要だったし、高速道路は延伸させるのが当たり前でした。都市に人口がどんどん流出する中で、住む所がない、住む所があっても住環境は劣悪ですから、住宅も質の向上とともに量の確保が最優先の課題でした。その意味で、政策の目標はわかりやすかったし、わかりやすいが故に、国民の支持を得ることができたといえます。

今、私たちの周辺を見渡してこれから先を考えたとき、量の充足が要求された時代は終焉を迎えつつあります。人口も、東京では増加していますが、そのほかの地域は減り始めており、地域は減り始めており、日本全体では減少です。そんなわけで、社会資本の背景にある国民の暮らしがどうなるかを、ここできちんと議論しておかないといけないという声が出てきて、それが懇談会につながったわけです。

ただし、懇談会で議論したことを直ちに具体化する予定はなく、何か仕事のヒントが得られればという姿勢でした。ところが、あるとき、竹中さんから「懇談会でいろいろ議論しましたが、その結果はどうなりましたか」というお尋ねがあり、その際、「ITを利用して、障害者を含むすべての人によりよい社会資本を整備してみませんか」という提案がありました。これが自律移動支援プロジェクトのきっかけになったわけです。

竹中 そうでしたね。あのときの提案は私が理事長を務める社会福祉法人のプロップ・ステーションの活動とも深く関係していたんですよ。

プロップ・ステーションは、一般家庭にパソコンがなかった16年前、コンピューターや通信技術を活用することで、重度の「チャレンジド」が収入を得て、タックス・ペイヤーになりましょうという運動をスタートさせました。その後も私たちの活動は、常に日本のITの発展と連動しながら進んできましたが、その中で、視覚や言語・行動機能にハンディキャップを持つ人たちにとってITがいかに大切な道具であるかということを、まざまざと体感してきました。

火の発見によって人間は動物からヒトになったといわれますが、まさにそれと同じことが、情報や収入を得る道具であるITを手にしたチャレンジドの間で起こっています。

実際、私たちが実施したIT技術の習得セミナーを受講した重度のチャレンジドたちは、施設のベッドの上で、企業から請け負った市町村合併に伴う地図の書き替えの仕事をしています。合併で目まぐるしく変化する境界線や町名などのデータを、リアルタイムで、オンラインで修正する仕事をしている。自治体の合併に関係する仕事を、介護を必要とするチャレンジドがこなすなんて、少し前までなら、考えられなかったことですよ。

竹中:チャレンジドが自分で情報をゲットできるIT
大石:深刻な生産年齢人口の減少とアジアの台頭へ危機感

司会 障害をもつ人々が自らの個性や能力を発揮する上で、ITが非常に重要な役割を果たしていることが、いまのお話からも伝わってきます。

竹中 ITがとくに優れている点は、情報を、人に頭を下げてもらうのでなく、自分でゲットしに行けることです。そこで、車椅子の利用者や視覚障害者、足の悪いお年寄りが移動する場合にも、ITは大きな威力を発揮すると私たちは考えました。スムーズに移動しようと思えば、どんな乗り物があり、どうすれば乗れるのか、乗った後で不自由なことはないか、目的地に行くにはどこで降りたらいいかといった多くの情報が必要ですが、ITを使えば、自らの力で、簡単に入手できるからです。

その当時は、「わが国では必要な道路は大体、完成した。次はITを使った道路のデジタル化だ」と、新しい道路ビジネスの機運が盛り上がっていました。しかし、チャレンジドが全国どこにいても同じレベルの移動情報が入手できる公共性の高いインフラの整備は、民間企業では無理です。そのため、ここはぜひ国が陣頭に立って取り組んでくださいとお願いしたところ、大石さんが賛成し、自律移動支援プロジェクトとして実を結びました。あれは、大石さんが国土交通省の技監の時でしたね。

