摂南大学・朝日新聞社 主催
朝日・大学パートナーズシンポジウム 報告集
平成19年1月13日 より転載

ITを地域に活かす
−安全・安心・元気なまちづくり−

<パネリスト>
桑原眞二氏 (NPO法人ながおか生活情報交流ねっと理事長)
竹中ナミ氏 (社会福祉法人プロップ・ステーション理事長)
島田達巳氏 (摂南大学経営情報学部長・教授)
松永公廣氏 (摂南大学経営情報学部教授)

<コーディネーター>
中村正憲氏 (朝日新聞論説委員)

(前略)
 中村 それでは、ビル・ゲイツとも対等に渡り合っていらっしゃるという竹中さん、よろしくお願いします。

4.パネリスト報告(3):竹中ナミ氏(社会福祉法人プロップ・ステーション理事長)

 竹中 プロップ・ステーションの竹中ナミこと、ナミねえです。どうぞよろしくお願いいたします。

 別に、ビルさんと対等に渡り合っているわけじゃなくて、こういう活動に理解と応援をいただいていると。私、英語よう喋りませんもので。
 ナミねえのお話は、実は私が技術が全然あかんもんですから、技術というものは人間がよりよく生きていく、あるいは、人と人が支え合って社会をつくりあげていくために使われてはじめてええ技術やと。そういう技術やったら自分ら使うけど、そうじゃない、おそろしいことに使われる技術には、できるだけ近づかないでおこうと思っているわけですね。

 人が人間らしく生きていくというのは何かっていうと、やっぱり自分が存在してよかったなと思える、あるいは自分で自分のことをやれるとかだけではなくて、自分が何か人のためにもなることができたというようなときに、自分は生きててよかったなと、生きてる誇りみたいなのをすごく感じると思うんですね。

 けれども、やっぱりたくさんの人がいらっしゃるこの世の中には、そういうところから外れているというか、外されていると言われている、あるいはそういう状態に置かれている人たちがたくさんいて、特に障害が重くて家族の介護を受けてらっしゃるとか、施設のような閉ざされたところにおられるという方の場合は、そういう人がいてはるけど、気の毒でかわいそうな人やし、みんなで何か親切にしてあげたらええやんという対象としか、見られていないという場合が多々あります。

 実はプロップ・ステーションは、日本の一般家庭にパソコンというものが一台もなかった1991年に、介護が必要とか、家族の介護も無理になって、施設とか病院のベッドの上にいてはるとか、そういう人たちが、コンピューターとか情報通信という技術を使って、社会とつながって、人とコミュニケーション取って、自分に必要な情報を人に頭下げてお願いするだけじゃなくて、自分の力でゲットして、そういうさまざまな情報を基に、今度は、私、ここにおんねん、こんな人間やねん、こんなことできるねん、私、あなたのためにもこんなんできるでということを発信していこうと。そういう目的を持って生まれた団体です。

 最終的には、自分のできることが、ちゃんと仕事につながって稼げて、できればタックスペイア−として、広い社会、たくさんの人を支える側にもなりたいなというような思いを持って生まれたグループなんですね。でも、一台もパソコンがない時代に、介護を受けてる人が、タックスペイア−みたいなこんな訳のわからん、あんた、一体それ何言ってんの。もしかしたら重い障害のある人に、高い高い、当時コンピューターって一台 100万円で買えへんかったような時代ですからね、そんな物を買わすようなことを始めるつもりなん違うのとか、実にいかがわしいグループやなと言われたような発足の時期があります。

 実は、私がコンピューターができたり、コンピューターのことがわかるからこの活動を始めたんじゃなくて、大変重い障害を持っている人たち自身が、自分たちのような人間が社会に存在していて、なおかつ存在意義があるよと。私だってこんなことできるよと、社会のためにできるよ、あるいは自分で自分を支えることができるよということをこれから発信していくのは、コンピューターというような道具しかないと、こう考えはった人がいらっしゃるんです。そういう人たちが集まって、コンピューターを一人でもたくさんの仲間が使えるようになって、つながり合って、そして働ける道筋を自分らでつくろうということで生まれたんですね。

 じゃあ、さっき、私、コンピューター苦手や言うたのに、何でそのグループにおんねんということなんですが、実は、今、映っているこの写真見ていただいたら説明になるんですけど、これ、2人の女性が写ってますでしょ。太いほうの縞縞のパジャマ着てるの、実は私なんですね。横っちょでちょっと可愛い顔してニッコリしている女の子がおりますけど、これ、私の娘なんです。この写真、実はもう4年前ぐらいの写真で、赤ちゃんみたいに見えますけど、彼女、このとき29歳、今もう34歳なんですね。娘、34年前に、重症心身障害というて、大変重い障害を持って授かりました。重症心身障害やから、いろんな障害が重くて重なっているんですけど、きれいに光ってるみたいですが、この目は明るい暗いだけがかろうじてわかる全盲で、物の形は一切見えてないんです。

 私が話しかけてるのを、ちゃんと聞いてるような表情に見えますけど、実は音は聞こえるんですけど、音の意味一切わからないので、私が話しかけてるのか、他の人が話しかけてるのかということは、全く本人はわかりません。

