産経新聞 2002年7月29日 より転載

【ニュース ウォッチ】

発想の転換で保護から自立へ

障害者の就労はなぜ進まないのか


特集部 牛田久美

重度の障害者でも、わずかな助けがあれば、健常者と変わらない社会生活ができる。パソコンを使った在宅勤務などIT(情報技術)の進歩は、障害者の就労の可能性を大きく広げた。多くの障害者も、健常者と同じように働きたいと願っている。内閣府の懇談会や与党の協議会では障害者の社会参加への取り組みがスタートした。

可能性


IT時代の到来で、障害を持つ人たちも社会参加が可能となった=神戸市東灘区の「プロップ・ステーション」

<きょうは、りえちゃんの おかあさんの たんじょうび。

りえちゃんは、おねえちゃんにてつだって もらって ケーキを つくることに しました。

じぶんたちで つくって びっくりさせたいのです>

絵本「バースデーケーキができたよ!」(ひさかたチャイルド、9月出版)の書き出しが、車椅子(いす)に乗ったりえちゃんがさりげなく出てくるところが、普通の絵本とは違う。

作者はフリーイラストレーターの久保利恵さん(27)=大阪府枚方市。生後6ヵ月のとき、ウェルドニッヒ・ホフマン病という先天性の難病にかかっていることが分かった。いまも身体の筋力がほとんどない。この絵本はパソコンを使って仕上げた。母親に助けもらいながら、わずかに動く右手でマウスを少しずつ動かしながら、情報を集めた。水彩画の下書きもパソコンを利用した。

「いまある能力をどう引き出すか。利恵さんだけでなく、多くの人が技能を学び、さまざまな可能性に挑戦している」

利恵さんがパソコンの操作を学んでいる社会福祉法人「プロップ・ステーション」(神戸市東灘区、http://www.prop.or.jp)竹中ナミ理事長(53)はこう話す。

プロップ・ステーションは11年前、障害者の自立と就労を目指すNPO(民間非営利団体)として発足した。重度の障害者の中にも少し手助けや道具さえあれば、健常者と変わらない生活ができる人が多く、すでに300人がパソコン技能を習得し、100人が在宅で働いている。

支え合い

だが、障害者が高い能力を持ち、やる気も十分にあっても、現在の社会の仕組みではその力を十分、発揮できないという。なぜか。

「障害のある子は養護学校へいく。就労どころか、教育の段階から健常者とはコースが全く違う」(竹中理事長)

上智大大学院生でNPO「日本バリアフリー協会」代表の貝谷嘉洋さん(32)は、小学4年生のときに進行性筋ジストロフィーを発症した。

岐阜大付属の小中一貫校で義務教育を終えたが、高校は岐阜県教委に養護学校を勧められた。

貝谷さんは「事故があったら責任をとれないからでしょう」と話す。

結局、両親の努力で岐阜県立羽島北高の校長が受け入れてくれた。貝谷さんは階段昇降機を40万円かけて自分で設置した。

しかし、大学進学は国立と私立の5校で、入学試験の際に@階段を上れないA車椅子で机の高さが合わない−ことから受験を断念した。

「大学側が配慮してくれれば、受験できたと思う。事実上の受け入れ拒否だ。僕だって勉強したい。みんなと同じようにノートがとれないだけだ」

新聞記事をきっかけに交際するようになった同じ筋ジストロフィーの講師がいた関西学院大へ進学した。その後、カリフォルニア大の大学院に進み6年間、ノートテイカー(授業中の介添え者)を雇って修士号も修めた。米政府はノートテイカーの雇用費を全額、補助してくれた。

プロップ・ステーションの竹中理事長は「障害のある子供も、障害のない子供も、一緒に学ぶことで支え合うことを互いに知ってほしい。同じ職場に障害のある人がいても普通だという社会になってほしい」と強調する。

進学と就職

障害のある人を「保護」の対象とみる施策は、養護学校だけでない。

文部科学省がまとめた養護学校(高等部)の卒業生の進路=表参照=をみると、卒業生の6割が、進学や就職ではなく、社会福祉施設や身体障害者養護施設に入所する。大学進学者はわずかに1.1%だ。

その著書「五体不満足」(講談社)で時代の寵児(ちょうじ)となった乙武洋匡(おとたけひろただ)さんに対し、やはり重度障害者で評論家である櫻田淳さんが先輩として「一流の仕事をしてほしい。早稲田大学の学生だったのだから」と「『弱者』という呪縛」(PHP研究所)で述べた理由もここにある。

「働くことが感動」バリバリと仕事して余暇楽しめる保証を

完全在宅勤務の沖電気工業社員、樗木次男(ちしやきつぐお)さん(30)は両足と右上腕に機能障害があるが、「僕らの多くは普通校へ進学したかった」と語る。

以前、福祉作業所で工業部品を組み立てていたが、将来の目標を見いだせなくなり、樗木さんは就労支援組織の社会福法人「東京コロニー」(東京都新宿区、http://www.tocolo.or.jp)でパソコンを学んだ。

「障害のない人たちと同じように一般企業で働くなんて夢のまた夢だった。それがいま、働いている。働くことが一番の喜びで、感動だ」

障害者の労働を法的に支えるのは、障害者雇用促進法の法定雇用率しかない。在宅勤務するフリーの障害者を支える法律はなく、与党の協議会が立法化を検討している=メモ参照。さまざまな働き方ができれば、社会参加する障害者の層も厚くなる。

日本で再び暮らし始めた貝谷さんは「重度の障害者が生き生きと暮らす社会は強い社会だと思う。だれでも障害者になる可能性はある。障害者になっても、バリバリ仕事をして余暇を楽しめる保証してほしい」と訴える。

障害者を「保護」の対象とみるのではなく、「自立」のために支援する。そんな発想の転換が必要なのではないだろうか。

政府・与党の取り組み

【政府】

内閣府は6月、「新しい障害者基本計画に関する懇談会」をスタートさせた。平成5年策定の障害者対策に関する新長期計画が今年度で終わり、「アジア太平洋障害者の10年」の最終年に当たることから、内外ともに節目の年を迎え新しい「10年」の行動の枠組みを構築する。

福田康夫官房長官は官邸で開かれた初回会合で「21世紀は、誰もが生きがいをもって安心して暮らすことのできる社会とするという考え方に立ち、障害のある人も障害のない人と同じようにさまざまな活動に参加できるバリアフリー社会を構築する必要がある」とあいさつした。

【与党】

与党三党の「与党女性議員政策提言協議会」は2月、障害を持つ人が積極的に社会参加して納税者になることを目指す「ユニバーサル社会の形成促進プロジェクトチーム」(座長・野田聖子衆院議員)を発足させた。障害を持つ人が「支援される」側から「支援する」側に回ることは少子高齢社会にも朗報であるだけでなく、生きる誇りにもつながるという立場から、雇用支援の立法措置を検討している。

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