大石 ことの経緯はいまのお話の通りですが、私がこのプロジェクトにのめり込んでいったのには、竹中さんとは違った背景がありました。

その一つは、急激な少子高齢化と総人口の減少という、過去に経験したことのない困難な局面に日本が突入しようとしていたことです。特に、世の中を支える上で中心的役割を果たす15〜65歳の生産年齢人口は1995年にピークを迎えると、その後は、急激なペースで減り始めていました。総人口もさることながら、私は、むしろ生産年齢人口の減少の方が深刻な問題になると見ていました。

もう一つは、わが国の経済競争力を脅かすアジア諸国の台頭です。世界の経済は、24時間フルに活動する「24時間化」が進んでいますが、そうなると、1日を8時間ずつに分けた3つのパートをどの国のどこの都市がカバーするのかが問題となります。2番目と3番目の8時間は、それぞれロンドンとニューヨークが引き受けることに異論はないと思いますが、最初の8時間は経度の関係から、アジアが引き受けることになります。そして、アジアといえば、一昔前では自動的に東京と決まっていましたが、どうもそうではない状況が生まれているのです。というのも、この8時間の争奪戦を意識して、近年、中国の北京や上海、シンガポール、韓国、台湾などが大変な勢いで空港や港湾を整備しているからです。

アジアの中心地でなくなれば、日本の国民が現在の生活レベルを維持するのは難しくなります。その上、少子化が進むわけですから、地方在住者や障害のある人も含めて、もっと多くの方々に社会を支える側に参加してもらうための社会構造をつくり上げなければいけません。私の場合は、そういう危機感が強く働いていました。

竹中 国土計画やインフラ整備に長年、携わってきた大石さんならではの問題意識ですね。

大石 日本を取り巻く大きな環境の変化が背景にあるわけですから、プロジェクトは利潤を追求する一企業の力で動かせるはずがありません。そうなると国の出番です。では、プロジェクトのイメージをどんな形で国民のみなさんに示せばいいのか。それには、竹中さんがいわれるように、心身にハンディキャップをもつ人たちが自らの障害を押して世の中に出て、社会を支えようと頑張っている、そういう人々をバックアップするシステムをつくることからスタートするのがいいだろうと考えていました。

漠としていますが、そんなアイデアが私の頭の中にはありました。こうして、自律移動支援を推進するための委員会を省内に設置し、竹中さんにも委員になっていただいてプロジェクトが動き始めたわけです。

かつて旧ソ連との間で激しい宇宙開発競争を展開したアメリカは、人工衛星の打ち上げでソ連に先に越された1957年のスプートニク・ショックをバネにして、「強いアメリカをつくろう」を合言葉に研究開発を重ね、絶対切れることのないネットワークとしてウェブを発見しました。これがその後のインターネットにつながり、いまでは全世界の国民がその恩恵を享受しています。自律移動支援プロジェクトも、日本発の技術が将来、世界に貢献できたらという思いがありました。その後の展開を見ると、当初の期待通り、プロジェクトは充実度を増し、さらに発展的な方向に進んでいるようです。

■急速な少子高齢化社会・人口減少
我が国の人口は2006年(平成18年)をピークに減少に転じると予測されている
[グラフ]日本の将来推定人口
資料:2005年まで総務省「国勢調査」、2010年以降:国立社会保障・人口問題研究所「日本の将来推定人口(平成18年12月推計)」

大石:社会全体を活性化させる「自律移動支援プロジェクト」
竹中:不平不満、軋轢が起きる「やってあげます、黙っていなさい」

司会 障害者を意味する言葉として、竹中さんは「チャレンジド」を使われています。日本ではまだなじみの薄い言葉ですね。

竹中 プロップ・ステーションでは「障害者」や「ハンディキャップト」のように、個人のマイナス部分に着目した呼び方はしません。挑戦する使命や課題、チャンスを神から与えられているという意味のアメリカで生まれた造語の「チャレンジド」(the challenged)を使っています。そこには、「社会がチャレンジドのために(for the challenged)何かをしてくれることを求める」のではなく、「チャレンジドによって(by the challenged)支えられる社会」でなければ、国の活力は生まれないし、人間は誇りを持って生きられないという思いが込められています。

