NEW MEDIA 2002年6月号 (2002年5月1日発売) より転載

【The Challenged とメディアサポート】(54)

岩手をチャレンジドのイーハトーブに
〜「CJF2002・いわて大会」プレ大会

障害を持つ人々が誇りを持って働けるIT社会を目指す「チャレンジド・ジャパン・フォーラム」(CJF)。今年の第8回大会は、8月末に岩手県盛岡市で開催される。去る3月18日、そのプレ大会が本大会開催予定の会場で開かれた。

主催者側の当初予想を大幅に上回る約300名の来場者が、増田寛也・岩手県知事、竹中ナミ・社会福祉法人プロップステーション理事長、地元で活躍するチャレンジドらの話に聞き入った。

(報告:中和正彦)


増田寛也・岩手県知事


竹中ナミ・プロップステーション理事長


村田知己・本大会実行委員長


高橋俊肥考・北上市ボランティア連絡協議会会長

いま岩手が目指すイーハトーブとは

プレ大会の前半は、増田知事とCJFの創始者であり理念的リーダーである竹中理事長との対談だった。増田知事は、浅野史郎・宮城県知事の肝入りで開催されたCJF宮城大会(99年)に参加して竹中理事長と出会い、その理念に共鳴して自らCJFを岩手県に誘致したという経緯がある。

対談のタイトルは「岩手をチャレンジドのイーハトーブ(理想郷)に!」。その目指すところを、増田知事は次のように語った。

「イーハトーブは理想郷ですから、実現した途端にイーハトーブではなくなってしまうと思うんです。理想というものは、われわれがステップアップするたびに、さらに上の方へとの築き上げていくものだと思います。

竹中さんと初めて会ったころ、ぼくはバリアフリーを考えていました。行政がやるべきことは、障害を持つ方々にとってのバリアをなくすことだと思っていました。それが、いまはユニバーサルデザインという考えになっています。障害者も含めたすべての人々が使いやすいデザインを追求していこうという考えですね。そういうふうに、理想はどんどん進化しているわけです。

いま、岩手が目指すイーハトーブ=理想郷は、チャレンジドが納税者になって当たり前に暮して行ける社会です。

いままで福祉政策は、どちらかと言うと、行政が税金を使って施しで何かをやってあげるという感じでした。だから、対象となる人たちはどこか肩身の狭い思いをしてきたと思います。これからは、そうではなく、その人たちが誇りを持って生きていける社会を目指します。それが岩手のみならず全国の理想になっていくと思います。

そんな中で、岩手は岩手の地域性の中で、いい解決策が出てくればいいなと思っています」

国レベルでも急展開の「チャレンジドを納税者に」

一方、「チャレンジドを納税者にできる日本」というキャッチフレーズを掲げて活動してきた竹中理事長は、いままさに岩手県のみならず、国レベルでも大きな変化が起きていることを報告した。

先月号本連載で、与党女性議員政策提言協議会(女提協)が2月、新たに「ユニバーサル社会の形成促進プロジェクトチーム」(座長:野田聖子・衆議院議員)を発足させたことを報告した。竹中さんは民間の実践者として、このプロジェクトに発足段階から深くかかわっているのだが、早くもこのプロジェクトから新たな動きが生まれているというのだ。

「女提協のプロジェクトチームは、政党や国の正式な機関ではありません。ですから、本当に国の制度を作るには、それぞれの政党の中に委員会ができて、女提協のプロジェクトの理念をきちんと取り上げていく動きが必要です。

というわけで、自民党では元郵政大臣の八代英太さんを中心とした小委員会ができました。公明党では、前厚生労働副大臣の桝屋敬悟さんを中心とする小委員会ができました。女提協のプロジェクトチームと与党の正式な機関がきちんと組んで、ユニバーサル社会の実現に向けた法律を作っていこうというところまで来たんです」

ちなみに、すでに地方レベルでも、CJFを開催した宮城県や三重県(昨年開催)をはじめとして、さまざまな取り組みが生まれてくる。竹中さんは、岩手の聴衆を力強く鼓舞した。

「プロップステーションは、コンピュータを初めて触るチャレンジドがプロになっていく道筋をコーディネートしたり、プロデュースしたりする機関として活動しています。おかげさまで、この活動の中からたくさんのプロの方が生まれました。そして、これがプロップの活動だけでなく、CJFなどを通じて、各地の動きになり始めています。

