部落解放・人権入門200部落解放2002年1月臨時号(2002年1月25日発行) より転載

【第32回 部落解放・人権夏期講座 報告書 課題別講演】(人権A2)

ITが拓く新しい福祉

チャレンジドや高齢者が、元気と誇りを持って働ける国に

竹中ナミ

はじめに

プロップ・ステーションは、1991年に立ち上げ、草の根のボランティアとして自分たちでお金、知恵、力、汗、全部出し合い活動して来ました。そして、1998年の9月に日本で唯一のコンピュータネットワークを使って障害をもつ人が自立することを支援する社会福祉法人として厚生大臣の認可を受けました。

私たちの活動は、最初からずっとコンピュータを使ってやってきていますが、10年前のコンピュータは今と違って、フロッピーディスクが1枚3000円ぐらいの時代で、コンピュータの仕事というと、とても特殊な企業、会社の特別のセクションの…というイメージがありました。日本でパソコン通信が始まったばかりで、全国にパソコン通信をしている会員の数が数100人とか1000人いるかいないという時代でした。そんな時代に私たちはパソコン通信を使って重度の障害の人、主に家族の介護を受けていたり、施設や病院にいるといった方や、あるいは見えない、動けないといった人たちがこのような道具を使って自立したり、社会参画をしたり、もっといえば「自分で稼いで税金を払えるようになっていこう」という運動を始めたわけです。

見えないなら見えない人と

私には兄妹2人の子どもがいます。妹は重度心身障害で生まれてきまして2001年の2月で29歳になりました。彼女は29歳の今も見えないし、聞こえていてもその音が意味するところは理解できませんし、しゃべれません。自分自身のことは何ひとつ自分ではできないし、他に精神の障害、酸素異常、皮膚の異常などもあります。私のことをどこまで母親として認識しているのかもわかりません。

その娘が生まれてきたときに、私は一体どうやってこの子を育てたり、楽しいことを見つけてあげればいいのか全然わからなくて、いろいろお医者さんに行きました。「お母さん、がっかりしたらあかんよ」とか「こんな子を生んだのはあんたの責任じゃない」とか慰めの言葉はいただくんですが、「じゃあ、どうすればいい。こうすれば、彼女だって楽しいよ」ということは誰も教えてくれず、どの育児書にも書いていませんでした。ならば、「見えないなら見えない人とつきあおう」そうすることによって、見えないことの不便さやできないことできることが教えてもらえる。あるいは、「見えないけども、こんなことが楽しみだ」ということは教えてもらえる。聞こえない人、しゃべれない人と付き合えば、その人のわからないこと、困ることと同時に「何ができて、何が楽しい」ということも教えてもらえる。動けない人とお付き合いすれば、動けなくても「世の中がどういうふうになったり、どんな道具があれば働ける」と思っているといったことも教えてもらえる。あるいは、精神の障害、外から見てわからない「障害とはいったい何か」というようなこともその人たちから直接教えてもらえると、ふと思いつきました。そして、ある時期からお医者さんや専門家に聞くのは一切やめて、障害をもつ人たち自身からいろいろなことを教わって今日に至っています。

日本の国はもったいない

教わってわかったことに、自分の娘のように本当に家族や社会、自他の区別がつかなかったり、認識できないというような重度の障害の人というのはごくわずかで、それ以外の多くの人たちは障害者といっても自分なりにいろんなこと、希望や夢、目標、不満もある。それからこの恨めしい気持ちとか、そういった自分の気持ちをいっぱいもっています。でも、日本の国は、障害のある人を不幸とかかわいそう、親切にしてあげよう。あるいは除けよう、分けてしまおうといった保護のような隔離、隔離のような保護で障害者を分けてしまい、本当にその人たちの中に眠っている力を発揮できないもったいない国だと、私はたくさんの方とお付き合いして感じました。障害に対し適切な手立てさえあれば多くの人は目標に到達できるのに、私にいろんなことを教えてくれたように、その人たちが社会に対してもっとたくさん投げかけていけることがあるはずだと思いました。障害ということで線を引いてしまって、彼らに期待しない日本の福祉というのは、「とてももったいないな」と感じたのです。そして、私は障害者の力を世の中にだすことは、その人たちだけにとってのプラスでなく、私が求めたように、社会もその力をきっと求めるであろうということを確信し、そのための仲間作りとして始めたのがプロップ・ステーションです。

プロップ・ステーションとコンピュータ

「なぜ、コンピュータか」というと、先にもいいましたように、10年前コンピュータはとても高価で、特殊な人が使う機械で、福祉とか人間の心、体と機械というのは全然マッチングしないと思っていました。ところが、10年前に、重度重症の人たちにアンケートをさせていただいたところ、回答を寄せられた8割の方が、「自分たちは重度重症で介護も必要で家からも出にくい。でも、働きたい。そのためにはきっとコンピュータが役に立つと思う。こういうものを使って自分たちは働けるのではないか。社会と繋がれるのではないか」とありましたこのことはたいへんな驚きでした。