 それから、私が呼びかけてるのに、はーいって返事してるみたいな口元にちょっと見えるのですが、残念ながら、声は出るんですけど、言葉は全くゼロです。今、34歳ですが、私のことをまだ母ちゃんというふうにはほとんどわかってません。体のほうは、ぐにゃぐにゃの体してたんですけど、ちょっとずつちょっとずつしっかりしてきましてね。この29歳のころには、手引くと少し歩けるよという状態になってました。

 ですから、発作が起きたり、叫んだりとか、いろいろするんですが、このときはとても穏やかないい表情で、この写真を写していただいたので、こうやって皆さんに見ていただきたいなと、まあ単なる親バカやということなんです。

 自分自身がこういう重症心身の娘を授かって考えたことは、今の日本が、この子を残して、私が安心して死ねるかいなと考えたときに、どうも無理ちゃうかと。これから、ものすごいスピードで少子高齢が進んで、もう支える人が少なくなるというときに、そのときに私が死んでもまだ彼女をみんなが支えたろうと言うてくれるような意識とか、経済の裏付けが日本にあるかといったら、無理かもわからんなと、私、思ったんです。

 そのときに、一人でもたくさんの人が、「支える側に回るよ」と言うてくれるような時代を自分でつくってから死のうと思ったわけです。そのときに、一番、今、社会を支えることが無理やと言われてる人たちも、支える側に回れるような状況をつくったら、つくることができたら、もしかしたら少子高齢社会はしんどないで、大丈夫やで、乗り切れるんやでいうて、私も安心して死ねるん違うかなというようなことから、彼女を通じて出会った重い障害のある人たちと、実は一緒にこのプロップ・ステーションという草の根のボランティアグループを生み出したわけです。

 この草の根のボランティアグループを生み出して、今は社会福祉法人という形、コンピューターを使うような活動が、社会福祉法人に認められるなんてことあり得ないって言われてましたが、活動が認められましたけど、まあ施設持ってるわけでもないし、皆さんが集まってこれるわけでない。いろんな場所にいらっしゃる、介護を受けている場所で、コンピューターの情報通信でつながって、勉強して、働いて、支え合いしているということで、非常に珍しいタイプの社会福祉法人です。

 チャレンジドって書いてるんですが、これはアメリカで生まれた言葉で、ハンディキャプトとか、リセイブルパーソンという、障害者のマイナスのところに着目する言葉で呼ぶのをやめて、その人の挑戦する使命や課題が与えられた人とか、挑戦するチャンスや資格持ってる人やでという意味で生み出された言葉です。チャレンジドって、challengeの後にdが付いて、受け身態になってるんですね。神からそういう資格が与えられたというような意味だと思います。

 私は日本の障害者というこのネガティブな字並べた言葉から、どうしてもかわいそうや、気の毒な人っていう意識しか、人の中に生まれてこないんで、このチャレンジドっていう言葉を使って、私たちの活動を続けてきたわけです。

 この方は、プロップ・ステーションで10年以上前から、コンピューターのグラフィックの勉強をしはったお嬢さんです。ちゃんと座ってるみたいですけど、すごい筋肉の難病で、体はぐにゃぐにゃで全身をコルセットで固めて座ってて、頭の後ろに枕がついた車椅子で、この枕から2センチ、頭がずれても、自分では起こせないんですね。

 だから、子どものときから、外で全然遊べないので、お母さんが読んでくれはる絵本が彼女の人生のすべて、喜びとか愛とか社会とかを絵本で知った。いつか彼女は、自分も絵本作家になって、子どもにすばらしい社会を伝える側に、喜びを伝えられるような人になりたいということで、プロップ・ステーションのコンピューターの勉強会に来られました。

 プロップでは、私が教えるんじゃないんですよ、一流のエンジニアや超一流のクリエーターの人にボランティアで先生になっていただいて、彼女たち、彼らに技術を伝授してもらうというセミナーを16年前からずっと続けてきたんですが、何と彼女はもう今や、2冊の絵本を出版したプロの絵本作家になっただけではなくて、このわずかにうごく指先でコンピューター操作をして、すばらしいアートを次々生み出して、まあ言うたら、実際に稼いで、タックスペイア−になっておられるという方です。

 もちろん、お体弱いですからね、一年中働けるわけじゃない、冬とか真夏は入退院を繰り返されたり、死にかけたり、そんなことしながら、でも自分の力があるときに、自分の身の丈に合った働き方で作品制作をされているという女性です。

 この男性は、生まれついての脳性マヒということで、脳性マヒ独特の症状で、体の硬縮で、両足と左腕が全く固まって動きません。唯一、右手が動くんですけども、またこれも脳性マヒ独特の症状で、伸ばそうと思ったら曲がったり、曲げようと思ったら伸びたり、ブンブン振り回すようになるんですね。でも、彼はその振り回すようになるこの手にクレヨンを握って、子どものときから好きな絵を一生懸命、一生懸命描いてたんです。

