シルバー新報 2000年9月8日より転載

特集 ITが拓く福祉社会

障害を持つ人々は、IT(情報技術)の先行きに健常者以上の大きな期待と不安を抱いている。ITを活用して社会参加へのバリアを超えていく人がいる一方、ITが新たなバリアになっていく人もいるからだ。障害者とは、言い換えれば「健常者にも病気や怪我や老いによって起こる各種の不自由を早くから経験している人たち」。ITが障害者にもたらす可能性と課題は、実はすべての人にかかわる問題だ。

ジャーナリスト 中和正彦

IT革命が障害を変える

ヤル気、能力で開く“扉”


ハンディを超えて図書館司書になった杉田正幸さん

目が見えない人の最も大きなハンディの1つは、本を読めないこと。ところが、そのハンディを超えて、本のプロである図書館司書になった人がいる。この春、大阪府に府立図書館の司書になった杉田正幸さん(29=写真)だ。受験者のほは全員が健常者で競争率は60倍以上という採用試験を突破した、その快挙の背景にはITの進歩がある。

司書を志した杉田さんは、まず筑波技術短大(視覚障害者と聴覚障害者の三年制短大)で情報処理を学び、そのかたわら、近畿大学の通信制の司書課程を受講した。後者には、盲人を受け入れる準備はなかった。

しかし、杉田さんは、教材を自分でボランティアに頼んで点訳してもらい、レポートは音声フィードバック機能を搭載したパソコンで執筆。試験は、ボランティアに問題を読んでもらい、パソコンで書いた答えを答案用紙に書き写してもらうという方法を認めてもらって受験。図書館実習もこなし、見事に資格を取得した。

そして、司書の求人を見つけると、「盲人でも情報機器を使えばこれだけできる」という自他の事例を添えて果敢に応募した。1年目はことごとく断られたが、2年目にやっと点字受験を認める図書館に出会い、唯一のチャンスをものにした。その大阪府立図書館で杉田さんはいま、IT時代の新しい図書館サービスを担う新人として期待されている。

不可能を可能にした盲人の「司書」

杉田さんは、ITが障害者に不可能とされてきた仕事を可能にすることを示す象徴的な例だ。その可能性は、わずか10年ほどの間に急速に現実化し、いっそう拡大しようとしている。

引き続き、盲人の世界を見てみよう。グーテンベルグが活版印刷を発明して書物の大量複製が可能になったのは500年以上も前のことだが、盲人はわずか10年ほど前までグーテンベルグ以前のような読書環境に甘んじていた。

点字翻訳本は、点字を習得した限られた晴眼者が点筆で1点ずつ打って作るしかなかったため、盲人は非常に限られた本を長い間待たなければ読めなかった。この状況に革命をもたらしたのが、パソコン点訳だ。平仮名入力したデータを点字に変換できるソフトの登場により、点訳ボランティアの数は飛躍的に増えた。しかも、打ち間違いの修正が自由自在なパソコンは点訳のスピードを速め、一度点訳したものは点字プリンタで何部でも複製できるようになった。

さらに、点訳活動を通信ネットワークで結ぶことによって、地域ごとに同じ本を点訳する必要がなくなり、点訳本の点数は飛躍的に増加。盲人の間からは、こんな声が聞かれるまでになった。

「しばらく前までは読みたい本が読めなくて困っていたのに、いまでは読みたい本がありすぎて困っています」

新たなバリア克服が課題

前出・杉田さんも、こうした変化の中で本を読む楽しみを知ったという。司書課程の教材をボランティアに頼んですぐ点訳できたのも、この点訳革命あってのことだ。

革命が起きたのは、点訳の世界だけではなかった。ディスプレイに表示される文字を音声化するソフトの登場で、盲人自身がパソコンを使えるようになった。

電子化された環境であれば文字情報のやり取りを苦にしない盲人が続々と生まれ、その活動の幅はインターネットによって格段に広がっている。こうした動きは当然、就労機会の拡大につながる。

長い間、鍼灸按摩ぐらいしか自立できる職域のなかった盲人に、80年代、プログラマーという新しい職域が生まれた。

社会全体の情報化が急速に進んだ昨今では、情報化された職域ならどこでも何らかの仕事ができる可能性が生まれている。

移動のバリアも飛び越える

盲人の世界で見てきたITによる可能性の拡大は、他の障害者の世界でも起きている。英国の理論物理学者であるホーキング博士は、難病で全身が麻痺して声も失った最重度の障害者だが、わずかに動く指先で操作できるパソコンを駆使して、論文も書けば講演もこなしていた。十年ほど前、テレビでその姿に接して衝撃を受けた人は多いだろう。