私は、娘が生まれてきて初めていろいろなことを見て、聞いて、行動し始めたように、人間は自分がその気になったときにしか前に進めないと思っています。ですから、私がコンピュータが苦手とか嫌いとかは関係なく、徹底的に彼らが自立したい、仕事したい、社会と繋がりたいと思って使う道具になるように一緒にやっていこうと決心し、10年前にコンピュータを柱にして、あるいはコンピュータ・ネットワークを柱にしてプロップ・ステーションを発足したのです。それからは、わずかな人数で重度のメンバーと一緒に出せるものを出し合ってやってきました。そして、コンピュータのプロの人たちに声をかけ、ボランティアで企業の中のセミナールームや専門学校のセミナールームを貸していただいたりしながら勉強会を開き、その人たちが実力をつけたときは、今度はプロップ・ステーションとして企業や行政に営業をかけて仕事をいただいて、その人たちが在宅のままでもネットワークを使って仕事ができるように振り分けていく、というような活動をずっと続けてきました。

プロップ・ステーションの名前の由来とチャレンジド

まず、プロップというのは「P・R・O・P」で、「つっかえ棒・支え合う・支柱」という意味で、これはラグビーのポジション名です。この活動を始めた時のメンバーの一人にコンピュータの得意な青年がいました。彼は、ラグビーをしているときに首の骨を折るというスポーツ事故で全身麻痺になり、左手の指先だけわずかに動くという機能が残りました。グループ名を何にしようか話ししていたときに、彼が「プロップにしてくれ。プロップは『つっかえ棒・支え合い』って意味やん」と。それまでは、障害を持たない人が持つ人を「支える側」、持っている人は「支えられる側」のように分離していたわけです。そうではなく、人間は障害のあるなしにかかわらず支え合いっこで生きて行くと言う意味でこの言葉を使おうということ、彼のポジションがプロップだったことで「プロップ・ステーション」と名づけたのです。

チャレンジドについては、わたしの娘も出会った彼も「障害」者と言われてきました。「障」という字は「差し障る」という意味で、「害」という字は「害」です。マイナスのイメージが重なっていて、ポジティブなイメージがありません。なぜ、人間を呼ぶときにマイナスを重ねて呼ぶのか不思議に思っていました。阪神大震災ときに、アメリカにいるプロップの支援者から、最近アメリカでは、「ザ・チャレンジド」という言葉で障害を持っている人たちを呼び始めていると教わりました。この言葉は「(神から)挑戦という使命や課題、チャンスを与えられた人」と言う意味で、非常にポジティブな意味を含んでいるし、日本でいう障害者だけではなく、震災復興に立ち向かっている人たちのこともチャレンジドと呼ぶ。つまり、「人間は自分の課題に向き合う力が必ず備わっているよ」という言葉なんだと聞きました。そのポジティブさに感銘を受けて、プロップ・ステーションではチャレンジドという言葉を使っています。

チャレンジドを納税者にできる日本

プロップには、いろいろな方がこられます。決して勉強して稼いでお金持ちになろうという人だけではなく、「少しでも自分が認められたい」「少しでも自分の力で稼いでみたい」という人から、もちろん、大金持ちになりたいと思って勉強している人までいろいろな人がいます。みんな「自分の力で稼いだ」という瞬間の目の輝き方は全然違います。「お金がこんなに公平なものだと思わなかった」というチャレンジドの皆さんはとても多いです。そういう人たちの目の輝きに私は支えられながら、最後は自分の娘のような状態の人、あるいは自分がそうなったときも、生存が許されるようにと日々活動しています。

私は、離婚をして娘と2人で生活するために、アパートを探したことがあります。障害児と一緒というと貸してもらえませんでした。このままでは共倒れになってしまうということで児童相談所に相談して、国立の療養所の重症棟に入ることになりました。娘がお世話になって3ヵ月目ぐらいのこと、「あなたのお嬢さんに医療費がこれだけかかりました」という通知がきました。重症心身の子どもは、病院や国の施設にお世話になると医療費は国の税金で賄っていただくんです。つまり、「あなたのお嬢さんにこれだけ税金がかかりました」という証明書です。そこには、なんと「月額5〜60万円の費用があなたのお嬢さんにはかかっています」と書かれていました。それまでお金のことなんて考えたことがなく、介護まみれで、働いて稼いだこともなければ、納税者になったこともない。そのときふと「少子高齢化社会がすごいスピードで進んでいる日本で、これを維持し続けられるんだろうか」と思いました。