 けれども、手が勝手に動きますから、真ん丸とか直線とか絶対描けないんですね。でも彼は真ん丸とか直線の入った宇宙ステーションみたいな絵も描きたいなとか、ずっと思いながら作品制作してたんです。それで、プロップ・ステーションでやっぱり一流のクリエーターの方からコンピューターを習いました。コンピューターのグラフィックソフトは、例えば直線引くときに、こんなことして線引かんでいいんですね。こういうもので点をA点打って、つぎにB点打って、それでクリックのボタンを指で押したら、その直線が5センチの直線でも1キロの直線でも自動的に引けるんですね。そういう世界なんです。

 ですから、彼は、コンピューターグラフィックスで、今、非常にシュールな絵を描いて、売れっ子のアーティストになりました。彼、初めて自分のグラフィックでお金を儲けたとき、こう言わはりました。「お金って公平な物やったんやね、ナミ姉」。何でかっていったら、今まで僕らにくるお金は、お前、かわいそうやからやるわとか、障害者やから恵んであげるわ、割引してあげるわと。初めておまえの成したことにはこれだけの価値があんねんでという金がきた。お金って公平なもんやったなと彼が言わはったのを、私は多分一生忘れないと思います。

 この人、私と一緒にプロップ始めた仲間なんですね。足の下にマウスがあるのがわかりますかね。実はポリオという、ワクチンがまだ普及してないときの障害で、両手が全く使えなくて、足でコンピューターを勉強しはったんです。もう必死で勉強しはって、今はプロップ・ステーションの一番人気の先生になってます。講師で稼いではるんです。彼がコンピューター教えてるときの授業はおもしろいんですよ。「はい、皆さん、マウスから足離して」って。「えっ、そんなん、あんたしかおらへんやん」とか言って笑ってたんですが、実は彼みたいな先生が生まれたことによって、足でコンピューターを勉強するいう人、増えてきましてね、もうギャグにもならんようになりましたね。

 この方ね、さっきの北川さんのおられる三重の方なんですよ。車椅子に乗ってるほうの方です。髪の毛長いけれども男性です。大学卒業して、就職が決まったその日に、乗ってたバイクがこけて、首の骨を折って、全身マヒになって、もう指も一本も動かへんし、首が左右にちょこっとだけ動くというような状態になって、一度は死のうかと思わはったんですけど、口に加えた棒でコンピューターを操作して、プログラミング技術を身につけはったんです。腕のところに四角い白い箱ありますけど、これ、小型コンピューターなんですね。これで口にくわえた棒ですごいプログラミングをするような人になりました。

 プロップ・ステーションは今さっき、中村さんおっしゃったみたいに、マイクロソフトのビル・ゲイツをはじめ、そういうIT業界の方々からこの活動を支援していただいて、一流の方とつながって、彼らが技術磨いてきたんですが、そのマイクロソフトの日本法人の社長さんが彼の技術に惚れ込みまして、投資しました。彼は今や、株式会社の社長なんです。それだけじゃなくて、この写真は、地域の子どもたちに彼がコンピューターを教えるNPO、非営利活動もやってるんです。彼は、この子たちが大人になるときには、障害者かわいそうという言う人になるんじゃなくて、一緒に働く人や一緒に地域をつくる人やという子どもたち、大人になっていってほしいんやということで、その忙しい社長業の傍ら、自分自身ボランティアでこういう勉強会を開いているんですね。

 この人は仙台に住んで、この左側の写真のように、お母さんの介護で生活してはる方です。この方も筋肉の難病なんです。仙台と、プロップ・ステーションは神戸に本部があるんですが、距離なんか関係ありません。コンピューターでつながって、毎日メール交換したり、テレビ会議のシステムで「ヤッホー、元気?」とか言うたりして、目の前におるように、一緒に勉強とお仕事ができるんですね。

 この方も、全面介護が必要ですけれど、こうやってコンピューターの前に座りはったら、緩やかに動く指ですばらしいデータベースとかつくらはるんです。でも、彼らがこういうふうに働けるということを、日本のほとんどの人、まだ知らないんです。特に障害者が働くことを応援する法律をつくっているはずの日本の国の政府の人だって、ほとんど知らないんですね。

 実は来月の2月12、13、14日におもしろいことをすることになりました。彼が家でコンピューターの先生するんです。生徒はどこにいるかっていったら、厚生労働省のセミナールームにいるんです。そのセミナールームに厚生労働省の障害者雇用担当の職員とか、あるいは企業の人事担当者の人で、もうちょっとコンピューターの実力つけたいわという人に集まってもらって、その会場と彼のお家をテレビ会議でつないで、そして彼が先生をするっていう企画を今、最終の打ち合わせ段階なんです。彼は教えるためのテキストを自分でつくっています。そういう時代が目の前まで来ました、楽しみにしてます。