だが、いまは日本でも少なからぬ障害者において、同じような機能を付加したパソコンが使われている。そして、インターネット環境の拡大によって、“ベッドサイドSOHO”とでも言うべき形で仕事をする障害者も出てきている。コミュニケーションやデスクワークの不自由も、通勤・移動のバリアも、ITで越えられるようになっているのだ。

視覚障害者と並んで情報障害が深刻だった聴覚障害者も、電子メールの普及などによって健聴者とのコミュニケーションを活発に行えるようになった。携帯電話はメール・サービスを開始して以降、外出先での連絡手段がなかった聴覚障害者に猛烈な勢いでユーザーを増やしている。ITによる可能性の拡大は、知的障害者にも及ぼうとしている。

日本での取り組みは遅れているが、スウェーデンなどでは知的障害者の自立生活を支援し、就労の可能性をも切り開く情報機器の開発が行われている。その一部は、日本への導入も試みられている。

「IT障害」という新たな不安

マイクロソフト日本法人の前社長・成毛真さんはすでに3年前、障害者就労支援のシンポジウムに全盲の社員・細田和也さん(「企業で働く」参照)を伴って出席し、こう述べた。「当社の採用に関しては、健常者かどうかよりも、コンピュータや英語がわかるかどうかといったことのほうが重要です」

多くの人が農林水産業や鉱工業の現場に出かけて働いていた時代には、身体障害はどうしても就労の障害だったが、情報化社会ではそうではなくなる。その代わり、ITを使えないことが障害になる。ITの活用で活躍の場を得た障害者は、現状ではまだ一握り。その一方には、“IT障害”という新たな障害を背負わされかねない不安を募らせる人が少なくない。

背景には、IT自体の問題と支援体制の問題がある。たとえば、パソコンは健常者にとっても決して使いやすい代物ではないが、障害者の場合、障害の種類や度合いによって使えない代物になってしまう。使えるようにする支援機器やソフトはいろいろ出ているが、一般に量産効果が出ない製品のため値段が高い。「パソコンに十万円、支援機器やソフトに数十万円」といったことも珍しくない。

市販品で解決しない場合は、リハビリテーション工学エンジニアに依頼するしかなくなるが、この専門職はまだ全国でもわずかしかいない。機器環境は何とか整えたとしても、操作技術を学ぶ場がない。

一般のパソコン教室で視覚障害者や聴覚障害者に対応できるところはほとんどないし、車いすの人を受け入れられるところも少ない。仕事ができる技術を身につけたとしても、簡単に仕事が得られるわけではない。企業就職も、まだ多くの企業はITが拓く障害者の可能性について認識不足なため、非常に厳しい。

両者を結ぶべき職業安定所も同様の認識不足で、十分に仲介機能を果たしていない。こうしたいくつものバリアを除去すべく、障害者のIT活用を支援するパソコンボランティアや就労支援まで行うNPOが登場してきているが、とても支援が必要な障害者すべてには手が届かない。

日本は高齢化社会を、ITを使える生産年齢の健常者だけで必死に支えるのか、障害者を含めたすべての働く意欲・能力のある人で支えるのか、その分岐点にあると言える。

ユニバーサルデザインの考え方に基づいた誰にでも使いやすいIT開発と、そのITを活用した就労支援が急務だ。

企業で働く

障害をソフト開発にいかす


細田和也さん

マイクロソフト日本法人でアクセシビリティ(障害者に使えるかどうか)関連の開発に携わっている細田和也さん(26)は、自身が幼い時に視力を失った。しかし、学生時代からパソコンと英語に熱中し、インターネットがブームになる前からアクセスして、海外まで仲間の輪を広げていた。偶然に出会った米国人の案内で、米国を旅して歩いた経験もある。

パソコンも英語も苦手な健常者は、情報化やグローバル化という観点で見たらどちらが障害者なのか、わからなくなるに違いない。マイクロソフトが採用したのも、そんな細田さんに大きな潜在能力を感じたからだろう。細田さんとマイクロソフトを結びつけたのは、“ウインドウズ・ショック”だった。ウィンドウズ95は、当初は盲人にまったく使えないものだった。MS-DOS機の音声化でパソコンに親しんでいた細田さんは、その将来に不安を募らせていった。そんな時にたまたま行くことになった前述の米国旅行で、いち早く音声化されたウインドウズ95英語版で盲人が普通に働いていることを知り、愕然とした。