この考え方は、私たちのすべての活動の根底に流れています。日本ではある一定の層の人を「弱者」と規定した上、「何かをやってあげますから、黙っていなさい」といってきましたが、それだと必ず不満不平や軋轢が起こるものです。こちらとしては親切のつもりでも、いわれた相手は誇りを奪われた状態で、少しもうれしくないというわけで、溝は深まるだけです。そのため、従来の弱者観に基づくバリアフリーやノーマライゼーションといった言葉では、お互いの融合は実現しませんでした。

これに対し、チャレンジドは、すべての人が自分の持てる力を発揮するとともに、なおかつその力で互いに支え合うユニバーサル社会と結びついています。それによって、障害をもつ人たちとの溝が修復されていく見通しも開けてきます。

大石 チャレンジドという言葉が登場する前は、「障害者を保護してあげるもの」と考える国民と、「国民から保護されるのが当たり前」と受け止める障害者の間に、目に見えない高い壁がありました。その壁はいまでもありますが、竹中さんは「1日のうち1時間でも2時間でも働くことことができるなら、障害者にも社会貢献をさせるべきだ」と主張して、壁を取り除く努力を続けています。そこには、大変なご苦労があると思いますが。

竹中 私事をいわせてもらえば、私には34歳の娘がいますが、重度の障害があり、私のことを母親と認識できません。そんな娘を授かった母親としては、少子高齢社会が迫る日本の将来を考えるとき、娘のような重度のチャレンジドをこの国が総合力で支えていくことができないというのでは、安心して死ぬことができません。そこで、「自分の娘を1人で残して安心して死ねる日本」をつくることが、私の人生の大きな目標になったのです。

その後、娘を通じて出会った、様々な障害をもつチャレンジドたちが、自らはベッドの上で介護を受ける身でありながら、ITを使って収入を得ている現実を見てきました。彼らが社会を支える側に回るために必要なシステムをつくることによって、ほとんどすべての人が何らかの意味で社会に参画し、身の丈に合った形で、支える役割を担うことができるはずです。そのときにはじめて、自分自身が無理な状態になったとしても、社会から支えてもらうことができる究極のセーフティーネットが実現したといえます。そのためのノウハウを生み出せたら、少子高齢化が進行する世界へ向けた日本発の、何よりの情報発信になるでしょう。

一人の重症障害児をもつ「おかん」(編集部注・母親)が頭の中でそのように考えたこと、言い換えると、おかんのわがままが、大石さんのいう日本の危機感みたいなこととどこかでつながり合ったのではないか、という感じがしています。

大石 問題は、この国の活力を維持し、私たちの生活レベルを落とさないようにするにはどうしたらいいかということです。自律移動支援プロジェクトでチャレンジドが活動しやすい環境が生まれることによって、チャレンジドだけでなく、みんなが勇気付けられ、社会全体が活性化していきます。

例えば、毎日を漫然と過ごしているニートの若者にとっては、チャレンジドの人たちが努力して頑張っているのに、元気な自分が社会に何も貢献しないまま暇をもて遊んでいてもいいのか、と反省する契機になるかもしれません。また、大学生が学問に一生懸命、励むことは大事ですが、勉強以外の時間は社会貢献のために使いましょうという考えが広がれば、世の中は今よりも明るくなっていくと思いますよ。

[写真]T氏
自宅で子ども達のためのパソコン教室を開設したT氏

竹中:親切は美徳だが、問題は「視点はどこに向いているか」
大石:便利で簡単な、自律移動を可能にするインフラを

司会 自律移動支援プロジェクトが可能になったのは、道路などのインフラに識別番号を付けた上、IC(集積回路)タグやセンサーを使って、その場で必要な情報を入手できるユビキタス技術のおかげです。その意味では、新しい技術によって社会制度が変わりつつあるという見方もありますね。