 この右側の女性は、聞こえない、喋れないという聾唖という障害を持って生まれてきた方です。向かいにいるのは、彼女の息子さんです。彼女はシングルマザーで子どもを育てながら、プロの漫画家になることを目指して、作品をずっと制作してるんです。けれども、プロの漫画家なんて、そんな簡単になれるものやないし、なったからといって、すぐに稼げるもんやないです。プロップ・ステーションで長年勉強して、コンピューターのプロになって、今、ホームページをつくるプロフェッショナルです。超プロフェッショナルにならはりました。だから、彼女は、ホームページをつくる仕事を受注して、それで稼ぎながら、漫画家になる勉強をして、しかも子育てをしてはるんです。それだけじゃないんです、彼女は自分が耳が聞こえない状態でコンピューターの勉強をするのに、いろんな苦労があったということで、今、地域の耳の聞こえない子どもにコンピューターを教えるNPOを立ち上げて、そこで先生をしてるんですね。

 この方、左側の男性、目つぶってるけど、寝てるん違います。生まれて1歳のときに、目のガンにかかって、両目を摘出した全盲の方ですが、子どものときからお父さんと工作つくるのが大好きで、お父さん、目が見えへんからいうても、どんどん、どんどんつくらせはったそうです。一緒に工作つくっている間に、高校ぐらいになったらコンピューターがすごい好きになって、大学入試は自分で組み立てたコンピューター使って入試をやったという人なんですね。また、彼もマイクロソフトの社長さんがすごい気に入られました。この人がいたら、マイクロソフトのソフトウエアももっと、全ての人が使いやすいものになるんちゃうかといって、彼を採用しました。彼は、今、日本とアメリカのシアトルのマイクロソフトの本社を走り回っている一流の国際ビジネスマンであり、エンジニアです。そしてマイクロソフトは彼が入ったことによって、本当にすばらしいアクセスビリティーの情報を流せる会社となりました。たった一人の全盲の青年が、あの天下のマイクロソフトをそういうふうに変えたということですね。

 ということで写真をいろいろ見ていただきました。私は自分の娘を恥ずかしいと思ったこと、一ぺんもありません。彼女がいたおかげで、実は私、昔、日本の非行少女のはしりと呼ばれたぐらいワルやったんですけどね。見たらわかりますやろ、ワルやったんです。けれども、娘授かったおかげで、親でも先生でも、警察でもでけへんかった、私が更生するという、この状態はまさに娘のおかげなんです。そして、娘を通じて出会ったこんなにたくさんの人から、人間ってすっごい力持ってるなということと、一人ひとり違って当たり前ということと、一人ひとりが違うスピードで生きていって当たり前ということと、そしてみんなが支え合って当たり前というようなことを教わったんですね。それを教えてくれた娘が私にとって恥ずかしいわけがないんです。

 ですから、私は彼らと一緒に、自分が安心して死ねるように、みんなが支え合える世の中を、このITという道具、ICTCというコミュニケーションが入ったこの道具を使って、これからも活動を続けていきたいなと思ってます。皆さんの身近なところでも、こういう未来の可能性を持たれた方が、いっぱいいらっしゃると思いますので、ぜひ仲間の輪を広げていただけたらと思います。ということで、ナミ姉のお話の最初のコーナーを終わります。

 中村 竹中さんの人生については、「ラッキ−ウーマン」という本があります。ぜひお読みいただければ、彼女の生き様がちょっとでも垣間見えるかと思います。ありがとうございました。

(中略)

               ◇          ◇          ◇

6.パネルディスカッション

 中村 ありがとうございました。1人10分と私は言ったんですが、優に20分ずつ、まあそれだけ非常に興味深い話だったので、少し押しているんですけれども、ここからちょっと時間を早めようかと思っていますが、今まで災害や障害者福祉の現場、そして子どもを犯罪から守る現場、そういうところで非常にITというものが活用されていって、どんどん技術が発達していっているということはよくわかりました。

 島田先生が光と陰というような表現をしていらっしゃいましたけれども、実際、バラ色の夢ばっかり振りまいているんだろうかというところで、それぞれの取り組みの中で、課題というか、陰の部分がありましたら、簡潔に問題提起していただきたいなと思うのですが、ちょうど今、子どもの安全ということで、松永先生がお話しいただきましたので、子どもが発信装置をつける社会というのが、果たして健全なのでしょうかという敢えて、意地悪な質問ですが、そこはいかがでしょうか。

 松永 敢えて申し上げます。健全ではございません。しかしながら、ITというものが現実にこれだけ進んでいる以上、それを避けては通れません。したがって、私たち、子どもという対象、またそれ以外の人でもそうなんですけれども、それを使って、安全・安心を守れるならば、その回りの方が協力する態勢、それが今、必要だと思っております。

 ですから、私たちは、ITに任せるのではなくて、ITを活用して、それを何とかサポートしていくというような心を育てていくようにしていかないと、なかなかうまくいきません。例えば、危険だよとわかったときに、誰がとんで行くんですか。それは回りの大人です。大人が行って、そこで危険だよということがわかれば、然るべきところに連絡する。そういう心、今まで少し忘れかけていたのかもしれない心が必要なんだと。それをITが知らせてくれているんだよというのを、私の回答とさせていただきます。

