西日本新聞 2005年12月20日より転載

トコトコ テクテクわたしは歩む

障害は気の毒やない 誰もが支え合う国に

障害者や高齢者らを対象にパソコン技能習得セミナーを開き、その修了生らのネットワークをつくり、プログラム開発やウェブ制作などによる就労支援をしている、神戸市の社会福祉法人「プロップ・ステーション」の理事長、竹中ナミさん(57)。16歳で結婚し、重度心身障害がある長女の誕生を機に、深く障害者福祉にかかわった。障害者を「チャレンジド」(挑戦課題として障害を与えられた人)と呼び、彼らの能力が生かされる社会の実現を目指している。

(文化部・大矢和世)

[写真]
10月、障害児の保護者団体「クックルー・ステップ」の講演会で語る竹中ナミさん―福岡市中央区

社会福祉法人「プロップ・ステーション」理事長
竹中たけなか ナミさん(57歳)
1948年、神戸市生まれ。小学校時代から家出を繰り返し、中学卒業後、16歳で結婚。24歳で重度心身障害児の長女を出産し、障害児医療・福祉などの独学を始めた。以来、障害者自立支援組織の事務局長などを務め、1991年に「プロップ・ステーション」を設立。国の障害者政策に対する提言もしている。通称は「ナミねぇ」。夫とは離婚、子どもは長男と長女の2人。

母の心 就労支援に走る

―「プロップ・ステーション」の意味と活動を教えてください。

「1991年に障害者の就労支援を目的につくった組織で、今は就労を目指す障害者や一般人を対象にしたパソコン技能のセミナー、在宅で就労している人たちの仕事のコーディネートなどをしています」

「発足当時、どこの家庭にもパソコンなんてなかった。でも『パソコンは武器や』と思った。元ラガーマンで、けがでほとんど体を動かせなくなったり、それでも自分で作ったパソコンのプログラムを駆使して、マンションを経営する青年と出会って就労支援活動を始めました。IT業界の会社に『先行投資やと思ってパソコン提供してください』ってお願いして回りました。彼は組織の名付け親でもある。プロップは彼の現役時代のラグビーのポジションで、『支え』という意味があります。障害、老若男女に関係なく、支え合う社会にしたいと思って」

―娘さんには重度の心身障害があるそうですね。

「生後3ヵ月で脳障害と診断を受けました。目はぼんやりと光が分かるくらい。手を引けば少し歩ける。私のことをお母ちゃんやと分かっているかどうかも、分かりません。私自身は、熊本出身のお嬢さん育ちの母と、大正生まれでバンカラの父の下で、『何やってもええ』と言われて育った。でも娘の障害のことを告げたら、『わしが孫連れて死んだる』と言うんです。『おまえが絶対苦労するから』って。それで、『父と娘を絶対死なさんように楽しく生きる』と決めたんです。そのやり方をわかりたくて、たくさんの障害者と付き合うようになりました」

―どんな思いで就労支援に取り組んでいますか。

「日本では、障害のマイナス面ばかり見てる。『気の毒だから、何をしてあげよう』って。一方、障害者の雇用は『通勤できる』と『8時間労働』が前提です。もったいないですよ。パソコンを使って、在宅でも、施設でも働きたいという人がいるのに、壁を作っているんです」

「娘は今、32歳。国立療養所でお世話になっています。普通ならすぐにできることを、何年かけて少しずつ成長していく娘の姿は、ほんまに愛しくてたまらない。もしかしたら、『チャレンジドが働ける社会に』と頑張るのは、私のわがままかもしれません。私が死んでも、一人でも多くの人がいろんな手段で身の丈の仕事をして、何らかの力を発揮しながら、娘がこの社会に生きていけるようにほしい。だから、誰もが支え合えるような日本に変えていきたいんです。女性だって、男女雇用機会均等法で働けるようなしくみを、作っていく番なんです」

ページの先頭へ戻る