帰国後、ITによる障害者の就労支援活動をするプロップステーション(後述参照)の代表・竹中ナミさんにそのことを話すと、竹中さんが当時の成毛真社長との会談をセッティング。能力を買われた細田さんは、大学4年に在学中だったが、コンサルタント契約を結ぶことになり、やがて社員として採用された。

その後、技術者として障害者にも使える機能の開発に没頭してきた細田さんは、今年ひとつの転機を迎えた。「あまり技術のことに没頭していたので、ちょっとエンドユーザーのことが見えなくなってしまって」、この春から休日を利用してボランティアで視覚障害者の初心者向けパソコン教室を始めた。

在宅就労

パソコン、ファクスなど、駆使


吉田浩一さん

かつて第一線の商社マンだった吉田浩一さん(40)の人生は、10年前大きく変わった。会社の派遣でMBA(経営学修士)取得のため留学していた米国で自動車事故に遇い、脊椎損傷と内臓破裂という重傷を負った。一命は取り留めたが、車いす生活となり体力的にも無理の利かない身体になってしまった。

だが、吉田さんはそこで帰国せず、留学の継続を希望した。「こんな身体になっても、資格を取っておけば何か役に立つかも知れない」と思ったからだ。92年、見事にMBAを取得して帰国した。

会社は吉田さんがパソコンができることに着目して、最終的に通信ネットワークによる在宅勤務の仕事を用意した。調査部所属の国際調査の仕事だった。毎日在外支店から会社の事業に関係しそうな情報がファクスで届く。午前中、会社にいる上司・先輩と会議電話で協議し、パソコンでサマリーを作成。

それを経営陣や関連部署に送付する。その他に、会議などの資料をインターネットなどを駆使して情報を集めて作成する。人間関係を欠かさないよう週1回は出社する。これが吉田さんの在宅勤務の基本パターンだった。

当時、吉田さんは「私は本当に恵まれていると思います」と語っていた。が、その吉田さんが今年2月、在宅勤務約7年半にして、会社を辞めた。最大の理由は、上司や仲間の目が届かないところで働いているため、ついつい評価が不安になって働きすぎてしてしまい、身体がもたなくなったことだという。

しかし、前向きな理由もあった。「40歳にもなったので、指示されたことをこなすだけでなく、もう少し自分を発揮できるような仕事をしてみたくなったんです」。本当に自分がやりたい仕事に向かって新たな道を歩み始めた。

就労支援

産官学の垣根超えて賛同者


第6回CJFのようす

「第6回チャレンジド・ジャパン・フォーラム(CJF)2000日米会議“レッツ・ビー・プラウド”」という催しが、8月末に東京で開催された。

チャレンジドとは、「神から挑戦すべき課題を与えられた者」という意味が込められた「障害者」を示す米語という。その障害者が誇りを持って生きられる社会を作ろうという趣旨の催しで、サブタイトルは「ITを活用した新しい学び方と就労についてチャレンジドからの提案」。

演壇に立ったのは、米国の国防総省が障害者の就労をITで支援するために設けたCAP(コンピュータ電子調整プログラム)という組織のダイナー・コーエン理事長、ウェブによる教育システムの権威といわれるスタンフォード大学のラリー・ライファー教授(両氏とも自身が障害者)、マイクロソフトなどIT企業の社長、岩手・宮城・三重の“改革派”3県知事などなど。

このそうそうたる顔ぶれをコーディネートしたのは、ITで障害者の就労支援を行う社会福祉法人プロップステーションの竹中ナミ理事長。いま福祉の世界の枠を超えて注目を集めている女性である。

そのエネルギーの源には、重症心身障害の娘を持った母親としての強烈な危機感がある。「このまま高齢社会に突入したら、日本は本当に保護が必要な人すら支えられなくなる。障害を持っていても働く意欲と能力のあるチャレンジドには、本当に保護が必要な人を支える側に回って欲しい。

「納税者になり消費者になり、誇りを持って自分たちの声を社会に向けて発して欲しい。いま、それを可能にするITという強力な手段があるのだから」。この明快なメッセージが、産・学・官の垣根を超えて賛同者を惹きつけ、大きなうねりを巻き起こしている。

なかわまさひこ・1960年神奈川県生まれ。明治大学文学部卒。出版社勤務の後、フリー編集者を経て、取材執筆活動に専念。障害者支援の他、バブル崩壊後の経済・社会問題を幅広く執筆中。

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