 中村 ありがとうございました。
 そうしたら、それぞれの分野でもう一回、聞き直そうと思うのですが、竹中さんの場合は、チャレンジド、障害者を納税者にというのは、非常に刺激的な言葉で、それが生きがいを生み出しているということは、非常によくわかるのですが、今後の広がりというか、課題、91年にプロップ・ステーションを始められて、どういうことが今、問題として浮かび上がってるのか、そのへん、ありましたらお願いします。

 竹中 日本の一番大きな問題は、日本システムみたいなところでですね。どうしても日本の福祉って、少子高齢が何で問題になるかっていうと、生産年齢の15歳から65歳、それ以外を従属人口、従属年齢と、こう呼んでるわけで、すべての法律の根っこにその考え方がある、社会保障の中にもね。それによって、その従属人口の中で、とりわけ社会にとってこういう言い方をしちゃいけないんですが、お荷物のように言われているのが、重い障害のある人っていうような状況なんですね。

 でも、日本のその考え方だけで社会見てたら、日本を変えるってことは、実はできないんです。じゃあ、よその先進国と言われているところはどうかなって見ると、もうとっくの昔に、30年ぐらい前から15年ぐらい前にかけて、その考え方、社会福祉の国是自身を変えているんです。それはどう変えているかというと、弱者という人たち、つまり従属人口というのは厳然とおるんやと。その人らに、こちらの生産人口の人が何してあげるんやというのが福祉やねんという考え方をもう捨てて、弱者と言われる人の中から、一人でも弱者じゃない人を生み出すプロセスを福祉と呼ぼうと。

 そして、本当に困る人のセーフティネットというものを、みんなの総合力でつくろうというふうに、もう国是から法律から変えているんですね。ということが、このプロップの活動を始めて、世界各国とお付き合いをさせていただいて、すごくよくわかりました。

 ですから、今、写真見ていただいたような方々というのは、日本では、ええ−、ほんまにそんなことできるのって思われたかもわかりませんけど、実はアメリカとかスウェーデンへ行くと、今、見ていただいたような方々が一番たくさんどこで働いているかというと、日本の霞が関みたいなところなんです。その国の省庁の中の、しかも幹部であったり、企業のリーダーであったりして、実は働いてはるというような状況になってるんですね。

 日本は、まだ残念ながら、障害のある人っていうのは、気の毒やから手助けしてあげようという、日本人の気持ちはとても温かい。これはすごく重要なことで、温かい気持ちというのは失っちゃいけないんだけど、その手助けしてあげよう、何か自分ができることあったらしてあげようと言いながら、見ているところが、相手のできないところとかマイナスのところとか、自分より劣るところとかだけを見て、その親切心を発揮しちゃったり、お金をそのための補填みたいに入れちゃったりみたいなやり方をずっとやってきて、それをまだ残念ながら国是として、国民総意の下に変えようというふうになってないんですね。

 実はそこが一番大きな課題だと、私は思ってまして、そういう意味で、本当にこういう人たちがこれからもっともっと生まれてくる可能性があるし、他の国では、もうそれが当たり前になってるでというようなことを伝えるために、さっきも言ったように、来月は厚生労働省と重度のチャレンジドのお家をつないだコンピューターセミナーなんかもやってみようとしているわけです。

 大切なのは、さっき、北川さんも言われたように、誰かがしてくれるといって、しゃがんでるというのは、絶対駄目で、とりわけ私みたいな不良人間は、誰もせえへんねんやったら、自分するしみたいなタイプで、今のルールがおかしいと思ったら、そんなもんルール変えたらしまいやんけとかって、思ってしまう人間なんですけれども、でもやっぱりルールを変えようと思うときには、変えようと思う人間自身が動いて、そしてそのモデルケースを生み出さんと、やっぱり説得力ないんですね。

 これは、私はやっぱり自治っていうことやと思います。それから、自分は主権ある国民なんやから、やったってええやんかというものだと思うんですね。そこのところが、日本の人は、すごくまだ弱いのかもわからない。誰かがやってくれるん違うかなと思っている。特に、チャレンジド、障害者と呼ばれる人たちは、どうしてもそう思わざるをえないところに置かれてしまっているんだけど、その中でもそうじゃなく、自分ら自ら変えようと思った人らが、今、グループに集まって、そして血の汗流して努力されて、今、こういうふうにそれぞれ働いている。その一人ひとりモデルになった人たちの努力を無にしないように、それを制度に生かすとか、社会みんなの意識を変えていただくのに生かしていくというのが、今の私たちの課題です。

 中村 わかりました。
 続きまして、桑原さんにお聞きしたかったのは、今、子どもの安全、障害者の福祉、そして山古志村、新潟中越地震の現場というのは、高齢化が進んでいると聞きますし、お年寄りたちが、果たしてこういうITを活用できるのか。デジタルデバイドって言葉があるみたいですけども、情報格差、知らない人、使えない人と使える人の差がどんどん広がっていくということがあるんじゃないかと思いますけども、そのへんはどうですか。