私が「チャレンジドを納税者にできる日本」と言って「たくさんの人が世の中に自分の力を発揮していこう。働けるようになろう」と言っているのは、決して障害者の人が気の毒だからとか、親切心からではありません。私の娘のような人間も存在を許される、自分自身やこれからそういう人が生まれて来たときにも、その人にあった働き方ができる、働けなくなった人を支えるという仕組みが両立するのか、ということなのです。そのテーマにたどり着くため、考えた結果がこのプロップという一つの活動だったのです。

たくさんの力を眠らせている反面、日本では過労死という言葉を生むほど働いて家族も犠牲にした人がたくさんいます。少子高齢社会では、そんな働き方はもう無理です。これからの社会を支える働き方、それは、どんな人の中にも眠っている力を眠らさず、みんなが自分にあった働き方で、力を出しあって社会を支えていくしかないことだと思います。プロップに来て、必死に勉強する人を見ていると、わずかの時間でも自分のできる範囲で自分を表現し、社会から認められたいと思っている。私はそれを活かす方法を考えていく必要があると思います。「1日2時間だから働かなくていい」ではなく、「2時間はちゃんと社会を支えてね。残りは社会があなたを支えるよ」というように。

プロップ・ステーションの役割

プロップは企業の応援もたくさんいます。プロップの役員の大半はコンピュータ関係の企業のトップの方です。それには理由があって、プロップがコンピュータの勉強会を始めたときは、1台もパソコンはないし、セミナールームもない。全部支援です。私はその支援をお願いしに行くときに「障害があるから助けてちょうだい」とは1回も言ったことがありません。「この中から、きっとあなたの会社にとって必要な人、あなたが次にどんなものを開発すべきか、方向を示すような人が生まれてきます。先行投資をしてください」というお話しをします。それがパソコンだったり、ソフトウェアだったり、技術だったりするわけです。私の仕事は、プロの人や、今の世界経済の状況を知っている人から、情報や知識をもらうということです。あるいは、そういう人を引っ張ってくることです。コンピュータのプロになろうと思うと、やはりプロに習うと習わないとでは到達点が変わってきます。それから、仕事のコーディネイトです。そのためには、この仕事に対する見積もりの出し方など、判断するためにそれの分かる人たちとお付き合いをして知恵をもらわないとできません。しかも、プロップでは、例えば、10人の在宅の人たちがサーバーの中で打ち合わせを続けて一つの仕事を仕上げようという時に、1日2時間の人もいれば、5時間の人もいるし、季節で違う人もいるし、パソコンの実力、介護の状態など、全部把握したうえで仕事の割り振りをして、納期とグレード、価格を決めて、それを守って作業を進めるコーディネイトをしなければなりません。ある意味では、企業以上のコーディネイト能力が求められているのがプロップです。

ITが拓く新しい福祉

日本の法律の中で障害をもっている人の職業を促進するためのものは法定雇用率しかありません。その結果、プロップにくる人事担当の方が、「できる仕事は問わないが、車椅子の人を紹介してほしい」と相談に来られることがあります。人間が数字になってしまってるという実態があります。

法定雇用率は確かに障害者の雇用を推進して来ました。これは否定しません。しかし、今のように多様な働き方ができる仕組みができてきたときに、本当にそれだけでいいんでしょうか。職安には在宅の障害者の人に何ができるというデータはありません。これからの私たちの役割として、多様な働き方、しかもオンライン、コンピュータの情報網をうまく活用したネットワークの拠点となるという課題があります。もちろん、チャレンジドだけでなく、在宅で仕事がしたいという方で、いわゆる正規雇用ではなく、コンピュータを使っておこなう「ワークシェアリング」のジャンルに関してのコーディネイトが考えられ、国とも、今そんなお話しをさせていただいています。98年に大臣認可をいただいたとき、労働省(当時)に初めて「重度障害者と在宅雇用と就労を支援するシステムの研究会」ができ、その委員になりました。重度障害者という文言がついていますが、これは、今までは、厚生省枠の言葉であって労働省でこれがテーマになることはありませんでした。今まで、労働行政にはなかった言葉が入って「雇用と就労」、しかもそれを支援するシステムの研究会ということで発足したわけです。

このように国も意識を切り替え、制度を切り替え、2001年から「厚生労働省」として統合されたのです。国の意識も変わり最近では自治体の研修会等でお話をさせていただく機会も増えてきました。そのなかで、日本全体の意識が変わりつつあることを実感しています。「この人たちに何かをしてあげないといけない」と思っていたものが、「この人の中から何かを引き出す方法は何か」と発想が変わったとき、福祉の手法やシステム、制度が変わるのです。コンピュータは「0」と「1」の世界ですから、人間イエス・ノーが表現できれば、それは科学技術、表現するための道具に乗せることができます。コンピュータは、福祉を変える強力で、新しい道具になりつつあります。

私は、これこそが「IT革命」だと思っています。人が「誇りある自立」に向かうための道具としてITを使い、そのための制度を生み出していくことが、私たちに与えられた課題だと思っています。

(社会福祉法人プロップ・ステーション 理事長たけなか・なみ)

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