大石 道路というインフラが変わらなければ自律移動はできないし、チャレンジドが活躍できる社会も実現しません。これは私がよく使う表現ですが、ここでいう道路は一種の装置といえます。そして、装置と制度とは全く独立したものではなく、相互に密接して関係をもっています。

例えば、高速道路のETC(自動料金支払いシステム)は、通行料金を徴収する機械装置にすぎませんが、ドライバーにETCを付けてもらうことで、朝夕の通勤時間帯や早期・深夜、土・日などの料金を安くする割引制度を導入することができました。自律移動支援プロジェクトでも、道路インフラの整備が進めば、それに伴い制度も充実していきます。チャレンジドの人たちが活躍する場がさらに広がるよう、私たちはより便利で簡単な自律移動を可能にするインフラを目指さなければならないと思います。

司会 障害者や高齢者の移動にとどまらず、観光産業の振興や国土管理など、このプロジェクトには様々な用途があり、期待が膨らみます。そこで、ユニバーサル社会のに向けてはどのような課題があるか。お話を先に進めていただきたいと思います。

竹中 最大の問題は、福祉や社会保障についての日本人の意識、いわゆる日本システムです。先ほどチャレンジドという言葉を説明したときにも若干触れましたが、わが国のすべての制度は、弱者とそれ以外の人というように、国民を二つの層に分類して、弱者のためにそれ以外の人々が何らかのサポートをしてあげるという考え方の上に構築されているのです。

生産人口と従属人口という言い方がありますが、従属人口は弱者を指しています。この旧態依然の弱者観は徹底的になくしていかないとだめです。

ところで、日本が福祉のお手本とするスウェーデンとアメリカの制度を調べてわかったのは、どちらの国も日本と同様、もともとは従属人口と生産人口という考え方の国だったことです。しかし、どちらの国も、弱者に何かしてあげる福祉政策はとっくの昔に返上しています。現在は、弱者の中から1人でも多く、弱者ではない人を生み出すプロセスを福祉と呼び、究極のセーフティーネットをみんなでつくりましょうというふうに政策転換しています。そうした事情は、ドイツやフランスでも共通しています。

なぜそうだったのか、大変興味深いのは、どの国でも、少子高齢化が政策見直しのきっかけになったことです。スウェーデンは、ノーベル賞を創設したことでわかるように、国民の資質の高い国ですが、約30年前に、世界一の少子高齢社会の到来を前にして、社会保障制度のあり方をみんなが必死に考えました。アメリカも、弱者に手当てをする福祉では国がもたないことに気が付き、1990年に重度のチャレンジドの社会参加を後押しするADA(米国障害者差別禁止法)を制定し、チャンスがすべての人に平等に開かれているかどうかを重視する国づくりをしてきました。

一方、日本の場合、世界でも例のないハイペースで少子高齢化が進展しているのに、旧来の福祉観にすがりついたままです。その結果は間違いなく国力の差となって表れるはずです。しかし、だからスウェーデンやアメリカと同じようにすればいいというのではありません。各国の取り組みを参考にした上で日本流にアレンジし、私たちができる新しいユニバーサル社会のノウハウを持つべきです。

大石 ADAの実施状況を調べるため、一昨年、私は竹中さんたちと一緒に渡米しましたが、いまのお話を聞いて、そのとき会ったジョージワシントン大学の不思議な青年のことを思い出しました。彼は文字を右から左にしか書けません。しかも、裏返しなので、鏡に映さないと私たちには読めません。いってみれば、鏡の中に住んでいる青年です。しかし、知能や性格には何の問題もありません。ただ一点、左右の概念だけが我々とは逆でした。