 桑原 中越地震のときも今も、基本的にはあまり変わってないんですけども、やはり高齢者の方、高齢者だけじゃないですね、中年層でも使えない人はかなりいますし、私どももそれに前から取り組んで、全員が使えるような世の中が理想だと思うんですけども、まあちょっと無理だろうと思っております。

 いろんな手段を使って、そういうふうに持っていきたいところですけども、ただ、そういったデジタルデバイドって言いますか、そういうふうな部分は、それこそ今のお話じゃないですけども、インターネットが得意な人もいれば、高齢者の方で違うことが得意な方というふうな形で、インターネットができる人は実は人とのコミュニケーションが苦手だったりとかいうふうなこともあったりするわけですので、そういった意味ではお互いが補い合うというふうな仕組みをつくっていかなくちゃいけないんじゃないかなと思います。

 一つの例として、これは行政との関係なんですけども、越路という地域では、いわゆるインターネットで流してプリントアウトもして、全戸に地震情報を配布したということですね。文字情報に変えて誰でも接しられる形にして、全部の家に配布したというふうな形で、ある程度解決しているのもありました。

 そういうふうな形で、できる範囲で、情報というのは、インターネットもあればテレビ、ラジオ、新聞、ありとあらゆるものがあるのですけども、いろんな形を取り揃えて伝える努力をするということが必要なんじゃないかな。インターネットはその一部分であるというふうなところじゃないかなと思います。

 中村 同じ質問を竹中さんはいかがですか。

 竹中 機械とか道具は、あくまで機械や道具で、私はやっぱり人と人とがどうつながるかとか、人が支え合いして、本当に社会をみんなで良いように構築していけるか。そのために、ITを使おうという立場です。けれども、ITはあまりにもすごい道具なもんやから、やっぱり恐いところはいっぱいあって、私らでも日々、ぞっとするようなメールが何百通も、まあメールアドレス公開状態ですからね、もう何百通もメールがきたり、私の名前でエッチメールが配布されたりみたいな、あんた、何してんねんみたいなことを言われたり、そんなことが日常茶飯事になっているんですね。

 けれども、例えば、包丁を母ちゃんが大根を切るのに使うのか、それともそれで人を殺すのかというのは、包丁に責任があるわけじゃなくて、やっぱり人間がそれをどう使うかという、つまりこれほどすごい道具というのは、人間の知恵がものすごく試されているということやと思うんです。

 ですから、私は自分がコンピューターや携帯やったら、やっぱり、今、写真見ていただいたようなチャレンジドに使われるものになりたいな。犯罪者に使われるほうにはなりたくないなと思います。決して道具に振り回されるんじゃなくて、自分が何をするためにこれをどう使うかということを、しかもそれをプラス方向にみんなで考えていけたらいいなと思いますけど、でもすごくおそろしいところまで現実にはきちゃっているので、やっぱり先ほどの、子どもの安全を守るということもそうですが、使い方を本当にみんなで工夫していかんとあかんし、また恐いことからの防御の仕方をしていかないかんと思います。

 それから、チャレンジドのために別にやっているんじゃないんです、私たち。for the challengedじゃなくて by the challengedで、彼らがこれを成し遂げるということは、もっとたくさんの人が成し遂げられる時代をつくれるということで、私は、彼らは超少子高齢社会の水先案内人で、今、リードをしている人だと思うんですね。だから、私はコンピューターが苦手で、字打つしかようせんのですけど、その代わり口と心臓が達者やからいいんですよね。でも、口と心臓が達者じゃないとか、体がそんな十分に動かへんとか、考え方が緩やかになってるとかいう人ほど、自分のやりたいことをするためにこういう道具が役立つので、好きとか嫌いとかいうより、やっぱり自分がこれを使って、何したいかなということで、道具を選んでいきはるという主体性はすごく重要かなと思います。

 中村  松永先生は、何か補足することが。

 松永  私も竹中さんと同じ意見なんですけれども、過去の歴史をずっと見てみますと、人っていうのは、さまざま、とても越えられないような困難を越えてまいりました。そのときには、いろんな人が知恵を使って越えてきたわけです。そして、今、コンピューターとネットワークというのは、その中の最大の便利さを提供しているものだと思っております。だからこそ、もしかしたらうまく私たちの知恵を使い、そしてそれを克服して乗りこなしていけば、次の新しい幸せ、未来があるんじゃないかと思っております。

 今、私たちはそれをしっかり見て、もし問題点があれば改善すべきですし、なければもっと進むべきだろうし、ワンステップ、ワンステップ、私たちの力で、知恵で、努力で改善していったらどうかなということです。悪いことばかりではありません。もっとたくさんいいことが次に見えてるのだと確信して、私たちはこのトライを続けていきたいなと思っております。

 中村 ありがとうございました。ちょっと思い出しまして、竹中さんに一つお聞きしようとしたことが、今、浮かんできたのですが、95年の阪神淡路大震災でも被災されて、そのときもプロップ・ステーションがいろいろ活躍されたと聞いたんですが、そのへんの話をちょっと。