国のほうも、今年は障害者基本法を見直す年ということで、活発な動きが出てきています。そういう段階で開かれる今年の岩手のCJFに、私も非常に大きな期待を持っています。プレ大会にすでにこれだけの皆さんがお集まりになられたということで、『今年は岩手が日本を変える核になるのではないか』と、そんな気もしています」

アメリカンスクールで学んだ「チャレンジド」

竹中さんは増田知事との対談の中で、次のような問題意識も語っていた。

「実は私はいま、ITをどう使うかという方向性によって、ただの弱肉強食の国になるのか、本当に人と人がつながって、支え合っていく国になるのか、その分水嶺にきていると思うんです」

竹中さんが望むのは、もちろん後者だが、それは「強者」に「弱者」への理解を求めるだけでは実現しない。CJFが目指すのは、働く意欲も潜在的能力もあるチャレンジドが実際に働ける社会。働いて納税することによって、真に手厚い保護が必要な人々を支え、社会の担い手として誇りを持てる社会である。

その理念は、行政や企業など「強者」側の意識改革だけでなく、「弱者」側に甘んじてきた者の意識改革も迫る。「チャレンジド」という米語自体が、日本人の障害者観に意識改革を迫るものである。「すべての人間に、自分の課題と向き合う力が備わっている。課題が大きければ大きいほど、向き合う力もたくさん備わっている。そういう課題を与えられた人をチャレンジドと呼ぶ、ということなんだそうです」

竹中さんは一言一言に力を込め、「チャレンジド」という言葉に初めて接する人も少なくなかった聴衆に、言葉の持つ意味合いを説明した。

プレ大会の後半は、まさに「チャレンジド」と呼ぶにふさわしい2人が登場し、竹中さんを聞き手に「チャレンジドも自立を!〜いわてからの発信」と題するシンポジウムを行った。

一人は、本大会の実行委員長に就任した村田知己さん。生まれつき骨が順調に形成されないという難病(先天性骨形成不全)のため、身体が小さい上に歩行が不自由だが、盛岡市の職員として働く傍ら、精力的にボランティア活動や講演活動を行っている。

もう一人は、高橋俊肥考さん。小児麻痺による全身障害のため車いすの身だが、知的障害者の授産施設でコンピュータの業務に携わる傍ら、北上市ボランティア連絡協議会の会長職や講演活動をこなしている。

村田さんは自己紹介の中で、次のようなエピソードを披露した。

「ぼくは障害のために、日本の学校には入れてもらえませんでした(1979年の養護学校義務化以前のため)。それで困った父が連れて行ったのが、横浜のアメリカンスクールでした。

あるとき、ぼくを指導してくれた金髪のキレイな先生がツカツカと寄って来て言いました。『あなたがうらやましい』って。ビックリして聞きなおしたら、先生はもう一度ゆっくりそう言って、『あなたは神様に選ばれた子なのよ』と言いました。それは、まさにナミねえ(竹中さんの愛称)が言う『チャレンジド』という言葉の考え方だったんです。それを小学校の最初に教わったのは、とてもラッキーだったと思っています」

障害当事者に気づいてほしい新しい動き

会場には、村田さんが講師を勤たボランティア講座の合宿に参加したという高校生たちや、高1のときに講演を聞いて以来、村田さんと付き合いがあるという今春の卒業生らの姿があり、マイクが回って一言ずつコメントを寄せた。いずれも将来、福祉関係の仕事を志しているのこと。「監督に練習を休ませてもらって来た」という丸刈りの野球部員もいた。

新しい意識を持った障害当事者のメッセージが、明日の福祉を担う人材を育てている。そうした様が浮き彫りになると、予想以上の来場者の数で盛り上がった会場は、さらに盛り上がりを見せた。

しかし、そのためもあってか、もう一人のチャレンジド・高橋さんは、こうした新しい動きを知らない障害当事者の現状に辛口のコメントを寄せながら、CJF本番への期待を語っていた。

「世の中はいい方に変わっているのに、障害者自身がそのことに気づかない。少し前の考えのままでいる。そういう現状もあって、歯がゆい思いがします」

「障害者の世界では、仕事を教える側も受ける側も、まだ『暇つぶしに稼げれば』というニュアンスが非常に強いと思います。そうではなく、『仕事を通して社会に貢献するんだ』という姿勢を持ってほしい。ぜひ今度のCJFを機会に、変わってもらいたいと思っています」

8月末の盛岡はすでに涼しいというが、本大会のほうは熱くなりそうだ。

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