竹中 そうそう、確か、左右を識別するため、右の腕に輪ゴムをはめ、服の上から確認しながら「こっちが右」といっていましたが、それでも、区別できなかったようでしたね。

大石 私は複雑な思いで青年を見詰めていました。もし彼が私の子供だったら、恐らく、「なぜ左から書けないのか」といって責め、無理やり書き方を変えさせて、彼を滅茶苦茶にしたことでしょう。そんな自分に気が付いて、愕然としたからです。調査団の誰かが「あなたはほかの人をどう見ていますか」と質問すると、青年から「ほかの人の方が変わっている」という答えが返ってきて、目から鱗が落ちる思いがしたのを覚えています。
このエピソードでわかるように、自分と異なっていることをそのまま受け入れ、違いを当然のこととして認める社会を実現することは、私たちにとって決して容易なことではありません。

しかし、考えてみれば、男性と女性は半々の比率で生まれてくるのですから、男女の活動分野を分ける方がおかしいのです。一緒に力を合わせて何かをやっていこうという方が自然です。チャレンジドも、一定の比率では社会に存在するわけですから、彼らも生産的な活動に従事するのが当たり前です。そのためには、私たちが思い切って、発想や思想を転換する必要があります。それができなければ、日本が直面する少子高齢社会の課題を乗り越えることは難しいのではないでしょうか。

竹中 全く同感ですね。私も、ある福祉系大学で、キャンパスのバリアフリー化に取り組む学生と話したとき、こんなことがありました。「自分たちが大学側に提案し、スロープや点字ブロックをつけてもらいました」という説明があったので、「ところで、それを使う先生や生徒は何人いますか」と質問したところ、学生の方は「えっ」と言葉を詰まり、話がそこでストップしてしまいました。

階段や段差による不便をなくせばそれで十分だと考えるのが、バリアフリーの限界です。「スロープや点字ブロックを利用して一緒に学び、能力のある人は先生になれるし、経営力があれば経営者にだってなれる。そうしたプロセスがあってはじめてユニバーサルといえるのよ」と話してあげると、学生たちもやっと私の言いたいことがわかったようです。

そこで、私は、あなたはチャレンジドの人たちと一緒に学ぶことができますか、チャレンジドが自分とは違った能力、自分にはない能力があるかもしれないという視点が持てますか、自分より優れた能力があるために自分の上司になるかもしれないということをあなた自身の中で納得できますか、そこまで考えないとだめですよと話しました。日本人がそうなるには、まだまだ時間がかかると思います。

なぜなら、ほとんどの人はチャレンジドと会った瞬間、無意識のうちに、自分よりも劣っていると見て取り、気の毒だ、可哀想だと思うからです。すると、自分とは違う何かをもっているのではないかという視点は消え、何かお手伝いしてあげましょうということになってしまいます。

親切は日本人の美徳ですが、問題は、視点がどこに向いているかです。その人のマイナス部分か、それとも隠れた能力か。優しい響きがありますが、チャレンジドの可能性を封印する「可哀想」という言葉は、本当に魔物です。

[写真]竹中氏、大石氏

大石:原点に返り、地域のあり方を見極める必要性が
竹中:援助の申し出には「補助金は結構。仕事をください」

大石 地域計画でもいまのお話と同じことを感じることがあります。鳥取県の片山善博知事は「地方交付税と補助金のせいで、地方が考えなくなった」という話をよくされます。片山知事は、自治体は、自分たちの地域の強みと弱みを踏まえた上で、他の地域と比較してどのような地域づくりを目指すのかを考えなければいけない。ところが、交付税と補助金をもらうことばかりを考えるようになり、思考が停止してしまった、というのです。

中央省庁としては、自治体によかれと思って交付税や補助金を運用してきました。しかし、国の助成措置が自治体をスポイルする結果を招いたことは、率直に認めざるを得ないと思います。

放漫経営から多額の借金を抱えて財政再建団体に転落した北海道夕張市のことがニュースになっています。大変気の毒なケースですが、破綻の原因になったハコモノの数々を見ると、国が企画したようなものも目立ちます。安易に国に頼ろうとする自治体の体質が財政破綻につながった失敗例として、苦い教訓になると思います。チャレンジドの話をしているときに地方行政の話を持ち出すことは、問題を混乱させると叱られそうですが、人も地域も、結局同じだという気がします。