 竹中 今ね、山古志村のお話とか、いろいろ聞いて、私もちょっと喋りたいなと思ってたんですけど、実は、私、神戸生まれの神戸育ちで、この活動も阪神間で興したんです。あの12年前の震災で、私の家は全焼しまして、仲間全員が何らかの形で被災者になったんですね。いろんな方が全国から駆けつけてくださって、いろんな手助けをしてくださって、ボランティア元年とか言われましたね。

 そのボランティア元年の中で、実はパソコンボランティアという、今、ボランティアの一ジャンルになってるものは、あの震災の後、プロップのチャレンジドたちが始めたという歴史があるんです。ちょうどその震災直後に、障害者ではなく、チャレンジドというこの言葉と私は出会って、すごい元気と勇気を持ったんですよ。

 それで仲間に、「今、私ら、震災に遭うたけど、挑戦という使命・課題あるいはチャンスを与えられているという思いになるしかないん違うの」みたいな話になって、「そうか、自分ら障害者じゃなくて、チャレンジドやな」って感じたその仲間たちが、仲間の連絡に使っていたパソコン通信で最初は安否情報を、僕生きてる、私生きてる、誰それさんどうしてる、誰それさんは、誰か一緒にどこかへ逃げたらしいみたいなことを流しだして、その次には、お弁当をきょうはどこでもらえるとか、お水どこで配ってはんねんみたいなのを流しだして、その次には車椅子で入れるお風呂屋さん、どこかないかみたいな。そのうち、避難している養護学校でおむつが全然無くなったんやけど、困ったなというのが流れたら、そのパソコンのメールがピュン、ピュン、ピュンといろんな方に引き継がれていって、東京のおむつメーカーから 1,000箱届いたみたいなことがあったりして、今、日本でボランティアの一ジャンルになっているパソコンボランティア、実はあの大震災の被害に遭うた、ベッドの上におったチャレンジドの指先から始まった。それだけ、私らは、この冷たい箱みたいに思うこの機械の向こうに、間違いなく人がいると。大切なのは、機械と機械をつなぐ以上に、人と人がつながることやというのを知ったんですね。

 と、同時に、あの震災で亡くなった人の6割は実は家庭介護のお年寄り、障害者が亡くなったという言い方をした報道もありますけど、家庭介護のお年寄りだったんです。つまり家庭介護のお年寄りは、もうみんな点になってしまっていて、介護者も本人もネットワーク一切持ってなかった。ところが、障害の人たちっていうのは、日頃から作業所とか、いろんな支援者の輪とか、あるいは私らみたいに、障害あってもパソコンでつながっているみたいな、ある意味パワーを持ってたわけですよ。

 あのときに、これからの高齢時代に、ITというものが、どんなに重要かというのを身をもって知りましたから、今、プロップでは、チャレンジドが先生で、習うのが高齢者というパソコンのスクールもやってて、すごい好評です。コンピューターなんかって言うてた高齢の人たちが習いにきたり、あるいは勉強して、今度はボランティアになってくださったりしている。年齢・性別関係なく、この必要性を認識されたら、どんどん、いいように使うように勉強していただいたらどうかなというふうに、その震災の大きな教訓を得ました。

 中村 ありがとうございました。ちょっと話が順番、前後しましたけれども、光と陰の部分というもので、最初に島田先生が話された部分、それでいわゆる障害者の福祉、雇用、社会参加に非常に役立っていってるし、あるいは自治体で住民が行政に参画する手段として、ITが非常に利用しやすくなっている。特に都市で増えている子どもの犯罪被害に対して、守るグッズというかツールとしてITが活用されている。高齢で過疎の村でも、災害が起きたときに、ブログという手段で情報発信したという経験があるとか、今、ざっとこういう流れの中で、それぞれの経験をお聞きしてきたんですが、最後に、まとめを島田先生のほうで、共通する課題が何なのか、整理をしていただいて、投げる格好で申し訳ないんですけれども、きょうの結論的な話をしていただければと思います。

 島田 とても3人の方の発言をまとめるという能力はございません。きょう、ご参加の方々が、4人の発言の中で、いろいろなヒントを掴んでいただき、ご自分なりにまとめていただければいいんではないかと思っていますが、先ほど来の発言の中で出てこなかったことで、気付いた点と若干の課題みたいなことを申し上げたいと思います。

 先ほど、ITのマイナス面というようなことをお話ししました。私はどちらかというと、今日は元気のほうに焦点を当てさせていただきましたが、やはり使い方によっては大変恐いなという感じがするわけです。

 例えば、今から10年前ですと、パソコンを子どもに使わせる場合においては、子ども部屋に置かないで、居間に置いて使おうよということでよかったんですよ。それが、携帯電話になりまして、不特定の場所からアクセスできるようになりました。

 じゃあどうしたらいいかということでございますけれども、一つは、フィルタリング機能ですね、アダルトなどの有害情報や2チャンネルなどにどう対応するかです。先般、私も久しぶりに2チャンネルを見ましたが、ヒトや組織に対する誹謗中傷が溢れていて、読み続けると不愉快になり切りました。そういうものに対して、子どもが見てはいけない、見させてはいけないと思います。是非、フィルタリング機能を付けることに業界団体が率先して取組んでいただきたいと考えます。もちろん、抜け道はありますが、しかし、それによってカバーできる範囲は極めて広範であるということです。