竹中 私も、根っこは一緒だと思いますね。

大石 どちらの場合でも、ほかとの違いを尊重し、個性を大事にすることが基本です。そのために、自らの特徴は何なのか、自分にはどんな能力があり、ハンディがどこにあるか、見極める必要があります。格好よく聞こえるかもしれませんが、地域の本当の姿を率直に認めて地域のあり方を原点に返って問い直すことですから、自治体の首長や議員さんにとって厳しい仕事です。しかし、勇気を持って、それをしないとだめだと思うのですが。いかがですか。

竹中 夕張市とは違いますが、日本海側の都市に講演に行った際、地元の青年会議所の方から、トンネルを挟んだ2つの小さな町が、競い合うように、どちらにも美術館や音楽ホールを建てた話を聞いたことがあります。どちらの町も多額の交付税や補助金をつぎ込んで豪華な施設をつくったのに、利用者が少なく、結局共倒れになったそうです。

参考になるかどうかわかりませんが、政治家や官僚のみなさんから援助の申し出があると、私は「補助金は結構。仕事をください」と返事をするようにしています。なぜなら、「あなたは弱い人間なので補助金をあげましょう」という政策が続くと、「弱いともらえるのなら、自分の劣っているところを探そう」ということになり、補助金を当て込んで、マイナス部分を強調する歪んだ競争が始まるからです。

大石 竹中さんの持論ですね。福祉団体の代表が「補助金はいらないので仕事を」と発言するのは、型破りです。竹中さんを講師に招いて自民党の政調会のある幹部がそれを聞いて、腰を抜かすほど驚いたという話を後日、聞きましたよ(笑い)。

竹中 そんなこともありましたね。しかし、1万円でもそれが仕事になると、引き受けた方は「1万円の価値に見合った成果を出せなければ」とモチベーションを上げるものです。そこで得られる人間としての誇りは、金額の多寡には換えられない貴重な財産になります。ところが、福祉にせよ地方行政にせよ、わが国の政策は、当初の意図に反して、国民や地域の誇りを奪う皮肉な結果になっています。

先ほど、装置と制度の話がありましたが、人の意識と制度もコンニャクの裏表みたいなもので、意識が変わることで新しい制度が生まれ、制度ができたことで意識が変わる関係にあります。それが、プラスの上昇スパイラルになればいいのですが、残念ながら、日本はずっと逆のスパイラルで来たわけです。

竹中:ITを活用すれば、チャレンジドが活躍の場にアクセスできる
大石:「道路を語るのではなく、道路で語ってください」という考え方

司会 障害者の能力に応じて自立をバックアップする障害者自立支援法が2005年秋に成立し、2006年10月に本格施行されました。障害者を見る社会の目も、少しずつ変化してきたのではないでしょうか。

竹中 これは厚生労働省が従来の福祉政策を転換し、チャレンジドの就労に初めて焦点を当てた画期的な法律です。チャレンジドがタックス・ペイヤーになって社会を支えるのを後押しするのが目的ですが、福祉サービス費用の1割を自己負担するという法案の中身が明らかになったとたん、福祉関係者を中心に「反対」の大合唱が起こって、審議は紛糾、難産の末、やっと成立にこぎつけました。

チャレンジドの社会参加を求めてきた私たちからみると負担は当然ですが、「障害者は弱者」という意識を変えるのは、この国ではまだ困難です。自立意識と制度とを常に連携させながら運動を展開していくことの大切さを、改めて感じました。

大石 道路行政に関していえば、モータリゼーションの爆発があり、長年、渋滞が社会制約とならないようにボトルネック箇所をつぶす施策に追われてきました。しかし、考えてみると、道路は地域政策そのものです。各地域が自主性を発揮しつつ、誇りと活力のある地域になるには、竹中さんのお話じゃありませんが、すべてを自分のところで背負い込むことは無理ですから、周りとの役割分担が不可欠です。お互いに協力し合う地域同士は、交通や情報通信で結ばないと、計画は宙に浮いてしまいます。元々は、そういう主体的な意思を持つ地域を道路というツールで応援する話だったはずです。

ところが、道路行政においても、交付税や補助金の制度が、国への依存度を強め、地域の独自性をそいで、誇りを奪い取る弊害が出ています。

道路局長時代、私は首長さんに対して、あなたの地域のこの道路を活用して何をやろうとするかを語ってもらおうという意味で、「道路を語るのでなく、道路で語ってください」という言い方を、しばしばさせてもらいました。この考え方は、現在でも通用するのではないでしょうか。

もう一つ、かつて高知県の橋本大二郎知事から「2車線の道路はいりません。1.5車線で十分」といわれたことがあります。大雨のために毎年、道路の寸断が続出する高知の場合、立派な道路でなくても構いません、雨が降っても安心して走れる道路を早くつくってほしいというのが、知事の真意だったようですが、私たちが県に示した回答は「2車線」でした。国交省には「2車線の方が地元にとってもいいはずだ」という思い込みがあったためですが、地域のニーズを本当に反映していたかどうか、もう少し配慮が必要だったかもしれません。どんな道具立てで地域を支援するか、道路を計画する方でも考えないといけない時代になってきたといえます。

■1.5車線的道路整備の事例

[写真]竹中氏、大石氏

司会 自律移動支援プロジェクトが生まれた背景から福祉行政、道路行政のあり方まで、話題は多岐にわたりました。最後にまとめをお願いします。

竹中 少子化になると、個性豊かで多様な能力をもっている一人一人の子供が大切にされるはずなのに、子供たちの可能性は画一的な教育の中に閉じ込められています。それなら、社会で一番隔絶されているといわれるチャレンジドに活躍の場を与えることによって、すべての人の社会参加を後押ししようと、私たちは立ち上がりました。ITを活用して、そのためのアクセスを確保する自律移動支援プロジェクトは文字通り、運動の基盤といえます。

国交省は従来、ハード優先でやってきましたが、自律移動支援は、道路の使い方に重点をシフトする道路行政の昨今の流れに合致します。予算も安くて済むため、時宜を得た取り組みだと思います。

システムができ上がっても、それを生かして少子高齢時代を乗り切ることができるかどうかは、国民一人一人の努力にかかっています。プロジェクトの成果を活用しながら、自分には何ができるか、地域は、国は何ができるかというアイデアを、私たちの方から積極的に提案していこうと考えています。

大石 確かに、ハードは費用がかかり管理も大変ですが、だからといってハードも疎かにするわけにはいきません。ただし、インフラを整備、管理する分野にもITが入ってきたことで、自律移動支援の仕組みが公物管理や国土管理とドッキングする時代がきます。そうなったとき、最先端の技術を駆使してつくったインフラがいったい何を目指しているのかというところを、私たちの方でもちゃんとかみしめていきたいと考えています。

自律移動支援プロジェクトの背景にあるユニバーサルという考え方と、人や地域の個性や特徴を大事にして他との違いを認めることは対極を指している印象がありますが、実は同じことです。ユニバーサルな社会は、社会の中に存在する多様性を受け入れ、尊ぶことで成り立っているからです。問題は、自らの個性や特徴を生かして、どのような地域づくり、国づくりをするかです。

私たちには、日本人が2000年以上に守り抜いてきた国土を次の世代に引き継いでいく責任があります。少子高齢化が進展し、アジアの国々が台頭する大変厳しい環境の中で、もう一度、輝ける日本が取り戻すことができるのか。日本人にはそれだけの底力があるはずです。自律移動支援プロジェクトは、私たちが日本の再生に向けて、やる気を起こす第一歩になると確信しています。

(終)

■国土管理ツールとしてのユビキタス技術
災害につながる国土の微細な変化を各種のセンサーが感知し、情報を配信

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