 今後、議論になるのは、最初に申しました匿名性です。問題なのは、いわゆる警察でも手に負えない状況があるわけです。海外にサーバーがあると、法の目をくぐってしまい、警察でもコントロールできないわけです。

 それから、プロバイダーですが、今、日本には 約1,000社あると言われていますが、大手のプロバイダーは、危険な情報の取り扱いについては、かなり協力的ですが、小さいところには、実際、アクセスの記録が、必ずしも残っていないと言われています。

 また、ネットカフェというようなところでは、実際、情報発信して、それが誰がやったかわからないというような問題等があります。これらの問題については、大いに議論をする必要があります。そういう場合に、やはり規制をするかどうかという問題が出てきます。

 規制というのはどういうことかというと、隣の韓国が始めましたように、国民の統一個人番号、日本では住民基本台帳の番号に当りますが、それで本人確認をして使えるようにするというものです。しかし、このような本人確認については、通信の機密を犯すのではないか、企業の不祥事を明るみにした良い意味での内部通報も閉ざすことにならないかと、両極端な意見があるわけです。

 しかし、今後は、本人確認が残るような仕組みは必要ではないかと思います。それを利用するのは、警察でコントロールすると信頼性が維持できるか、第三者機関でコントロールする方が良いのではという議論もあります。こういった問題は、残された問題です。

 それから、もう1つ言い残したことがあります。 ここに、こんな資料があります。携帯電話、インターネット利用率の一番高いのは、年齢的なモデルでは若年層。それから真ん中の中年層はPCでのインターネット利用率が一番高い。それから高齢になりますと、テレビ視聴時間が一番長い。  問題は、先ほど出ましたような、デジタルデバイドというような問題で、中高年齢層にどう社会参加をしていただくか。一つは、今後の方向としては、少し時間がかかるでしょうが、双方向テレビによる対応があります。それから、先ほど、桑原さんなどがおっしゃったように、中高年齢層にどうこのITを学んでいただくかというようなことがあります。

 その場合に、どういうことがこれからの地域の課題になるかと申しますと、私は3つあるのではないかということでございます。北川先生の話にありましたように、住民が地域コミュニティにどう参画していただくかということが、この地域問題解決に大きな役割を果たします。その場合は、推進母体をどこがやるか。参加していただくインセンティブは何かというようなことでございますけれども、これについては、残念ながら解答は見つかっておりません。

 幸い、団塊の世代が今年度から相当退職されるわけでございますけれども、もちろんそれはいろんな選択肢、ライフデザインがありますが、先ほどの1%運動ではないけれども、この世代には持ち時間の1%でも5%でも、地域の問題に取り組んでいただきたいですね。自治体はそういう参画に、どういう役割を果たしていくのか。いろんなステークホルダーがいる中で、私はやっぱり自治体に協働の要として大いに頑張ってもらいたいなと思います。

 それから、地域の問題は地域でというようなことで、やはりそのためには、地域教育をこれからどう果たしていくかが重要です。地域教育というのは、小学校区であったり自治体単位でございますが、そこで地域教育のために、地域の人が、地域のことを、地域に教える仕組みも必要です。

 デジタルデバイドの解消につきましては、操作ができるITリテラシーだけでは不十分です。大事なことは、日常の倫理観に裏付けられて、どう情報洪水の中で情報選択能力を教育していくか。そういう情報選択能力が併せて教育される必要があります。

 今日、いろいろ話が出ましたが、結局は、ITに過度に依存し過ぎるというのは、問題もあるということでして、程ほどがよいと考えます。まあ、高齢者の方は無理に使わなくても、それに代わるもっといい知的生活などもいろいろあると思います。

 もう中毒にかかっている方も多いんですよね。そういう方はアルコールの休肝日と同じように、家庭単位で週1回、ITを使わない日を設けられてはどうでしょう。これを最後のお話にさせていただきます。

 中村 ちなみに申しますが、今年の1月8日の成人の日の社説を書かせてもらいました。見出しが、87年生まれのつぶやきということで、携帯電話が成人したという話です。その締めくくりにも、1日に1度は携帯を置いて、夜空を眺めてみようやみたいな話にしました。どうやら、結論はそのへんで見えてきたかと思います。

 竹中さんは、打ち合わせの中で、これは火を発見したほどの道具だと。

 竹中 人類が火を発見したほどの、自分たちにとっては道具で、これによって、初めて自分たちは人間になったと、チャレンジドの仲間は言うてはります。

 中村 と、おっしゃってましたけれども、その道具も、使い方を誤れば、いろんな凶器になったりするということがあるということです。それを知恵を働かせながら、上手に使いこなしていくということが、我々がこれからIT社会を生きていく中での一番確かな道ではないかと思います。  きょうは、長時間に渡りまして、ご静聴いただきまして、どうもありがとうございました。パネリストの皆さんもどうもありがとうございました。 (拍手)

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